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浩の教室・第86回勉強会の模様

 昨日は当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。新しい参加者を含め、20名を超える参加者を得ることができ、「自己売り込みのツボ」をHさんに実践していただき、そして集団討論を3テーマいたしました。

 ひとつめは、中高志望者のテーマである「教育課程の編成をする上で、私たち教員が工夫することに、どのようなことがあるでしょうか。議論してください」です。ふたつめは、小学校志望者の「児童虐待は避けねばなりません。われわれ学校関係者はどのように地域や関係団体と協力して取り組んでいくべきでしょうか」、最後に、これまた小学校志望者の「児童生徒の体力向上のために、どのような指導をするべきでしょうか。具体的に議論してください」でした。まず最初のテーマからみてまいりましょう。

 教育課程を編成する上でワタクシたちはどのように工夫を凝らすべきなのでしょうか。このテーマ、参加者にあっては難しかったようで、なかなか議論がまとまりませんでした。まずは、教育課程とは何か、という定義をしなければ、参加者がマチマチに意見を発表してしまうことになります。実際、残念ながら、そうなってしまったのです。教育課程は、各教科、道徳、特別活動、総合的な学習の時間によって構成されます。すなわち時間割の作成と考えてくださればよかったのですが、どうも共通理解を参加者同士でなすことができずに困ってしまったようです。参加者は6名、A〜Fさんとして再現してみましょう。

 最初にCさんが、教育課程を編成するにあたり、特色ある学校作りをするべきで、そのためには地域との連携をうまく図った学校運営にするべきであるとご意見が出ました。これはこれで立派な「工夫」の条件になります。Fさんは、特色ある学校作りのポイントはわかりやすい授業をすることにあるとされ、さらに、最近では発達障害児が多く認められるので、彼らのサポートを充実させるところに、「特色」を見出そうとされました。Aさんは、平成19年から特別支援教育の新体制が法的義務としてはじまるので、その整備を「特色」として認めつつ、ワタクシたちがどのように特別支援に関する共通理解を持つことができるか、それが大切であると述べられました。

 Bさんは、教育課程編成の工夫に、上の地域との協力体制、特別支援の2つがあると整理され、そのほか、学校を卒業してからも役に立つキャリア発達を考えるべきであると指摘されました。Dさんは、総合的な学習が、教育課程編成の中心になるといわれました。ここで、都合4つの柱が登場したことになります。

 Dさんの発言を受け、Cさんが同意し、総合学習の具体的内容を発表されます。その内容は、府民の森におけるフィールドワークです。理科的にまた社会科的に調べ学習をし、国語の力によってまとめたことをプレゼンテーションする力がつくもので、教科横断的な学びになると捉えられています。Dさんはこの総合学習がうまくいったかどうか質問され、それに対しCさんは総合学習はいいのだけれど、一般的な教科書内容を時間的にすべて消化できるかどうか難しいところであるといわれます。つまり、かぎられた授業時数において総合に時間をとりすぎると、教科教育がおろそかになる危険を指摘されたわけです。

 この点、Fさんが、授業時数確保のために、3年間の教育課程計画を立てるのが望ましいと対応されました。時数という観点から、Bさんも、教科横断的な総合は、横断的からこそ、総合のテーマによっては教科教育のある単元、ある領域に代替ししうると考えていらっしゃいます。

 Dさんは、総合の具体的な内容として、理科志望者にふさわしく、ロボット作りを挙げられました。Aさんは、「大阪学」と銘打って淀川の環境問題をその一領域として取り上げられています。Bさんが指摘されるように、「地域の勉強」と捉えられるでしょう。

