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浩の教室・第97回勉強会の模様

 昨日は当サイト主宰勉強会にご参加いただきありがとうございました。予定通り、議論の叩き台となる教育学講義と大阪府過去問問題解答解説、そして集団討論を実施いたしました。

 議論の叩き台となる教育学講義では、教養と学校の関係についてお話いたしました。また、自己と他者の関係性についてでした。そして、過去問解答解説は、人権教育についてでした。人権教育・啓発に関する基本計画の内容の確認、そしてそれぞれの人権課題に行政各省がどのようなアプローチをしているのか、資料を確認しつつ解説しました。特別支援教育の議論ができたのは、よかったですね。人権教育は、来年の1次試験でも必須です。この問題の解説数ページおよび先週配った解説数ページあわせて10枚ちょっとですが、是非、ご自宅で空欄をチェックしつつ再確認してください。また、ハンセン病に関する法令もチェックしてくださいね。

 今回の勉強会は、3時間ほとんどワタクシがしゃべっている状態になり、講義とはいえみなさんに申し訳ないことでした。参加者のみなさんに「知識」を提供しようとするあまり、みなさんが主役的になっていないのが悔やまれるところです。しかし、問題の解説などは、どうしてもこうなってしまいますね。少なくとも次回からは、問題の文章を読んでもらうなど、みなさんを指名しながら進めてまいりますね。

 では、集団討論の模様を再現してみましょう。今回のテーマは、しゃべりやすいテーマではなかったでしょうか。「現在、児童生徒のコミュニケーション能力が低下しているとよくいわれます。なぜ低下したのでしょうか。また、低下することによってどんな問題が出てきたのでしょうか。そしてそれを解決するにはどのような方法が考えられるでしょうか。議論してください」でした。

 なぜこのテーマがしゃべりやすいのか。それは、議論の方向性がテーマに明示されており、迷うことがないからです。テーマのトピックは、「低下の原因」、「問題の発生」、「解決方法」というように分けられ、これを25分間で議論するわけですから、7分づつ議論しても21分消費できます。時間の消費がすべてではないにしても、この3分割ができれば、「議論している」ようにみえます。結構、この「議論している」の「している」雰囲気がある程度大事なわけです。形式面が整えば、あとは内容ということになりますが、果たして、形式が整ったのか、そうでないのか。内容が多様で参加者の発言内容がかぶらなかったかどうか。討論参加者は男性2名女性5名の計7名でした。A〜Gさんとしてみていきます。

 まずテーマを確認し、自説を開陳したのはAさんでした。Aさんは、「低下の原因」と「問題の発生」をひとくくりにしご意見されました。どうやら、後で聞くと、他の討論参加者の中の2、3人はトピックを1つづつするのだろうと予想されていたようで、あらららら〜、となったそうです。しかしAさんの発言の趣旨は論理的で間違ったところはありません。よいご意見でした。それは、コミュニケーション能力が低下したのはテレビゲームなど室内遊戯が流行し、外遊びが少なくなっている、その結果児童生徒が溌剌とつきあったり、話しをしたりしない、これゆえにコミュニケーション能力が低下する。自分の気持ちを伝える機会が減少し、表現力は低下すると同時に、相手の気持ちもなかなか理解できなくなる。その結果コミュニケーションは最悪の場合、暴力を伴うことにもなる、すなわちすぐに「手が出る」ということになってしまう、とのことです。

 一気呵成に2つを述べたので、他の参加者も2ついわなければならないのかなと思ったようですが、第2発言者のDさんは、違う切り口の提供で議論をつなげようとしました。Dさんは、小学生でも高学年になれば2人に1人は携帯電話を所有している。携帯がコミュニケーション能力を低下させているのではないか。なぜなら、メールによって人と人とがつながっている感じはあるが、感情が伝わらないからである。だから、携帯がコミュニケーション能力を低下させている原因ではないか、とのことです。

 この意見に対し、あとで議論を傍聴していた参加者から「ものいい」がつきました。Dさんは、「携帯がコミュニケーション能力を低下させているのではないか」と発言されたのですけれど、実は、「携帯がコミュニケーション能力を低下させている一番の原因ではないか」といわれたのです。「一番の原因」と断定してしまうことに対する心配を感じ取っているわけでした。これは細かなことではありますが、今後注意するべきものでしょう。ではどうすればいいか。「携帯がコミュニケーション能力を低下させている原因のひとつである」といえばいいでしょうね。

 Eさんは、Aさん、Dさんのご意見を認めつつ、現代の児童生徒は自然に触れる機会が少ないことを挙げられました。外遊びと関係することですけど、最近の子どもは、走ってこけるといったような経験が少なく、膝をすりむいて泣いたりすることも少ない。肉体的な痛みというものもわからなくなっているのではないか。自然体験の少なさが、他者の痛みに対する想像を剥奪しているのではないか、とのご意見です。児童生徒同士の思いや痛みを共有あるいは共感できないところに、コミュニケーション能力の低下原因をみる立場です。

