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浩の教室・第146回・勉強会の模様

 昨日は第146回勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。現職のG先生のご参加も得ることができました。ありがとうございました。また、今期合格されたNさんにも参加いただきました。

 昨日は、まずワタクシの方から講義をいたしました。そこでは、先週のおさらいである教育課程編成についてや「教育する意味」について深める議論がありました。どのような教育観をもって児童生徒と対面していくべきかは、教員になってから一番問われるものでしょう。それについての私観を述べました。その際、「水のようなもの」という表現で児童生徒を指導していくとのご意見もありまして、考えさせられました。「水」と表現される教員の教育姿勢は、学習における教育方法、児童生徒との信頼関係形成について、自分なりの核を育んでいくことの求めに応じた発言であったと思われます。このあと実存的課題について議論しました。

 次に、大阪府の過去問の検討でした。今回は、特別支援教育についての問題でした。特別支援教育に関する重要答申について、選択肢に関わるかぎりで説明をいたしました。選択肢はそれぞれの教育術語の定義になっているものもあります。それらはそのまま記憶してくださいね。また、表示したキーワードは是非面接でも生かせるようにその使い方をマスターしてください。来年も特別支援については必ず出ます。「新しい障害」についての理解も必須です。がんばってください。

 では、第146回開催時の集団討論の模様を再現いたします。今回は6名の方に20分間チャレンジしていただきました。テーマは、「髪を染めている生徒がいたので注意したところ、後から保護者が『誰にも迷惑をかけてないから良いじゃない』と言ってきました。あなた方は教員としてどう対応しますか」でした。ステレオタイプになりがちなこうしたテーマに、どのように新鮮な風を吹き込めるか、それが腕のみせどころといっていいでしょう。あまりにもテーマに近視眼的に接近すると、話題が簡単に尽きてしまうからです。

 まず、Bさんが口火を切りました。いつものようにテーマを確認されつつ、「誰にも迷惑をかけていない」というところにポイントをあて、それでは校則を破っていいのかとテーマの本質に接近します。学校に校則がありそれを児童生徒が守らなければならないのは、児童生徒に規範意識を育みたいという学校の願いがあるからであるとBさんは説かれます。規範意識の形成というように大きな問題意識に結びつける出発点をBさんは用意されたといえるでしょう。Cさんもこれに同意されますが、髪の毛の色にヨリ注目し、色が違うと見た目が違うのであらぬ問題を惹起する可能性があるというニュアンスの内容を話されました。そして、こうした保護者には、電話対応ではなく実際あって話をする、しかも管理職の先生とともにあうことも大切であると述べられました。Cさんは、個性尊重の姿勢と集団生活における規範の問題にも言及されました。ところで管理職の同道を求めるのは、いいのか悪いのか。これは微妙な問題です。なぜなら、先生やっているのであるから独力で問題解決できなくてどうするとの考え方もあるからです。「いつでも管理職といっしょ」では、困ります。職員会議で話題になる昨今のモンスターペアレント対策ですけれども、そこでの教員間の基本ルールの確認と共有があります。それを踏まえての対応というように説明されるとよいのではないでしょうか。

 つづけてFさんは、他者に迷惑をかけていないというのがこの保護者の主張であるとし、しかし、たとえば路上喫煙など誰にも迷惑をかけていないようでありながらどこかで悪影響を与えている例を挙げ、この考え方が間違いであると指摘されます。学校の雰囲気作りのためにも、髪の毛の色は統一感ある方がよいとのお考えで、黒いスプレーですぐに対応してもらいたい旨のことを述べられました。ただ、あとでも話題になりましたが、カツラは…

