浩の教室・第37回勉強会の模様



コーヒー会の一齣

 一昨日は当サイト主宰の勉強会に、多数ご参加いただき、ありがとうございました。今回も定員いっぱいになり、活発な議論と意見交換の場となりました。とりわけ今回は、現役の先生をお2人も迎えることができ、後輩たちに温かい指導をいただけました。すでに何度も来ていただき、有益な指摘をくださっているルパンさん、それにわざわざ滋賀からかけつけてくださった、れのんさん、ありがとうございます。

 れのんさんは、原稿用紙に換算すれば20枚にはなろうとする「個人面接に克つ!」と題したペーパーまでご用意いただき恐縮です。面接に戸惑っている方々を落ち着かせる内容をもった参考ペーパーになってます。ご自身の経験(れのんさんは高校数学の教員です)から対策を練られているので、受験生にあっては実践的に役立つものとなっています。ありがとうございました。もちろん、次回以降勉強会に参加されるみなさまには、コピー代だけで提供いたします。また、このほかにもストックしているペーパーも自由にコピーしていただけます。

 さて、今回の勉強会は、シート式の問題解説、集団討論、集団面接、個人面接、しかも面接官役が3人と、もりだくさんでした。いつもいま書いているような勉強会の報告で、集団面接についてもコメントを書こうと思いながら、その答え方を書いても、ある意味しかたがないので、そして、時間の問題があって割愛した状況にありました。実際、面接に「ある決りきった答え」ないしは「答え方」なんかなく、いかにして自己を素直に表現するかにあると思うのです。そうした意味では、紋切り型の「答え方」を憶えても意味がありません。問題は、面接官の質問に対し、いままでの自分をどうぶつけるか、にあります。それをノート(200字帳!)に書き、実際しゃべってみる。自分自身を見つめ直す作業に没頭することです。それは、教えられてなかなかできることではありません。ワタクシが、受験生に対し個人面接に関していえることは、表現の問題・形式の問題・独善になりすぎていないか、この3点ぐらいであると思っています。受験生一人ひとりの経験は、かけがえのないものであり、そうした経験がしっかり面接官に届く術をこの勉強会ではやっているといっていいでしょう。訴えるべき内容を最初からもっていないなら、どうすることもできません。しかし、絶対にもっているんですよね。一人ひとりの受験生のもつ、そうした特色を引き出して、形に変えていくことのお手伝い、そんな感覚です。

 集団面接については以上です。集団討論では、「生涯学習のことについて自由に討論してください」をテーマに議論していただきました。このテーマは、難しいものでした。それはどういう意味で難しいかというと、「テーマが広範にすぎるので、どう意見を重ねていくのか困難」ということです。たとえば、これに近いテーマで、「生涯学習と学校教育との関連について議論してください」でしたら、まだしもやりやすいでしょう。さらに、「生涯学習の理念を踏まえて、学校教育と図書館の活用について議論しなさい」となれば、より一層討論しやすくなります。ということは、テーマの「自由に」をどのように料理するかということになります。「自由に」は曲者です。右欄の「集団討論についての覚書」でも再三触れていますが、「テーマの翻訳」をいかにするかということになります。

 「自由」であるがゆえに限定をつけて議論を絞っていくには、リーダーシップが必要になります。こうした「自由な」テーマでは「発表会型」になりがちなので、それを打破するためにも、誰かが切り盛り役にならないといけないかもしれません。おそらく、こうした絞りにくいテーマをリードすることができれば、その受験生はリーダーシップがあると評価されるのだと思われます。類題としてたとえば「総合学習について自由に議論してください」と出題されるとすれば、こりゃー、すごくこまるでしょう。リーダーシップ云々については以下に述べる「集団討論の評価」のところで繰り返しましょう。

 結局、「自由に」を捌ききれず、個人個人が別々の意見をいいあい、議論が重なり合わない感のある討論になってしまいました。面接官役の3人とも、ちょっと不満でありました。れのんさんのいわゆる「アピールタイム風座談会」に堕してしまったようです。前回までの勉強会報告書でも触れていますように、しっかりトピックを立ててください。個々の参加者がよい意見をもっているのにもかかわらず、噛み合わないまま終了してしまって、残念でした。そういう意味では、上で述べた意味の「難しいテーマ」に本番であたってしまったら、損といえば損ですね。参加者の発言をとりあげてみましょう。

