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浩の教室・第65回勉強会の模様

 昨日は、当サイト主宰勉強会にご参加いただきありがとうございました。今回も満席の状況で、みなさんエネルギッシュに議論してくださり、ウレシク思います。今回、ご参加いただいたお2人の現役の先生方、ありがとうございました。

 昨日は、まず、「義務教育創造答申」を講読しました。「教育内容の改善」のところは、出題されやすいところですので、何度も読み返してくださいね。それから、その次のところの「学習指導要領の見直し」の節は、これまたどういうふうに学習指導要領を変更しようとしてるのか、また、どこを変えないまま引きずっていくのか、確認をしてください。今回と次回がこの答申の佳境部分でしょう。

 なお、2007年度に指導要領が変わるといわれてますけれども、これは、文部科学省の正式アナウンスではないので、その辺はご注意ください。ただし、「特殊教育」から「特別支援教育」に名称変更することも手伝って、必ず学習指導要領は近いうちに改訂されます。あるいは平成15年につづいて、「第2次一部改正」かもしれませんね。この答申はやはりもうちょっとしっかり読み進めていきます。ただし、参加者が問題意識をもって「一緒に読むこと」をしないとあまり効果はありません。自分で答申のダイジェスト版を作成する意気込みでがんばってくださるよう期待します。

 つぎに、「自己売り込みのツボ」をいたしました。今回登場のKさん、お疲れさまでした。3分間に自己を売り込むのは大変であることがわかったと思いますし、みなさんから寄せられたコメントに、多くの反省ポイントを見出したのではないでしょうか。何をいわれてもへこたれず、吸収するべきは取り入れて、自分なりの「売り込み文」を完成させてください。具体性と一貫性がKさんの大きく指摘されたところでした。

 みなさんから集中的にイロイロご意見いただける場はそうそうないので、厳しいけれども有益だったと信じています。今後の集団討論や面接の練習に生かしてください。ところで、「自己売り込みのツボ」は、かなり苦しい作業でしょう。まず、3分というのが長い。長いけれどもこれくらい話し切れると、ずいぶん楽になりますよ。最近、ちょっと文句をつけたり、批判したりすると引っ込んでしまう学生が多い中、「自己売り込みのツボ」チャレンジャーは、なかなかどうして、がんばっています。次回は3人目、たたかれるよう、たたかれないようにツボを考えてきてください。ところで、3分は長いので、ゆっくりしゃべっていいですよ。早口に詰まったものより、「聞いていただく」3分間をめざして原稿を作ってください。それから、前回と今回と、30分ぐらいかかりましたので、もうちょっと短めにおさまらないか、ご意見を伺う時間をもう少しだけ狭めたいと思っております。

 第3タームは、神戸市の1次試験の解答解説です。神戸市の試験解説は今回で終了しました。大阪と神戸市と併せ、かなりの分量とバランスよく問題を一望することができました。どういうように選択式の問題が提出されるのか、おわかりになったのではないでしょうか。教育学の領域的にも、この府と市の問題の出題傾向で尽きていると思います。あとは、ご自身で、他の都道府県の問題をスパン、スパンと料理していくことが肝要です。ワタクシもそうなのですが、けっこう覚えているといっても、うろ覚えがあるものです。そうしてうろ覚えは実力ではありません。ワタクシたちは5択で最後に残った2つのうち、正しい方を選択しなければなりません。そのときにうろ覚えでは、けっきょく運になっちゃって、勉強した、準備した、とはいえません。苦しいですが教職教養は得点源ですから、満点を取るべく準備するべきでしょう。今回、みなさんと確認した知能検査の人物名や不登校の定義およびどの学年が一番多いか、その原因など、今期も高い確率で登場するでしょう。ゆめゆめ怠るなかれ、です。今回で問題の解答解説は終了しましたので、次回からは基礎をしっかり押さえているか、単発的な「質問攻め」をいたします。参考書が手垢に染まるくらいやってくださいね。

