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浩の教室・第40回勉強会の模様

 記念すべき第40回当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。男性6名、女性10名の方にお集まりいただきました。はじめてご参加の方もいらっしゃり、ありがたく思っています。神戸三宮開催も2回目となり、来年度はもう少し神戸三宮開催を増やそうと計画しております。いつもわざわざ神戸の方、明石の方が大阪まで、しかも難波まで来ていただいていることに、交通費を使わせて悪いなと思うと同時に、お金をかけて来ていただいているので、充実した時間を一緒に作っていきたいなと思っております。

 さて、勉強会の序盤はワタクシ手作りのシート式問題解説、中盤は集団討論2題、終盤は個人解剖でした。いつもは集団面接を一つするのですが、今回は神戸で行なった関係上、集団面接が兵庫県や神戸市にないので、このようなカリキュラムにいたしました。

 シート式では、選択肢に社会教育関係団体をとりあげ解説しましたので、かなり広範囲に説明が及びました。人権教育、児童虐待、特別支援教育、博物館について、簡単な説明をし、みなさまの議論のたたき台にしていただくことができました。毎回こうしてみなさんの問題意識がシート式の課題に沿って数多く提出され、ワタクシも勉強になっています。また、講師の方、お母さま、大学4年生の方と参加者が20代から30代後半までご参加いただいているので、多様な観点視点からご意見いただけるので、お互いに刺激を受けることと思います。願わくば、相互に刺激が与えられる存在にまでなることを期待しています。このシート式の問題解説は、1次試験に役立っているようで、ワタクシとしてもウレシイです。OECDについても出題され、北海道はばっちりでした。北海道の試験問題を入手しますので、その検討もできれば10日、あるいは18日にやりたいなと思っています。勉強会参加者には当然ながら北海道の問題をコピー代だけで提供します。

 中盤の集団討論ですが、今回は基本に立ち帰って足場を固めるテーマとなりました。討論のテーマは、「総合学習について、中学教師の約6割がなくした方がよいと考えている。どのように思うか」と、「確かな学力をつけるためにはどのような取り組みをすればよいか」でした。1つめはアップツーデートなテーマといえるでしょうか。2つめは基本的なテーマですね。では参加者7名を仮にA〜Gさんとして、順番が逆になりますが、後者のテーマから解説していきましょう。

 まず、確かな学力とはなにか、定義するところからはじまりました。さすがそうした考え方や出発はツボを押さえていますね。確かな学力が、生きる力を知の側面から捉えたものというAさんの発言から、みなさんが「自説」を開陳していきました。Aさんは、自分で学習しようとする力、学ぼうとする力もこの「確かな学力」に含まれると述べられまして、それは共通認識のようでした。ここから、各参加者が、「確かな学力」をいいかえられまして、基礎基本である、感動や問題が解けたときの喜びを味わわせるためにもこの「確かな学力」を身に付けることが必要というご意見が登場しました。CさんやEさん、それにGさんも同様の趣旨のご意見でした。Gさんは、一般教科の基礎基本および学ぶ姿勢をも問題にされており、その理解は肯綮にあたっています。どのように学べばいいか課題解決能力が「確かな学力」の中身を形成するものですね。

 一方、Dさんからは、達成感というキーワードに問題関心を示し、Cさんとの間で個別のやりとりがありました。「確かな学力」を児童生徒に身に付ける動機の側面として、「感動」という言葉を使ったCさんに疑問があったようです。そのこと自体に問題はありません。しかし、あとで討論を見守っていた方々から、1つの指摘がありました。

 それは、「集団討論において、2人の参加者が時間をとって、問答風になるのはいかがなものか」という指摘でした。たしかに短い時間の討論なので、あるいは「いいあい」とも捉えられかねない「対立」的状況は、対面接官にあっては「冒険」になるかもしれません。簡単な確認のやりとりならよかったのですが、そこからテーマを超越してしまったり、別の方向に進行していく可能性がありますので注意が必要です。なお、Dさんからは、ひとつのことを深く考えさせる力を付けさせたいと抱負が語られ、それが「確かな学力」の意味するところと捉えられていたようです。

