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浩の教室・第66回勉強会の模様

 昨日は、第66回当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。お申し込みいただいたにもかかわらず、不参加の方もいらっしゃり、悲しい思いもいたしましたが、ほぼ満席で、教育哲学(キリスト教倫理に関わること)に関する深いお話も聞けて勉強になりました。過去、キリスト教や教会、托鉢修道院の教育、トーマス=アクィナスについて考えていたことなどをイロイロと頭の中で反芻しておりました。そうした西洋倫理思想からかなり遠ざかっておりましたので、改めてその関係の本を手に取ろうとする契機となりそうです。

 さて、今回は、ゆったりと勉強会を実施しました。そこでは、「新しい時代の義務教育を創造する」答申を読みつつ重要事項や1次試験で聞かれそうなことを『スコープ』で確認しました。今後、このように、重要事項確認を踏まえながら進めていく予定です。憶えているようでそうでない事項を確実にしてまいりましょう。答申そのものについては、「あるべき教員像の明示」のとことを再確認しておいてください。いかにものところです。今回だいぶん進みまして、同答申はもうちょっとだけ講読して終了です。次回は、配布しました「特別支援教育を推進する制度の在り方について」を読んでまいります。その際、年末あたりに配った「今後の特別支援教育の在り方について」を持参されるといいでしょう。再度解説のところだけでも読んできてください。この解説・本文・問題のセット資料をお持ちでない方は、次回参加のときに頒布いたしますので、必要な方はできればメールいただけるとありがたいです。

 次に、Hさんに「自己売り込み」をしていただきました。ご参加のみなさんから多様なご意見いただき、参考になったことだと思われます。司会進行役をやっておりますワタクシがあまりコメントを書いてペーパーをお返しできず申し訳ないです。しかし、その分は口頭でお伝えしたつもりです。もう一度、論旨を練り直して、イイタイコトがはっきり伝わるようにしてください。大学4年生のフレッシュな意気込みと、まだみぬ学校世界への展望を織り込んでみてください。自分が教員として奉職し、どんなことができるのか、これを書いてこその「売り込み」です。

 では、集団討論の模様をお伝えします。今回の集団討論は、20分・7名の方に実践していただきました。通常より5分短かく設定しました。これは時間がなかったというのが大きな理由ですが、本番でも20分くらいでしょうから、ヨリ実践的になったといえるでしょう。

 テーマは、「言葉の力の重要性が語られています。この力をどのようにして児童生徒に養成していきますか。国語の授業に関わらず議論してください」でした。例によって、仮にA〜Gさんとして再現してみますが、その前に、この議論を聞く側にまわっていた方からの指摘にもあったように、今回のテーマには、校種間で考え方に開きがあり、どうまとめていくか難しいかったということを申し上げます。参加者は小学校志望4名、中学校1名、高校2名というように、議論の噛み合いがどうなるか「心配」するものでありました。しかし、この「言葉の力」の育成は、どの校種ででも出題されますし、おそらく、全国的に高い出題率になるでしょうから、一度はやっておく必要があります。

 ある自治体の教育長が、「『ことば』は、学習や生活の基本です。近年、核家族化や都市化の影響で人と人との対話の機会が減っています。国際化や情報化が進み、大量の情報を理解したり、自分の考えを積極的に発信することが求められています。新たにパンフレットを作成し、学校での『ことばの教育』を充実してまいります」と過去にいっていたように、「言葉の力」の育成=「ことばの教育」の重視は、教育課題として柱になるものです。この力だけを育成するにしても、現場では大変なパワーを必要とするでしょう。

 討論再現に先立ち、「言葉の力」の出処を中教審答申に確認しておきます。それは、中教審答申「新しい時代における教養教育の在り方について」(平成14年2月21日)の「国語の力」が下敷きになっています。そこで述べられていることは、次のようにまとめられます。普遍的な教養として、教養そのものを深めるのに欠かせない道具的な力が「国語の力」である。初等教育段階で論理的な思考や表現力を定着させるには、言葉をうまく操れなければならないということである、です。

 同答申では、「時代がいかに変わろうとも普遍的な教養がある。かつて教養の大部分は古典などの読書を通じて得られてきたように、読み、書き、考えることは、教養を身に付け深めるために中心的な役割を果たす。その礎となるのが、国語の力である。国語は、日常生活を営むための言語技術であるだけでなく、論理的思考力や表現力の根源である。日本人としてのアイデンティティの確立、豊かな情緒や感性の涵養には、和漢洋の古典の教養を改めて重視するとともに、すべての知的活動の基盤となる国語力の育成を、初等教育の基軸として位置付ける必要がある」といいます。ここでは、知的基盤としての、つまり論理的思考力と表現力の根源としての「国語の力」≒「言葉の力」が日本人のアイデンティティとともに語られていることに注意しましょう。これがそのまま正しい価値であるかどうかはみなさんの判断に任せるほかありません。