 神戸市の解答解説のつぎに集団討論と集団面接をいたしました。集団討論は、6名の方に25分で、集団面接は、府の本番さながら10分以内で行ないました。ただし、集団面接は4名でしていただきました。討論の模様はあす、アップいたします。

 集団面接は、今回は、挙手でしていただきました。面接官役のワタクシが質問を投げかけ、考えがまとまった方から報告してもらうというオーソドックスな方法です。これが大阪府の場合、定番のやり方です。まあ、イロイロな質問の投げかけ方に慣れておく必要があるので、今後も様々なパターンで実施しますね。今回も、「良く出る…」から4、5問答えていただきました。必ず「ロールプレイング」をひとついれることにしています。今回、微妙におもしろかったのですけれど、現場感覚、臨場感が伝わるような演技をめざしてください。

 はじめて体験された大学3年生にあっては、心臓バクバクと感想いただきましたけれども、ここで「心臓」を鍛えて、本番では毛が生えるくらいになってくださいね。いや、これは冗談ではなく、そうでないと本当に困るからです。

 ところで、質問事項も、2年たちますと基本的なものは別として、時事的な問いは古くなってきています。たとえばもう「週5日制の意義や是非」など、質問としては古くて出題されないでしょう。それゆえ、、「良く出る…」も見直しを迫られています。時事的な質問事項を中心に、新しいページを立ち上げるようにいたします。ちょこちょこ数を増やすようにしてまいりますので、サイトチェックお願いいたします。

 集団討論の模様を再現しますね。今回のテーマは、「思い通りにならないと暴力をふるったり、物を投げたりする児童生徒がいる。担任としてどのように取り組んでいくか議論してください」でした。6名の方に25分間でチャレンジしていただきました。仮にA〜Fさんとして、検討していきましょう。

 討論の先陣を切ったのは、Dさんです。最近、Dさんは、討論に参加されるときはいつも第1発言者になっています。この第1発言者ということについて、前にも触れましたけれども、ここでもまた少し触れておきましょう。討論において、第1発言者は、大変重要な位置を占めます。それは、最初に話題を切り出すという勇気がなければつとまりません。その意味では話題豊富な方、問題提起的発言ができなければなりません。そして、第1発言者は、自分の発言が討論の方向性を決定するということを自覚しなければなりません。だから、第1発言者が突拍子もないことを切り出すと、それだけで場がしらけるし、討論全体の印象が悪くなります。用心した、それでいて参加者が話題に入っていきやすい前振りをしなければなりません。しかも、第1発言者は、司会的存在となる場合が多いですので、そうした切り盛り役を必然的に引き受けることになっても躊躇してはいけません。

 こうした役割であることを第1発言者は自覚しつつ、討論に参加する必要があります。あえて第1発言者を買って出る必要はありませんが、それで成功した場合はいい結果を得られるでしょう。だれしも第1発言者は避ける傾向にある中で、評価は高くなるものです。このあたりは採点官も考慮してくれます。

 Dさんは、このテーマの「担任としてどのように取り組んでいくか」というところに目を付け、2つの観点を提供されました。ひとつは、暴力をふるうということは友達(他人)に危害を加えることである。これは傷害事件に発展する可能性も否定できない。だからまず「やってはいけないよ」という当該児童生徒の気持ちを落ち着かせる指導をする、ということでした。もうひとつは、感情が行動に直接するわけで、それをなんとかできないか。そうすると「我慢する指導」となる。暴力をふるう行動に出る前に10秒我慢する指導、ということを述べられました。

