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浩の教室・第58回勉強会の模様


 昨日は、第58回当サイト主宰の勉強会に多数ご参加いただきましてありがとうございました。「うしろのこくばん」でおなじみの、ルパン先生にも来ていただきましたし、小学校の現役の先生にも引きつづきご参加いただきました。お礼申し上げます。日々、業務に追われつつも、後輩たちのためにイロイロとお考え下さり、また、ワタクシのめざすところに共鳴いただき、ご協力いただけますことに、感謝の言葉も思いつきません。週末、お休みになりたいところを、わざわざご参加、無給でこんなに応援していただけることにワタクシだけでなく、大学3年生からママさんまで、すべての参加者が感謝していることでしょう。

 今回も、初参加の方が多数いらっしゃり、新風を送り込んでくださいました。ウレシイことです。是非、自由で楽しくかつ勉強になるようこの会合を、盛り立てていただくことを期待しております。また、今回、多い方で、120枚近い資料をお配りすることになりました。コピー代のご負担ありがとうございました。来週も50枚くらいになってしまいそうです。すいません。しかし、精魂込めて作っていますので、ご自宅にお帰りになった後、ゆっくり目を通してくださいね。お願いいたします。

 本日は、参加者多数のため、集団討論を2回いたしました。急遽のことでありましたので、アナウンスしておりました「信頼される学校」のほか、「めざす教師像」=「教員としての資質能力」について議論していただくことになりました。臨機応変の進行にご協力いただきありがとう。次回も2回実施することになるかどうか、参加人数によって決定いたします。ただ2回実施が答申講読と問題解説の時間を圧迫しないようにしなければなりません。困難な運営を余儀なくされます。このあたり、みなさまからのご意見を踏まえつつ、進めてまいりますのでヨロシクお願いいたします。さてその答申についてです。

 昨日は、まず、「キャリア教育答申」について検討いたしました。例の勤労観、職業観を育てるための答申です。教採の合格を視野に、どこにポイントがあるのかを前回開催の勉強会の内容を復習的にお話ししつつ、新しいページに踏み込みました。キャリア教育の「キャリア」とはなにか、という議論の中で、参加者なりの考え方が示され、「誠実、経験、能力」という3つのキーワードが提出されました。教採の面接だけでなく、すべての面接に共通することですが、「自分の言葉で語る」ということを、今後も念頭において勉強していきましょう。資料巻末の関連問題を是非、解いておいてください。次回は新しく、「学校の組織運営の在り方について[作業部会の審議のまとめ]」〈平成16(2004)年12月〉の解説と検討をしてまいります。この資料の検討も2、3回で終えるよう予定しております。

 次に、今夏に実施された大阪府の1次試験の解答解説をいたしました。オリジナルのテキストを使って、資料豊富に作成しているものです。ただ、ボリュームの厚さが裏目に出て、今回でようやく全問終了に漕ぎ着けました。古代教育史に登場するソクラテス、プラトン、アリストテレスについて簡単に説明し、また、近代西洋教育史の主人公数名を掲げて、どこにいわば「教育史の背骨」があるのかを伝えたつもりです。このほか、ポリスの帝国化つまりギリシャ世界のローマ帝国化について、市民権の問題と絡めて簡単に説明いたしました。「教育史の背骨」として黒板に板書したことはしっかり押さえておいてくださいね。

 さて、集団討論について記します。今回は上に書きましたように、2回実施いたしました。時間的な問題もあって、早口になり申し訳なかったです。第1のテーマは、「信頼される学校とはどのようなものか、議論してください」というものでした。このテーマは、よくよく出題されるものでありまして、この夏にもいくつかの自治体で出題されたものです。

 このテーマはとっつきやすいテーマであるものの、間口が広すぎて議論の凝集点がみつかりにくいものです。そこをどのようにうまく収束させるかが協調性として、この先、問われるでしょう。さて、議論はどのように進行したでしょうか。

