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浩の教室・第143回・勉強会の模様

 合格報告返信と勉強会受付作業に頭痛がスパイスされ、変更できない週末でした。すんません。そんななか、当サイト主宰勉強会メンバーが、どういう風に勉強し合格を勝ち取ったのか、また、勉強会の特徴というか、雰囲気というか、そうしたことを綴ってくださったので、いただいたものを順次アップしている。是非、読んでいただきたい。

 週末の土曜日は、第143回勉強会を開催しました。昨年合格されたN先生が来てくださいました。誠にありがとうございました。レジュメまで用意いただき恐縮です。来期をめざす方に、一般教養の攻略法、特に数学について具体的な参考書を挙げていただきました。さっそく購入された方もいらっしゃるようですね。

 N先生の報告は、それだけでなく、非常にユーモラスに2次面接についてお話いただきました。昨年の今頃を思い出します。なんといっても、N先生ならぬ「Nさん」のときに、いったい何回くらいエントリーシートを添削しなおしたことか…あっはっは。でも、ほんと、よくがんばられ、立派に合格され、こうして勉強会の後輩たちのために忙しい時間を割いてくださって、本当にありがとうございます。

 つづいて、「議論のたたき台としての教育学講義」をいたしました。一方的にこちらから講義をするのではなく、話をしては質問し、質問の中からトピックを見出し、それについてどんなふうに多様な立場の参加者が捉えていらっしゃるのかを突きつけあうスタイルで進行しています。今回は、評価の問題をとっかかりに、学歴社会について、深めていきました。

 次に、過去問の解答解説です。今回は、心理学の諸問題でした。ピグマリオン効果が登場した、大阪府の問題です。ただ、これだけでは面白くないので、練習問題といいますか、心理学の問題であればおおよそ登場する概念についての簡単な問題を添付しました。これと、『スコープ』とをあわせて、1次試験対策としてください。

 ワタクシは、矛盾したことをいうのですけど、大阪府、市などを受験する場合、教職教養はあんまりしなくてもいいと思っています。教職教養に深く入り込みすぎて、一般教養をなおざり学習にしてしまうと絶対だめだと思っています。ちょっといい過ぎの感がありますが、少しいい直せば、「討論、面接などの土台となる教職教養」を勉強するべきなのです。

 さて、最後に集団討論です。今回のテーマは、「教師の職業の楽しさとむずかしさとは何でしょうか。フランクに話し合ってください」というものでした。これは、今年、大阪府のある教科で出された試験問題です。簡単なようで、議論の噛み合わせ方に苦労するテーマといえるでしょう。どのように議論されていったのでしょうか。

 まず、Aさんがテーマを読み上げ、テーマの2つの質問に解答を与える発言をされました。楽しいのは児童生徒と触れ合う時間、児童生徒の意外な一面をみたときなどが楽しいようです。むつかしいのは、何気ない一言を発して、それが児童生徒を傷付けてしまうときと述べられました。いずれにせよ、生徒指導関係の場面における楽しさとむつかしさです。Fさんは、Aさんのいわれた「何気ない一言」に関連し、保護者から電話があったということを実体験として語られ、反省する発言をされました。Bさんは、まず、楽しさとむつかしさは表裏一体であると喝破され、生徒指導の諸問題においては何年か後に、大変だった関係性も昇華し、児童生徒の理解を得られるものであるとお考えです。

 Dさんは、高校数学をめざす立場から、数学の授業をいかにして理解させるかというところに、むつかしさがあると語られ、授業準備に工夫を凝らしても、どうしてもわかってくれないときにどうすればいいか、悩んでいると吐露されました。

 Cさんは、Aさんの議論を引き継ぎ、「何気ない一言が元気づけることもある」といわれ、Eさんも何気ない一言が児童生徒とのなんらかの約束だったときは問題が複雑になると述べられました。Eさんはこれに付け加えて、児童生徒の成長をみつめることができるのが、教師の職業における楽しみであると感じておられます。Eさんのこのご意見にAさんが同意する旨の発言をはさみ、次にBさんから話題を転換する発言がありました。

 Bさんは、教師は、すべてのことに万能でなければならないと述べられ、教師には、身体全体で指導を貫徹することが期待されるとまとめられました。すなわち、「親父の背中を見て育つ」の教員版です。そしてそれが楽しさというわけです。