 このDさんの2つの観点は、担任として、直接的に何ができるかということと、その善後策としてどんな指導ができるかということを提起されたものといえるでしょう。具体的な話を挙げながら、どのようなトピックをこのテーマの凝集点にするかというところでは、よい発言であったと思います。しかし、次の発言者に話しやすいよう持っていこうとしているかどうか、批判的にいうとするなら疑問はあります。なぜなら、第1発言者の提供した話題は、次の発言者に同意されつつ展開していくのが理想だからです。それができれば、第1発言者たることのひとつの壁をクリアできるでしょう。さて議論はどうなっていったのでしょうか。

 Dさんの発言につづき、Aさんが、なぜ当該児童生徒が暴力をふるようになったのか、その原因を推測することが大切であるとご意見されました。じつはAさんが、第1発言者的な存在でありました。テーマの切り口がDさんとは違いますが、後々の議論をみますと、このAさんの発言をめぐって討論が動いていたことがわかるのです。Aさんの原因推測は3つの観点から語られました。ひとつは、児童生徒が落ち着かない教室環境にあるのではないか。もうひとつは、ADHDの問題に関連するのではないか。最後に、日常的に手を出してしまう環境に慣れているのではないか、ということです。あとでBさんから指摘がありましたように1番目と3番目は似通っているかもしれません。直接議論の場で話されたわけではないのですけれど、なぜ、原因究明が大切な観点になるのかは、「思い通りにならなければ」というテーマの前半部分にその理由があるわけです。

 ここまでで、いわば2人の第1発言者が登場したとワタクシは感じました。担任として暴力に訴える児童生徒を短期にも長期にも指導していかなければなりません。まず、暴力を止めるというDさんの主張は正しい。即時的な当然の行為です。ただこれは必ずそうするものであり、ということは他の討論参加者から反論はないし、うえから重ねる議論もないので討論の発展性はない。そして我慢させる指導は、原因を探索しないと単に「がまん、がまん」になってしまう。話題提供者として、呼び水になるような発言であったかどうか、これは難しいですけど、Dさんに注文を付けたいところです。ただしこうした注文は、相当高度な要求であることを付け加えます。

 したがって、Dさんの第1発言はAさんにかき消された形になってしまいました。「討論を支配する」というわけではありませんが、第1発言者の話題が消えてしまってはちょっと寂しいものがありました。

 DさんとAさんの発言を受け、Bさんはもちろん暴力をふるった児童生徒は叱らなければならないが、なぜ暴力をふるったのか背景を知るべきであると発言されました。担任として、当該児童生徒の家庭環境把握の視点を持つべきであると主張されました。これは忘れてはならない視点で、討論の最初のところで、この種のご意見が出たのは幸いでした。家庭とのつながりがこの後まったくでなかったのは、集団全体としてはポイントを低くしたと感じます。

 Fさんがつぎに発言し、Aさんの3点を基本的に承認し、暴力を抑える指導は厳しくしなければならないといわれ、しかし、訓戒的なことばかりでは児童生徒にストレスがたまるので、いいことをしたら細かなことでもほめる指導が功を奏すのではないかと指摘されました。指導のバランス感覚を大切にしようとするご意見です。
 Cさんは、暴力をふるう、物を投げる児童生徒の周辺に存在する「はやしたてる児童生徒」をどうするか、とのトピックを提供されました。いわゆる傍観者をどうするかという視点です。暴力をふるう児童生徒はなんらかの闇を抱えているもので、他の児童生徒にも協力して解決に導くといわれました。

 Eさんは、今までの議論を聞きながら納得するところが多いと承認し、そのうえでまだ指摘されていないことをいおうと必死でした。そしてそれは、暴力をふるわれる方の立場を暴力をふるった児童生徒にどのようにわからせるか、ということでした。暴力をふるう児童生徒には他人の立場に立つという客観性がないわけであり、つまり自己中心的であるので、道徳的指導になるという見解でした。