 各自の「確かな学力」論が一通り済んだところで、Eさんから、「テーマに戻って『どのような取り組みをするか』に移りましょうよ」と鶴の一声があって、その後は方法論に展開していきました。Eさんは、学んでいて楽しい実感が持てる授業創造をめざす立場から、視聴覚教材を活用することが提起され、Eさんが英語志望であることから、戦争映画をとりあげ平和学習と英語教育の意欲を増進させたい旨の発言がありました。英語においてどこが重要か、ポイントをはっきりさせる授業を行ないたいと述べられました。あれもこれもだと、「確かな学力」の焦点化が困難と考えていらっしゃったのでしょう。それに加え、Fさんから、教科教育能力を教員である私たちが磨き、指導法を追求するというご意見がでました。そして、グループ学習を取り入れれば、単なる知識注入型ではない授業が展開できて「確かな学力」を身に付けさせることができるとおっしゃいました。教育実習に対する自己反省もFさんは付け加えられ、指導法に固執し「うまく教えられるかどうか」に終始した経験を指導教官から「塾っぽい」と指摘され、再考することがあったと降り返られていました。なかなか印象に残った発言でした。

 Aさんからは、どのような取り組みをすればいいかということについて2点あげられました。1つは理解度を確認しながら授業を実践していくこと、もう1つは勉強の仕方を教えること、でした。教員としての力量を向上させることが、ひいては「確かな学力」を生徒に根付かせることができるという考え方です。Dさんは国語担当の立場で、教科でコミュニケーションをとる方法について述べられ、教科教育への動機付けを進めていきたいとされ、Cさんからはダイナミックな=動的な学習としてグループ学習を、緻密な学習として繰り返し学習や発展的および補充的な学習を実践していき、「確かな学力」を付けさせるよう努力すると発言がありました。基礎基本の確実な定着が、「確かな学力」育成につながるというご意見ですね。これに関し、Bさんが、グループ学習の利点を指摘し、自分の意見をもつ、自分の意見を伝える、考え方や学び方を共有できるというグループだからこそのメリットを述べられました。

 Eさんのペアワークを取り入れた授業、Gさんの学力差を否定的に捉えず、「できる子・できない子の教え合いに期待する」方法、また、Fさんの実生活における問題を解決すべく、問題を解くだけでなく、問題を作ること、つまり課題を自ら設定する能力を高めたいというご意見もありました。

 以上のように、豊富な内容をもった討論が展開されました。今回は大学4年生が3名参加し、そこに講師経験がある参加者、塾の講師の方と、教育経験豊富な方が4名と、本番でもありがちな参加者構成となりました。4年生の方は、少し気圧されていたようです。それでも健闘していましたよ。どうしても4年生は教育実習と塾のアルバイト経験しか教育に実際携わったことがないですから、それが発言の内容にも反映されてしまいますよね。しかしそれでいいのです。等身大の自分を面接官に見てもらえればよいのですから。背伸びした議論よりも、いわば裸の自分自身をみせることです。もちろんそれは講師の方々にも妥当します。用意された答えを読み上げるような態度ではなく、一生懸命考えことが教育的情熱にくるまれ発露する、というのが理想です。

 このテーマ、ワタクシのまったくの主観ですけど点数化すれば65点ですかね。まだまだ高度な議論になる余地があります。のり代部分を自分なりに作り上げてください。そして参加者同士いい部分は吸収しあってくださいね。

 2つめのテーマは、「総合学習について、中学教師の約6割がなくした方がよいと考えている。どのように思うか」でした。このテーマは受験者泣かせですね。現場の先生方は総合学習に批判的で、採用担当面接官は校長経験者また教委の人もいる。教委の人は場合によっては文科省の「出張」で表面的に肯定的ですから難しい。校長は肯定的か否定的かは、わからない。これは一人ひとりちがいますね。日本全国には、いまでも総合的な学習の時間をやっていない学校が多々ありますしね。板挟みなのは受験生だけでなく、判断する側もそうというわけです。

