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浩の教室・第89回勉強会の模様

 第89回の報告が延び延びになっておりましてスイマセン。第89回は、8月31日のことでした。当日は、集団討論と個人面接をいたしましたが、集団討論の模様をお伝えいたします。

 参加者は8名、25分間で討論していただきました。テーマは、「命の大切さをどのようにして児童生徒に伝えますか。それを具体的に議論してください」でした。仮にA〜Hさんとして再現しましょう。

 まず、Bさんが、テーマの確認をされつつ、漠然と命は大切であると説諭しても、伝わりにくいのではないかと疑問を提出し、命の発生=生まれたときのことを考え、生命の尊さをそこから理解させると述べられました。さらには、助産婦さんの仕事についても考えられるとされました。一方、命がなくなること=死についても、その悲しさをどう受けとめるかということも大切な観点であると触れられました。Cさんはこの意見を受け、学校における動物の飼育が、具体的に生と死を学べる教材になると提示されました。Aさんも同じ観点からですが、牛の出産について述べられました。生命が生まれいずる感動を児童生徒に感じてほしいとご意見されました。Gさんは、ご自身の出産経験を述べつつ、母子手帳をもらったときのことを語り、「大切な存在として生まれたんだ」ということを伝えたいと強調されました。

 Aさんは、社会か教員の立場から、祖父や祖母のことを調べてみよう、という授業を実践し、家系図を作成して命の連続性を考えさせたいそうです。自分の先祖がどういう人生を送ったのかを調べるのは生きた歴史を学ぶことになるとお考えです。このご意見に対し、Eさんは、出生について知ることは大切である反面、ナイーブな問題も含まれるので注意しなければならない旨、提示されました。たしかに、家庭の事情は複雑であり、祖父や祖母がいない家庭もあり、両親揃ってご健在でないケースもある。そうした点に対する配慮を付け加えられたのです。家系図作成にあたっては、それがもとでいじめられたり、変に気を使ったり、そうしたことがないように指導しなければならないとDさんもおっしゃいます。Aさんの提起された実践は、たしかにE、Dさんの指摘した問題点もありますね。このあたり、Aさんがご自身の発言をされるときに前提を作るといいと思われます。実際、この勉強会にご参加の中にも、お父さんを亡くされた方もいらっしゃるかもしれません。お母さんをなくされた方がいらっしゃるかもしれません。

 また、Dさんは、植物栽培についても話題にされ、植物であっても、育てるという行為から命というものを実感させることができると話題転換しようとされました。

 Fさんも、この話題を打ち切るかのように、ニワトリのお話をされました。学校における飼育体験です。そして、植物を育てる場合、水をやらないとどうなるかな、といった疑問を投げかけるなど考えさせるポイントを示されました。いずれにせよ、生物を育てる実体験が、命を大切にすることのキーになるようです。Hさんも、インコが死んだときのことを話され、命の大切さを実感したと述べられました。自分が担当することになる工業を学ぶ生徒に、命の大切さをいかに伝えていくべきか、講師としてもそうした経験がないので悩まれておられるようでした。

 一方、Eさんから、教科教育において命の大切さを伝える必要もあると話題転換がありました。そして、実生活において食事をすること、食べることは死を通して生かされているということを伝えたいの述べられます。これは食育をしようということですが、CさんがEさんのこの意見を受け容れつつ、「いただきます」の価値を考えることを指摘されました。また、Cさんは、食育の観点から、児童の現状認識を披露してくださり、パッケージされた肉を食べている児童生徒は、もともとその肉がどういうように加工され、われわれの目前にあり買えるのかわかっていないこともある、「ありがたみ」を知る必要があると強調されました。エピソードとして「鳥をさばく」事例を話されたのも、このタイミングでした。

 Fさんからは、世界には知らないことがイッパイあり、命の大切さ、生きていくことの大変さを児童生徒に気付かせたいと述べられました。人間が生きていく苦しみ、苦労、工夫、そうしたエッセンスを総合学習でやってみたいと抱負を語られ、またボランティア活動で高齢者と食事をすることが、「パッケージ肉」の印象を変えることにもなるとCさんのご意見に答えられました。Bさんも、給食の指導について話題とし、いきとし生ける生物の犠牲について語り、Gさんも命をいただいて生きている我々、との観点を出し、日々の生活の中でも「命をいただいている」と実感する働きかけが不可欠ではないかとされました。

 ここで、何の拍子であったのか、命の大切さを伝えることが性教育の話になりました。議論のトピックとして性教育のことが登場するのは当然でしょうから問題ありません。出産のこともご意見ありましたしね。性教育についてはBさんが、発達段階に応じ配慮しながら実践するべきというご意見を出されたのが、この話題を登場させたきっかけでしょう。このあとAさんが選ばれて生まれてきた私、ということを受精にからめて話され、Cさんも少しこのことに触れられました。Hさんは、さらに人工中絶のシーンを中学時代に学校でみせられた経験を話され、人間の手で命を奪い取ることに対して疑問を感じた旨を打ち明けられました。そして、こうした中絶のことを生々しく高校生に教えるべきかどうかということも悩まれながらも報告されました。

 Dさんは、性教育の話題に終止符を打ち、それぞれの種が持つ命の大切さについて議論を戻すべく苦しんでましたね。Gさんも性教育のテクニカルな話題が続いていると指摘され、学校では、男女のそれぞれの人格を互いに認め合うこと、ひいては人間と人間の関係を尊重することが性教育の根底にあるべきであるとまとめられ、この話題に固まりすぎる雰囲気をほぐそうとされていました。Dさんは、では現代の溢れる情報の中で、どのように人間と人間の相互尊重の関係を教えていくか、とみなさんに問題を投げかけられました。Bさんは、これに答え、殺人や強盗などニュースがある、この人間関係におけるトラブルをどうみるかということが、人間関係の相互尊重を自覚するためのひとつの方法であって、これをディベート方式で児童生徒に実践させるのがいいと思うと発言されました。Dさんは、このほか、道徳教育や総合学習を人間関係を学ぶ場となりうると可能性を示し、さらに家庭の役割についても触れられました。その際に大切なのが、Gさんがいわれるように言葉で感情をうまく伝えられることだと思います。すなわち、コミュニケーション能力は、命の大切さを考えるときも欠かすことができません。Eさんがいわれるようにわたしたち教員をめざすものが、一人ひとりの児童生徒を大切にする気持ちを持って。

 今回のテーマは、命の大切さをいかに伝えていくかでしたが、簡単なテーマのように思えて、逆に簡単過ぎてなのか、議論の積み上げ方が難しかったようです。命の大切さはわかっているよ、というようにワタクシたち自身が「わかりきっている」ので、それを「わかりきっていない」児童生徒に対する言葉掛けや態度がはっきりしないのだと思います。

 そんなん「当たり前」という前に、「当たり前」という感覚を持っていない、というより「当たり前」であると「学んでいない」、無自覚な児童生徒を指導対象とするワタクシたちは、どんな言葉を用意するべきなのか、真剣に考えないといけません。そんなことを反省させられた討論でした。

 討論後で出た指摘では、TVゲームで主人公が甦る「リセット」のことが話題になかったな、とありましたことを付け加えておきます。

 以上の集団討論の前後に、個人面接を実施しました。

(2006年8月31日)

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