勉強会のお知らせページへ 勉強会報告一覧ページへ 勉強会の内容ページへ 勉強会申し込みページへ


浩の教室・第98回勉強会の模様

 本日は第98回当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきましてありがとうございました。男性6名、女性11名で満席となり、活気ある教室となりました。また、遠く岐阜からもご参加いただき、ウレシク思っています。もうご帰宅されたでしょうか。それが心配です。

 本日は「議論の叩き台となる教育学講義」をいたしました。その際、イロイロとみなさん方から建設的な意見が出て、勉強になりました。主に日本近代社会とりわけ日露戦後の状況をお話しし、それに絡めて現代の経済問題、また現代的な教育課題がどこにあるかということまで触れえたのではないかと思っております。実はもうちょっと「地域」についていいたかった、また、お聞きしたかったことがありましたのですが、時間の関係で割愛したのが残念でした。

 なお、ミクシィのコミュを作りましたので、これを読んでミクシィコミュに参加したい方は「教職教養研究所」ですのでチラッとのぞいてみて、参加したいと思われれば、「承認」を得てください(コミュは公開、参加は承認制です)。

 なお、配布した資料を読み返され、次回是非ご意見くださいね。この配布ペーパーは来週以降も使用しますので、忘れずご持参ください。

 つづいて、「大阪府過去問解答解説」の時間をとりました。こちらは、今回、特別支援教育の問題でした。特別支援教育の実態はなかなかわかりにくいですね。次回養護学校で講師をされている方に、お話聞きたいところです。「特別支援制度答申」を中心に解説しましたけれど、これと併せて「最終報告」も是非勉強しておくことをオススメします。そして、シート式の問題をやってみてください。現在、上のもの以外から特別支援に関する問題が試験に出ることはありません。勉強会でも申し上げたように、また直前に予想問題を配布します。そこでは特別支援に関する他の視覚からの問題を作成しようと思っています。乞期待。

 では、勉強会における集団討論の模様を再現しますね。今回の討論のテーマは、「生徒指導などで『協同体制』が大切と言われています。その反面、『先生の個性がない』とも言われています。このことを踏まえ、目指す教師像について話し合いなさい」でした。まず、このテーマを分析してみましょう。

 分析すると、@「共同体制」、A「無個性」、B「教師像」のおおきく3つの関係性が問われているのだな、ということがわかります。テーマを読めば、@とAが相反する捉え方として書かれているのがわかりますね。それが本当にそうなのか、それとも違うのか。どちらにせよその根拠、理由を考えてみる必要があります。

 @の「共同体制」は、当然ながら学校組織として欠かせないものです。学校が組織としての力を持たなければ、どのような指導もできません。それでは教員同士が協力しあって何ができるのか、何をするのか。その際、校長先生の役割や、「首席」、「指導教諭」さらには「主任」はどういう立場であるべきか。どの領域でこうした「共同体制」を発揮するのか。それは、テーマの最初にあるように、「生徒指導」と書かれているのがヒントになりますね。協調性を持って他の先生方とうまくやっていくには、どんな心構えが新任教員として必要なのか、などもご意見として出てくるかもしれません。

 Aの「無個性」については、どうでしょうか。教員には個性がないかといえば、まったくそんなことはない。どちらかといえば、個性の塊でしょう。するとこのテーマの真意はどこにあるのでしょう。それは、共同体制はチームワーク、その中での個性の発揮の仕方を探る、ということになるでしょう。では、教員としての個性的な指導とは、どのようなものでしょうか。それを予感し、表現できるかどうか。みなさんどうだったでしょうか。また、チームワークを重んずる場合、個性を発揮できないときがあります。教員としての「自分を殺す」場合もあるでしょう。「組織立って動くときに自分を抑制する」=「無個性」ということではないということが示されれば、討論として、一定程度の行き先を提案することができます。

 そこで、Bの教師像が語られなければなりません。これはやはり@とAの関係性を問うた上で「将来の自分自身」を語る作業になります。そのときに、上ででてきた「個性的指導」に触れていいんじゃないでしょうか。

 テーマの全体に応えないと、討論として「未熟」になります。@Aの関係性だけで終了してしまえば、おそらく面接官は面白くないと感覚するでしょう。そうした意味では、集団討論の中で参加者個人が光ることができる時間帯が、このBのことについて話すときです。たぶん、討論終了後の個人質問あるいは討論を振り返っての個別質問では、このあたりが尋ねられるでしょう。では、どのように議論が動いていったのか、今回は時間は25分、7名の方が実践者です。