 次にFさんは、授業の得意、不得意が児童生徒一人ひとりあることから、個性の発見、児童生徒の意外さ発見ということを語られました。一輪車は得意だがボール遊びが苦手であったり、その逆であったり、ということです。

 Cさんは、いわゆるモンスターペアレントについて言及し、保護者対応のむつかしさを挙げられ、かつ、それが連携によって解消されたとき、喜び=楽しさに変わるのではないかと提言されました。これに関連し、現在学校ボランティアに従事しているEさんは、ある児童とうまくいっていないとき、その保護者の方と連携することによって、指導がうまくいったケースを話されました。

 このとき大切なのは、Dさんがいわれるように言葉です。人と人とのつながりにおいて、どんなふうな言葉使いをするか、ひいてはどのような生活態度かということが、関係構築の決定を促進することもあります。ただ教員も聖人君子ではないので、むつかしいところだということです。

 Aさんは、生徒対応は十人十色、すごくむつかしいものであるとし、現実に鍵っ子もいれば経済的に裕福な児童生徒もいるので、教師は多様な応答方策を用意しておかなければならないといわれます。ここにむつかしさを感じておられます。それは、3者のホウレンソウががっちりするとうまくいくというのがBさんの見解でした。保護者との連携は先にも議論されましたが、手品のうまい人、家庭菜園の上手な人、そのほか多様な保護者の得意を知り、活用できるとさらにいいとFさんは付け加えられました。そうした意味では、アンテナを張るのはむつかしいというわけですね。この点、Aさんは、保護者相談会を開催した後、児童生徒がイキイキとしだしたことをつたえてくださいました。

 これまでの議論を聞いて、Cさんは、実感込めて「表裏一体」は本当だ、むつかしさを楽しさに転換し乗り越えていけるよう努力したいと抱負を語られました。

 Dさんは、授業の問題に立ち返り、授業準備において遊び心も必要であるとし、学ぶことの楽しさを授業で伝えることが大切であり、それがまた教師の職業としてのむつかしさになっていると述べられます。そこには、授業実践の工夫とその工夫にのめり込むご自分を想定されているからです。Eさんも、授業におけるユーモアは是非とも必要で、教師にゆとりがあってはじめて楽しさを感じられるのではないかと提起されました。Bさんは、人を磨くのは人との立場から、自尊感情を児童生徒の内面に培うことが教師の使命であって、そこにむつかしさがあるといわれ、わたしたちは磨き役としての能力を身に付けなくてはならないと提言されました。ゆとりということでは、Cさんが休日と出勤とメリハリある生活を送ることも教師にはむつかしいかもしれないと付け加えられました。

 Aさんは、授業でむつかしさを乗り越え楽しむということについて、ギター指導がうまくいって演奏会が成功したとき、本当に楽しさを実感できたと現場感覚を伝えられ、Cさんもこれに同意し、Dさんが、これをまとめて、授業であれ特別活動であれ、楽しみを児童生徒と共有でき、分かちあえたとき、それが教師の職業的喜びになると述べられました。Fさんは大縄とびの具体的実践をこうした発言に重ねられ、具体的イメージを与えてくださいました。

 最後に、Aさんから、児童生徒がいやなことをさせられたとき、わたしたちはどうすべきかとの問いを提出されたのですが、ここで時間がまいりまして終了です。

 今回の討論は、最初に「噛み合わせ」といったように、楽しさとむつかしさのあらわれる場がどこにあるのか、それを一つひとつ俎上にのせて議論していくべきではなかったかと思います。ここでは、生徒指導関係と授業実践において「楽しさとむつかしさ」が交互に議論されていたので、このあたりを整理しつつ発言がつながるとすれば、もっとよかったのではないでしょうか。どうやらそれは、討論参加者の校種・教科によって意識のされ方が違うことから発生するものでした。教師の職業としての楽しさとむつかしさは、生徒指導と授業実践が両輪的になされ、片方からもう一方に精神的な橋渡しをどうするかというところにありそうです。いいかえれば、学習指導と生徒指導の融合こそが、教師の一番困難な仕事ではないでしょうか。

(2007年10月27日)

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