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浩の教室・第55回勉強会の模様


 先日は、当サイト主催教育学勉強会に、発表の時期にもかかわらず多数ご参加いただきありがとうございました。この時期、教室キャパの半分が埋まるのは、大変光栄なことです。ありがとうございます。引き続き、11月度もよろしくお願いいたします。

 初参加の方も、かなりこの勉強会を気に入ってくださったようで、ウレシイかぎりです。

 さて、当日は、勉強会にご参加いただいき、合格した方、残念だった方の少しばかりの紹介をいたしました。だいたいですが、参加者のうち、1次は8割合格、2次は半分以上合格です。最終合格まで辿り着けなかったのは、私の責任半分、ご本人の責任半分でしょう。この感想は、偽りのないところです。もっとああいうようにいっておけばよかった、もっと厳しくいっておけばよかった、また、もっとその受験生に応じた適切な指摘はなかったか、と反省しきりです。でも、中高受験者はかなり健闘しています。2年越しで来られていた方の合格がウレシイ反面、あかんかった一人ひとりの顔が浮かびます。

 勉強会の内容としましては、最初に、「人権教育指導答申」の講読演習をいたしました。書き下ろしの解説と、巻末に問題演習を数問組み込み、本文そのものも含めて25枚程度お渡しすることができました。まず、この解説を中心にワタクシの講義を1時間ほど実施いたしました。戦前戦後の部落解放運動の歴史的経緯を振り返り、同和問題における分水嶺としての全国水平社成立の歴史的根拠を述べ、その運動および理念が戦後につながり、そして、行政がどのように解放運動に対応していったのか、同対審答申など、ポイントを挙げながら検討していきました。これが「人権教育指導答申」を理解し、教採に必要な主要旋律であるからです。

 真剣な講義の中にも、幾許か笑いがあり、問題点を整理いたしました。次回11月3日に、このつづきを解説いたします。

 次に、大阪府の1次問題の解説をいたしました。こちらは、体罰の問題について、「懲戒権の限界」に関してかなりつっこんで解説し、みなさまからの多数のご意見をいただきました。この今年度大阪府の懲戒および体罰の問題は悪問であると思います。それを、とことんおかしいなぁと突き詰めていったのですけど、結局、「消去法」でしか解答を導き出せないというところに落ち着きました。これにつきましては、すでに、「うしろのこくばん」に問題提起しております。後ほど、もう少しワタクシの方からも書き込みいたしますが、みなさんにも是非とも考えていただきたい問題なのです。なぜなら、教採試験に懲戒・体罰の問題が出題されるのは、それだけグレーゾーンにある現場を鮮明にしようという教委の問題意識からであり、たとえマークシート式の問題であったとしても、問題文章の一言一句の解釈について、みなさまが真摯に向き合い、吟味していただきたいからです。そのことが、後々教壇に立たれたときに血の通った教職教養として生きてくるからです。

 それでは、討論の模様をお伝えいたします。集団討論は、7名の方に25分間でがんばっていただきました。テーマは「テレビゲームをさせない主義の保護者についてどう考えるか」です。仮にA〜Gさんとして議論を再現していきましょう。

 ところでテーマをどのように料理すればいいのか、かなり苦しんだというコメントを参加者の中から討論終了後いただきましたが、たしかに「テレビゲームをさせない主義の保護者についてどう考えるか」の出題意図を考えること、これの「読み替え」を行なうことが、最初の関門となります。

 果たしてこのテーマの真意はどこにあるのでしょうか。普通はテレビゲーム容認の保護者にどのように注意すべきかを、学校の教員としてどのように説明し伝えるか、このケースを考えさせるのが一般です。ところがそうではなく、テレビゲームをさせないわけですから、どちらかというと教員にとってはありがたい存在の保護者であると捉えられるのです。テレビゲームをさせない主義の保護者像を描いてみることが大切でしょう。この保護者はいわゆる「教育ママ」なのでしょうか。それとも「貧困によってゲームを買い与えることのできない保護者」なのでしょうか。ここをご覧のみなさまは、どのような像を頭に浮かべますでしょうか。