 ここで議論が転回し、Fさんが、先ほどの教育課程に関する計画性について再び触れられ、小学校で勉強してきたことを踏まえる課程をいかに作るかというお話をされました。また、Bさんは、1、2年生で地理や歴史があり、その上に公民があるといった、教科の特性に応じたカリキュラムについてご意見を披露されました。このほか、Fさんは、授業と授業の間における教員の空き時間の工夫について、たとえテスト問題を作っておくなど積極的な活用方法に言及されました。Eさんは、教育課程編成について、ご自身のティームティーチングの経験を踏まえ、年間指導計画を作成しなければならないと述べられました。このほか、学校間の連携についてもAさんが提言され、中高、高大の継続的な学習についてご意見されました。Bさんは、小中の連携について、診断的評価をするべきで、中学校に入ってきた「子どもたち」がどれくらいの学力があるのか把握することから中学校生活がはじまると考えられているようでした。Cさんは、この点に関し少人数授業を教育課程の工夫として取り入れるべきとの考え方をお持ちでした。理科が苦手な生徒に密度濃く対応するためですね。

 いままで教科教育について議論が進行してきたけれども、豊かな人間性を高めていくのも学校の責任であるといわれたのがAさんでした。理科で扱う「自然」も豊かな人間性を育むためにあると指摘されました。カレー作りをしようというDさんのご意見も、ひいては豊かな人間性を育む実践といえます。

 こうした具体的な実践は、Cさんがいわれるように学級がまとまる契機になります。ここから学年のまとまりになり、さらには異学年交流を文化祭や運動会などの行事を通して深めていけば、学校全体の一体感の醸成につながります。教育課程編成が、究極のところ学校のあるべき在り方を示すものですから、ここで行事について触れられたのは議論の終盤での発言ではありましたがよかったと思います。行事といえば球技大会などがあり、これは校内の一体化をはかるものであり、部活動の練習試合などは対外的な折衝となって、これまたまとまりができあがる、こういわれたのがAさんでした。こうしたイロイロな取組を一過性のイベントで終わらせないようにするのが教員の努めであるとFさんが指摘されました。

 最後にBさんが、対外的な折衝など学校という区域を越えた取組の工夫をするからこそ、議論の最初に登場した「計画性」が大切であり、教科教育以外の工夫を凝らすことが、すなわち教育課程編成における工夫なのであるというニュアンスで語られて議論は終了しました。

 文面にすれば、流れるように討論が進行しているようですけれども、実は、意見の積み重ねがうまくいっていなかったり、討論の間に沈黙が多々発生したり、大変でしたね。しかし、なんとか教育の各領域に言及されてよかったです。ここに「道徳」についてどなたかがご意見を述べられれば、グッと引き締まったのではないかと思われます。

 ふたつめのテーマは「児童虐待は避けねばなりません。われわれ学校関係者はどのように地域や関係団体と協力して取り組んでいくべきでしょうか」でした。このテーマには、7名の小学校志望者がチャレンジしてくださいました。仮にA〜Gさんとして、議論を再現しますね。

 言葉を切り出したのは、Eさんでした。まずはテーマを確認し、テーマのたずねている問題を明確にすることからはじめられました。それは、地域や関係団体と学校とのつながり作りをどのように進めていくか、ということです。一見当たり前の確認手続きですけれど、なかなかこれができていない集団が多いのも現実です。この確認作業があるのとないのとでは、評価も変ってくると思われます。FさんがEさんの確認を受け、つながり作りをなぜするのか、経験談を交えつつ議論をつなげていかれました。すこやかネットでの取り組みがそれです。また、Fさんは、最近の痛ましい虐待事件に対するコメントも披露されました。

 Aさんは、大阪市において取り組まれているはぐくみネットについて少し触れられた後、家庭の方や地域の方が学校の先生に相談しようという雰囲気を形成することこそが、つながり作りではないのかと提起されました。Gさんは、家庭とのつながりは家庭との信頼作りを意味し、そのためには子どものことをよく知ることが先決であるとご意見されました。Cさんは、地域や関係団体との連携に関しては、ちょっとでも子どもに変ったことがあれば気軽に相談できるようにするべきであると述べられ、現在、児童虐待防止法が成立しているのであるから(そしてそれが改正されているのであるから)、虐待が疑われる場合も通告できるという認識をわれわれは持つべきであり、こうした法的な啓蒙活動を学校は担当するべきであると主張されました。

