浩の教室・第9回勉強会の模様

 第9回の勉強会の報告です。26日は、15名(男性3名、女性12名)の参加者を得ました。新しく参加していただいた方も数名いらっしゃいました。15名の方々を3グループに分け、集団討論を実施しました。

 討論のテーマは、まず、「学校の外で起こった事件にあなたの担当クラスの児童生徒がかかわっていた。あなた方は、どのように対処しますか。具体的場面を設定し、議論してください」というものです。喧々囂々、マシンガンのようにしゃべっている風の方もいらっしゃいましたし、集団に対し側面からおだやかに貢献するタイプの方もいらっしゃいました。

 討論は、講師経験を通して実際に起こった出来事を、守秘義務を守る範囲で報告し、それをたたき台に議論を抽象化する方向にすすみました。具体的にはファミレスでの喧嘩や痴漢、バイクの窃盗など、児童生徒が被害者、加害者どちらの立場から関わっているのかを弁別しつつ、ケースバイケースの討論となりました。そこでは、いわゆる「ほうれんそう」について、関係機関との連携、法や規範意識の内在化、本音の話ができる生徒にかかわる力、カウンセリングマインド、秩序とスリルの関係、児童生徒の内面を知り、事件行為の動機を知る、そのほか、本当に多様な話題がトピックとして登場しました。

 しかし、討論の内容よりも討論の形式が、今回は問題になりました。たとえ多様なトピックがいい交されても、はたして白熱し過ぎる討論はよいものなのか。発言回数にこだわる必要はあるのか。自分ではいいと思っていてもパワフル過ぎて「こわさ」を感じる集団であった、というコメントもありました。個人々々の教育センスや技量は高いが、しかしぶつかり合いすぎて打撃戦になりすぎている感を傍観者が持つのは否めません。その意味で、ちょっと評価しにくい討論でした。

 2つ目のテーマは、「ことばの教育の大切さがさけばれていますが、表現力を養成するのにどのような工夫をしますか」でした。この討論では、まず表現力とはなにか、共通認識を提出してからはじまりました。

 国語の授業のあり方、学校ポストの設置例、ことばと学力の関係、論理的な言語能力の育成、児童生徒が心に持っている思いをことばにするのを待つ姿勢、本のススメ、歌や作文など多様な表現の手段、自分をどのように伝えられるか、などが提出されました。落語家の桂米朝さんを引き合いに、ことばの魅力を検証すべきというご意見もでました。

 第1の集団が強烈でありすぎたせいか、ゆったりとした、どちらかといえば若干の間があく討論になりました。10対10の打撃戦過ぎるのも困りますが、そのあとにゆったりした討論を聞くと、こんな感覚におちいるのかと、面接官のご苦労が少しわかったような気がしました。

 第3番目の方々には、「将来をみつめる機会を児童生徒に与えたい。あなた方は、どのような形で実践しますか、議論してください」というテーマが与えられました。将来をみつめるというと、どうしても職業体験の実施ということが頭をよぎります。社会人の経験を聞く機会を設ける、それを踏まえて自分を見つめ直すことの必要性、ちがう世界に目を向ける必要性。兵庫で実施されている「トライやるウィーク」のお話もでました。

 しかし、将来をみつめる機会を設ける児童生徒の作業は、職業について考えることだけではありません。たとえば、生き甲斐を探すこと、なんのために勉強するのかを考えることもそうでしょう。また、ボランティアや環境を考えることも間接的に自己の将来をみつめることにつながるでしょう。そうした意味では総合学習や普通の授業も、すべてが児童生徒の血肉にならなければなりませんね。

 以上、今回の討論は、すべての参加者が1次試験の合格者であることも手伝ってか、討論の内容は充実したものでありました。次回は形式面に注意することにいたしましょう。

(2004年8月26日)

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