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浩の教室・第81回勉強会の模様

 さて、11日は、第81回の当サイト主宰勉強会を実施いたしました。ご参加のみなさま、ありがとうございました。

 いつものように、大阪歴史文化問題報告からはじめました。Oさん、どうもありがとうございました。なかなかに細かい人物名まではワタクシもわからずでした。失礼しました。

 自己売り込みのツボ報告者のMさん、よかったですよ。刺激的な2分半でした。形式面、内容面ともにほとんど問題ありませんでしたね。本番の試験でも、このようにしっかり発言できれば心配ありません。

 つづいて、集団討論と集団面接、個人解剖を実施いたしました。今回、第1回水曜会と同じテーマで実践いたしまして、参加者が違うことによって議論がこうも違うのかと、実感いたしました。水曜会との違いを含めて問題点を指摘することにいたしますね。

 テーマは、水曜会と同じく、「担任として、児童生徒をしっかり見守ることが大切です。見逃したり怠ったりしてはならないことに、どのようなものがありますか。そしてどのように対応しますか」です。討論参加者は7名、25分間でした。A〜Gさんとして、議論を再現してみましょう。

 まずCさんが、見逃してはならないこと、怠ったりしてはならなことは「児童生徒の変化」であって、それには大きく分けて3つの側面があるといわれました。すなわち、@体調面A学習面B生活面、です。Cさんご自身は@に関連し、朝の健康観察が何よりも大事であるという立場を示されました。小学校現場を経験されているCさんは、児童の出席をとる際、名前を呼んではい!と答えさせると同時に「元気です!」といわせるそうです。Cさんにつづいて、3つに分けたのを受けて、Eさんが、学習面について発言されます。どんな小さなことでも児童生徒の変化を見逃さない意気込みを語りつつ、Eさんはいままでできていた計算や漢字が書けなくなるなど学習面における躓きに敏感でありたいと述べられ、学力の低下がみられれば、保護者との相談や放課後に指導することも視野に入れると積極的です。

 Bさんは、@に関し、ご自身も健康チェックを第1に考えるとされ、「実際に児童生徒に声を掛けてみないとわからないことがある」とし、また、児童生徒の声なき声に気付くのが、自分の仕事であるとの自覚をお持ちです。それをサイレントランゲージと表現されたのが印象に残りました。Dさんは、高校教員を目指す立場から、問題行動のチェックをすると力強くいわれました。大きな問題行動に発展しないうちに、小さな芽のうちから指導することが高校教員に求められているとし、その対応方策を課題とされました。このときに、Dさんが、たとえばタバコの問題やシンナーのこと、万引きのことなど、具体的な発言があれば、ぐっとよくなるのではないでしょうか。現場をみつめる姿勢から、具体的な「見逃してはならないこと」が出てくるでしょう。

 Fさんも高校志望で、児童生徒の変化を見逃さないために大切なのは彼らとのコミュニケーションであるとされ、挨拶の効果を語られました。挨拶をこちらからしてみる。返事が返ってきたり、来なかったり。そこからその児童生徒の内面を推し量ろうということです。Aさんも具体的な発言をされました。図書の時間に泣き出した児童がいたそうで、その原因を探る過程を述べられました。結局友達同士の喧嘩だったのですが、普段仲良くしているのにそうした喧嘩があるということに着目し、それを教員一般の問題意識として整理することが大切であるとご意見されました。児童生徒をみるときに、表面的な評価を避け、かつ、先入観に左右されない冷静な目を教員である自分が持つべきであると結論されました。

 Gさんは、テーマの後半部分の「どのように対応しますか」に自答されます。教員として、児童生徒の「問題的行為」に対し直接的に指導するのではなく間接的な表現を用いたいということです。というのは、たとえば服装が乱れているのに、「はよ直せ」とずばり言うのではなく、ウェットに「どうしたん?」からはじめて、諄々と説くということです。Cさんはこのご意見を受け、「気付く」ことが大切であるとまとめられ、私たち教員には、「よく観察すること、みること」が要求されていると指摘されました。健康チェックの中に、ハンカチ、ハナカミ、学習面では忘れ物、宿題と、観察すべき多様な具体例をスラスラあげられ、そうした一つひとつの「問題」が、生活の問題に直結するとし、Bの問題にご自身で応答されています。これは一つのテクニックと申しますか、当たり前のことなのですが、自分の言葉に責任を持つ、というのが討論や面接では重視されます。自分が提出した問題には責任持ってその回答をなにがしか与える必要があります。それが首尾一貫したご自身の姿勢を面接官に示すことになり、評価につながります。

