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浩の教室・第80回勉強会の模様

 昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、まことにありがとうございました、遠く四国の地から駆けつけてくださった方もいらっしゃり、ありがたく思っております。また、今回、初参加の方もいらしゃいましたが、いかがでしたでしょうか。なかなか勉強がすすまないとすれば、こちらでお受けになった刺激をパワーに転換していただければと思っております。

 昨日は、いつものメニューどおり、大阪歴史文化問題報告、自己売り込みのツボ、集団討論、集団面接、個人面接をいたしました。大阪歴史文化問題報告担当のMさん、ありがとうございました。よくぞ調べていただきました。自己売り込みのツボ報告者Hさん、がんばりましたね。ほぼ完璧でした。みなさんからのコメントも、「GOOD」ばかりでしたね。骨組みはあれでよく、表現を少し手直しすれば満点です。分量の多さにもかかわらず、姿勢のよさと、ゆったりした、かつ、堂々とした語り口で、形式面でも評価が高いでしょう。自己売り込みでは、イイタイコトを適確に伝えきることができるか、表現力と情熱が評価されます。また、姿勢も大切です。ピシッとした姿勢は、気持ちがいいものです。

 つづいて、集団討論です。テーマは、「在日外国人の児童生徒の教育に関し、わたしたちは指導上どのような立場をとるべきでしょうか。議論してください」でした。討論参加者は7名、25分間です。A〜Gさんとして、発言を追ってみましょう。

 討論をはじめてくださいとのワタクシのうながしの後、元気よく「よろしくお願いします」とみなさんが大きな声で挨拶されました。気持ちのよいものです。つづけて少し沈黙があったのですけど、ご愛嬌。第一発言者には、ある種の責任がありますからね。でも、Gさんがなされたように、テーマの確認を最初にすることによって第一発言者の責を果たす発言の仕方は効果的です。

 Gさんは、まずテーマを確認、これをどのような立場から議論するか提案されます。@担任の立場から。A家庭・地域とどう協力するかという立場から。B学校としてどう取り組むかという立場から。の3点です。Gさんご自身の発言としましては、在日外国人の数が増えていること、国際化している現状において、彼らを歓迎して向かえるということ、彼らの文化を知る、学ぶ姿勢が私たちに求められているということでした。
 これに応え、Bさんが、在日外国人に対する「悪い見方をなくすこと」を述べられ、外国人に対する「一般的な誤解」の観念をなくすようすべきであるということ、それから、これは後半のトピックになるのですけれど、本名・通名(討論の後、みなさんで確認したのですが、「本名・通名」の読み方は、「ほんみょう・つうめい」に落ち着きました)問題を提起されました。

 このGさんとBさんのやりとりの中に、在日外国人の方に「きていただいている」という表現があり、この感覚の是非が、討論終了後、議論になりました。というのは、おそらくGさんの発言は国際化している日本の現状において、他国から多くの外国人が入国される「いまの現実」を念頭に置かれているからこそ、こうした「きていただく」という表現になったのだと思われます。それに対して、在日韓国朝鮮人の2世、3世の人たちは、歴史的に日本に在住しているわけでして、その人たちに「きていただいている」というのはちょっとちがうなという感覚があったからです。

 日本全国における外国人の数は昨今、200万人を越えました。ちなみに大阪府に定住している在日韓国朝鮮人の数は、だいたい20万人を切るくらいです。そのうちの約半分は市内在住で、生野区と東成区に集中して居住されています。昨年の大阪府1次試験に登場した在日外国人と公教育に関する正誤問題は、この民族と教育の関連性についてたずねる問題でしたね。府や市は、在日外国人の教育についての真摯な取り組みを新採の方に求めるため、こうした問題を出題したと考えます。それゆえ、討論でも聞いてみたいと思い、勉強会でこのテーマで議論していただきました。

 さて、Eさんが次に発言されました。Eさんは、在日外国人の人に、そのルーツを知り、誇りをもつよう指導すると述べられ、日本人と違った文化的歴史的背景を持つ存在として自己を確認し、かつ日本人児童生徒はその存在を認知することが大切であると述べられました。Dさんは、「2世、3世はもういて当たり前」であるといわれます。つまり、もう当然の存在として異質な目でみるのではなく、いて当たり前の存在それだけ普通に私たちと一緒に暮らし教育を受けている存在であるということです。だから、Dさんは、そこに議論の力点を置くよりも、一人ひとりの児童生徒という視角こそが、このテーマを話し合うポイントではないのか、と問題意識を鮮明にされました。

