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浩の教室・第41回勉強会の模様

 先週末は、第41回当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。男性7名、女性10名の参加を得て、従来どおりシート式問題解説、集団討論、集団面接、そして個人解剖と実施しました。なお、いつも助けに来てくださるY先生、ありがとうございました。Y先生のように、合格された先生からのコメントは、受験生にとって安心感をもたらせ、また、参加者を力をづけるものになります。こころよくエントリーシートを参加者に公表して下さり、書き方を指示いただいたことに対し、参加者を代表してワタクシからお礼申上げます。

 「うしろのこくばん」に書き込みあるように、エントリーシートについては、受験生がイロイロ疑問をお持ちのようです。当勉強会参加者のみなさんのシートはワタクシも数通チェックさせていただきました。ワタクシがいままで何枚もシートを見てきた経験から、個別に少しばかり問題点も指摘させていただきました。受験生がみんなで検討し、比べあうのもよいかもしれませんね。そういう意味では、18日の「ジコピー」検討、期待しています。なお、18日開催の勉強会にも、Y先生とはまた別の先生(女性・小学校)に来ていただき、当日の受験に関する心構えや、討論などへのコメントをしていただく予定です。

 さて、シート式の問題解説は、学校の安全管理に関する問題を提供し、そこから多様に議論していただきました。中でも、参加者のおひとりから、学童保育のお話を深く聞くことができましたのは、大きな収穫であったと思われます。どうもありがとう。

 このほかシート式につきましては、法規、思想家、心理学のものを自習できるように編集しお渡しいたしましたので、ご検討お願いいたします。思えば大阪府の採用試験は、昨年度、かなりの間違いを含んだ出題であって、40問中5問ほどは採点から除外されました。全部でおおよそ35点満点になったわけで、なんともいえない後味の悪さを残しました。この24日の問題は、そんなことがないように願いたいですね。なんでこんなに間違うのか、チェック機能が働いていないのでしょうか。情報公開が進み、分析が可能となった昨今、恥かしい問題は作らないように府には期待しています。ワタクシは、今年度の大阪府・市の問題は昨年度より難しくなるのではないかと予想しています。昨年度のようにあまりにも簡単だと、選考の材料になりにくいと思われるからです。全員が全員30点以上では、こりゃ足切り点も相当高くなってしまうからです。足切りがあるかどうか定かではなく、ワタクシの推測に過ぎませんが、15000人受験するのですから、なんらかのこうした措置は必ずあると思っています。それが25点なのか30点なのかはわかりません。受験生のみなさんの高得点が目に見えていますので、あとは集団面接のでき次第ということになるでしょうか。35点以上でも涙を呑んだ方のいる昨年の動向からしても、集団面接の比重は、高いと思われます。

 ここに、昨年度の特別措置である1次試験免除者が入ってくるわけでありまして、どんなふうに選考されるのか、予想がつきません。免除者は免除者で、大阪府・市以外の自治体の1次試験をお受けになるわけで、近畿圏は大阪を台風の目に、受験模様が相当昨年と比べて変化しています。これで近畿圏2次の日程が重ならなければ、複数県合格もありえますね。こういうふうに書けばわかりますように、自治体別の対策なんてできるわけないのです。学問に王道なし、しっかり血の通った教職教養を身につけなければ、ひとたまりもありません。

 さて、今回の集団討論のテーマは、「少年犯罪の社会問題化にどのように対応するか」でした。簡単そうに見えて、そうでないテーマだったようです。参加者は男性2名、女性5名の計7名、20分間の討論です。今回は個別に参加者のご意見をまとめておきましょう。

 Aさんは、ふつうの子どもがナイフで殺傷事件を起こすなど、突発的な犯罪が多いことに心を痛めているとまず感想を述べ、私たち教員がどうすれば犯罪を防止できるか3つの観点から考えるべきであるといわれました。それは、子どもの立場、保護者の立場、地域の立場の3つです。子どもの立場から犯罪を防止するには、学校や家庭、地域に対する帰属感をもたせるべきで、たとえば「フッと友達や仲間の顔が浮かんで、罪に問われる行為に走ろうとした自分自身を思い留まらせたい」と述べられました。この討論後半に述べられたご意見は、討論を引き締めたようです。オブザーブの方からも評価が高かった発言でした。

 Bさんは、犯罪の低年齢化が心配である、気にくわないことがあればゲームのように「相手を消す」と思考が働くのが問題である、といわれました。これに教員としてどのように対応すべきかは、すなわち「キレる子ども対策」ということになります。学校が「小さな社会」であれば、そこにルールがあり、そのルールを守ることが社会に巣立つまでの練習場になります。そのルールも永遠普遍のものではないことを示唆するため、学級会や児童会でその変更のことをも考えていいと、ご意見がありました。ドッジボールの特別ルール設定もそのひとつだし、外遊びからルール、規則について学べると述べられました。

 Cさんからは、Bさんのキレル子ども議論や、すぐ下に書きますEさんの薬物汚染に関連して、次のように述べられました。すなわち、この社会は情報が拡散している社会である。だからそのあふれる情報を整理し、情報の選択の仕方を教えるべきではないかと。子どもたちがよくみるマンガは、その内容に問題がある場合どうすればいいか、チェックはできないものかといわれました。過激なマンガの表現は犯罪を引き起こす要因の1つだからだそうです。ワタクシは、それは受け手の問題だと思いますが、小学校低学年の場合など、判断ができない(かもしれない)場合は、ひとつの方策かもしれません。しかしこれは表現の自由と表現の規制と関わりあい、注意すべき論点と思われます。子どもの発達段階に応じてとは、学習指導要領の決り文句のひとつです。ここに根拠を求めて表現規制が進むことに、ワタクシは危惧を覚えます。これはまた違うテーマになってきますから、これくらいにとどめます。