 次にEさんは、「言葉」に注目されました。児童生徒が急に汚い言葉を使い出したら要注意という指摘です。言葉が乱れてきたら、「その日本語好きじゃないな、キレイな日本語使おうよ。そうすると心もキレイになるよ」と諭したいと実践的にお話されました。そしてその際、該当児童をめぐる環境を探るため、他の先生と協力の下、みつめていくと付け加えられました。実は、このEさんの発言は、時間的に長いものでした。しかしそれが聞いている分には長く感じられない。これがEさんの強いところです。同じことを他の方がいったとして説明がくどくなれば、もう面接官は聞きません。集団討論においてはコンパクトに答えることが要求されますから、ワタクシすごいなあと思っております。Fさんは、Eさんの発言を受け継ぎつつ、「服装の乱れは心の乱れ」とワタクシなどには昔懐かしい「標語」を述べられました。30年前にはよくいわれていた言葉です。金八先生がいいそうな言葉でもあります。この言葉はいまでも効力があるのでしょう。若い4回生のFさんからこうした言葉がでたことに、ワタクシはギョッといたしました。おもわずワタクシはネクタイを締めなおそうかと思いましたよ。これは茶化しているのではありません。

 よく聞くと、「服装の乱れは心の乱れ」は、校是として貫徹しているようですね。Fさんは実習を終えてすぐにこの勉強会に参加され、教員になりたい気持ちがさらに強まったということですが、実習経験で得た全ての事柄を今のうちに忘れないよう文章化してくださいね。そこで学んで得たことは宝物ですから。実習では、服装が乱れていたら、必ずちゃんと直しなさいとFさんはやさしくいわれていたようで、発言の姿勢に好感が持てました。大学4回生は、4回生なりのフレッシュさで勝負すればいいのです。面接官は、忘れていたなにがしかのことを若い方の発言から思い出すものです。

 つづいてCさんが、Gさんも、Fさんも指摘された「注意する」ということについて、注意をしやすい学級作りということに言及されました。そして児童生徒の告白をちゃんと聞いてあげること、つまり教員が余裕を持った態度で接することが、信頼関係を維持しつつ該当の児童生徒を諌めることになると指摘されました。そしてEさんが、児童生徒は内面にいろんなものを持っている、抱えているといい、それを理解し生かした学級経営に取り組む抱負を語りつつ、交換日記など何か書かせて通常言葉にならない児童生徒の内面を引き出し対応したいと述べられました。そこでは、喧嘩や物をとったというようなことが表現されるかもしれません。するとその対処として家庭との協力ということが討論のトピックになりますね。Gさんは、高校志望の立場から、小学校志望の方々と比較して生徒との関わり合う時間の短さをどう埋めていくかという問題意識を鮮明にされました。学級担任制と教科担任制の違いは思ったよりも児童生徒に対するアプローチに違いをもたらすものですね。Gさんは、そうした生徒に相対(あいたい)する時間的な問題を密度の深浅によって解消しようとされています。授業に3分はやくでていく。数学どう?部活動はうまくいっている?と親しみ持って生徒と接することや、校門指導に積極的に関わることなどを臨場感を持ってお話されました。

 Aさんは、家庭訪問に言及され、Eさんのご意見に賛成しつつ児童の様子を保護者から丁寧に聞くこと、連絡ノートの有効な活用について発言されました。Aさんは、今回、この25分間の討論時間で2回しか発言がありませんでしたので、次回は4回発言するようにしましょう。討論における発言は、回数にこだわるものではありませんが、相対的な評価がどうしても加わりますから。あえて目立つ意識は持たなくてもいいのですよ。CさんがAさんの発言を受け、保護者との協力体制は、連絡の密度を継続的に増進することにあり、連絡ノート、学級通信などのフル活用を強調されつつ、「書くこと」によって児童生徒の知らない一面を探ることになると発言されました。これはEさんともつながる視点です。Cさんの発言の後、Eさんは、我が子を預けている小学校の校長先生の校門指導をエピソード的にお話されました。