 カツラ発言につづき、Aさんは、こうしたクレームに対しては、直接毅然とした対応が求められると述べられます。また、髪の毛を染めると第1印象が悪くなるということも指摘、本人はいい子でも、「非行に走るのではないか」と疑われてしまうかもしれないので損をすることになるといわれました。Dさんもこれに同意し、他の児童生徒にも迷惑をかけることになるかもしれないと付け加えられます。というのは、Dさんによれば、ひとり髪の毛の色の違う児童生徒がいれば、学校全体が色眼鏡でみられるかもしれない恐れがあるということです。個人の自由と全体の規律と、ここでもこの両者のぶつかり合いに悩まれている討論参加者の姿があります。根本的に、表現の自由とか、自己決定権とか、憲法的価値判断に学校におけるさまざまな出来事がさらされることがあります。実際に争われたことは多々あります。

 外見で判断してしまう人間がいるかぎり、「損をする」ことを事前に回避する指導をすることが学校で正しいのかどうか。これを考えることが大切でしょう。Eさんの問題意識もDさんと同様で、保護者の言葉には「これ(髪を染める)は(個人の)自由だ」が省略されていると捉えられています。学校という集団生活の場で、ぶつかり合いは多いです。そこできまりやルール遵守を教えることは大切ですね。Eさんは、さらに、家庭教育において、こうした「自由」が教えられているのであろうと推測され、長期にわたって家庭との関係を良好にし、指導が行き届くようにしたいと抱負を述べられました。

 Bさんは、規律、きまりを守るとの観点のほか、髪を染めることの物理的な問題性について触れられます。頭皮の健康被害の問題です。高校生では別ですが、たしかに4、5歳児では髪を染めることによって悪影響があるでしょう。Cさんは、髪を染めることも、ピアスなども同じ感覚に根差す態度であると捉えられます。そして、Dさんもいわれていましたが、保護者と児童生徒との関係に注意することを重要項目とされます。長い髪の毛を切ったり、髪の毛を染めたりするのは、なんらかの精神的な変化を具体的に表現した結果であると指摘され、こうした心の動きに敏感であるのが教員の姿勢であるとCさんはいいたいわけです。そうだとすれば、Aさんがいわれるように、日々の観察が不可欠で、児童生徒との常日頃からの信頼関係形成が、こうした問題が発生した際の対処の違いにあらわれます。Fさんは、Cさんの議論に立ち返り、児童生徒の心の中の問題に言及されます。なんらかの悩み、なんらかの苦しみを抱えている児童生徒を前にして、どう対応すればいいのか、生徒指導の前提となる生徒理解の問題です。また、「自由」ということについて、迷惑をかけていなくても、どこかで自分に返ってくるということを力説されていました。学校全体が乱れていくことに対する危惧をもFさんは示されました。その対処療法としてビデオをみせて啓発するとのご意見もだされました。Eさんは、先の児童生徒の心境の変化について、どういう意味で変化しているのかを理解することが、保護者、児童生徒を交えてじっくり話をするきっかけになると指摘されます。これは、保護者と児童生徒が話をする契機でもあります。

 ここでCさんは、「ひとつの行為を許してしまうと歯止めがきかなくなる」といわれました。校則外のズボン、スカート、ワタクシたち自身の過去を振り返っても、イロイロそうしたものがありました。学ランの裏にトラを刺繍していたり、昇竜の刺繍があったりします。集団の規範意識の問題に、Cさんはかなり問題意識を持っておられます。あるいは非行につながるかもしれない行為を、Bさんは、学校、児童生徒の本分は学習、とスパッと一刀両断。学業不振からこうした態度にでるのかもしれないと発展させました。ただ、テーマは保護者が「自由」といってきているのであることを踏まえなければなりません。Dさんも「心のサイン」として児童生徒の物理的変化を捉えられまして、ひょっとすれば「ちょっとしてみたかったんだ」といった安易な「あこがれ」から髪を染める行為にでたのかもしれないと述べられました。ストレスや欲求不満、児童生徒が発するサインは、保護者にとっても困るものかもしれません。このようにDさんは指摘されます。

