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浩の教室・第84回勉強会の模様

 第84回当サイト主催勉強会を本日開催いたしました。ご参加のみなさま、ありがとうございました。新しくご参加いただいた方もいらっしゃいましたが、いかがでしたでしょうか。今後もよろしくお願いいたします。

 本日は、大阪歴史文化問題報告をワタクシが担当させていただきました。つづいて、予想問題レジュメ(A4版全25枚・全国のマークシート式1次問題対応・解説ページが多いです)を解答解説いたしました。前半しか解説しておりませんので、次回、9日に後半部分をいたします。よろしくご持参ください。

 この予想問題、ご希望の方には郵送いたします。ご覧の方で、ほしいなと思われる方は、下のメールフォーム・「その他ご連絡」を選択してその旨ご連絡ください。折り返し、郵送対応に関しまして要領をお送りいたします。その際、アドレスを間違えて記入しますと届きませんので十分ご注意ください。

 さて、勉強会はこの後、集団討論をしようと思いましたが、さすがに1次直前ということで、集団面接を2回実施することになりました。このあたりは「融通無碍」に対応いたします。集団面接の内容は、個人情報を含んでいる関係上、サイトにはアップできません。今回は、1グループ20分を超える時間を使って実施いたしました。本番では、おそらく2、3回しか、答えるチャンスはめぐってこないでしょう。

 個人解剖は、Kさん、お疲れさまでした。なかなか面接はうまくいかないものですね、みなさんからのコメントを参照し、再度チャレンジしてください。Y先生からの厳しくも的を射たご指摘を肝に銘じ、がんばってください。でも、80点を付けてくださった方もいますし、ご心配なく。

 ここで、前回水曜会(6月28日)における集団討論の模様を追加します。

 テーマは、「板書とノート指導について留意すべき点はどのようなことでしょうか。議論してください」でした。このテーマに6名の方(A〜Fさんとします)が20分間、挑戦していただきました。さすがに講師の方や実習を終えた4年生で構成されている討論でしたので、そのご意見の豊富さにワタクシも大変勉強になりました。

 大学で3回ぐらい消して黒板を書き直しているワタクシとしましては、身をつまされるご意見もありました。板書はいつになっても難しいものです。ワタクシの大学における授業評価アンケートの結果をみても、一番指摘が多いのは板書関係でした。板書の字が薄い、字が汚い、みえないなど、毎年よくある指摘です。直そうとは思いつつも、物理的な問題は解消できない悩みでもあります。新しい黒板を投入してくれたら結構解消する問題もあるのですけどね。それはそれとして、さて、議論はどのように進行したでしょうか。

 まず、Eさんが口火を切りました。板書をするとき気を付けているのは、「インパクト」であると述べられました。どのような課題を扱っているのか、なんの単元なのかの明示、キーワードは色を変えて表示するなど、基本的な板書に関する注意点を挙げられました。次にFさんが、小学校を志望する立場から、中学年と高学年では授業理解度がかなり進むので、それに応じた板書の仕方を工夫するべきであるとご意見されつつも、高学年であっても、1時間の授業では1枚の黒板の分量に収めるのが基本、といわれました。つまり消さないですむ工夫をし、「一面のみ」で終わるということですね。なぜなら、その授業中、いつでも教えるべき内容を振り返ることができるように配慮するべきだからである、と理由も述べられました。発達段階に応じて板書も増えるのかと思いきや、6年でも「一枚」と一貫したご意見でした。

 Bさんも、できるだけ消さないというスタンスです。たとえ消す必要があっても、テーマは上に書いておいて、絶対に消さないようにするといわれました。基本的な指摘として、文字の大きさ、書くスピードに注意すると付け加えられました。Bさんによれば、6年生でも書くスピードは遅いので、注意しすぎることはないとのご意見です。Dさんは、ノートがとれないのは勉強のイメージができていないからではないかと参加者に問われつつ、うまくノートをとる方法を児童に自覚させたいと抱負を述べられ、かつ、ティームティーチングを生かして机間巡視のときに赤ペン指導もしていただくのはどうかと提案されました。Cさんは、「ここは是非ともわかってもらいたい」ということを強調してノートさせたい意向をお持ちであり、また「書く時間」と「聞く時間」の配分をどうするかということに注意したいといわれました。これは大事な視点で、書くことに気をとられて、その間に授業がどんどん進んでいくことは、間々ありますからね。