 Aさんは、自己のルーツに誇りを持たせるという教育的指導に賛成の立場にたっています。しかし、そのことを日本人と在日外国人の両者で構成される教室において実践できるかどうかが問題となるとされ、在日外国人を受け入れられる体制や雰囲気を醸成することが教員に求められていると指摘されました。Fさんは、地元姫路の在日外国人のことを語られました。Fさんは、「同じ人間」=人類ということを強調され、在日韓国朝鮮人の場合なら朝鮮半島の文化を知る活動を採り入れるべきであるといわれます。また、ご自身の経験として、フィリピン人、ハーフの人との「教育的格闘」をお話されました。ここで問題が、在日といった場合に狭く韓国籍、朝鮮籍の人びとに対する教育的関心だけではなく、広くアジアの人たちに対する教員としての指導をどのようにするべきかという問題が提出されたといえるでしょう。

 Gさんは『世界の人々』という著書を使用した小学校における授業の模様を紹介され、「世界にはいろんな人(人種)がいる」ということを理解させる指導をされたようです。ワールドカップにも触れられ、世界各国の人種や文化の違い、習慣の違いなど、相互理解を進めたいと抱負を語られました。それはBさんがいわれるように、国際社会に生きる私たちという自覚を児童生徒に養わせることに直結します。Aさんも、日本人として日本の文化を理解し、そして他の諸国の文化も理解する、それで共存していく必要性を説き、具体的に在日の人びととの交流や体験学習を提案されました。そうした点で、Eさんも学校と地域との交流は深めるべきで、世界的な状況を児童生徒が知ることにつながるとされました。身近なところでは、在日韓国朝鮮人児童生徒と日本人児童生徒との相互理解のため、在日韓国朝鮮人児童生徒の保護者との交流を進めたいとご意見、いわゆる「キムチ外交」を進めるなどして学校と地域との交流を展開し文化的な背景を理解させたいと述べられました。

 ここでCさんが問題提起的発言を討論参加者に投げかけられました。すなわち、在日韓国朝鮮人の人びとは、自分自身のアイデンティティをシリアスに考えている。たとえば、在日の人びとはそれぞれの祖国にあるいは認められていない存在としてアイデンティティの確立に悩みを持っているのかもしれないといわれます。つまり、在日の人びとの帰属意識の問題です。Cさんは、そこで、在日韓国朝鮮人のアイデンティティの問題を教育の場で思考するとき、在日という別の枠で捉える捉え方も成立するのではないかと指摘されました。この捉え方は、在日韓国朝鮮人の問題一般つまり在日に対する歴史的な差別の問題をどう解消するかにつながる重大な問題です。Dさんはこの問題とも関わり、チョゴリを切られた事件を紹介されつつ、保護者の相互理解をどのように進めるべきか、教員の立場からの苦悩を述べられました。つまるところAさんがいうように、「どんな立場の児童生徒にも、公平、公正に向き合っていくことが大切」です。担任として、人種問題的な差別を許さない毅然とした態度を貫徹することが重要ですね。

 そうした差別解消のためにも、Fさんがいわれるように地域において勉強会を開催するのも一つの提案でしょう。児童生徒の人権感覚は保護者の育児態度に左右されます。そして、在日に対する差別の問題を突破口に、同和問題、人権問題とリンクさせ、差別一般の問題解消を指導していくのが、教員の地域における役割といえるでしょう。Gさんは、府の「心いきいきプロジェクト」に触れられつつ、文化の相互理解、そのために音楽ならチャンゴの紹介、映画なら「パッチギ」の紹介と、具体的にお話されました。また、担任として、在日外国人の人びとに日本文化のよいところをも伝えるべきであることを付け加えられました。そのためにはEさんいわれるように、クラブや同好会の活用もいいと思われますし、Bさんいわれるように地域の協力の下、多様な人たちとともに「カレー」を作るのもいいでしょう。ちなみに「カレー」の作り方はアジア諸国であっても相当違いがあって、その違いを実際にみることのできる交流会は、それだけでも興味が持てます。