 Fさんは、現代の子ども事情は変化し、遊びの仕方も変容している、それはEさんいわれるとおりである。また、情報機器の変化が児童生徒のコミュニケーションを変質させている。このようにDさん、Eさんの意見を受けとめ、そのほかの視点を用意しようとされました。「それに加えて」という感覚で、議論の土俵を広げようとする貢献的態度です。具体的にどのようなご意見だったのでしょうか。Fさんは、社会的な変化に言及され、核家族化の進行、少子化の進行、その結果近所付き合いも少なくなってきていると述べられます。すなわち地域社会の崩壊に言及されているわけですが、それだけでなく、核家族化が各世代における知恵の伝承を疎外している点も指摘され、そして、核家族化した家族も仕事の多忙などで家庭内における子どもとのコミュニケーション不足をもたらしていると述べられました。子どもはどこに行くのか、それはひとりで塾、習い事ということになる。ここに低下原因があるとのことです。

 Cさんもこれに同意され、情報社会といわれる一方で、地域のつながりは低下し、ひとりで過ごす時間が増加している。肌で人間関係を感じることがなくなってきている。言葉で伝える関係性を構築しなくなっているのではないか、それが低下原因ではないかとのご意見でした。Cさんの発言は、的を射たものではありましたが、ややもすると二番煎じと捉えられてしまいます。これは、まだ発言されていないBさん、Gさんにも妥当することですけれど、討論では、やはり「初出事項」が評価されますので、できるだけ早く意見を述べる方が得策です。そしてそれは「意欲の評価」につながってきます。Cさんのあとに発言されたBさんも、その内容は正しい。受験が厳しくなり遊びの時間が減ってきている現状の分析に関する発言、つづけてその結果塾通いが増え、夜まで児童生徒が学習する事態となり、コミュニケーションする時間そのものが失われてきているということ。厳しくいえば、これはEさんやFさんの焼き直し的発言に堕してしまっている…なにか、そうした分析に、ご自身のご意見を追加しなくてはならないわけなのです。独自の視点の追加です。

 言うは易し行なうは難しなのですが、是非、次回の討論参加では、積極性をみせるべく、「すぐさま発言」を心掛けてください。さらには、今回第1番手、第2番手の発言者は、自分が中盤あるいは最後の発言者となったとして、どんなことがいえるか想定しておいてください。本番では、討論をしたことのない方からワタクシたちのように何度も訓練を積んで受ける方まで様々です。どんな集団になるかは運が決するわけだけれども、その準備や心構えがあるのとないのとでは、551の蓬莱があるのとないのと以上の違いがあります。

 討論参加者の最終発言者は、Gさんでした。Gさんも、もうあらかた自分が述べたいことが出揃ってしまった状況になっていたのではないかと思われます。メディアの発達が進んでそれが災いし、コミュニケーションのとり方がわかりにくくなっている現状報告や、家族構成が変質し核家族化しコミュニケーションの時間が減っているというのも、前出でした。しかしGさんは、「では、ワタクシたちにどんなことができるでしょうか」と議論の方向性を指し示される発言を追加し、討論に動きを加えられました。コミュニケーション能力を向上させる方法としてのグループディスカッションの実践、表現を磨くための教科指導の在り方などです。ここはよかったですね。

 このGさんの展開的な指示に沿い、3番目のトピックである「解決方法」に進みました。おそらくこのとき、Gさんの頭の中では、「表現力があまりなく、コミュニケーションのかわりに手が出てしまう」というのを「問題の発生」と捉えていたはずですね。Bさんは、これを受け、少子化している学校教育において、異年齢交流が効果的にコミュニケーション能力を向上させる方法であると提言されました。そうそう、こういうように「すぐさま発言」をしていきましょう。Eさんも、遊びの質に変化があることを感じ取られており、ある学年の児童生徒が自分よりも小さい子どもにどう接すればいいか、お兄ちゃんにどう接すればいいかわからなくなってしまっているのではないかと問題提起されました。その際に、異年齢体験はいい機会を提供すると考えておられます。さらに、クラスでは係活動という「仕事」を与えるといいと述べられました。これは責任感の育成ということではありますが、「仕事」を与えることとコミュニケーション能力向上との関係性がいまひとつわかりにくかったので、注意してください。

 Dさんは、「解決方法」として、自然体験を挙げられました。これは自然散策などを意味するのではなく、Dさんが意図しているのは、生き物を飼うといった自然体験です。斬新な意見でよかったです。生き物を飼うとその生き物をめぐって話ができます。ヒーリング効果もあります。クラスでペットを飼うことは、難しいながらもコミュニケーション能力を向上させる現状打破として述べるべき観点でしょう。実現可能性を考えながらの発言であることが試されます。あまりに無理な提言ではなく、クラスで飼える実際的な小動物を挙げ、具体的に語ることができれば説得力が増しますよ。GさんもこのDさんのご意見に同意され、他人のいたみがわからない児童生徒に、動物の成長過程を実感させることが効果的であることを指摘されました。