 議論の流れは、読んでいただくとわかるでしょうが、テーマに即してテーマを超えていく方向に進んでいます。テーマの本質は、保護者対応です。それが主旋律でしょう。テーマを超えるというのは、児童生徒の内面変化について議論することです。ただし、これは、議論するに値することです。教員をめざす立場からは当然こうした議論がなされるはずです。ワタクシたちの教育対象なのですから。この、保護者対応と児童生徒対応と、20分間においてどう比率を定めるか。あまりに児童生徒の抱える問題に時間を割きすぎると本質的な議論になりません。これは落とし穴ですね。

 さて、Aさんは、また違った視点を用意されます。児童生徒が先生のことを好きなら、校則違反をするような態度をとらなくなるというものです。このご意見はユニークなご意見ですね。発言の趣旨はよくわかります。こうなってくると、好かれる好かれないで、学校ではなく、教員個々人の在り方に指導が分散することにもなる。これは残念ながら組織体である学校としては受け容れられない考え方になるのではないでしょうか。また、児童生徒の立場に立ち過ぎると、問題が発生するケースも想定されます。教員の立ち位置の問題になってくる。多様、多彩な人材が集まって形成されるべき組織が学校でしょう。ただしかし、教員の個性にすべてを還元し指導・対応することは、諸刃の剣ともいえます。このあたり、現実的にどう動いていくのかは、ギリギリの場面では、管理職判断となります。それに批判的見解を持ってしまうと、厳しい立場に自分自身をおくことにもなりましょう。組織にいながら組織を批判すること、ワタクシも組織に属しつつ組織にけんかを売る性分を持っていますが、協調性という点では失格です。まして、協調性が問われる集団討論において、どういう意味で面接官にとらえられるか、そうした点も考えましょう。

 このあと、Fさんから、対児童生徒において頭ごなしに「校則ですから」ではすまないときもあるとのご意見がありました。また、卒業式において借制服コーナーを用意する事例を挙げられ、簡単にお話を続けられました。Bさんからは、家庭環境は様々であって、保護者をほめることによって子育てに自身を持たせる必要もあるとし、Aさんからは保護者をほめるには保護者とかかわる時間を多く持つ必要があるとの発言があって、家庭訪問の話になりました。

 これで20分間が終了です。テーマの解剖を試み、何が本質なのかを捉えつつ、どんなトピックを用意するか、今回の具体的なテーマでは、逆に抽象化していく作業が必要であると思われます。討論後の議論では、討論傍聴者から、「学校では必要のないことはしない」との観点から、髪を染めるのは「不必要」とのご意見もでましたし、学校は社会生活の基礎を学ぶところであるとの立場から、TPO的にいっても染めるのはあかんのではないかとの指摘もありました。染めるのはダメとの「暗黙の了解」は、学校、家庭、地域社会からなくなってしまったのか、といったご意見も挙がりました。いずれも貴重なご意見といえるでしょう。

 また、来週ですね。がんばりましょう。

 さて、昨日は、今期合格者を祝い、来年挑戦する方にエールを送る会合、「祝挑会」を開催しました。現職の7人の先生方はじめ、みなさま、お忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。40人を超える盛大な会合となりました。お礼申し上げます。この会合を契機に新しい出会いもありました。今後もよろしくお願いします。

 花束、ありがとうございます。「花の似合う男」は1万人に1人といわれます。その1人になれるワケはないですが、不器用でも花束を抱ける幸せを感じることができました。ありがとう。

 これから冬、ほしかった本を買って小脇に挟み、新しいネクタイをこれまた新しいネクタイピンでとめ、紫を少し含んだ帽子をかぶり、ストライプのマフラーをして街にでかけます。

 追記:「大変とは、大きく変わると書きまして…」、祝挑会のお写真お持ちの方、添付メールいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

 追々記:「忙しいとは、心を亡くすと書きまして…」、みなさま、お風邪など召されませんように。

(2007年11月17日)

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