 第1テーマには、6名の方に25分間でチャレンジしていただきました。仮にA〜Fさんとして、いつものように討論の模様を再現していきましょう。

 口火を切ったのはBさんでした。Bさんは、信頼される学校は信頼される教員集団が前提となるという発想から、安心して児童生徒が授業にとりくめる環境や、生活指導・進路指導を児童生徒中心に進めることができること、この2点が「信頼される学校」の中身となるべきであると話されました。教員の授業力といいますか、教材研究に長けた能力を持ち、実践できることが児童生徒から信頼を得られることになるというわけです。もっともなご意見でしょう。

 次に、トピックを提出する意欲的な立場から、Eさんは、学校の地域への働きかけが大切であり、教員の地域行事への参加が、ややもすれば密室にとられかねない学校世界を透明化するものであるの述べられ、そうした活動が地域からの信頼を得る端緒になると主張されました。また、教員があいさつに注意することによって、地域に溶け込み、信頼を得ることも可能であると、議論進行のポイントを提出されました。

 このB、Eさんの議論は、両者ともに当然このテーマに即し登場すべき話題です。やや図式的になりますが、Bさんのご意見は、学校内部における信頼形成=児童生徒からの信頼、Eさんのご意見は、学校世界外からの信頼醸成=地域からの信頼、と整理することができるでしょう。

 こうした2つのトピックの提出が、討論の出発時におかれたことからわかるように、すでにこのテーマの間口の広さが示唆されています。そして、トピックの多さが議論のまとまりにくさになる危険性もあるわけです。ちなみにワタクシは、今の段階では、質的に高い討論を要求するというよりもむしろ、討論参加者がいわば「なんでもかんでも、なにかしゃべれる」ということに視点をおいています。各参加者の個人的な話題提供能力とでもいうのでしょうか、「話せる主体になる」ということをまず求めています。その次が、協調性を持った発言主体になっているかどうかということです。なんでも順番があります。まだ本番の試験まで、7ヶ月あります。あせってはいけません。いまの「なんでも話してみよう」という気持ちが場数を踏むことによって練れてきます。心配いりません。発言主体として地に足着いたとき、次のステップがみえてくるものです。

 ちょっとそれました。元に戻します。

 上の2つのトピックが出てきたことに対応し、Aさんは、「誰に対する信頼か、はっきりさせるべきだ」と考えられたようで、児童生徒からの信頼なのか、地域からの信頼なのか、どちらから議論していくか悩んでいられたようです。結局、後者の「地域からの信頼」ということに関してご意見を述べられました。たとえば、地域からの信頼を得るには地域に学校のことを公開しなければならない。そのために学校はホームページをもっているところが多い。しかし更新されないままであるケースがこれまた多い。こうしたことでは学校公開のひとつの方法が窒息していることにほかならなず問題ではないかということです。

 Dさんは、学校が信頼されるためには、「開かれた学校」の実現がポイントとなるといわれました。この立場から、地域と良好な関係を持つためにも、たとえば総合学習を活用していわば「地域密着度」を高めるようにしたいと語られました。児童生徒への授業提供を通してあるいはバネにして、地域からの信頼を得る工夫を講じたいということですね。ここに具体的なひとことを挿入することによって、Dさんの発言は厚みが出ます。

 Eさんは、学校が地域の拠点になることを望まれており、そうした拠点化のためにこそ、学校が情報公開し、説明責任を果たさなければならないと論理的に述べられました。もちろんそれは、学校・家庭・地域の3者連携を前提として実現されるものですね。

 Cさんからは、小学生が殺害される事件の多発に心を痛められ、信頼される学校は、安全面の強化ということも考えなければならない領域ではないかと提案されました。そして、下校時の体制を整えるよう地域ボランティアを募り、学校と地域との絆を深めたいと述べられました。