 ここでGさんが、これまで見逃してはならないことのマイナスの側面が議論されてきたけれども、積極的にプラスの側面を見出すような指導についても私たちは議論しなければならないのではないか、と提案がありました。つづいて、Gさんは、こう付け加えられました。1学期の中間テストまで、どの生徒にどんな力があるのかわからなかった。入試では低い点数であったが、中間テストでいい成績をとった生徒がいた。その生徒はすごく嬉しそうであった。そこをほめた。このことからいえるのは、私たち教員は、過去のデータを参照し、児童生徒一人ひとりに即して、どれだけ伸びたのかを正当に認めてやらなければならないというこいとである。こういうことでした。

 Fさんは、Gさんの紹介されたエピソードにつづいて、「私は数学は苦手やけど、その先生は好きやねん。なんでかいうたら努力を認めてくれるもん」といった生徒の例を挙げられました。そのままの成績だけでなく、努力を認めてくれる先生が愛されるのだということを表現されていました。Bさんがいわれるように、ほめると児童生徒はよろこびます。気付くことが何よりも大切ですね。そして、話したくても話せない児童生徒の心理を推し量ることですね。

 そこに気付くには高くアンテナを掲げるしかありません。Cさんがいわれる通りです。なにもいえない子にこそ、支援が必要です。

 Dさんが、話しかけてこない児童生徒の中にはいじめの対象となっている子もいるかもしれない、との指摘もこの議論の裏面でしょう。だから、Eさんの楽しいなと思える授業の提供が、仲間作りに役立ちます。佐世保の悲しい事件があったように、友達同士のつながりを把握しておくことが、担任として見逃してはならないことでしょう。このCさんの指摘もよし。

 この後、Dさんから、一日に一度「ありがとう」といえる場面を作りたいとの学級経営目標が指摘され、「感謝」の心を持つ意義をクローズアップされました。Cさんからは、学校の安全について、教室環境について、さらにEさんから食育基本法について指摘があり、議論は終了しました。

 今回、水曜会に参加された方が重複して第81回の勉強会にもご参加いただきました。その重複参加者からの討論を比較する視点からのご意見もいただきました。ありがとうございました。その視点や、ワタクシからの簡単な指摘からもいえることは、参加者の違いが討論を制するということです。集団討論は、結局、集団を構成する個々人の力量が大袈裟にいえば死命を制するわけです。

 討論に登場せず、あとで討論を聞いていた方々から指摘があったトピックを挙げてみましょう。まず、虐待の問題です。それから高学年の暴力の問題。そして子どものイメージです。このイメージというのは、水曜会で指摘があったのですけれど、それぞれの参加者がバラバラな子ども観、生徒観であっては、議論の足並みが揃わないこともあるということです。そこで、現代の一般的な児童生徒像を提出してはどうか、というご指摘です。なるほどと思わせる指摘です。児童生徒が情報化社会、国際社会といわれる中で、どんなふうに変っていっているのか、一般的な家庭環境が数年前と変り、現状どんな感じの児童生徒がどんな悩みを持っているのか。それが学校現場にどう反映されるのか。児童生徒の立場に立って、「担任として」どう生徒指導、教科指導していくのか、見逃せない視点といえるでしょう。

 水曜会と今回と、司会的な役割を担った方がいらっしゃいましたが、その「仕切り方」にも違いがありました。これは、文章化するのがちょっと難しいです。勉強会の場で、問題点を整理しましょうね。

 集団面接は、6名の方にチャレンジしていただきました。みなさん面接官役であるワタクシの質問にうまく対応されていました。挙手で答える場合は、もう少しだけ「はい!」の声を大きくしましょう。ワタクシが気がついたことを一点お伝えします。それは、集団面接のときに姿勢・声など形式的な側面の違いが結構わかるということです。体が揺れている方、声が小さい方、姿勢が悪い方など、比較対象となる同じ立場の受験生が、すぐ横に座っていらっしゃるので、「余計に気になるところがみえる」のです。これは個人面接にはない評価の観点です。

 個人解剖には、Nさんが挑戦されました。Nさんの面接の評価は、「尻上がりによくなっていく」というものでした。最初の緊張感が解け、終盤にはイイタイコトがよく表現でき、面接官役のワタクシの圧迫的質問事項にも、巧みに答えていらっしゃいました。みなさんから手渡しされたコメントをじっくり読まれて、反省点を生かし、さらにブラッシュアップしてくださいね。どのような質問があったのかについては、個人的なことも含まれますので、当然ながらここでは書きません。

 今回も、非常に勉強になりました。毎週参加者が変わり、それがまたフレッシュな感覚をもたらし、いつも本番のような感覚で挑めるのが、この手作りの勉強会の特色でしょう。みなさん、ありがとう。

(2006年6月11日)

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