 次に、このテーマは、テレビゲームと保護者と、どちらに重きをおいて議論するべきなのでしょうか。これも問題です。テレビゲームの功罪にアクセントをおき過ぎると、テーマの本質からズレることになります。このテーマは、やはり対保護者について、教員をめざすワタクシたちの態度を問うているものでしょう。そうワタクシは判断しています。したがって、学校と家庭をつなぐパイプのなかで、テレビゲームに関する児童生徒意識をどのように考えるかであると思われます。

 さて、議論は最初、空白がつづきました。さすがに問題が難しいのか、なかなか言葉を発する参加者がいませんでした。そうした中で、Aさんが、テレビゲームをさせない保護者の態度に賛成か反対かを聞きたいと参加者に提言されました。そしてAさんは、こうした保護者の態度に賛成であり、児童生徒にはゲーム以外にもほかにたくさんすることがあるはずで、その時間を確保することをこの保護者は考えていると発言されました。と同時に、しかしテレビゲームを児童生徒がすることには否定しないし、保護者のコントロールの下でけじめをつけて遊ばせるのがポイントではないか、と付け加えられました。

 Fさんは、テレビゲームに熱中しすぎる児童生徒が増えているのが問題であるといい、それは必然的に外で遊ぶことをなくし、体力の低下を生じさせるし、児童生徒同士のコミュニケーションを減少させるといわれました。この発言の仕方は、いずれかといえば「ゲーム」にアクセントをおいたものでしょう。Gさんは、この保護者の態度に賛成の立場であり、長時間ゲームをすることが児童生徒から集中力を奪うといわれました。ここは少し説明不足で、なぜ、集中力が奪われるのか述べたほうがよかったです。また、いわゆる「ゲーム脳」の問題を指摘されつつ、テレビゲームが感情を抑えきれない児童生徒を、知らない間に作ってしまうのではないかと考察を加えられ、「キレ」る児童生徒の増加をもを心配していらっしゃいました。

 Eさんは、この保護者の態度に反対であると明確にご意見されました。問題は、テレビゲームをさせる、させないにあるのではなく、させ方にあるということです。学習、勉強と休憩とのけじめをつけ、どのようにストレスを発散させるかか問われているのではないか、と喝破されました。また、どのようなタイミングにおいて、テレビゲームでリフレッシュするかも考えないといけないと発言されました。

 一方、Dさんは、テレビゲームをすることに賛成とも反対とも思いがつかないが、しかしテレビゲームには暴力的な構成のものが多く、さらに、児童生徒における現実と仮想の世界の混同を心配するとご意見されました。Cさんも、現実と仮想の世界の垣根が崩れる事態を心配され、テレビゲームの主人公が「殺されても生き返る」ことから児童生徒の世界観にも影響を与える点、いわばリセットの思想を指摘し、なにも指導しないままであるのはよくないと発言されました。Bさんも、上のような文脈から、テレビゲームの問題は、命を大切にすることの指導=道徳指導につながっており、それを学校は日常的に指導している、だからこうした問題と絡め合わせて保護者対応しなければならないのではないかと話されました。

 こうして参加者のそれぞれの第一発言は終了し、それぞれの方の考えていらっしゃるところがおぼろげながらわかってきました。

 このあと議論はどのようにすすんだのでしょうか。Aさんは、児童生徒のコミュニケーションの世界が携帯機器に向かっている、このことを考えると、携帯電話を与えない主義とテレビゲームをさせない主義が重なり合っているのではないかといわれました。保護者像を明確にしようと懸命な様子がうかがえますし、このテーマをどう扱うか、問題点の抽出に苦労している様子がありありとうかがえます。FさんはこのAさんのご意見を受け、携帯とインターネットのつながりを指摘し、児童生徒のサイバー空間における安全面の問題を指摘されました。児童生徒の安全を保護者に自覚させることが大切であるとのことです。

 このAさんとFさんのやりとりは、テーマにどう切り込んでいくかに苦心した上でのものでした。議論の全体からいえば、この安全面のやりとりはこの瞬間だけでした。ゲームそのものを云々する議論に埋没することを怖れたゆえの発言だったのでしょう。しかし、ちょっと飛躍しすぎた感もありました。でもこうした積極性はよいことです。今後につながります。