 ここで参加者6名のご意見が出揃いました。一端、Dさんに発言が返りました。Dさんは、中学を志望する立場から、14歳という壁を強く認識されています。ここが小学志望の視点とちがうところです。少年法が適用される年齢からしても14歳で、被害届けが出されるとすればいわゆる触法少年になってしまう。そうした「社会的立場」に生徒を追いやるわけには行かない。たしかに自分が勤める学校から犯罪者が出ることは「恥」なわけで、そこからDさんが表面上の暴力を厳しくとがめ、指導しないといけないのは理解できるところです。

 今回DさんとAさんのテーマに対するアプローチが異なるのは、中学志望と小学志望の違いということがありますね。小学志望の方は、「触法」は考えないと思いますから。中学生は極めて難しい年代です。大人であり子どもである。子どもであり大人である。そうした立場を理解した指導の在り方を提起しようとしているのがDさんであるといえます。

 中学生を諭すのと、小学生を諭すのとは、どうちがうのでしょうか。校種の垣根を越えて議論がお聞きしたかったです。ただ、いずれにせよ、パニックになっている児童生徒を叱ってもすぐにとまるかどうか、冷静にする方法に議論が進みそうでした。このとき、Eさんが、パニック状態については、児童生徒の個々のケースによるけれども、すぐに指導を入れないと忘れてしまうこともありうる、と指摘されました。つまり、暴力がふるわれたその瞬間に指導せず、あとで「したらあかん」といっても「事件」そのものを忘れていて指導の効果が薄れてしまうのではないかということです。ここはDさんの議論につながっているところです。Bさんは、教室で事件が発生するとして、落ち着くまで教員が着くべきで、長期的にはカウンセリングも実施するべきであろうとまとめられました。

 Aさんは、その場で指導するといってもどうするのかと問われ、周りに人がいないところで指導するべきではないかと語られました。つまり個別指導ということであり、これに触発され、Fさんから全体としての取り組みもするべきで、集団生活の在り方を見つめ直す道徳指導を展開するべきであると話題が広がりました。

 Dさんは、暴力をふるう児童生徒が教室にいれば、周りの児童生徒が怯えてしまうし、そうであれば周りの児童生徒が止められないので、「まず先生にいうんだよ」と予防的措置をとるべきであるとご意見されました。これと関連し、Bさんは、孤立しがちな暴力をふるう児童生徒をどうするかといわれ、そこが教員の包容力の問題であろうとされました。Cさんからは、予防的措置を中学ではどうするかという観点から、教科担任制を生かした連携を考えておられました。Aさんは、嫌な子だから友人になるのを避けるという状況にしたくないといわれ、その子のよいところを引き出す指導を心掛けると発言されました。Eさんは、信頼関係を高める指導としてクラブ活動での絆の育成を指摘し、中学ではそれが武器になると述べられました。教員と生徒との信頼関係が成立しないと、暴力をふるう生徒を指導できないわけで、生徒が何でも話せる先生を学校で一人は作るべきであると提起されました。これは生徒の希望でもあり、教員の仕事でもありますね。

 Dさんの教室の一員としての取り組みとして、暴力をパッと制止できる関係作りを提唱し、暴力をふるう子については気持ちのコントロールの仕方を教えたいと抱負を語られました。そして、他人に迷惑をかける生徒は「最後まで指導する」といわれました。Dさんはこのほかに予防的措置はないかどうか、討論参加者に質問を投げかけました。それに答え、Cさんが孤立解消のためのペアワーク、Aさんが、学級が互いを認め合って考え合える雰囲気の醸成、Bさんが自分の気持ちを紙に書いて示すペアカードをあげられました。

 ここで25分間が終了です。

 今回の討論は、うまくいったようで、家庭と担任の問題が抜け落ちた点、中学と小学志望の違いから論点が整理できなかった、あるいは暴力に対するアプローチの発想が異なっていたのを整理できなかった点が挙げられます。本番とは違い、校種を超えた討論参加の場合の、他校種への視野を増やしてほしいと思っております。広く、教育的な観点を培ってくださいね。

(2006年2月5日)

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