 ます、Fさんが口火を切りました。だいたい定着してきた話はじめなのですが、テーマの確認ですね。そして、共同体制とは何か、ということから話していきましょうと提案がありました。つづけてFさんは、共同体制は必要不可欠であることを強調し、その上で性格が合わない点をどうするか、「あうあわない」をどうするかということを述べられました。また、自分の担当クラスの児童生徒の指導だけではなく、他クラスの児童生徒にも目を配らなければならないのが教員の仕事であるから、この観点からも情報共有していくのに共同体制は必要とご意見されます。そうしてはじめて問題を抱えている児童生徒への指導が行き渡り、解決していくものだからです

 Fさんのご意見につづき、Gさんは、ご自身のスクールサポートの経験から、学校の共同体制は大切であるとFさんに同意されます。以下の発言者もそうですが、学校組織に共同体制が不必要と考える方はいらっしゃいません。ただ、なぜ必要か、の「なぜ」には各討論参加者が答える必要があります。それがなく単に「うんうんそうだ」ではあきません。

 そしてGさんは、学年ごとでどんな問題を抱えているかを話し合う「共同体制」も是非必要と述べられました。これはいい観点ですし、学年団の集積としての学校組織ということが自覚されている発言でもありました。そこでの共通理解を深め、情報収集し、問題に当たる。また、その共通理解を前提に学校としての基本理念を樹立することにも触れられました。以下は、時間的に次の発言に回した方がよいのですが、Gさんは、さらにカウンセリングマインドを持って個性が滲み出るような指導をするべきであろうと答えられました。

 Dさんは、教員同士の人間関係にもイロイロな淡いがあるけれども、共同していくことは不可欠との認識は同じです。そして協調性を持って組織的活動に従事していくことが理想であると語られました。Aさんは、もう少し具体的にお話を切り出されました。冬の学校に登校してくる際、マフラーを許可するかどうかという生徒指導に絡んだ難問をだされ、そこで注意する・注意しないの2つに分かれる。この場合、共同体制の観点からすれば、一線を引いた指導が求められるわけで、規則に甘い、厳しいと判断が分かれては、共同体制を構築できないと現実的に議論を展開されました。こうした判断の分化があれば、生徒はそこを突き、ある場合には先生「集団」に対する不信感も生まれるのではないかとご意見されました。児童生徒に日々、「平等に」接する難しさを語ってくださいました。

 Bさんは、その判断の難しさと関連し、「好きな先生・嫌いな先生」論をご意見されました。これが討論終了後、波乱を呼んだわけですが、思い切って練習の場であるここでいうのはいいと思います。問題発言でもなんでもない。ここから、では、どういう表現が本番で求められるのかを体得すればそれでいい。しかし、この「好き嫌い論」が時間の関係上議論を深めることができなかったのは残念でした。独立のテーマとして、一度やってみましょう。ところで「好き嫌い論」を超えるにはどうすればいいでしょうか。児童生徒の側からみて、どうしても人間ですから好き嫌いは発生します。これは当たり前といえば当たり前です。それを承認した上で、では「嫌われているなと思われる児童生徒に対してどんな言葉を投げかけられるか」を考えなければなりません。ただ、Bさんいわれるように、こうした好き嫌いが厳然として学校で表現されるわけですから、その好き嫌いを生かした共同体制を作ることは可能ですし、有意義ではあるでしょう。このトピック、さらに考え込んでみてください。

 この点に関し、次の発言者Eさんは、「教員のいっていることが正しいとしても、嫌いと思われてしまえば(指導の言葉を)聞かない」ケースもあると述べられました。この好き嫌い論については、このEさんの発言で一端終わります。というより、Eさんが終わらせたというべきでしょうか。Eさんは、議論の方向を少し変え、共同して取り組むべき事柄を挙げられました。それは、リストカットや自殺の問題など、現代の教育課題であり、ここに学校が組織としてどう対応するべきであるかという問題意識をみせられました。

 つづいてFさんは、Aさんのマフラーの指導について言及され、一律にマフラー禁止に従う教員集団像が「個性のない指導をしている」と評価されたとしても、それは認識の誤りで、教員が学校組織において共通の方針を持つのは円滑な校務の遂行には当然のことであることを確認し、同じ注意をするにしても、そこに教員の指導の仕方に個性があることを強調されました。このFさんのご意見の中に、「@とAが相反するものではない」というニュアンスが潜んでいますね。よい指摘でした。