 実際、Gさんが経験されたように、母親が来ないことを心配している障害があり院内にいる子どもが、自分の母親が入院している事実を知らなかったというケースもあり、それだけ家庭との連携はできているようでできていないのかもしれません。だからこそ、Fさんがいわれるように、子どもの様子をしっかり把握し、忘れ物や遅刻の頻度などチェックするべきなのですね。

 Bさんは、虐待の事実があっても、それはなかなか表面化しないとのご意見をお持ちです。たしかにそうで、なかなか表に出ないからこそ、事件化したときに悲惨な状況が報道されるわけです。閉鎖的になってしまう家庭環境をどのようにしてオープンにするかが問われていると述べられました。そのための具体的な心配りを教員が行ない、サインを見抜く必要があるわけで、さきほどの忘れ物、遅刻の頻度チェックもそうしたサインというべきでしょう。個々の子どもをよくみる必要があるとCさんがいう根拠です。

 では、具体的に連携をとるにはどうすればいいのだろうかとEさんが提起されました。たとえば生徒の顔と名前が一致するように、地域の人たちに働きかけていくことも考えられるとされ、学校で文化教室などを開き、ここに地域の人々に参加してもらうことによって可能となるのではないかといわれました。このご意見は、地域の人に顔と名前を一致させるなんて、よく反芻して考えてみれば荒唐無稽なんですが、ここではそうした前向きな発言が違和感なく議論の中に吸収されていました。

 こうした取り組み例としては、Fさんの提起された総合学習におけるゲストティーチャーも、集団登下校時における地域の引率者も、そうであり、その活動を通じて顔と名前の一致も進んでいくことでしょう。Dさんの学級通信における広報活動もこうした作戦の一つとなりますね。そして、みんなで子どもを守っていきましょうというアピールにもなる。Cさんもこれを認めつつ、Bさんのご意見とも重なり合いながら、何でもいいあえる雰囲気つくりの重要性をことのほか強調されていました。心を開いてくれないから虐待が起こる。虐待児童のいる家庭の保護者の様子は、挨拶しても返事をくれない、完全に外部とシャットアウトの関係にある。こうした理解をCさんはお持ちで、まさにだからこそ、心を開く保護者対策が是非とも必要であるというスタンスでした。

 このスタンスはBさんも共有されており、虐待家庭の隠蔽体質を問題にされ、虐待する家庭の人は、行事をいろいろ開いてもなかなか参加されないケースが多いと指摘され、こうした心を開かない家庭をどのようにして学校世界に取り込んでいくかが課題であると述べられました。たとえば子育て講習会など、子育てのうえで同じ悩みを持つ家庭同士からなら、心を通わせやすいのではなかろうかとご意見されます。Gさんは、学校での子どものがんばりを家庭に報告することから、保護者の心も開かれていき、関係作りがいい方向に向かうのではないかと指摘されました。Cさんは、こうした子どもと保護者を密接化する方法として、連絡帳の活用を挙げられました。学校にいるときの子どもの様子を気にかけるのは、家庭の方にあっては普通だと思われるのですが、その普通が普通でないところに虐待が発生するのであるとワタクシは思います。Cさんは、保護者が連絡帳には目を通してくれないときも多く、注意を引き付けるために「載ってるよ」と一言添えて担当の子どもに渡す工夫をしているといわれ、保護者がみてくれたかどうか後で子どもに「どうやった?みてくれた?」と確認をとることによって、家庭環境における子どもの状態、ひいては虐待のあるなしの判断基準にもなると述べられました。

 Eさんは、ここで話題を転換し、さきに子どもの顔と名前の一致といったけれども、教員も地域に溶け込んで、教員の顔も知られるようにしなければならないと発言されました。そのためにはFさんのいわれるように、そのための校内体制作りをやっていかなくてはなりません。これはひいては「虐待があった⇒どうしよう」を解消するマニュアル作りに直接します。校区パトロールにおける腕章、登下校に同行する、こうしたAさんの提起された行動も、教員が「顔を売る」ことになります。単に「こんにちは」というだけでも、地域との連携を歩一歩進めるのは間違いのないところでしょう。