 Dさんは少年犯罪を議論する場合、再発を考えるのか、防止を考えるのか、その出発点を確定することが必要だろうと述べられました。そしてDさん自身は犯罪の予防が教育の課題であるといわれ、「心の教育」に重点をおくことを通して、予防策に取り組みたいと、教員としての抱負を語られました。これに付け加えて、学校以外の場で、子どもはどこに「棲息」しているか、教員として把握しておくことが犯罪防止につながると主張されました。仲間作り、環境の浄化、コミュニケーション能力の向上を同時に提案されました。

 Eさんは、少年犯罪についてはその件数よりも犯罪内容つまり質が変わってきていることを指摘し、子どもたちを犯罪に巻き込む薬物汚染に触れられました。安易に薬物に手を出し、あるいは依存するなど、子どもたちに忍耐力が不足していることは、がまんの体験不足に根差していると述べられ、部活動のように継続していくような取り組みをすることが、その是正策になると考えられていました。それゆえ、多様な体験活動を実施し、教科外の活動において、児童生徒同士、「いやなことはいや」とはっきり意思表示できるように指導する、つまり意思伝達能力を育成することが是非必要だと主張されました。この観点が大切なのは、子どもであれ、大人であれ、コミュニケーションが不在のところに、犯罪が起こるからですね。だが問題は、ワタクシたちが、物事の判断において明確な回答を避ける特質を背負っているということをどう考えるかということです。これは「日本人のDNA」といってよく、物質的環境がいかにアメリカナイズされようとワタクシたちの内面に強くバンキョする特質です。最近の新聞でも、「微妙」を応答の言葉に使う場合が多いことが指摘されています。

 この討論を実施した日は、神戸で開催された第7回アジア・太平洋地域エイズ会議と重なっていました。それを知らなかったワタクシは、恥じ入らなければなりません。Eさんのアンテナに敬服します。AIDSのことを話題にあげ、いままでになかった犯罪現象と関わらせ、AIDSに対する知識不足を学校が補うといわれたのも、ポイント高い発言ではなかったかと思われます。Eさんはよく勉強されていますね。「児童生徒の問題行動対策重点プログラム」の存在も指摘されました。旁午をご覧のみなさんも、この文書をご確認ください。

 Fさんは、犯罪が命の軽視から起こるものと捉え、「命の教育」を学校現場で行なうべきであると主張されました。そこから「心のノート」の話題に触れられました。ワタクシは「心のノート」のバラマキに反対するものでありますが、教採試験において、「心のノート」について話題にすることは、なんら問題ではありません。Fさんはこのほか、教員間の情報交換、子どもたちの「結び方」について述べられ、子どもがひとりで問題を抱え込んでいるから犯罪に走るのだと指摘され、家庭におけるコミュニケーション不足をどう学校が補填していくか述べられました。班やグループ活動を学校で実践する背景の議論をしてくださいました。

 Gさんは、なんでも簡単に手に入れたり手放したりする社会の風潮を疑問視され、いわゆるon/offのゲーム感覚をどのように是正していくかが犯罪の問題とつながっていると述べられました。生身の付き合いが減少する結果、犯罪が蔓延るということでした。この解消策として、職場体験やボランティア活動を充実させ、「ありがとう」とちゃんといったり、「おせっかいやねん」といったり、Eさんと同じく意思表示の大切さを指摘されました。命の大切さについても、ウサギや花を育てる経験を通して育むとよいとされ、そこから性教育にまで踏み込んで立論されていました。

 このように各参加者のご意見にはそれぞれ光るところが十分にありました。討論終了後みなさんにお伝えしたように、Y先生もワタクシも、みなさんがかなり討論そのものに慣れられ、うまくなっているとコメントしたのでした。思うに、討論において大切なのは、豊富で適切な話題提供でしょう。いずれかといえば「適切さ」の方が評価されます。Y先生が「場に応じてピンポイント的に核心を語ればそれでいい」というニュアンスのコメントをいわれたのもそういう意味でしょう。多くをベラベラ述べるより、グサッと討論参加者だけでなく面接官の心に切り込む発言をされる方が印象に残ります。しかしこのことは「沈黙は金」を意味するものではありません。適度な、ということです。したがって、「話すべき内容」、「語るに値する内容」をどれほどもっていらっしゃるかが勝負となります。毎度いうことですが、それ以外にありません。そしてそれば何度もの練習討論、修羅場を乗り越えて初めてわかってくることです。

 今回のテーマと関連し、ここをリンクします。悲しくなります。

 集団面接、個人解剖については、いつものように割愛します。しかしひとつだけ気のついたことを述べましょう。今回の集団面接は、全体として、なかなかよかったと思っています。今回、発言が長過ぎて、途中で遮られた方がいらっしゃいましたが、その後の対応にどぎまぎせず、最後まで面接を終えられたところに、臨機応変を確認しました。一度遮られたからといってその場で落ち込む必要はなく、また、それだけで合否が決まるわけでもありません。軌道修正し、短い面接時間ではありますが、次の発言から短めにもっていけばよいのです。本番ではオロオロしないこと、これですね。ご自分が思っているより短く発言することがなにより大切です。ここでも「適切」の教訓を活かしてください。なお、挙手制の集団面接の場合は、ご遠慮なく。ただ、出過ぎてもいけませんから、そのあたりは自分なりに調整してください。

 なお、第44回以降の当サイト主宰勉強会に申し込まれている方は、「集団討論・希望者による模擬授業あるいは個人解剖または場面指導、その他個人対応」に関し、何をやりたいか、メールください。いただいたメールをもとにプログラムを組みたいからです。よろしくお願いします。

(2005年7月10日)

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