 さらに同答申は、「国語教育や読書指導の重視(幼、少年期)・国語教育を格段に充実する必要がある。その際、名文や詩歌等の素読や暗唱、朗読など、言葉のリズムや美しさを体で覚えさせるような指導の良さを見直すべきである。また、近年多くの学校に広がっている『朝の10分間読書』(朝の始業前の時間を活用した読書活動として、昭和63年千葉県船橋学園女子校で始められ、全国的な広がりを見せている取組。平成14年2月8日現在の実施校は、7909校(内訳:小5299校、中2139校、高471校 朝の読書推進協議会調べ)で、うち全校一斉に行っている学校は6322校ある)は、読書の楽しみを知るだけでなく、集中力の向上などにも大きな成果があると言われ、このような活動が更に広がっていくことが期待される。併せて、司書教諭の配置やボランティアの活用、情報機器の整備などを通じ、図書館の総合的な機能の充実に取り組んでいく必要がある」といっています。「国語の力」育成の具体的教育手段に、朝の読書運動が挙げられています。ここではどのような成果があったのか、「楽しみ」と「集中力」が読書活動に認められていることを確認しましょう。

 高校段階では、「読書の推進(高校)・若い時期に、和漢洋の古典を始め、優れた書物に向き合うことの大切さを強調したい。読書は、考える力を育てるのみならず、様々な価値観に対する理解を促し、多元的な視野を与える。例えば、各高等学校において、学校としての『必読書30冊』を選定し、生徒に卒業までに読むことを勧めるなどの方策も有効であろう」と述べ、読書案内が提言されています。みなさんも、どんな本を読むべきか、どういう点でその読んだ本を薦めるべきか、教科担任の立場を離れ、ひとりの読書家として考えてみましょう。

 さて、討論はCさんの発言からはじまりました。音楽で音のイメージを語らせた場合、冷たい音とかあたたかい音とか多様な表現があるのに、それをうまく自分の言葉で語ることができない児童生徒がいるといわれ、言葉の力を持っていないと感じるそうです。そしてそれは、算数の文章題の意図するところを読み解けないといったところにもあらわれていると指摘されました。そして、今回、学習指導要領が改訂されるにあたって、「言葉の力」の育成が強調されているのはうれしいと、教育行政に対する評価をされました。

 Bさんは、小学校ボランティアの経験を語りました。けんかの場面によく出くわすが、それは自分の気持ちを言葉に表現できないからで、コミュニケーション能力も落ちているように感じるそうです。Eさんも同様のご意見で、「ありがとう」もいわない児童生徒が増えてきていることに危惧を感じておられるようでした。

 Gさんは、言葉は「想い」を伝える手段であり、言葉が足らないと「想い」の行き違いが生じる、これは大人社会でもそうであるが、だからこそ一つひとつの言葉の持つ力を吟味しつつ活用できるように指導したいと抱負を述べられました。Aさんも、児童生徒同士が互いに相手がどう感じるかを考えながら会話できることが重要で、他者を思いやる気持ちと言葉の力は密接な関係にあると指摘されました。これはBさんの憂いと共通する部分です。

 一方、Dさんは、文学作品に親しんだり、詩を読んだりすることが、児童生徒の感受性を高め、豊かな表現力を手に入れる原動力になるのではないかと、高校志望の立場から発言され、Fさんも高校志望の立場から、読書は大切であると主張されました。Fさんは、人間として大切なこと、日本人として大切なこと、これらを身につける手段が読書にあり、感性、情緒を養うためにも有効であるということでした。また、歴史を学ぶ際、言葉に対する感性を磨かないとならないとも指摘されました。国家は言葉からはじまるかどうかは判断を避けますけれども、『国家の品格』を引き合いに出して議論を続けられました。ところで、ある民族が共通の言葉を持ち、それによって民族の結合が増すことは、国家成立のメルクマールです。近代国家のナショナリズムは、言葉の持つ力に大きく依存しています。