 Gさんは教員の指導個性に関し、「その先生らしい指導」が求められていると理解し、たとえば、体育の先生の中には、「あかん」とはっきりいえる指導がウリの方もいる、だが、逆にそれが合っていない教員も存在する。だから、自分なりの生徒指導観を持って児童生徒に溶け込んでいかなければならないと述べられます。「個性ある指導を共同体制の中で生かす」とはそうしたことではないかと喝破されました。この発言は力強くてよかったですね。どういった叱り方がいいのか、教員の指導分担において、「どの子を重点的にみるか」を「配置」するわけですね。これも共同体制の形でしょう。

 ここで、Bさんから、指導方法論について、教員間で心理学的なアプローチを勉強し合いたい、研究したいとの提言があり、生徒理解の方法を議論するのが共同体制の前提になるとのご意見を述べられました。討論の中では、この提起はかき消されてしまいましたが、貴重な意見ではあります。ご自身の意見が集団における主流的な意見になるかどうかは、テクニックとしても、評価としても重大なので、ちょっと工夫してみてください。

 Cさんがここではじめて口を開かれました。もうちょっとはやい順目でご意見を述べるよう期待します。Cさんは、講師として勤務されていますが、不登校の児童生徒を、頭ごなしに叱ってしまった「失敗談」を語ってくださいました。こうした若いときの過ちはあるもので、それを反省的な視点で捉え返すことこそが、教員としての資質を高めるものです。この「失敗」から、児童生徒に関する情報を共有することの大切さを肌身に知ったと述べられたわけです。また、児童生徒から信頼されることが、児童生徒理解を進めることになるので、その際、教員一人ひとりの個性的な接触を持つべきであると指摘されました。それはすなわち、自分の得意なことを児童生徒に示し、アプローチするというもので、たとえば、PCが得意ならば、その長所を生かして児童生徒をひきつけることができるのではないかとのことです。

 この「失敗談」を語るということについて、討論終了後、問題になりました。本番の集団討論のとき、果たして「失敗談」を語ることが有効に展開するかどうか、ということです。これはやはり話し手の個性によるものでしょう。そういうほかありません。「失敗談」はたとえ深刻なものでも(深刻すぎるのは申告しない方がいいのですけど)微笑み持って語らないといけません。回りを真っ青にさせるような体験談は、ちょっとやめましょうね。いうまでもないことですが。

 つづけてDさんが、たしかに学校にはいろんな先生が存在する。個性集団としての教員集団を組織化することが、児童生徒からも地域社会からも期待されているでしょう。個性を生かしつつ組織的に生徒指導を展開することこそが、「学校の先生」の役割ですね。そして、生徒指導ということに関しては、小中、中高のつながりを重視する必要に触れられ、いわゆる校種間の申し送りを緊密にすることも忘れてはならないと述べられました。Eさんは、上の、「個性がない」ということに関連し、また、Dさん、Gさんの議論を引き継ぎ、組織論としてサッカーを比喩にして自論を述べられました。強いサッカーチームは、チームワークができているし、個人の技能も高い。チーム力と個人技が融合して最大の力を発揮する。学校もこれと同じで、チーム力を高めるために、つまり共同体制を構築するために個々の教員の力量が要求されるわけで、その意味では個々の教員が生徒指導能力を自分の特性に応じて高めていかなければならないということになる。こうした意見を述べられました。よくわかるご意見です。

 ここでGさんから、イロイロと@、Aについて議論はできたが、Bの教師増について語っていませんので、そちらに議論を進めましょうとの「振り」があり、Gさんは生徒指導力に自分の個性を加えていくことができるのが理想であると語られました。同時に、個性的な生徒指導にとどまるのではなく、個性的な学習指導もできるようになりたいと抱負を語られました。そうすれば、豊かな人間関係を児童生徒と結ぶことができると考えておられるようです。

