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浩の教室・第144回・勉強会の模様

 昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。

 新しい参加者の方もいらっしゃったので、この勉強会のことについて簡単に説明し、その後、下に紹介しましたプログラムを実施しました。そこで講義は、ほんとイロイロなことを織り交ぜながらやりまして、教育の可能性と理性・計画性から西洋教育史まで「脱線」し、1時間近くお話し、かつ、ご意見いただきました。

 次に、『世界人権宣言』の大阪府過去問を通して、人権にかかわる内政干渉のことを中国とチベットの関係性やインドの状況にも言及しお話しました。また、女性差別撤廃条約に関連し、シャドーワークのことまで話題となりました。女性の家事労働の価値を対価すれば、どれくらいの金額になるのかがシャドーワークについて考えることですね。

 最後に集団討論です。討論は、参加者主体で「楽しめる」ように、勉強会では必ず実施するようにしています。いまのところ、参加者を代表して6〜7名の方が挑戦してくださっています。オブザーブすることにも、大きな意義があります。討論参加者のどの発言が印象に残るのか、そうしたことを受け取りながら、しかも、どんな視点で議論したらいいのかがわかると思われます。そうした「面接官の立場」を経験しつつ、次はご自分が参加してやってみる。その繰り返しが、討論を克服すると、ワタクシは考えています。

 結局、教採の勉強は、参考書や問題集をやることではないんじゃないかとワタクシなどは強く思うのです。そこから学んだことを集約化し、自己の情熱に転換する作業が必要ということです。教員は、教科書なり、参考書なりをそのまま読んで児童生徒に伝える存在ではなく、教科書「で」教える存在ですから、討論や面接において、「参考書・問題集」で勉強してきたことを自分なりに煮詰めて創造しつつ表現できるようになることが大切といえるでしょう。

 今回の勉強会では、「自己売り込みのツボ」のペーパーを配布しました。これを今後作成していきましょう。

 さて、どうすれば集団討論がうまくなるのか。それは、究極的には、実践のほかありません。場数です。練習しないとなんでもうまくまいりません。聞いて、やって、聞いて、やって、この繰り返しです。今回、討論に関する大きな質問が講師の方、大学生の方から出ましたけれども、それは、議論のフレームワークをどうするかという問題に帰着します。それについても行論中に解説します。

 今回のテーマは、「生徒に育くませたい力とその方策について、議論してください」でした。これを面接官から与えられたとき、まず考えるのは、なにをいおうか、でしょう。これは初心者といえます。次に、どういう枠組で議論すればいいか、でしょう。これは中級者です。さらに、他者がどんな意見を出すのか予想しつつ、自分の意見をすり合わせ、議論の流れを崩さないでおこう、これは中級の上です。

 全体を鳥瞰し、議論の枠組を作る一方で、テーマから方向がずれはじめたら修正し、自分の意見を印象に残るように述べ、出すぎず、いい意味で目立ち、協調性あるようみせつける、いおうとしていた意見がすでに出ても、それに動じずに、用意している第2、第3の意見を瞬時にいえて、討論の時間帯のどこで発言するかあらかじめ計画し、あまり発言していない方を見出してその配慮もする、しかも視線を発言者に向けることも忘れず、空白の時間を打ち破る効果的な発言をする準備もしておく、一言でいえば、集団討論を支配できる方、これが上級者でしょうか。

 そんな人いるの?浩曰く、「います」。

 まあ、そうした上級者になるには、修行を積まなければなれないのはいうまでもなく、いままで勉強会に参加された方の中でも十数人ではないかな。とにかく場数を踏んで修行するほかない。

 ちなみに、1次の合格だけなら、なんとでもなる。かなりの部分は個人に還元する問題だからです。当サイトでは、1次合格など、問題にしていません。これは、「通過」にすぎない。折り返し地点でよろこんでいるマラソンランナーに興味はないのです。

 大阪府では最近1200、1300人くらい合格者がいるが、毎年その内の50人くらいは当サイト勉強会の卒業生である。毎年、手塩にかけて指導してきたのである。だから、この3年で、ワタクシの目からみて「いい先生になる」と思われる受験生を大阪府に150人は送り込んだ。この数を誇っていいかどうかわからないが、予備校のように大量の人間が受けているわけではないので、良しとせざるを得ない。予備校が1次合格者を誇るのは、馬鹿馬鹿しくってみてられない。

 当サイトでは、100パー合格でないと誇ることはできない。今年も最終合格は50人を越える。ただ、勉強会には80人くらい参加されているので、率が悪い。忸怩たる思いである。くそう、と思う。あかんかった受験生で苦しんでいるのをみると、責任を痛感し、来年は絶対合格させてやると意気込むのだがね。

 前置きが長くなりました。集団討論の再現です。今回は、6名の方が討論に挑戦されました。時間は20分です。ここでは仮にA〜Fさんとして、発言論旨を追っていきましょう。