 一方、Bさんから、ゲームをし過ぎて夜更かしさんが増えているのをどうするか、とご意見がありました。また、コンビニで夜遅くまでゲームをしているのは児童生徒の成長に悪いと言及されました。保護者の子育て思想にもかかわる発言ですね。

 Eさんから、テレビゲームについて教員が保護者に説明することも必要ではないかと発言がありました。テレビゲームをさせると、どういうことがおこるのか、メリット、デメリットの両面を保護者に話すことが重要ではないかと指摘されました。Aさんは、これを受け、テレビゲームをさせる主義の保護者もいる。その場合は、テレビゲームの攻略法についてなど、児童生徒と保護者のあいだで話がはずむのではないか、と述べられました。昔は親子でキャッチボール、今は親子でゲームということですね。いいか悪いかは別として、親子のあいだのコミュニケーション形成の方向に議論が進んでいることは、テーマを深めているといえるでしょう。また、「ゲーム脳」については児童生徒だけでなく、保護者もそれほど理解していないので、場合によっては授業や特別活動の時間に話してもいいのではないかと述べられました。

 このように学校を舞台にこのテーマを考えていこうという雰囲気がでてきて、具体的な児童生徒の様子が報告されました。すなわち、Gさんが講師の体験から、児童生徒が、朝、学校に来たとき、何時間寝たの、ゲームはどのくらいしたの、と聞いてみたそうで、ゲームに費やした時間を2時間以上と答えたケースもあったそうです。いつするの、との問には、塾に行く前にリラックスするためにテレビゲームをする、ということです。Gさんは、ゲームを2時間以上もすることに危機感を持ち、1時間程度にできないか考えられたそうです。学習意欲の低下が考えられるからです。児童生徒にゲームをする時間の自己制限ができないか本気で訴えられていました。この報告から、Fさんは、「2時間はやり過ぎやろう」との声が上がり、身体的に悪いと断言されました。こうした点で、健康管理を学校は行なうべきであると発言されました。この発言の裏には、勉強会終了後のコーヒー会で語られたように、ご自身の経験があって、「気がついたら朝だった」というようなゲームのし過ぎの自己反省が発言に真実味をたずさえさせていましたよ。自分で自分のことを律することの難しい小学校低学年であれば、スケジュール管理も視野に入れ、保護者と共同歩調をとるべきではないかと述べられました。

 ここで、重大発言がありました。それは、「保護者はテレビゲームをさせたくない、しかし、児童生徒はしたい。どうしたらいいのでしょうか」という問題提起です。Cさんからでした。この発言がなぜ重大発言であるのかは、おわかりになるでしょう。親子の意思疎通のうまくいっていない状態を指摘しているわけで、テーマの本質をえぐった提言といえるからです。テレビゲームをめぐる親子喧嘩は日常茶飯であって、どの家庭でも児童生徒が長時間ゲームをすることに対し、叱りたい気持ちがあるのではないでしょうか。そこに気付き、ここに教員の立場からなにを示唆できるか、重大な問題です。この提起を境に、議論は豊かになったと思われます。

 Cさんの発言に刺激され、Eさんから、なぜ児童生徒がゲームに夢中になるのか、ひょっとすれば学校が楽しくないのかもしれないと発言があり、それはいじめられていて、ゲームの世界にはいっているのかもしれないと予想され、児童生徒のパーソナルな教育的背景をつかむことが必要と述べられました。これも重要な指摘です。

 CさんもEさんも、テーマの背景をどのように立論すべきかということにおいて重要な視点を用意されたといえるでしょう。集団討論における効果的な発言の仕方です。

 つづいてDさんから、テレビゲームのし過ぎは運動能力の低下をもたらし、こうした遊びに時間制限を設けるべきと述べつつ、児童生徒の話にも耳を傾けることが大切であると発言されました。児童生徒と同じ目の高さに立って指導するとはよくいわれることなのですが、これはことのほか難しいものです。ワタクシは、こう書かれた論作文を何枚も見てきましたけれども、書くのと実践するのこととの間には、ものすごく深い谷があると思っています。以上の感想は、Dさんの発言を批判するわけではなく、議論を聞いていたワタクシの感想です。Dさんは、また、保護者の家庭における指導力についても言及されました。大人社会でコミュニケーションをどのようにしてとるか、保護者である大人も苦しんでいると。親のコミュニケーション能力についても、たしかに疑問を感ずるところがあるでしょう。この発言は、教員の家庭に対する一定程度の教育的指導を必要とする事態を指摘したものといえますね。