 土曜日をどう使っていくか、地区で様々な「遊び」を体験し学んでいく、そこに子どもの穏やかな顔がみれるとうれしい。現状では、ゆとり教育といわれているが、授業の詰め込みになっている。学校で自ら学んでいく意識を養成する。それが初等中等段階でやるべきことである。自らの興味関心、意欲に基づいてやっていくのが生涯学習である。「学び」に年齢は関係ない。趣味的な生涯教育もある。子どもたちは知識を得たいという欲望がある。好奇心を育て学んでいく心を忘れないようにさせるにはどうするか。子どもとキャンプをして自然との関わりを育てたい。野外活動と生涯学習との関連。不登校、ひきこもりの問題を解消するためにも社会に彼等がでてから受け入れてもらえる学びの機関を作りたい。学校を地域に提供したい。社会教育団体に学びにいく場の提供。学びにいく姿勢をはぐくむ。生涯学習の現場は、コミュニケーションの場となる。自分らしくあるための場、学びの場としての生涯学習を模索したい。「なぜ勉強しなければならないのか」、こうした疑問を追求できる生徒を育てたい。生涯学習イコール総合学習かどうか。学習偏重でも人間形成偏重でも困る。勉強していく意味を発信していくのが教員の役割ではないか。生涯学習は国際的に議論されている課題である。教員として生涯学習にどのように取り組んでいくか。地域に教育的還元をするとして私たちはなにがレクチャーできるであろうか。社会人をリタイアしたあと、次にまた仕事ではなく、学びたい意識を伸ばすにはどうすればいいか。60歳定年退職後の生涯学習、第2の人生を豊かにするための生涯教育とはどのようなものか。小さなうちから学ぶ心を育てたい。

 上に羅列したように、語るに足る発言が多いものの、それらが凝固点をもたずにバラバラに発言されていたがゆえに、討論になりきれていない座談会になったということでしょう。そうした意味で評価が低いわけです。誰かがテーマの翻訳をして、学校教育と生涯教育の関連に絞りましょうといえば、おそらくリタイア後の成人教育にまで話は広がらないでしょうし、生涯学習と体験活動の関連、生涯学習と教科教育の関連と文節を区切って意見を出し合えば、少なくとも討論の体裁は整います。それだけでも面接官の印象はかなりちがいます。

 では最後に、「集団討論の評価」について述べましょう。といっても、今から述べることが正しいとは限りません。ぼんやりわかってきていることを述べるのみです。おそらく、集団討論の評価観点で一番重要なのは「協調性」でしょう。次に「説得力・表現力」、そして「リーダーシップ」ということになるのではないでしょうか。れのんさんもおっしゃっていましたが、「協調性」が重要なのは、他の個人面接や集団面接でこれを評価することができないからです。はじめてあう受験生のあいだであっても、独善的にならない、自己主張が強すぎない、他者の意見を尊重する、こうした態度を面接官は見極めようとしています。出過ぎるよりも控えめな方がいいし、控え目過ぎると「自分がない」と思われてしまう。この両極端にならず自分の立場を客観的に保持すること、これが最良でしょう。とてつもなく難しいことです。

 実際は、その最良をめざしつつも、それをめざしている態度であるかどうかが評価されるのであると思われます。べらべら一人しゃべるのがあまりよくないのは、こうした観点から理解できると思います。さらに、まったくしゃべらないのも評価の仕様がないわけです。

 そして、上にいったように「リーダーシップ」は、テーマによって発揮するべきでしょう。参加者の意見がでやすいテーマでは、それほど「リーダーシップ」を発揮しようと思わなくともいいわけで、どう組み立てるか難しい討論に限り「いっちょうやってやるか」でいいのではないでしょうか。

 「説得力・表現力」、これが「協調性」に負けず劣らず大切なことです。もちろん「ナニをいっているのかわからない」ではどうしようもないからです。ご自身の意見を筋道立てて相手にしっかり伝えられるかどうかですね。教員が知識の伝達をひとつの仕事としてもっているかぎり、言葉を操る能力はとってもとっても重要です。

 個人解剖は、今回はMさんに挑戦していただきました。3人のオヤジを前に、しっかり元気よく答えていたと思います。圧迫的な聞き方にも、ものおじせず、堂々と答えていらっしゃいました。もう少し直せばいいと思った点は「表現力」ですね。次回を期待しています。

(2005年6月12日)

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