 まず、Dさんが、テーマを確認され、教科教育に関しDさんは音楽志望なので、児童生徒に育ませたい力は、楽しむ力であり、心豊かになる力であるとし、歌唱でお腹から声を出す喜びも味わわせたいと育成方策を述べられます。ここで「発散」ということもおっしゃいましたが、これは止めた方がいいでしょう。次にEさんが、児童生徒の使う言葉に触れられ、言葉の使い方によって相手を傷つけることもある、だから思いやるとはどういうことかを考える力を育みたいと発言されました。その際、構成的エンカウンターの手法を取り入れると付け加えられました。Bさんは、大学4年生。豊かな人間性を育みたいといい、お互いにいいところみつけを児童生徒にさせ、発表させる。こうして仲良いクラスを形成したいとご意見されました。

 と、ここまででおわかりのように、3名の方は、「育みたい力」とその「具体的な方策」をしっかり述べています。このことから、討論の方針が固まったように思われます。というのは、このテーマの場合、2系統の討論が予想されます。ひとつは、上のようなケース、もうひとつは、どんな力を育成したいかを全員で出し合い、次にその方策を語っていくという2段構えの討論です。どちらがいいかは判断するに苦しむところですけど、どちらでも討論の雰囲気(というとかなり主観的ですけど)がよければ、よしなのです。

 Fさんも、相手を思いやる気持ちを育ませたいとされ、国語志望の立場から、作品を通し、登場人物の心情を理解、推測させることが、その手助けになると述べられ、教科教育と人間教育の融合という問題を提起されました。Cさんは、校種教科によって学力の面では多様であるが、思いやりという点では、育ませたい思いは共通ですね、といわれつつ、体験活動やボランティア活動を実施し、心の教育にとりくむのはどうでしょうと切り込まれました。これを受け、Dさんはいじめの問題解決にもかかわってくることであると発言し、さらに、どのような指導であれ、教員の側の善悪の判断基準が揺らいでいれば指導が行き渡らないので注意が必要と釘を刺され、その具体的問題として携帯電話の所持不所持、いつ使ったか、使うべきかの話題を提供されました。

 Eさんは、思いやりということから、担任として、児童生徒に教えあいや学びあい活動を通じて育ませられないかと提起し、困っている児童生徒を助ける人間関係つくりを提唱されます。Cさんも教えあいから自己効力感が生まれると発言され、それを異年齢集団の中で実践すればさらに人間関係形成がうまく機能するとまとめられます。

 ここでAさんがはじめての発言。育みたい力について、ずばり「生きる力」を提出され、徳育、知育、体育について明示し、議論の枠組を提供されました。そしてAさんは、徳育と知育について以上の議論で登場したので、体育とかかわらせつつ、食育について発言されます。特産品などの調べ学習から「つくってみよう」まで、その方策も述べられ、興味深い発言になりました。このAさんの発言を契機に、この討論で何を議論すべきかバラバラになりそうだったのがピシッとした感じです。育成したい力をある程度定めないと、議論の出発点が定まりませんし、討論参加者が各々なんでもいってしまう発表会になってしまいます。これを避けた点で、評価されるべき発言でしょう。

 Bさんも、学力では、問題解決学習を取り入れ、自分で算数なら算数においてやり方を発見させていくことも重要であると述べられましたし、Eさんも、現代の学校はPISA型の力が欠落しているから、低学年においても学んだことの活用能力を増進させるような指導をするべきであると述べられました。学びあいとかかわらせて、各教科において問題を作らせる指導もやってみたいと抱負も語られます。

 Aさんは、確かな学力に関し、基礎基本の学習の重要性を説き、繰り返し学習、反復学習は応用力をつけるための前提であると位置付けられました。ここで、ではどういうような繰り返し学習を実践するかを述べるとさらによかったです。しかし、このAさんの発言が、他の方に影響を与え、イロイロな意見を引き出すことになっていきます。

 たとえば、Fさんからは、担任でないと中高の場合は生徒とのふれあいが少ないので、これを解消しつつ、授業では反復学習として漢字テストを取り入れて基礎学力の定着を図ると発言されましたし、Dさんの朝の学習の話題提供をもたらしました。毎日やることが大切と、まさに「継続は力なり」ですね。さらには、放課後に児童生徒を残すのは、学力定着のためとはいえ問題があるのではないかとEさんから問題提起があり、放課後を児童生徒から奪うのではなく、昼休みに補習を組み込むなどして対応するのはどうかと発言されました。

 これは体力作り(放課後遊ぶこと)につながります。Bさんは総合学習やゆとりの時間において、なわとびなど体を動かし、遊びながら健全成長をめざすとされます。Aさんからは、体力低下は運動場の使用時間制限や公園が減ったからであり、体育館の開放・提供によって基礎体力向上を見込むと建設的なご意見です。また、Fさんの行事を楽しむということも大切です。生徒の協調性も育め、体力向上にも寄与します。また、Cさんが指摘されたように、行事参加は規範意識の形成にも効果ありですね。遠足、旅行など、そうですし、保護者との連携による道徳指導効果もあります。それは、Dさんいわれるように、通信で幅広い展開が見込めるでしょう。Aさんは、規範意識の形成という点では、挨拶からはじめたいと述べられ、朝の指導で児童生徒と信頼関係を築いていくといわれました。

