浩の教室・第27回勉強会の模様

 3月13日の勉強会の報告です。13日は、男性3名、女性6名の計9名の方にお集まりいただきました。前半に答申を輪読し、後半に「個人面接対策としての『個人解剖』の試み」を実施しました。

 前半の答申輪読における議論の中心テーマは、学習指導要領の基準性についてでした。基準性とはなにかの確認を答申から読みとり、その運営の仕方と現場の実際とを突き付けあわせることができました。学習指導要領は全国的な一定の教育水準を確保する観点から定められています。つまりそこには、「これだけは教えるべきですよ」とする「基準」がある。この「基準」を単に「基準」といっておけばいいのに、この「基準」を「基準性」というところに、よくわからなくなるモトがあるような気がします。

 結局、この「基準性」とはそんなに難しいことではなく、「ここまで」というラインです。ただ、こうしたラインをさだめながら、そのラインを越えて教えてもいいというからややこしくなる。しかも、個に応じた教育をしなけれえばならないということで、このラインを超える学習内容を奨励すらするのです。

 こうなってくると、「基準性」など意味をなさなくなってくるわけですね。このラインを学習指導要領は、「はどめ」として表現しています。「〜は扱わないものとする」や「〜については○種類又は△種類扱う」という表現としてあらわれています。このような教育内容の限定を学習指導要領が端的に示しながら、それを超えていいというのは、建て増し住宅的な無理がたたった結果ではないかと思われます。

 参加者のみなさんからは、たとえば中学校でルネサンスが省略されていることをあげて、こんなんで世界史の面白さがつたわるのかどうか、といったご意見がありました。ルネサンスは学習指導要領によれば教えなくていい、つまり「基準性」の外にある。しかし、近代への離陸の過程としてルネサンスを説明しなければ、歴史が成立しないと教員は考えます。ここに授業時数の短縮がマイナス条件として加わって、ルネサンスなしの世界史という、クリープをいれないコーヒーを生徒に提供することになる。

 ただこれは「基準性」を踏まえたから省略されるだけで、「各学校において、必要に応じ児童生徒の実態等を踏まえて個性を生かす教育を行う場合には、この規定にかかわらず学習指導要領に示されていない内容を指導することも可能なものである」から、学校の裁量でやってもいいということになる。

 いやよくわかる、いやよくわからない。参加者もこうした感覚をお持ちではなかったでしょうか。これなら別に「基準」を設ける必要なんかありませんから。ここまで「基準性」にこだわったのはなぜなのでしょうか。それは教育行政の「接ぎ木」的運営にあるといえるでしょう。次回は、もう少しこの答申を輪読していきます。

 後半は、「個人解剖の試み」でした。果敢に2人の方に挑戦していただきました。質問事項は右欄の「良く出るかもしれない面接質問集」からです。質問事項に対するお2人の受け答えは、パーソナルな発言が多いので、申し訳ないがら、ここでは紹介いたしません。しかし、そのうちのお1人が、ご自身のサイトで公開していらっしゃるので、それこここにリンクしておくことにいたします。こちらです。

 次回の勉強会は27日に開催いたします。応募者が増えて、4月以降の開催につきましては、キャンセル待ちの状態になっております。ご迷惑をおかけしますが、座席数は一定ですので仕方がありません。おはやいお申込みをお願いいたします。

(2005年3月13日)

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