浩の教室・第8回勉強会の模様

 第8回勉強会の報告です。今回は、16名の参加者(男性6名、女性10名)を得ました。集団討論を3題いたしました。今回は、ちょっと特殊でして、討論を破壊する役回りをあえて担当していただく方を設け、議論をしたり、(結果的になのですけれど)問題発言となるようなことを思い切っていっていただいたりし、討論後の検討が非常に勉強になりました。

 第1のテーマは、「体罰は許されるという考え方の先生もいる一方、絶対だめであるとする先生もいる。みなさんはどう考えますか」でした。この討論では、受験生なら、基本的に「体罰は絶対に許されるものではない」との立場をとることが、本番での前提になるでしょうけれど、あえて討論参加者5人のうちのお2人の方に、体罰容認派を演じていただきました。結局、胸の奥に染み付いている「体罰はいけない」という非体罰思想が切り離せず、容認派もいつのまにか体罰否定派に押し切られて議論が終了したようです。無理を頼み演じていただいた方、ありがとうございました。

 結論がわかっている討論も、角度をかえてディベート方式にすると、違った「発見」を自分自身の中に見出すことができ、それなりに有意義であったと思われます。たとえば、いわゆる「恐い先生」の学校内における位置を考えることができたのも、こうした設定からでしょう。ピシッとして「恐い」先生、生活指導担当の先生は、「体罰」をふるうこともあるが、しかし、その先生が担当していた学年は他の学年よりザワツキがなく素晴らしかった、という意見もでました。「なめられる」教員が揃っている学校では生徒指導なんてできない、ということを裏から示した容認派役の方のご意見です。

 「愛情を込めた体罰」の意義も容認派からは当然出てきます。部活動指導でそうした経験を実際にされた方もいるでしょう。さらに、注意しても万引きを5回、6回と繰り返す生徒に対してビンタ一発あかんのか、といわれれば、討論において沈黙が生まれる可能性もありますね。万引きを止めない長男に熱湯をかけ死亡させてしまった昨日の虐待事件の発生は、こうした議論をしたワタクシたちに別の発想を抱かせているのではないかと思われます(この事件はちょっと他の要素があるような気がしてます。詳細は避けます)。

 そのほか、授業中にトイレに行かせないことは体罰なのか、そんなことでは指導なんてできんという指摘もありました。「授業中のトイレ」については、講師をされている方から実際のケースを多数報告していただきました。児童生徒に何かを「伝える」ということは、ほんとにほんとに難しいことです。そんな頭ではわかっていることを改めて議論できて有益でした。

 次に、「児童生徒に楽しいと思わせる学校生活を送らせるためには、どのような工夫をあなたがたはしますか。多様な方面から議論してください」というテーマでした。参加者が教科を同じくしていないので、それぞれの教科の指導法についての具体的な発表がつづきました。それは致し方のないところです。しかし、体験的な学習を取り入れようとする方法論の核心を、みなさんもっていらっしゃいました。議論の中で「生徒=お客さん」という発言を思い切っていってくださった方がいまして、そこから討論後の検討がいつになく深まりました。机の配置がいつもとちがったことも手伝って、議論は白熱しました。

 生徒を客と捉えれば、先生は迎合的にならざるをえません。また、「未熟」な生徒を指導する立場にある、あるいはサポートする立場にあるワタクシたちが、そんな弱腰でどうするのか、といった感覚も当然議論に提出されました。生徒を客とみなしていいのかどうか、本質的な議論に発展しました。この「生徒=お客さん」の議論だけで1時間近く話し合ったでしょうか。社会人経験を積まれた方からのご発言でしたので、「顧客満足度」の視点から語られたのです。先生をめざす若い方々が、あーでもない、こーでもないと議論されているのは、結論など度外視して、見守っているワタクシとしましてはことのほか嬉しかったですね。

 3番目のテーマは「新しい障害といわれるLD児やADHD児がクラスにいるとする。指導にあたって注意すべき点はどのようなことか、議論せよ」というものです。こうしたテーマは講師経験者、実際にLD児、ADHD児を担当された方が討論自体を引っ張っていくケースになりやすいです。予想通り討論の進行は、障害児担当経験者の発言量が多かったです。

 問題は、このような発言量の偏りが予想されるテーマに、未経験者がどこまで食い下がれるか、というところにあります。テーマの「LD児、ADHD児」のところに、他の言葉を代入すれば、そのことがわかります。たとえば「障害事件を起した生徒」であったり、「海の事故であるいは交通事故で両親をなくした児童」では、どのように討論ができるでしょうか。想像力たくましく、教員としての自覚を高めさせる話し合いがもたれました。

 また、討論の際に参加者どうし質問しあうことがあります。質問者はどうしてもテーマについて経験がなかったり、わからないところがおおかったりする参加者になります。討論で他の参加者の引き立て役になる可能性もありますので注意が必要です。ご自身がなにをいえるか、それを忘れないようにしてください。3つの討論とも、評価者であるワタクシが「身を乗り出しそうになる」討論でした。

(2004年8月10日)

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