 ここで、Cさんは、これまで教員の立場からイロイロと議論してきたが、教育要求は保護者も持っているのであって、それを学校教育に反映させていくことも求められているとご意見されます。それは、言葉使いなどになります。そこで、Bさんが鉛筆の持ち方などの日常的な指導の効果について述べられました。最後にDさんが、Aさんの挨拶とかかわり、部活動指導の重要性、運動部の挨拶の気持ちよさに言及し、議論が終了しました。

 20分を切る討論時間で、様々なことが語られました。今回、いわゆる噛み合いもよかったと思います。今回の討論の反省点はどこにあるのでしょうか。討論傍聴者の参加者から、どこまで議論の幅を広げていいのかわからないという質問がでました。また、議論の枠組として、「育みたい力」を提出してから討論参加者でその具体的な方策を議論していったらいいか、との質問も出ました。後の質問については、上で簡単に述べました。本番の討論は、知らないもの同士がやるわけですから、青写真をもって挑んだとしても、その通りにいくとは限りません。もっといえば、その通りにいくほうが稀でしょう。

 その通りに描こうとすれば、摩擦が生じます。そして、その通りに進めようとした場合は、そういうように進めたいと思っている方が、リーダーシップをとらなければなりません。どういうように進めていくべきか、それを提示する第1発言者となるわけです。しかし、第1発言者になって、「では、育みたい力を列挙してみましょう」といっても、本番では参加者はみんな「パンパン」の状態ですから、そうした枠組を無意識に破るケースが多いのです。しかも、発言を制約することになります。参加者全員が、第1発言者の指示にしたがうとはいえず、結局、その青写真は現像されることなく終わるのが一般です。それでも、こうした枠組を提示する価値はあります。事がうまく運べば、まとまりのある討論になるからです。

 さて、最初の質問、「議論の幅」の問題ですが、これはすなわち、どんな話題を出すべきかということであって、それが的外れではないかとの恐れから尋ねられたのでしょう。討論での話題提供は、むつかしいものです。テーマが大きな柱だとすれば、トピックとしてどういう枝を用意すればいいかということですね。それは2つのパターンとなります。ひとつは教職教養で学んだことからの発言。もうひとつは、講師経験や教育実習経験に裏付けられた発言。前者は、客観的な話題となり、後者は実践的な話題を集団に与えることになるでしょう。

 このとき気をつけるべきは、前者の場合は乾燥した意見になるということです。本の中の教育的な用語が飛び交い、そこに新鮮な、実践的な雰囲気が介入しないということがあります。そうした問題がある一方で、答申などに精通していると、どういう枠組で議論するのが有効であるか、テーマに即して何を話題に据えればいいかということについてよくわかるようになります。つまり問題提起的な、議論の枠組を形成できるようになるということであって、ワタクシがよくいう「血の通った教職教養」というのはこれです。

 後者の実践的な話題の提供にあたって最大の問題は、自己満足になってしまって、次の発言者になんらの刺激を与えないようになってしまうことです。たしかに講師経験で「こんなことをした」というのは、価値のある発言でしょう。そこから抽象して、こういう問題がある、こう考えるべきではないか、といった視点を集団に提供しなければならないわけです。いわゆる自己経験の「発表会型」の討論ほど面白くないものはありませんから。

 ということですから、この両者の淡いを求めて修行を積むことが求められているといえます。簡単にはまいりません。しかし、独りよがりにならず、しかも教職教養に裏打ちされた発言は、聞いていても身を乗り出したくなるものです。それは本番の面接官でも同じでしょう。ここの、「独りよがり」というところが重要で、客観的な立場からものがいえるということが教員には求められるわけです。自己経験の放出だけでは理論的でないし、机上の学習だけでぶつかっていってもそれは無味乾燥な発言となる…

 ところで、このほか、討論終了後の反省会で、「育みたい力」と「その方策」の関係性が薄い発言があったという厳しいご批判もありました。両者の因果関係をしっかり説明する必要はたしかにありながら、発言時間が長くなるとこれまた問題という板ばさみに陥ります。なんでも説明しようとすると長くなるのですね。これをコンパクトにし、討論のテーマからはずれず妥当性あるものにするのは、むつかしいながらも可能です。べらべらしゃべらず意見を「詰めた」ものとし、それを他者が発言している最中に考えるわけですから、人間業ではないように思えます。ところが、これ、実は日常でやっているんですよね。それがフォーマルな場になるとできないだけなのです。ただし……

 集団討論で一番必要なのはなんだと思いますか。それは、「集中力」です。

 集中力、20分間の議論をすれば、ぐったりするほどの集中力です。

 これに慣れること、これを身に付けることが、課題です。

 みなさん、次回は、ぐったりしてくださいね〜

(2007年11月3日)

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