 そこで、Gさんから、保護者と連絡がとれない場合、どうするべきかと問われ、教育実践として生活習慣改善ノートを用意して、児童生徒に日常を「ふり返り」させることが大切であると指摘されました。このノートを媒介に教員と家庭と児童生徒の三角形が連携可能ということですね。

 Dさんは、テレビゲームをするのは、部活動をしていないからかもしれないと推測され、興味のあるクラブやボランティア活動に児童生徒を誘ってみるのもテレビゲームのし過ぎから離脱させる指導になるといわれました。児童生徒の時間の有効な、そして社会的に意義のある活用方法に目を向けられたと評価できます。Cさんも、Dさんの指摘を受け、地域社会と児童生徒とのかかわりを述べられました。

 Fさんか、Dさんか、ワタクシのメモが追いつかず、ちょっと発言主体がはっきりしなかったのですけれど、テレビゲームをすることが児童生徒にとって一番楽しみな時間になっていることをどう捉えるべきであるのか、そして、そうであるとして、代替案はあるのかと提言されました。おそらくDさんでしょうけれども、仲間、時間、空間の3つの「間」をどのように自己形成させるかが私たちの実践として重要であると指摘されました。

 ここでタイムアップ。

 さて、少しだけワタクシの方から箇条書き風に感想を述べますね。

 ひとつは、ゲーム脳ってなんですか、ということです。わかったようでわからないことは、しっかり概念説明がほしいところです。言葉の概念が集団で共有されないと、何をトピックにしたいのかわからなくなります。そしてそれだけでなく、聞いている採点官も不審に思うことでしょう。それは、ゲーム脳だけでなく、今後、あらゆる議論において登場が予想される「聞きなれない言葉」、「難しい言葉」に共通することです。

 それから、テレビゲームをすることは、私的領域であって、そこまで学校がなにかいうことは、いいのかどうか。学校外の時間帯をどのように活用するかまで踏み込んでいいのかどうか。ワタクシはいいと思います。いいとする場合でも、学校の先生の指導の限界や線引きをはっきりさせる発言があってもよかったと思っています。

 また、山村留学が奨励されていることや、自然体験活動の充実を期待する教育行政と、テレビゲームをさせない主義の保護者との関連性はどのようなものでしょうか。

 一番最初に家庭と学校のパイプということをいいましたが、家庭訪問でテレビゲームについて保護者と個別に議論するということも必要でしょうね。

 Cさんの問題提起を重要といいました。ここに時事的要素として、長崎の事件を絡めてもいいでしょう。

 今回のテーマのように主題の意図を見抜くのが難しい場合、あらゆる角度からなにかいってみることも必要です。そこからブレインストーミング的になにかが生まれるかもしれません。今は練習の期間ですから、思い切ってなんでもいってみましょう。

 あす、第56回の勉強会を開催いたします。多数、お申し込みありがとうございます。あすのテーマは、もっとも基本に立ち返り、「児童生徒、保護者の求める教師像とはどのようなものでしょうか、議論してください」です。今夏の大阪府の出題です。さて、どんな議論が繰り広げられるでしょうか。第56回当サイト主宰勉強会には、大阪市小学校の現役の先生がお見えになります。多彩なご指摘、現場から見たご指摘がいただけるでしょう。

 当勉強会に参加したいとお考えであるにもかかわらず、遠方(大阪市内に来られるのに3時間以上かかる方)のため断念されている方も多いと存じます。そうした方々の中で、使用している資料だけでもご所望の方がいらっしゃるかもしれません。その旨をお書きの上、一度メールくださいませんか。直接参加されていらっしゃる方との公平性を考え、少しばかり費用はかかりますが、郵送に限り、ご対応いたします。

(2005年10月29日)

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