 Fさんは、ベトナム人が昨今増えてきており、どのように教育現場で対応すべきかを問題とされ、在日アジア人の枠組みで問題解決を図ろうと考えておられます。朝鮮舞踊でも南北で違いがある点にも触れられ、相互交流のポイントを指摘されました。Dさんの視点は一貫して「一人ひとりの個人を尊重する」という態度でして、社会的弱者である場合が多い定住外国人の問題をマクロな視点から問題視するべきであると問題提起されます。たとえば健康問題で苦しむフィリピン人のことを紹介されつつ、ギリギリのところで生計を立てている在日外国人の苦しさを代弁されていました。Gさんは、「一人ひとりの個人を尊重する」立場から、在日の人びとの心の中の大変大きな痛みを想像し、本名・通名のことに触れられました(以下、これを「本名通名問題」と表記します)。大日本帝国の犯した歴史的な罪として、創始改名があったわけで、先のアイデンティティの問題とこの本名通名問題は一体化しています。この問題はEさんご指摘のように、一人ひとりの在日韓国朝鮮人の人びとが心に刻んでいる課題です。この問題でクラスに亀裂がでてしまったり、友人関係が壊れてしまっては大変です。これはAさんが指摘されるとおりです。不登校にもつながる問題ですね。

 Bさんは、本名通名問題に関し、「いつかは本名を名乗って欲しい」とのご意見です。その「いつか」がいつなのか、それは一人ひとりの在日の人びとの心の中に、祖国に対する愛情とアイデンティティが確立するときでしょう。これは在日の人びとによっても温度差があるはずで、当事者の意識の問題です。Fさんは、ご自身の経験から、「日本人ではないとはっきりいう人と、隠す人」とがいるといわれ、ナイーブな人ほど差別を恐れ本名を隠す傾向があると指摘されます。それだけ、日本社会に根強い差別が存在することの裏返しです。ワタクシたちは「島国的根性」を反省しなければなりませんね。

 Cさんは「帰化」の問題に触れつつ、「在日としてアイデンティティを持って生きている」人びとに対し敬意を払うべきで、単に差別されるのがイヤで通名を名のっているワケではないことを指摘されました。Bさんがいわれるような苦悩や葛藤を背負いながら在日の人びとが生活してるのは事実ですが、Cさんの考え方も理解されるべきでしょう。デリケートな解決課題です。

 ここで25分間が終了しました。

 今回、テーマに「わたしたちは指導上どのような立場をとるべきでしょうか」とあったのですが、議論が多方面に波及しました。これはこれでいいのですけど、学校における取り組みとしてどのようなことができるのか、もう少し深められてもよかったのではないかと感じております。どちらかといえば、在日韓国朝鮮人問題一般を議論している風でありました。それから、最初にGさんが提起された3つの立場からの発言が、整理されてあったかというと、そうではなかったことが気になりました。

 このような在日外国人の教育的問題を議論するテーマが本番で課された場合、問題の性格上かなりナーバスな議論になることが予想されますけれども、学問的な見地から誠実な発言をすれば、大丈夫です。怖れず、縮こまらず、一歩踏み出した発言を期待しております。

 また、今回、議論が「文化」に集中していたところもテーマに対する広いアプローチでないと感じられた原因になっています。お互いの文化を知る必要があるという指摘、相互尊重しあえるための取り組みを紹介することなどが繰り返し発言されていたので、議論の前半がもたもたしていたと、傍聴者から指摘があり、ワタクシもそう感じておりましたことを追加記述しておきます。

 集団面接は、今回、7名の方に実践していただきました。集団面接は、右欄の「よく出るかもしれない教採面接質問集」からワタクシがピックアップした質問に、本番さながら答えていただくものです。ちょっと手垢がついてきた質問事項ではありますが、しっかりと答えていただいてよかったです。質問事項の再編成は、今後の課題といたします。みなさんがこの夏お受けになられる試験報告を待って、構成しなおしますね。みなさんへの質問も、みなさんの先輩が報告してくださったものです。こうして世代がつながっているわけです。

 個人面接では、Kさん、挑戦ありがとうございました!みなさんがおずおずとされている中、チャレンジ精神旺盛に、果敢に受けてくださいましたね。個人面接は、集団面接と違い、対象個人の「中身」をより深く知るため、こちらからの質問に答えられた内容に関してさらに突っ込んでお聞きする方法をとっています。ですから、当サイトでは個人面接のことを「個人解剖」と呼んでいます。今後も、圧迫面接、非圧迫面接などタイプを用意して実施しますので、みなさん奮って挑戦してください。

(2006年6月3日)

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