浩の教室・第10回勉強会の模様

 ちょっと遅れましたが、第10回勉強会の報告です。今回も新しい参加者を迎えることができて、盛んな議論が行なわれました。今回は26名(男性6名、女性20名)ご参集いただきました。オブザーバーの方からも積極的に発言いただき、トピックもたくさん出てきました。討論参加は26名うち18名で、これを3グループに分ける手法をとっております。

 今回は討論席につくべき方との連絡が当方のミスから調整不良になってしまいましたが、なんとか最後のグループを7席とすることにより回避できました。とすると、次回から7人グループ設定でもいいですね。

 さて、第1のグループには、「少人数学級と習熟度別学級との関係について議論を深めてください」というテーマで議論していただきました。このわかりにくいテーマをどのように料理できるか、参加者の姿勢をみておりました。討論者は最初に、「少人数≠習熟度別」を確認されました。そして、これを受けて、クラスの人数が少ないことのメリットとデメリットが議論の俎上にあがりました。これは校種や教科によって見方が変わりました。たとえば、中学校の国語なら、講義形式は尊重すべきである、共通理解をクラス全体に求める方式は捨てられないというご意見でした。ただ、いわゆる「高得点者」は授業で手をあげる頻度が少なく、逆に、「高得点でない生徒」が活発に手をあげる…、講義形式だと一方通行授業になり静態的になる問題をどのように解消するかが「問題」となるようです。

 音楽の楽器指導では、一人ひとりを指導する時間をかけるには少人数が有利であると意見が出ました。その反面、必要となる教員の確保、そこから地方の教育財政にまで話がおよび、土木にかける資金を教育へまわせという過激な、しかしまっとうな提案がありました。これは太田さんに頼むほかありません。しかし、2300億円の削減をめざされていることからしても無理難題かもしれませんね。さらに、理科教員の立場から、大学との連携(いわゆるスーパーサイエンススクール)、おしえあい学習の意義が語られました。

 一方、小学校ではどうか。少人数は体験学習の実施にメリットがある、完全習得学習を進めるためにも少人数は意義があるというご意見が出ました。また、少人数にすることとグループ活動のちがいはあるのかどうかもトピックになっていました。学級集団が学校生活の基礎単位であるだけに、その設定は児童生徒の日常に大きな影響を与えます。選択教科にかぎって少人数を導入するかどうか、高校段階での高い専門性を要求される場合にだけ習熟度別をとり入れるかどうか、など、考えるポイントはいくらでもでてきます。翻って、小学校の土台的学びが緩いと、砂上の楼閣的学習が延々とつづく可能性もあります。すると習熟度別を小学校から導入する視点も否定できません。ところで、議論の中に「個性」をどのように捉えるかのトピックがあれば、難しいですけれど、ヨリ実りある考察も可能ではなかったかと感想を持ちました。

 次に、「わたくしたちにとって国際感覚とはなにか。国際感覚を身につけることを学校でどのように展開するか、議論せよ」、これが2つ目のグループの議題です。国際感覚の定義は、「自国の文化を知り発信しつつ、諸外国の文化を理解し相互尊重すること」と参加者のうちでまとまったように思えました。世界で何が起こっているのかを包み隠さず児童生徒に伝えることが大切というご意見から、中国でのアジア杯(サッカー)における反日感情の沸騰、アテネ・オリンピックなど時事的関心事や、在日の問題、日本アニメの輸出、韓国ブームに加熱をもたらした「冬ソナ」について和気藹々と議論されました。しかし、結構こうした話題はデリケートな討論に傾斜する可能性もあります。サッカーのブーイングから民族的「恨(ハン)」の議論に突き進んでしまわないかどうか、ハラハラして見守っておりました。しかし、こうした議論ができるということは、それだけ他者感覚が磨かれていることの裏返しでもあります。「平和の心」を伝えていくにはどうすればいいのかが主張される根拠でもあります。

 アジアの平和を議論することに関連して、日中の教科書比較についての紹介が登場するなど、内容豊富な討論となりました。文化的な感性を磨くことが国際感覚につながるのはもっともですが、それを相対化する世界人(コスモポリタン)をいかに考えるかという視点をワタクシの方から提供し、議論は終了しました。

 第3のグループには、「児童生徒に感動を与えるためには、あなたがたはどのような指導をしますか。具体的に議論してください」というテーマが与えられました。簡単なようで難しいテーマです。討論は参加者それぞれの感動体験を語ることからはじまりました。ところがどうも討論者個人の感動体験、たとえば子どもの頃家族でキャンプに行き、そこでみた星降る夜に感動したというような、また、水泳のクイックターンが成功したときというような個人の体験報告がはじまるのかと思うと、だんだん講師として児童生徒が体験した感動あるいは無感動話に転化していきました。これは致し方ないことでしょう。討論進行途上の若干のネジレはあるものです。

 アテネオリンピックの中継に感動している教師志望の討論者と、「キレイな花ね〜」の問いかけに無反応な児童。対照的でした。ワタクシたちの見知らぬところで児童生徒は感動しているんだと思い込むことで、きょうびの子どもたちも感動しているに違いないと確認するのはなんとも寂しいものでした。言葉でいいあらわせない感動などない、という小林秀雄の一節を思い出させました。たしかに、自分の世界が広がったとき、泣きたいくらいに心がふるえるとき、それが感動というものでしょうね。修学旅行でモンゴルに行けば、児童生徒の世界観に刺激が与えられるでしょう。修学旅行もそうですが、どのようにこうした感動を与える指導を具体化するかについては、枠組としての総合学習をはじめ、指導環境の設定について討論されました。生活科のサツマイモ収穫パーティーもそうだし、達成感を味わうための手作りの体育授業用ハードル、というお話もでました。

 こうしたテーマではなかなかに難しかったと思いますが、養護教諭志望の方からも、不登校気味の生徒が健康診断の手伝いをしてくれ、その生徒がクラスメートから感謝される一駒を紹介され、感動体験はどこにでもあるのだと、ワタクシは思い知らされました。以上のように、ワタクシも感動させられる3つの議論でした。

 それにしても、まったくはじめてお会いする方々がおおくなり、ウレシイかぎりです。営利事業ではないところに、この自由な会合の特色があります。一所懸命に、無心に教育について議論することが、こんなにも楽しいのかと、いまさらながらに感動しています。とすれば、感動は情熱を従えた高めあいの中で醗酵するものなのでしょう。ワタクシが大学でいささか学んだことを、少しでも還元できないかどうか――そうした無償の意欲がワタクシを支えています

(2004年8月30日)

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