 つづけてFさんは、いたみがわからない児童生徒ということに関連し、最近のいじめ事情について触れられ、どういう言葉を使うべきか、また、「汚い言葉」、「他人がいやがる言葉」とはどのようなもので、それを使わないよう指導することも大切と発言されました。Fさんいわれるように、そのためにロールプレイングを取り入れるのも一つの方法ですね。相手を不快にさせない言葉の操り方は、コミュニケーション能力向上の前提条件となります。Aさんも、学校ボランティアの経験から、乱暴な言葉を使っている児童生徒に悩まされたことを発言され、「○○とってこい」というのを「○○をとってきてくれませんか」といい換え直させた経験をお持ちです。こうした言葉使いに関するロールプレイングを奨励されていました。Cさんもこれに同意されていました。学校生活で起こった具体的な事柄をロールプレイングとして再現することがよいのではないかと指摘されました。Eさんは、ロールプレイングの効果として、話すこと聞くこと、話す力をつけることを挙げられ、これがコミュニケーション能力の向上に結びつくと見解を述べられました。そして、「形式的ではあるけれども」、国語の授業で言葉の訓練をもっとするべきであろうと指摘されました。ここにもう一歩、では具体的に何をすればいいかが付け加えられれば、PR度が向上します。

 ロールプレイングの話がつづきましたが、ここでFさんが、コミュニケーションの基礎には挨拶があると発言され、「おはよう」、「ありがとう」、「お願いします」など、また、ちゃんと返事をすることも含めて、人間関係における基礎的部分の生活指導の必要性を強調されました。これが身についてはじめて対人関係調整能力を手にすることができると考えておられます。Dさんは、挨拶をすることに意義を認めつつ、現場からの告発といいますか、地域社会では、あまり知らない方とは話すなと教えられており、挨拶するのも地域社会の治安の問題とリンクすると実感込めて語られます。知らない方と挨拶をするのすら恐れなければならない点では寂しいかぎりですけれど、それが保護者の意見である以上、これに対し教員がどう対応するかは考えておかなければなりません。

 Gさんは、挨拶に関連し、教育実習体験を話されました。朝、校門の前で挨拶をする取り組みを学校全体で実践されているところで実習を積まれたそうです。そして、Dさんがいわれていたことに関し、犯罪が多い地域では知らない人から声を掛けられても無視する指導をしているようで、その上で知っている人に声を掛けるようにつまり挨拶するように指導していると紹介してくださいました。いやしかし、寂しい世の中です。しかししかし、現実問題として保護者が我が子の安全を考えてほしいと思って学校にこうした指導要求をするのも当然でしょう。コミュニケーション能力の向上と挨拶の関係ひとつとっても、現実社会の問題性が浮かび上がってきますね。

 Bさんは、だから「知っている人」を増やすにはどうすればいいかを問題に掲げられました。また、Aさんは、地域の力を借りることを述べられました。通学路に地域の方を「動員」するのも一つの手でしょう。

 Aさんは、ここで話題を前出の携帯の問題に変えられ、コミュニケーション能力を向上させるための携帯の使い方ということを問題にされようとしました。それは情報教育の分野と関わる領域です。コミュニケーション能力の向上を果たして携帯は疎外しているのでしょうか、それとも低下させているのでしょうか。Dさんの発言とも響きあって、議論の余地がありますね。Fさんは、メールの交換だけではニュアンスが通じない伝わらないときがある、文字で事柄を伝えることの難しさを指摘されました。Cさんいわれるように、たしかに文章表現を磨くことは大切で、語彙力の向上がコミュニケーション能力の育成の前提でしょう。
 ここでタイムアップ。

 今回の討論は、それぞれの参加者が平均的に発言されました。しかも順番にといいますか、均等に発言されました。これはこれで評価できるところです。

 しゃべりやすさも手伝って、空白の時間もありませんでしたし、それぞれの参加者が互いを慮って発言している姿勢が読み取れました。他者に対する配慮の態度がうかがえてよかったです。

 討論終了後、傍聴者から問題点をたずねましたところ、うまくみえる今回の討論でもイロイロでてきましたね。文中に書いたこと以外の指摘では、議論に登場するべきトピックとして、部活のことが話されていない。コミュニケーションの大きな場所ではないのかといったご意見、道徳のことをもっと話してもいいのではないかというご意見、表現力ということに関して、読書活動がでてこないのは物足りないという指摘、教員が示すものとしての言葉使いの例示、などでした。

 それでも今回は、ワタクシから60点以上を差し上げます。いい感じです。ハハハ〜、ちょっと厳しい?いや、厳しい評価じゃないと安心してしまって勉強せんからね〜、去年の勉強会参加メンバーはもっとうまかったよ、と少し焦らせときましょう。でも、どんどんうまくなります。焦って焦らず、ちょっとづつ伸びていきましょう。まだまだ時間がありますから(なお、勉強会では、討論終了後、討論参加者にワタクシから個別にひとりづつコメントを申し上げています。そのコメントに込めた反省点を生かし、次回、「もっといい自分」をみせつけてください)。

(2006年11月25日)

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