 Aさんは、Bさんに同意し、タイトルは消さないといわれました。Aさんは高校志望の方ですが、授業で一番大事なこと、大切なことは黒板の真ん中に書くように常に意識していると実践的なご意見を披露してくださいました。Fさんは、大切なこと、ねらいがはっきりわかるようなノートのとり方は是非とも指導したいと同意、強調されました。そして、ノートを集め、指導するのは、とても重要であるといわれ、ここから、板書の議論から、一端、ノート指導の議論に移りました。板書とノートは切って切り離せない関係にありますから、どうしても板書とノートとは議論が絡み合います。ところが、板書の仕方とノート論となると、ちょっと議論の色合いが変わってきますので、このあたりでテーマに対する複数のトピックを立てることができますね。

 さて、Bさんはノートを集め、回収しチェックするという教員の仕事において、基本事項ではありますが、少なくてもコメントを必ず書きたいといわれ、ノートチェックを通して児童の学習意欲の向上の問題に触れられました。Aさんはノートの使い方を指摘されます。キレイなノートを作る。これはいい。しかしキレイなノートを作ろうとするあまり、間違いを消してしまう。これはいけない。数学志望のAさんは、間違った記述を残し、それを再確認することが、自分の解法の問題点を自覚することにつながると考えておられます。Cさんは、Bさんのご意見と関連させつつ、授業中のノートチェックも重要であると付け加えられました。その場での指摘、ということですね。

 Dさんは、低学年のときにノートをうまくとる方法を会得させたいといわれます。ノートをとるのが苦手だと、のちのちの学習意欲の減退につながると考えられています。裏からいえば、ノートがうまくとれれば、勉強が好きになるきっかけとなるというわけです。Dさんは、こうしたノートのとり方とともに、視聴覚教材の積極的な活用を訴えられ、板書の枠を超えた話題提供をされました。

 Fさんはかなり実践的に答えられました。ノートはこう書くんだよ、と伝えるために、13行マスのノートが小学生の場合一般的だから、それに応じて黒板も13行で書くようにしているということです。ノートの現物に応じて板書計画を立てるというのは、小学校現場では一般的なのでしょうが、やはりこれにはワタクシ驚かされました。ワタクシなどは、そんなことを考えたことありません。小学生と大学生ではまったく違いますけれど、写すという行為には違いがありませんからね。そういえば、「書いたものに上からかぶせるように書く」=多重書き、というのでしょうか、ワタクシはちょくちょくするのですけど、これは義務教育、高校教育ではご法度なのでしょう。

 Aさんは、板書はすごく時間がかかると本音的な指摘をされ、プリント作成についてその効果を話されました。板書を中心に、プリントを併用し、なにを書き、なにを書かないか、そうしたことを考えれば、Eさんのいうインパクトにつながるのではないでしょうか。

 このAさんの指摘を挿み、Dさんは、ノート指導に話を戻され、個々に応じたコメント、ということを、Bさんの議論をふくらます形で述べられました。Eさんは、3、4クラスも担当すれば、実際はノート指導も大変であり、コメント記入も限界があるとし、ハンコの活用ということを指摘されました。いわゆる「よくできました(桜マーク)」といったハンコですね。この発言に応じ、Cさんは、ご自分の経験から、授業中発言すればハンコを捺してくれた先生のことを語られました。Eさんは、目の前でハンコを捺されると、勉強しているという実感も湧くでしょうとCさんに応答されました。このハンコ議論は、外発的な動機付けの議論ですね。ノート指導の点では、ハンコを捺すということは、ほめるということでして、Aさんは、この点、ハンコに限らずノート指導においては普段の授業と同じく、どこかほめることが意欲向上につながると指摘されました。また、生徒同士にノートの点検作業をさせ、間違っているところを指摘しあうのも協力的な関係を作り、学習が有効になるとご意見されました。

