浩の教室・第39回勉強会の模様

 昨日は、当サイト主催勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。キャリア教育について活発な議論がなされ、考えるべきポイントがいっぱいでてきて、ワタクシも勉強になりました。でも、みなさん、もっとしゃべりましょうよ。もっと、もっと。ワタクシから「うるさい黙れ」といわれるくらいしゃべってください。

 序盤は、キャリア教育に関する調査研究協力者会議報告から設問をしたシートを用意し、これを軸にみなさんからご意見が多々出たわけですが、結局、「キャリア」とはなんなのか、定義をめぐってまず議論があり、そしてキャリア教育を実践する意図にまで及んで、深い考察ができたことに喜びを感じています。文部科学省バンザイの態度もよいですが、自治体には自治体の考え方もありますし、モロテを上げてOKでは、少々物足りない感じもあります。

 キャリア教育と職業教育と進路指導、それらがどういう点でつながっているのか、自分ならどのようにしてこの3者をミックスしていくのか、報告書べったりではなく、そこを考え将来の実践に是非とも生かしてもらいたいのです。マークシート式教採テストでは測れないがしかし、それこそが本当に必要な教員の資質ではないでしょうか。現在12年間の初等中等教育を貫徹するキャリア教育とはどんなものなのか、校種をつなげて職業観を形成するためには、いわゆる「キャリア申し送り」ともいうべき「内申書」が登場することにもなるのでしょうか。また議論したいものです。

 中盤は、集団討論を実施しました。テーマは、「ゆとり教育の功罪について議論してください」でした。一昨日の旁午に書きましたように、徳島と同じテーマです。しかし、討論内容は完全に違っていました。どちらがよいというわけではなく、違っていました。

 勉強会には、男女同数16名の方にお集まりいただきまして、そのうち討論参加者は7名、集団面接参加者は5名、個人解剖1名、応援にかけつけてくださった現役の先生お一人でした。お仕事あって遅くから参加された方1名もいました。結局、2名の方にはオブザーブしていただくことになりました。しかしその2名の方も、幾度となく過去に討論あるいは面接に参加された方々で、今回は「後方支援」していただくことになりました。譲り合って参加していただいていることを、ありがたく思っております。

 討論のテーマは、「ゆとり教育の功罪について議論してください」でした。25分間の実践です。討論では、参加者全員の出発点を固めるためか、ゆとり教育がいつからはじまったかの共通理解を求める形でまず発言がありました。ここのところは徳島でしていただいた討論と相違していました。

 ゆとりと聞くと、昭和52(1977)年の学習指導要領のキャッチフレーズ「ゆとりと充実」が頭に浮かんだようで、ゆとり教育のスタートをここに求めて立論していこうという参加者がいらっしゃったのです。また、他の参加者にあっては、平成元年の要領にゆとり教育の出発をみていた方もいらっしゃいました。こうした、のっけからの食い違いと、「いつからはじまったのか明示をしていないあるいは避けた」参加者があって、討論それ自体が不穏な様相をみせるかもと思わせたのです。

 たしかに昭和52年の要領は、教育内容の1割削減ですし、人間中心カリキュラムの下、ゆとりの時間も設置されたし、あるいはこのテーマに即して登場してもいいトピックでしょう。平成元年ころからゆとり教育がはじまったというのは、参加者ご自身の社会感覚または教育史感覚からそういわれたのでしょうが、はっきりした根拠がわかりませんでした。

 このようなゆとり教育のスタートをめぐる認識の分裂は非常に興味深いもので、出題者の意図を越えています。出題者であるワタクシは、もうホント簡単に、「最近の学力低下の問題はゆとり教育に根差しているのだから、ここ数年のいわゆる『ゆとり教育』について話してもらって、教員をめざす若い方の意識を知りたいな」という単純なものだったのです。平成10年の要領改訂から、いわゆる「学びのすすめ」(平成14(2002)1月)が文科省からだされて、ゆとり教育を自己修正しようとし、そして15年の一部改正に進展していく教育行政の右往左往から「功罪」を抽出していただきたかったワタクシにあっては、こうした討論の出発の仕方は「意外」でした。「学びのすすめ」をいいだすことはすなわち、「知」の教育を復活させようとすることでしょう。

 「新しい学習指導要領の全面実施を目前に控えた今、文部科学省としては、新しい学習指導要領のねらいとする『確かな学力』の向上のために、指導に当たっての重点等を明らかにした5つの方策を次のとおりお示しすることとしました。各学校においては、この趣旨をご理解いただき、各学校段階の特性や学校・地域の実態を踏まえ、新しい学習指導要領のねらいとする『確かな学力』の向上に向けて、創意工夫を活かした取組を着実に進めていただきたいと思います」と述べられているところに、2002年当時の文部科学省の教育方針がはっきり読み取れます。すなわち、遠山教育行政の時期からすでに文科省は人間教育あるいは「不易」の教育への傾きが強過ぎることに、危機感をもっていたといえます。

 ところで、この、いつからゆとり教育がはじまったのかにかかわる分裂が、参加者の教職教養の深さから導出されているのが、これまた悲喜劇でした。これは討論内容云々よりも大切なポイントだとワタクシには思われるのです。