 Aさんは、音楽志望の立場ですから、音楽の「楽」に注意し、音楽を教える楽しい先生が目指す教師であると述べられました。「楽」と「学」を結べるようがんばっていただきたいものです。そして、ここに、@、Aで話されたことと関係を持ちながらの教師像であったならよかったのですが、どうでしょうか。
 学校生活が終わったあと、ああ、楽しい若い学校時代であったなあと思い返してもらえるよう指導したいとは、Aさんの言葉です。Bさんは、いかに生徒の立場に立てるかを常に意識しながら指導に励むと抱負を語られました。Fさんも、児童生徒の気持ちが分かる先生になりたいと述べられつつ、他の先生方と連携し、共同体制に貢献できる教員像を提出されました。さらに、個人としては、一人ひとりの児童生徒と話をする時間を多くとり、ひとりの人間としての自分をも伝えて生きたいと述べられました。なんだか、模範的解答になっていますね。テーマをいつも忘れないという注意がFさんの中に絶えずあるからこのような発言ができるのでしょう。こうしたところは是非他の方も学んでください。Fさんもうすぐ大学卒業ですね。

 Dさんは、教科に関しても個性を出していくべきなのはもちろんで、教科だからこそ個性を発揮できると考えておられます。授業中に携帯電話が鳴った場合、教科担任制なら、時間時間によって注意のされ方(つまり注意を受ける生徒は同じとの設定)が違うわけで、その対応の違いに、組織としての生徒指導体制が問われることになると指摘されました。個々の教員が信念を持って指導にあたることを強調されました。Cさんも、個性的な授業力を持った教員になりたいと述べられ、授業中に絵をよく採用して進め、「あの先生は図解があってわかりやすい」と実感されるような先生を目指しておられます。Gさんは、絵のことに若干触れつつ、つまりは教員の得意を増進することの重要性について述べられました。教員自身が自分自身を見せること、これですね。Aさんは、このことに関連し、教員として得意不得意があるのをみせて、それでも挫けずやっていく姿勢をみせたいと語られました。具体的には吹奏は得意なAさん、ピアノは苦手ということですが、これも、「失敗談」のことと同じで、これをいっていいかどうかはその判断が難しい。

 Eさんは、共同体制という「しがらみ」から、個性を出しにくい場合もあることを指摘。Bさんは、心のケアに取り組むことを主張、これを教員が協力してやっていけば様々な問題解決に役立つと述べられます。スクールカウンセラーとの協力体制にも触れられました。Fさんもこれに同意し、スクールカウンセラーと教員とが協力できるよう橋渡し役を望まれています。教科に関してFさんは、英語をまなぶことによって表現能力を高めさせたい、そうすれば児童生徒の自発的問題解決能力が高まるのではないかと述べられました。

 ここで時間です。25分間で23発言でした。一人だいたい1分ですね。多い方で4発言機会、少ない方で2回でした。ナカナカよい感じで議論が進んでいたと思います。

 70点差し上げます。共同体制はこの討論そのものでも試されていますね。譲り合い、ひとりで長々話さないなど、注意すべき点はありますからね。

 さて、あらためて冒頭の分析を参照していただきたいのです。@、Aの関係性をきちんと捉えられていましたか。そして共同体制と個性の折り合いをどうつけるかということを前提にしながらBに答えられていましたか。こうした点が集団討論における個人評価につながります。この文章を読み返して、再度ご自身の発言を吟味して直してくださいね。

 本日の討論、よかったですね〜。みなさん、がんばっておられます。反省を繰り返し、成長していきます。では次回。同じ時間、同じ場所で。ところでいつもながら思うのですが、やっぱり集団討論は、15時30分には開始したいですね。調整して次回からうまくいくようにいたします。

 それにしても、本日は「二度寝」してしまいまして、起きたら12時回ってるじゃあ〜りかせんか!焦りました。いつも12時45分には参上していますのに、お待ちいただいた方々、大変申し訳ない。しかも、風邪のため、ハナがズルズルで、お隣のご令嬢には、見苦しいところをみせてしまいました。これまた失礼しました。かんでも、かんでも、ハナが出る。しまいには鼻血が…みっともない!(エライ汚い話でスンマセン。ハナは真っ赤になるし。まあ、トナカイさんのクリスマスなんで、真っ赤なおハナもよいかと…)みなさまも体調管理万全にしてくださいね。フィー。

 勉強会参加者の方に、当然ながら無料で「教育時事配信」はじめています。11月分はすでにお送りしました。12月分以降ご希望の方は、メールでお申し込みください。月1回配信です。でも、配信を受けるだけではあきませんよ。読まんと意味ありませんで。

この報告書をご覧の方で、「私も参加したいな」と思っているアナタ、アナタですよ、最近勉強会は座席が埋まっていますが、メールくださいね。

(2006年12月3日)

勉強会のお知らせページへ 勉強会報告一覧ページへ 勉強会の内容ページへ 勉強会申し込みページへ

浩の教室・トップページへ