 BさんもAさんに同意し、たとえまちがっていても、「こんなのはどうかな」と助け舟を出して、よいところを評価する方向に持っていくといわれ、さらに、よいノートをクラス全体にみせ、「いいノート」についてクラス全体で考えさせるきっかけを作りたいと話されました。

 Aさんのご意見を受け、Dさんは、自己中心性が残る低学年では、一緒に考えていこうという姿勢を持たせることが必要であり、ノートを書くことがそうしたクラスの学びの一体感をもたらすのではないかと述べられました。

 ここでノート哲学の話がありました。なぜ、ノートをとるのか。なぜなら、「書くことに意義があるのだ」と。これはFさんが実習先の指導教官から賜った言葉だそうです。なんのためにノートをさせるのか、その答えは、人によって違うでしょう。Bさんがいうには、頭の中を整理するためにノートをとるという答えでした。Bさんは、概念地図、抽象化、という大事な概念を使いつつ、そして「アメリカのノート事情」を紹介しつつご意見されました。最後に、自分なりのノート作り、自分のスタイルということを述べられました。

 ここで議論が板書に戻ります。Cさんは、効果的な板書ということについて語られます。それは、導入展開終末という学習指導案に板書案も付加されますが、そうした教員側のノート研究というべきものをもっともっと進めていくべきではないか、という指摘です。Eさんはそうしたノート研究に関連し、学年会で検討したり、教科の先生方と議論したりするべきである、そうすれば広がりあるノート指導ができると応えられます。Bさんは、望ましい板書研究という立場からは、保護者の方から意見をもらうのもいいのではないかと発言されました。授業参観のときを生かして、板書について指摘をいただきたいと、極めて殊勝なご意見です。はい。家庭においてもノートの書き方の指導を頼みたいと付け加えられました。

 だいぶん討論時間がなくなってきまして、終盤では、Aさんが黒板はキレイにしておくこと、チョークのカラーは揃えておくことなど、基本的な視点を出され、Fさんは丁寧に書くということ、児童生徒が汚く書いていたら、そこは叱って書き直させるとはっきりいわれました。こうした力強いノート指導も大切ですね。最後にCさんが、保護者は、児童生徒のノートをみれば学習の理解、進度がわかる、保護者は児童生徒のノートにもっと目を向けて欲しいといわれて、20分間が終了しました。

 20分間において、参加者全員で28回の発言が重ねられたということは、一人平均42秒ということで、かなりのスピード感です。空白の時間がないというのも、「集団」討論として成功しているといえます。

 ところで、ずいぶん板書、ノートについて議論が登場しましたが、傍聴していた側にあっては、まだまだ不満(?)だったようで、新しい視点の提供がありました。それを箇条書き的に書きますと、黒板を書きながら話をするのはダメ、半身、日付け、ページ数の表記、キレイに消す、日直の役割について、書く位置、書く高さ、見やすい、などです。このほか、鉛筆の持ち方、書くことがもたらす充実感、授業中感じた疑問のメモ、宝物としてのノート、といったことが指摘されました。

 ワタクシからは、ノートとは何かといったノート論をもう少し聞きたかったと感想を述べさせていただきました。板書、ノートの技術論とともに、板書、ノートの哲学的な意味、本質論といいますか、そうしたところも聞きたく思いました。もっともこれは、Fさんが「なぜノートをとるのか、なぜなら書くことに意義があるから」と発言されたところにあらわれていますけれども、ノートは一人ひとりの児童生徒が豊かに発展させていくことのできる自由なキャンバスであり、教員のノート指導に枠付けされない自由があるものであるということ、そうした観点も欲しいと思っていました。

 書くことに意義があるというのは、学ぶ姿勢を付けさせるという意味で大切です。宿題を出して机に向かわせるのと同じ理屈ですね。

 ノートは楽しいものである、独創的なものである。そういう発想が、学びの楽しさを演出するものでもあると思っています。

(2006年7月2日)

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