 児童生徒は自己を表現する語彙が少なく、ここをどう広げるかが、Cさん、Eさんの共通の課題として認識されていました。「うれしい」といっても、わくわくするとか、胸が躍るとか、多様ないいかえがある。児童生徒がよく使う言葉に「キショイ」があるけれども、その意味は「気持ちが悪い」であり、「むかむかする」であり、多くの意味内容を一つの言葉が包摂しているので問題がある。Cさんはこのようにいわれ、「どういうふうにキショイの?」と問いかけることによって、言葉の本質を理解させる声掛けを実践されています。非常によくわかる具体的なご意見でした。Eさんは語彙を広げる豊かな泉が日本語そのものの中にあり、それをどのように発掘するかが指導の問題であるといわれ、朝の会で児童に絵本を読み聞かせ、そこから自発的に図書館通いの児童が増えたことに喜びを感じておられました。Aさんは、「キショイ」の言葉に反応し、この言葉を受ける側が傷つくということを、発する方が理解しているかどうか、それがわからないと人と人との関係性が育めないことになるとご意見されました。

 Bさんは先に出てきた読書の話題に立ち戻り、読書経験から伝えきれないままであった気持ちに形を与えることができるといわれました。ただし、その前提に「他者に気持ちを伝えるのは難しいことである」ということも理解させるべきであると述べられました。これに対しEさんが、難しいけれども、逆に自分の気持ちがわかってもらえるようになるのは楽しいことなんだと指導したいと応酬されました。どちらも一理ある考え方ですね。

 Dさんは、気持ちを伝える、表現するということに関連し、新しい自分を発見することが言葉の力の育成とともにできるのではないかと問われ、そのためには、読書感想文の指導が適当ではないかといわれました。Cさんが言葉をたくさん憶えることの大切さを強調し、B、E、Dさんのご意見に刺激を受けつつ言葉の広げ方について、「その言葉はあの本に載っていたね」というようにしていけばいい、そして授業で学んだ言葉を極力次の授業でも生かせるようにし、いわば言葉の訓練的な実践をすべきではないかと述べられました。

 いままでの議論をまとめるように、Gさんは、読書はインプット、コミュニケーションや自己表現、自分の気持ちを他者に伝えることはアウトプット、といわれ、ここで一段落ついたようです。

 話題は転換し、Bさんが、理科の実験の授業において、児童生徒が実験の予想をしたときに教員の想定外の表現をしたことがある、こうした教員の側が思ってもいないながらなるほどとうなずくべき表現をほめることが、その児童生徒の言葉の力を伸ばすことになるのではないかと具体的に話されました。国語の時間においても、今の発表よかったねとひろいあげるのがよいとEさんも同調されました。ここでは「同調」でしたね。

 Fさんは、読書に関し、音読の重要性を指摘され、素読にも触れられ、言葉を使いこなすには、身体に染み付いた言葉の力の育成が必要で、そのためにはなんらかの文章を暗誦するのがよいのではないかと問いかけられました。Aさんはこれを受け、たしかに音読の力も落ちており、PISA調査でも読解力は落ちてきている。読書と音読と、そして読解力をどのようにつなげて指導するかが肝要であり、班活動からはじめて大きい単位の活動へ言葉の力育成の実践を発展させていくことがいいのではないかと答えられました。と同時に、家庭教育が言葉の力育成にかなりの割合を占めるので、この面における学校と家庭との協力が是非とも必要と指摘されました。

 最後にCさんが、教科書の読みとり、正しい理解と、それをもとに想像を膨らませる言葉の力の育成を指摘され、討論は終了しました。

 以上のように、今回の討論では、表現力、コミュニケーション、読書などから討論の発展性があったことが認められます。討論終了後、コミュニケーション力の育成は言葉の力の育成と少しずれているのではないかという意見もありました。というのは、Aさんが指摘されていましたが、読解力の向上がPISA調査結果からもいわれていましたし、学習指導要領の改訂に絡んでも目標化されているからです。たしかにそうした点を勘案すれば、あまりにコミュニケーション能力の育成を云々しても、「政府の教育理念」からは離れていってしまうでしょう。しかし、この議論も現場の生徒指導と言葉の問題とのかかわりからいうと必ず登場するトピックですから、どこまでこのトピックに時間を割くかについて討論参加者の中で共通理解があるとよいですね。これはかなり温度差がありそうなので現実には難しいですけど。

 次の改訂の学習指導要領における「言葉の力」育成については、2、3日前の旁午に書きましたのでご参照ください。

 近い将来もう一度このテーマで議論する場合、校種を揃えてやってみましょうか。今回、コーヒー会(勉強会の後のお茶タイム)を欠席し、失礼しました。両親が留守しておりまして、コイツにエサをやらねば死んでしまうからでした。

 ワタクシなどを信頼して、この勉強会に継続的にご参加してくださるみなさまのために、なにがしかのお力になれるよう、楽しく厳しく実施していく所存です。今後もよろしくお願いいたします。ではまた来週、25日にお会いしましょう。

(2006年2月18日)

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