 Cさんは、Aさんの具体例に賛同しながら、普段から私たちが地域に溶け込んでいくよう意識し、かつ、関係団体と「万が一」のときの対応をはかっておくことが大切であると述べられました。そのためには基礎的な情報交換が必要なのはEさんのいわれる通りです。いつとはなしに児童相談所の方と情報交換することは大切でしょう。Fさんの、若いお母さんの子育て相談にのることも大切でしょう。Dさんは、何かあったときだけ対応するというのではいけない、常日頃からの関係作りに力を注ぐべきであると強調されました。Gさんは、教員同士の連携も、虐待問題を解消する上で基本の情報交換をしなければならないと付け加えられました。Bさんは、授業参観の後、懇談会が開かれるが、そこで社会に虐待があるということ、これを他人事ではなく自分自身の問題として積極的に話し合うのがいいのではないかと述べられました。 Dさんが、虐待が疑わしい場合、どう動くか、学級単位ではなく学校としてこれこれこういうふうに動いていくということを、懇談会の場において保護者に伝え、つよく協力をお願いするという姿勢をみせるのがよいと発言されます。

 Bさんは、ここで違う観点から議論を進めます。虐待を受けた子どもは、このさきどうなるのだろうか、ということです。この観点はなかなかでてきませんでした。新しい観点の提出ということでは評価できます。今後も虐待を受けた子どもは成長するし発達していく。そうした被虐待児童はどんな影響を受けながら人生を歩んでいくのだろうか、という問題です。残念ながらこのトピックは議論されないままでした。
 このあとFさんが、できるかぎり子どもに声掛けをすること、子どもが自分の内にこもってしまうことを避けるよう指導するということ、Gさんがそのためにも家庭訪問でお家の様子を理解することが肝要であると述べられ、議論が終了しました。

 児童虐待のニュースが、残念ながら新聞紙面を少なからず占めています。虐待の場面に身近にいるワタクシたち教員が、どのような問題意識を持ってこれに取り組むか、活発な議論をワタクシは求めていました。それを満たしてくれる討論でありました。

 みっつめのテーマです。「児童生徒の体力向上のために、どのような指導をするべきでしょうか。具体的に議論してください」でした。児童生徒の体力向上が、喫緊の課題であることはいうまでもないことですが、体力の捉え方自体も変ってきています。そのあたりの確認がされていた討論でした。具体的にはどうであったのか、A〜Gさんとして、みていきます。討論時間は20分です。

 まずBさんが業間休みにフォークダンスをするなど楽しんで体力向上に取り組むケースを挙げつつ、年間を通じて継続的に取り組めるものが体力向上には必要ではないかと話されました。Gさんがこのご意見を受け、児童生徒の体力といったとき、スポーツに必要な体力(以下、スポーツ的体力))と日々の生活を健康に送る体力(以下、健康体力)という2つの意味合いがあると提起され、この両者について話していきましょうと方向付けられました。参加者の承認があって、以降、進行にメリハリができたと思われます。Bさんの先ほどのご意見に、Fさんも同意され、Gさんの提起したスポーツ的体力形成の一環として休み時間の有効活用を問題にされました。具体的にそれは、Cさんの指摘をどう乗り越えるかにかかっています。すなわち、休み時間に児童生徒はドッジボールをしていたりお絵かきをしていたり、めいめいの児童生徒がしたいことをして「遊んでいる」。この状態を強制的にスポーツ的体力の向上が必要だからといって統制していいのかどうか。Cさんは、それゆえに、日によって外遊びの日を設けるなどしてできるだけ外に出させることを目標とすると述べられました。

 Gさんは、児童の主体的な決定を求めるのがよいのではないかとCさんのご意見を踏まえられ、児童生徒の側からなんらかの「外遊び」の提案があればいいと希望的な感想を述べられました。Eさんも、Cさんの議論に頷かれながら、たとえば冬の朝にいやいやスポーツ的体力向上のため走っていた児童生徒もいるといわれます。Aさんは、走る習慣はとてもよくて、ここにどのようにして楽しめる要素を入れるかが大切なのではないかといわれ、外発的な動機付けを具体的に紹介されました。それは、日本地図を教室に掲示し、大阪を起点に走った分だけ線を引くというものです。これだと、きょうで岐阜までいったことになるとか、東京にいったことになるとか、たしかに目標が視覚化されますね。DさんもこのAさんのご意見に感心されていました。このように目で成果を確認できるのは児童生徒にとっては励みになるものであって、Fさんの実践されているフラフープや一輪車でも取り入れておられるようです。Cさんは、楽しみながら目標を持ってやること、低学年と高学年が交流しつつスポーツ的体力向上に取り組むことが肝要であるとまとめられました。