 このテーマを聞いて、昭和52年のキャッチフレーズを持ち出すことに、ある種の「心配」を感じています。というのは、採用試験の面接官の感覚は現場感覚が強力(だと思われるの)で、そんないわば「古い」ことをいいだすと、ミスマッチになるのではないかと思われるからです。ゆとりを象徴する週5日制も1年前倒しに実施された事実を考慮しても平成14年のことですよね。

 したがって、議論の出発は、少なくとも平成10年改訂の要領からにした方が、議論がスマートに進むでしょうし、出題者の意図も履き違えることがないと思われます。しかし、問題は、こうしたテーマが出題されたとして、本番の採点官の意図です。どうなんでしょうね、ワタクシと一緒かどうかなどまったくわからないことですし、なんともいえないんです。

 議論はこうしたスッタモンダがあったものの5分くらいで抜け出すことができ、次に「功罪」を提出することに移りました。このグループでは、まず「功」の話題から議論を深めていこうという姿勢がうかがえました。参加者のご意見から、摘記しましょう。

 まず「功罪」の「功」から。調査ではゆとり教育に6割が賛成している、学ぶ意欲がでてきたと評価されている。知識偏重が回避されてきた。荒れた学校といわれる事態も減少してきた。総合では地域活動もさかんになり、ゆとりが活用されつつある。学力に関する大人の見方がかわり、学校で習ったことが生活にどう生かされるべきかを考えるようになった。休日となった土曜の活用方法が広がり、社会性を育む教科外の活動、たとえば演劇もしたりしてゆとり教育は成果を上げている。体験活動がさかんとなりよい。進路をしっかり考えることができる。学校の特色が発揮されるようになってきている。人と人とのつながりが増え、自分から進んで人にかかわろうとする時間がもてる点でゆとり教育のよい面があらわれてきている。等々。

 一方、「罪」のところでは、学力低下。本当に教育内容の精選が学力を保障するかどうか。休日に塾へいく生徒いかない生徒があり、そうした状況が学力格差を生んでいる。そもそもゆとり教育を導入する時期が悪かった。情報化社会を背景に、ゆとり教育は物事を知るという知的好奇心を奪ったのではないか。知る喜びはどこかへいったのではないか。高校で土曜補習をするというのはゆとり教育を自己否定することになるのではないか。保護者は薄っぺらい教科書をみて、これで大丈夫かと嘆くのではないか。等々。

 ここには、できれば文科省を批判したくない立場とそれでも問題点を自分なりに表現しようという立場が混在しており、参加者の個々のスタンスがみてとれました。討論それ自体は、このように「功罪」の両者を指摘し、ではどうすればいいかを積み上げていくのがよろしいかと思われます。教科教育に即してどうすればいいか、学活からどういうようにゆとりの意義を深められるか、感動を与える教育活動をどうすればいいか、がそのポイントとして提出されました。ひとことでいえば、ある参加者がおっしゃったように、「罪をなくす方法」ということでしょうか。

 ワタクシは、討論において「文科省バンザイ」の主張をあえてしなくてもいいと思っています。上からいわれたことを全部が全部OKというスタンスでは、一人でこの先「先生」をやっていけるのかどうか不信感をもつからです。また、採用は自治体ですから、自治体は中央行政と違う教育思想を持っているからです。自治体は自治体独自の採用基準がありますし、自治体の求める教員像があるでしょう。文科省の求める教員像と重なりあう部分は多いものの、現場に近い分、文科省より実践感覚の比率が高まっていてそういう教員像を建立しているわけで、そうした立場からの採用であると思われます。

 したがって、これは受験生一人ひとりの作戦になりますけれども、無茶苦茶な反対意見でなく、背後に論拠を備えた批判的意見を穏やかにいうなら、構わないと思っています。

 次に集団面接に関して書きましょう。集団面接は、「対比」が鮮明にでます。協調性を評価する討論に対して、集団面接では応答の積極性と論理的表現力、経験からくる教育実践力を評価しようとしているのではないでしょうか。つまり、教員的資質があるということを滲み出すように、身体的に表出することにポイントがあるといわなければなりません。その点、決して競争じゃないですが、挙手で意見を求められるような場合は、できるかぎりパッと手を挙げるべきでしょう。与えられた質問に答えるだけでは不満が残ります。しかしまた、引くべきところは引くといいますか、挙手制が続いた場合、なんでも自分が答えてやるではこれまたマズイと思われます。ではどうすればいいのでしょうか。

 その解答は、「自然体」です。通常みなさんが行なっているコミュニケーションをそのままだせばいいのです。その「自然体」に「問題」があったとすればどうすればいいか、には、ワタクシは答える言葉を持ちません。

 個人解剖については書きません。

 なお、最後になりましたが、今回も、現役の中学校国語の先生に応援に来ていただきました。忙しい中、本当にありがとうございました。当勉強会の卒業生でもある今回きていただいた先生が、こうして愛情もって指導する立場から参加者に刺激を与えてくださることは、ありがたいかぎりです。当サイトの副題「教員と教員を目指す方のためのコミュニティスペース」が実現しようとしております。

 ワタクシがやりたいことが、ちょっとみえてきました。

 もう6月も終わりですね。試験直前期です。いまからの時間、有効に活用しましょう。

(2005年6月26日)

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