 このCさんのご意見を受け、Dさんから、学校を開放し、さらに教室を一つ開放して地域社会の人びとが集まる場所を作ってはどうかと提案されました。そうすれば、「大人が子どもの顔を知るようになる」し、「子どもも地域の大人の人を知るようになる」。ここから防犯体制ができあがるのではないかという具体的なものでした。

 以上、テーマが「地域からの信頼を勝ち取るということ」が中心となって進んでいることがわかります。ただここで問題なのは、上でも述べたように、授業を通しての「信頼」、教員の地域への貢献度から形成される「信頼」、学校拠点化のための方法論的の提示を通しての「信頼」、安全対策、防犯意識の向上を通しての「信頼」というように、てんでんバラバラにトピックが提出されていることです。これは各参加者の勉強の度合いが高いためにこのようになっているのでしょう。「今のところ」はそれほど問題になりません。ここでこうしたことを何度も強調しているのは、「黙っているよりもしゃべれるようになれ」だからです。このバラバラのトピックをどのようにして螺旋的に構造化し、採点官が唸るような「議論」として作り上げていくことができるか、ルパン先生は、そこのところを心配されていらっしゃいました。集団討論における「チームワーク」がどこまで達成されるかは、集団が沈没するかどうかに関わり重要な評価ポイントであることだけは自覚を求めたいところですね。

 さてここで、Fさんから、また、問題提起がありました。「地域住民は、子どもを学校に通わせているときはいいが、卒業して学校と関わりがなくなると、学校に対して無関心になる。こうした地域の人びとの意識をどのようにして学校に再度向けさせるか」ということです。一言でいえば、「身近な学校」の再生ということです。そのために教員はどのようにして地域にコミットしていけばいいのでしょうか。

 この問いは、ワタクシは聞いていて、誰でも思いつく疑問ではあっても、かなり高度な討論を求める提案であるなあと感じていました。まさに集団討論に爆弾が投下された感じです。なぜなら、学校に児童生徒を通わせている保護者にして学校に対して信頼を寄せていない場合もあるのに、さらにその上の議論であるからです。この提案があったとき、ワタクシも内心、どう答えたらいいか苦しんでいました。いうならば、政治的無関心層をどのようにして選挙へ引っ張り出すか、に似た問答になりそうです。

 そしてBさんから、学校の中で児童生徒の環境を知ることを通して地域を知ることができるのではないかと述べられ、地域と教員との結びつき方の一例を挙げられました。Eさんからは、このBさんのご意見に関連し、学校の教育が奏功しているかどうかは、そこで学んでいる児童生徒をみればわかることで、たとえば児童生徒がちゃんとあいさつをするようであれば、そうした態度が地域に自然と伝わり、学校評価にプラスされていくのではないかと述べられました。Bさんは、こうした学校と地域との相互の信頼関係を作り上げるのに有効な方法としてEさんのあいさつ運動を評価されました。

 ここまで議論が進み、Dさんが議論をまとめる発言をされました。それは、児童生徒の立場からすれば魅力ある授業の提供が学校に対する信頼となる、保護者の立場からすれば児童生徒を教員全員で守ってくれるかどうかが信頼となる、地域に対しては学校が説明責任を果たしているかが信頼となる、ということです。児童生徒(当事者)、家庭(保護者)、地域住民と、学校内外からの信頼に応える在り方を語っておられ、筋が通った発言でした。

 さらにCさんから、児童生徒が困ったときに相談できる体制を整えることも大切であって、そうした自覚を持って教員は存在すべきで、児童生徒の抱える問題解決への支援が、遠く、地域から信頼を得るようになると述べられました。