 テーマでは、現場の先生方が「総合学習は意味なし」とマイナス評価を下しているわけで、ワタクシたちが総合ヨイショ的スタンスに立って発言するにせよ、そうでないにせよ、発言内容に関する説得力が明暗をわけることになるでしょう。ただ、学習指導要領では総合学習に力をいれる風の配慮事項まであって、生きる力形成の目玉的時間だから悪口もいえない。平成10年版が2つの記述であったのに対し、15年版は3つに増えているのだから。

 文部科学大臣の顔には総合なんか「や・め・た・い」とレモン汁で書いてあります。そのココロは、つまり、文部インタヴューにおいてシビレを切らして怒り顔になったとき、やめたい本音があらわれるわけです。しかし、前任大臣のときに総合をやりはじめたのであるから、ムゲにやめるわけにもいかない。中山大臣は他人の縄で縛られているといえますね。

 現場も6割反対、大臣も「反対」、保護者はいいのわるいの勝手いい放題、教委はしかしやるのだという、きわめてねじれた飴細工的状況にある総合に対する意識調査を、教委は受験生にどう議論させようとするのでしょうか。おそらく、どのような立場をとろうと、受験生は構わないのではないでしょうか。グラグラの足場で踊るには、こちらもグラグラが調度いいという理屈です。

 さて討論は7名25分で実践していただきました。男性2名、女性5名、小学志望2、中学志望3、高校志望1、養護教諭1です。同じ校種で実践するのはそれはそれで意味あります。そして、混声部隊の討論は、面白い視点が多々あって、これまたよいです。

 中学志望のAさん、Cさんからは、中学校でも総合をすべきというご意見でした。Bさんは同じく中学志望ですが、何を具体的にやっていいかどうか総合の目的が明確でないので、6割も現職の先生方が反対されているという分析を踏まえ、議論を組み立てようとされていました。Bさん曰く、あまり構えないで、社会にある事柄をひとつ取り上げればいいというスタンスで、まずやっていく−「気楽にやっていく」という表現でしたが−のが大切と述べられました。

 小学校志望のFさんも総合を地域の力を借りつつ、自然体験を深める形で取り組んでいきたい旨。学びと遊びとオーバーラップさせるような時間を構想されているのでしょうか。自主性の育成についても述べられていましたね。

 高校志望のGさんも、基本的には児童生徒に喜んでもらえる総合を、ということでした。教科の枠を越える学習は、総合ならではだからということでした。ただ、Gさんは、総合を担当する負担の大きさを指摘し、高校における教員個人の実践例を提示しながらその計画・立案の難しさを訴えておられました。このあたり、小中とちがった捉え方でした。負担が大である総合をどうするかは難問です。Gさんの低い声がドスを効かせているようで、その「総合批判」のご意見には、ある種の凄みがありました。このように書いたとして、そうそう外面的なことで評価が下るわけではありませんので、気にしないでくださいね。

 この「総合批判」のご意見も討論参加者に動揺を起しました。高校はやはり教科の専門性も問われますし、大学受験がありますので、どうしても総合の効果を疑ってかかるものです。他の参加者の、オイオイチョットマッテクレ〜という、心の声がワタクシにも伝わってきました。

 ワタクシは反対意見をいっても、先に示した根拠から、構わないと思っています。高校志望の方々ばかりの討論であったとすれば、Gさんのようなご意見が多数派でしょう。グループ全体が総合否定論を展開してもそれは不自然ではないばかりか正統的主張になるやもしれません。中学ですら6割否定なのに、高校なら8割近い先生方が否定すると思われるからです。実際、ワタクシの知る高校の先生方の中にも、否定的な方が多いです。