 ここでGさんが、児童生徒に体力向上に関する関心が内面的に高まり、意欲が増すことを期待するとおっしゃられ、次の健康体力について議論しましょうと話題転換を誘われました。Eさんがこの方向付けを受け、具体的に健康体力を列挙されました。それはすなわち、風邪を引かない、夜更かししない、しっかりごはんを食べる、です。そこから手洗い、うがいの励行、基本的生活習慣の「習慣化」が結果されます。そのためにはFさんのいわれるように保護者との協力関係なしには実行できません。Bさんも「早寝早起き朝ごはん」という例の標語をだされ、そして日頃から家庭で遊ぶ時間をとることも大切であると指摘されました。すなわちゆとりの時間を持つということです。

 Cさんは、小学校2年生の指導補助経験から、すっとテレビゲームをしている子どもが多い現実を報告し、Bさんのいうゆとりがテレビで消費されては心許ないと指摘されました。だから、「ノーテレビデー」を設けるのも一考とおもしろいご意見でした。また、Aさんは、なぜ遊ぶことが大切なのか、ということを児童生徒に体力面において自覚させることが必要ではないかとご意見されました。Dさんは、この自覚の問題とも関わり、児童生徒の生活習慣の基盤が崩れてきていることを指摘され、学級経営をしていく中で、「早寝早起き朝ごはん」を効果的に呼びかけることが必須であると述べられました。この呼びかけももちろん大切で、その上でBさんは生活ノートの作成と活用を訴えられました。○○ができたら何点というように、視覚で成果がわかるようになるという点では、先ほどの外発的動機付けと同じ効果を持っているといえます。

 健康体力の問題では、Fさんのいう偏食の解消も焦点でしょう。Fさんは給食でシシャモがでたことをおもしろく語ってくださいましたね。給食の話題が出たところで、Dさんは食育について触れられ、いただきますとごちそうさまもしっかりいわせる指導をしたいと抱負を語られました。Aさんは、この話題に関連し、栄養教諭との校内協力を指摘され、保護者にも栄養についてなにがしかのことを気付かせる契機になると発言されました。具体的にはCさんのいわれるようにレシピを書いて渡すことも計画できるかもしれません。出来合いのものやカップラーメンからの脱出が求められます。親子での手作りの食事は、健康体力の増進に役立つばかりでなく、作る楽しみをも提供することでしょう。私たち教員が健康でなければならないのはBさんの指摘でした。この発言からは、たとえば教員の結核などの事件が思い起こされます。学級通信における健康体力向上の啓蒙活動(Fさん)、懇談会での啓蒙活動(Bさん)をするべきでしょう。

 Eさんは、病は気からというから、声が出ているかどうかも、児童生徒の健康体力のバロメーターになると考えておられます。アイサツ−アかるく、イつでも、サきに、ツねに、アイサツしましょうとはFさんの提言でした。声だけではなく、Cさんのご指摘のように、毎朝の健康状態チェックも欠かせませんね。担任としての仕事といえるでしょう。

 ここでタイムアップ。20分間途切れることのない魅力的な討論となりました。多様な角度から意見がイッパイ登場し、幅のある討論と評価できます。討論参加者が、いろんなものを提供しようという気持ちが深まれば深まるほど、空白の時間がなくなるものです。今回のテーマも、簡単なテーマではありますが、しかし、議論を続けようとすると、もう「引き出しなし」といった状態になるかもしれないテーマでした。そんなテーマでありながら、枠組みと内容がしっかりしていたので合格点が与えられるものと感じております。

(2006年8月5日)

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