 ここでAさんが、久しぶりに口を開いた格好でしたが、「信頼は誰から得るのか」にこだわっていたようで、そしてそこにこだわるのは議論の出発からして当然なのですが、児童生徒か地域かと、2分的に信頼を得る方策を考えるのではなく、イキイキと学校へ通う児童生徒が地域からの信頼を得ている証であり表出であると発言されました。
 Eさんは、なんらかのイベントをすることによって、具体的に学校と地域とが一体化すると述べられ、学校にLANをひくことを一つの事例(LANに関して調査班や工事班を設けるなど)として挙げられました。それに付け加えられる形で、Aさんが中学や高校であれば部活動のコーチを公募して地域から支援を求めたいと抱負を語られました。

 と、ここで25分が過ぎ、終了です。

 さて、ご覧のみなさまは、この再現を読まれて、どのような感想をもたれたでしょうか。集団討論は各参加者の力量によっても左右されますし、テーマによっても左右されます。問題点については、すでに上の再現文の中で指摘しましたので再説しません。ただ、他者の意見の後追いにならず、ご自身の創造的意見をどのように他者の意見と折り合いつけながら発言するか−、これはいつでも気になるところです。これに対する解答はあるのか。残念ながら、それは、「経験」としかいいようのないものです。みなさん、苦しみながら場数を踏み、自らを鍛えていきましょう。

 第2のテーマ、「私たちのめざす教師像とはどのようなものか、その資質・能力について議論せよ」について、再現してみましょう。この討論は、今回の勉強会にはじめて参加いただいた方々に挑戦していただきました。20分間、5人の方に語っていただきました。A〜Eさんとして、その発言を追っていきますが、その前に一言。

 この第2のテーマは、理想を語るテーマであるということです。すなわち、第1のテーマが、いわば教育政策論的に現実問題を扱うものであって、アレヤコレヤが登場して螺旋的に議論を組み立てられなかったところに反省点が認められますが、この第2のテーマにおいては、アレヤコレヤが出ても、それらが「完璧な教員」を多面の角度から眺めて言語化されたのであって、議論しやすいということです。つまり、このテーマでは、対立する意見がない。ここで登場する教員的資質すべてを備えれば、現代日本のスーパーティーチャーができあがるということです。そしてまた、それらをすべて体現している教員などいない、ということでもあります。こんな資質、あんな能力というように種々の意見が登場し、それらをスポンジのように吸収する「理想の教員」が各参加者の頭の中に描かれている、あるいは、どんどん詰め込んでいけるので描ききれる、ということです。間口が広いのは第1のテーマと同一ですが、ここのところが決定的に違う。「その前に一言」といったのは、上のような点を汲み取っていただいて、ご覧のみなさまには考えていただきたいということです。

 そういうわけで、ここでは、まず、各討論参加者の意見を時間経過に即して整理するのではなく、めざす教師像のエッセンスを箇条書き的に掲げるという手法で討論の模様を再現していきましょう。そこに否定されるべき意見がないということが一目瞭然となります。

 Aさんの、コミュニケーション能力を身に付けてやれる先生、子どもの目線に立つことのできる先生。

 Bさんの、わかりやすい授業のできる専門的能力を備えた先生。一人ひとりがどのような性格なのかをしっかり理解でき、心を開くことのできる先生。

 Cさんの、児童生徒に共感できる先生。児童生徒のささいな話題をも取り上げ、そこから集団全体に対する話題にできる先生。

 Dさんの、児童生徒が毎日学校に来たいと思わせる先生。児童生徒の方をみた、対応力を持った先生。

 Eさんの、発達段階に応じたコミュニケーションの取れる先生。児童生徒の発見を拾っていける先生。

 このように、みんながウンウンとうなずく資質、能力あるいは姿勢であるわけです。

 こうして「資質・能力」が出揃ったところから、議論がどのように動いていったかをみていきましょう。

 Aさんが、児童生徒は笑って学校に来ているようにみえても、内心、苦しみを抱えているものであるとの前提に立ち、一人一日一回は必ず声をかけたいと話されました。これを受け、Bさんが、昼休みや掃除の時間にも児童生徒に語りかけて信頼関係を作り上げたいと抱負を述べられました。Eさんは、Aさん、Bさんに刺激され、児童生徒と教員とは、1対1でもあるし1対多でもある、それを踏まえたリアリティのある教員像を提出されました。