 こうした否定的発言を面接官がどう評価するかは、その面接官がどこで教えていたかにも左右されるのではないでしょうか。このあたり、微妙です。しかし、高校志望の討論でしたら、高校の校長教頭出身の面接官になるのではないでしょうか。ワタクシたちが心配に思っていたり、シンドイと思っていたりすることを、、面接官は全部知っているわけで、「おべっか」的発言をしてばかりでは、逆に「なんじゃ」と思われる可能性もあります。

 さて、その負担感に対して、Bさんは、総合の準備段階から生徒と一緒につくっていってはどうか、と提案されました。これはGさんも了承するところとなりました。しかし、Gさんの「外部講師を雇えば別あるいはうまくいく」というのは、ちょっといい過ぎかもしれませんね。

 そして、何をするにしても感動がなければならないとはAさんの発言で、具体的に畑作業をし、生徒に粘り強さをもたせたいとおっしゃっていました。同意するところです。途中でなんでも投げ出してしまう生徒が多い中、自分でやった、できたという達成感を味わえる体験は貴重なものになるでしょう。

 小中高を貫徹した取り組みを総合を介して実践できればいいというご意見もAさんからありました。教科横断と校種縦断で総合が運営されるのは理想でしょう。このことに関連し、Cさんが小学校高学年生が一生懸命やってきた総合を、中学は引きうけ、その自ら考え問題を解決する力を継続的に育成したいと述べられました。総合で身に付けさせたい力が、Cさんのいわれるように、見通しをもって何かを成し遂げ、達成感や生みの苦しみを感ずることにあるというのはよくわかるご意見です。また、その過程において挫折があったとしてもこれまた諒とする教員の姿勢も大切ですね。

 学習の転移を考える立場から、Fさんは総合を楽しむ姿勢が教科に伝わるよう指導すると強調されていました。Eさんは養護教諭として救急法のボランティア活動を総合に実践した事例をあげ、安全教育をどうするかについて展開されました。教科といえば、Bさんは、なにごとも教科書通りにはなかなかいかない、それを総合を通して経験してみることもよいのではないかと、目の醒めるような、そして、討論参加者には「なにいいだすねん」と心を動揺させるご意見を思い切って発表されました。総合を通してリアルな体験を積めば、たしかに教科書が想定する「結論」を求める教科学習とは違った妙味を感得できるでしょう。日常の学校教育で学ぶあれやこれやを崩していくところに、総合のよさを見つけようということですね。これは先のBさん自身の発言、つまり「何を具体的にやればいいかわからない」に対して自答するものでしょう。時間があればご自身の主張をもっと具体的にいい切ることができただけに、残念です。ですから問題は、短い時間内に効果的にいいたいことを伝えるということですね。

 このテーマは、以上のように、波乱を含みながらも面白い討論と評価しました。内容も多方面でよかったです。

 最後にDさんについて。Dさんは今回1回しか発言がありませんでした。しかしその発言にはかなりの重みがありました。中学校教員が6割反対でも、保護者は、学校評議員は、そして教委はどう認識しているのか、そうしたことをズバリとしかもさりげなくおっしゃっていました。かなり印象に残っています。ここからもう少しテーマに即した分析を述べられていれば、討論に教育社会学的な意味が付与されたと思います。生徒からでてくる総合学習、自発性を尊重する総合学習、その中身を聞きたいものでした。

 みなさん、ここにきて、ユニークでまとまりある討論ができるようになっています。細かな注意点はあるものの、2つのテーマとも合格ラインにあると考えています。しかし、本番はこんなにうまく行きません。「答申って何?」といい、まったく勉強せず受けにくる人もいますし、無茶苦茶個性的な人、討論中に携帯を鳴らす人までいます。瞬時の切り返しを訓練しましょうか、次回。

 個人解剖はお疲れさまでした。参加者のシートに書かれた注意事項をご参照くださいね。

(2005年7月2日)

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