 つづいてCさんから、それでは教員の児童生徒への想いをどのように伝えていくかと提案され、学級通信の話題を出されました。受け取り先に保護者がいるわけですから、Aさんより保護者の立場から求められる教師像はどのようなものか議論したいと提案がありました。これを受け、Bさんが、学校に安心して児童生徒をあずけられるかどうかがポイントであるとご意見され、そうであれば連絡帳などを使って頻繁に児童生徒の動向を知らせてくれる先生が望ましいと述べられました。Dさんは、児童生徒の学校での様子と家庭での様子は違うものであろうから、その2面性に注意しつつ、家庭と教員がそれらの違いを知り、共有していくことが必要であると論じられました。家庭と学校の結び付きは学級通信のほかに日記もあるといわれたのはEさんでした。

 Eさんは、実習体験から、児童生徒が書いた日記に、教員だけでなく保護者もコメントを付ける努力によって、児童生徒を双方から見守る体制に感銘を受けたと語ってくださいました。これを受け、Aさんは、日記は自己表現の場であり、それを通して、保護者の立場から、勉強をちゃんとしているか、「確かな学力」はついているかが確認できると述べられました。

 ここで話題転換があり、保護者との関わりから宿題についての議論になりました。Aさんの提案です。そしてここにBさんが、宿題を出さない先生もいるが、これについてはどうか、と振られ、それに応える形で討論は進行していきます。Cさんは、宿題を出すことにやや反対の立場でした。その理由が説得力のあるもので、「あすまでにやってきなさい」ではなくて、もう少し長い期間をとって、その期間内に一定程度の学習範囲を終了する計画を学校が組み立て、子どもが自由に学習をすすめられるようにしたい、というものです。子どもの自主性を尊重する態度は、教員の指導能力として不可欠のものでしょう。宿題のトピックに対し、評価のできる応答であったと思います。また、Dさんからは、宿題の意義は学習内容を忘れないようにするためのものではないかと発言され、たとえば土日をはさんでしまうと週明け困ることになると具体的に話されました。Eさんは、宿題は自然に発生するものではないか、とみなさんを引き付ける発言をされました。教員は進めたい学習進行上のラインがある。しかし進み方は計画通りにいかない場合も多く、それが宿題となってあらわれるというわけですね。

 最後にAさんが、宿題に関連し、時間に追いまくられている授業の現状に触れつつ、保護者のニーズと児童生徒の学習面の能力の間には開きがあって、そこが問題と述べられたところでタイムアップしました。

 さて、このように再現しますと、流れるように議論が進んでいるのがわかります。ちなみに総発言回数は20回。つまり20分間の討論時間ですから、1分に1回発言があったことがわかります。第1テーマでは、25分間で17回でしたから、比較的にいって、スピード感がありました。

 こうした短い発言の積み重ねが集団の印象を変えました。つまり、非常に動的になっているということです。話が盛り上がるときには、どのようなテーマであっても、あるいは、なんらかのグループにおける普段の何気ない「話」においてもそうなるものです。

 最後にワタクシから。宿題のトピックはそれだけでひとつのテーマのように感じられるものでした。そこに、「めざすべき教員像」的発想をどのようにして絡めるか、これは難しい問題です。しかし、全体として、フレッシュな議論であったことはまちがいありません。それから、こうした短い発言が重なる討論が、本番でできるかといえば、これは「運」の範囲に属します。2次試験の討論ともなれば、「我先に」との気持ちが高ぶり、かつ、一人で喋り捲る方もいないとは限りません。老婆心ながら申し添えますね。
 では、今週末、また、実り豊かな討論を期待しましょう。

(2005年12月4日)

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