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浩の教室・第148回・勉強会の模様

 昨日は、勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。講義では、ちょっと違う方向に行きかけまして、失礼いたしました。しかし、「教養」の範囲内ではありましょう。キリスト教思想の深いところは各自勉強していただくとして、ローマ帝国とキリスト教の関係、教育の宗教支配から公教育の成立の大きな流れは、一般教養的に必要ですから、おさえておいてください。これは教職教養ではほとんど関係ない事項なんですな。大阪府を受験する場合、ある一部を除いて、教育史はやらなくていいのです。時間の無駄になります。ここだけおさえておけばいいというところを、今後紹介してまいります。なお、それは教育法規においてもそうであり、そちらもまた紹介します。ところで、今回でレジュメ13枚が終了しましたので、次回からまた新しいレジュメを配布します。

 過去問検討も次回で最終回です。昨日は言葉の問題についてでした。「国語力のとらえ方について」、「国語力の中核を成す領域」の2つの文章は大切なところであり、理解して活用できるようにしましょう。また、「考える力」、「感じる力」、「想像する力」、「表す力」「国語の知識等」については、それぞれ文部科学省が定義しているわけで、資料のまま覚えてください。これも大事なところです。

 最後に集団討論でした。今回、討論経験者が多く、難しいテーマながらも面白かったです。第148回のテーマは、「最近、子どもたちの人間関係の稀薄さがいわれていますが、それについての自分の意見を述べてください。それから、自分がそれに関して何をしていきたいか、議論してください」でした。このテーマに、20分間、6名の方が挑戦。今回は、中高志望の方が多い討論でした。むつかしいテーマながらも、自分なりの「何をしていきたいか」も出し合いながらの討論となりました。このテーマでは、討論参加者全員に、具体的な方策の提出を期待しているわけであって、希薄さの反対である人間関係のいわば「濃密さ」を演出する学校教育の在り方を求めているわけです。

 まず、Aさんが口火を切りました。テーマから、人間関係が希薄化している現状報告を聞いてみたいとの発言でした。これに応じ、Eさんが、塾で仕事をされている様子を話されます。そこでは、児童生徒の話を聞いていて、たしかに希薄化が進んでいるとのこと、その原因をEさんは分析し、ネットや携帯の普及にあると述べられます。恐るべきは、日常生活において友人を作らなくても、ネットを媒介に友人を作れるとのご意見です。このご意見が児童生徒の何割を占めているのか、ほんとうにあてはまるのか、はたまたこの感覚はEさん自身のものであるのか、掘り下げて聞いてみたいところでした。そこで、討論終了後、この点についてたずねたのですけれど、実際に児童生徒は、かなりネットつながりの友人を持っているそうで、生身の人間関係形成がおろそかになっている実態を報告してくださいました。

 Dさんによれば、児童生徒の遊びの変化が希薄化を生んでいるそうです。従来の遊びから、「最新」の遊びといえば、それは鬼ごっこや探偵ゲームからPCゲームへのシフトとということになりますね。公園から室内へ、という遊びの変化はたしかにあり、それが「外遊び」の提唱となります。Fさんによると、希薄化の原因は、家庭における親子の会話がなくなってきているところにあると発言されます。コミュニケーションの基本を学ぶ場であるはずの家庭が正常に機能していないことに対し、危機感を持っておられます。Bさんは、他人のことに無関心すぎる実態を告発してくださいました。友人同士でメールをしますが、そのメールは別に返事を期待しているものでもなく、あっさりとした人間関係を望む現代の児童生徒の心境が伝わってきました。こうした傾向は、学童保育の場でも散見されるようで、Cさんも相手のことを考えないところに問題があるとされ、その解決には家庭教育の改善が不可欠と捉えられています。とすれば、「何をしていきたいか」に対し、教員としてすべきことを主張するのは難しくなりますね。学校の中で何をすべきかを議論の中心にする方向に進めるべきでしょう。

 その学校では、Aさんは具体的にこう述べられます。体育の時間に欠席している児童生徒がいて、「なんで休んでるのん」と声かけしたところ、返答がどの児童生徒からもなく、「知らん、わかれへん」と回答するそうです。家庭と学校との連携が、希薄化を踏みとどめる方策になるとAさんは述べられ、先ほどのFさんの問題提起とリンクしつつ、挨拶運動を展開するのが、希薄化を進行させない実践になると発言されました。Eさんによれば、こうした児童生徒間の人間関係は、ヤマアラシの寓話にたとえられるものだそうです。ヤマアラシは、近づこうとしても、針で覆われているので間合いを取りにくい。そうした関係性に児童生徒があるという主張です。なるほどと思いました。本当は、コミュニケーションをとりたくてたまらない、寂しくてたまらないというのが、児童生徒の実態とワタクシは感じているのです。寂しくなければメールなどしないのではないでしょうか。これは異論もあるでしょうが、得てしてそういうものです。携帯にアクセサリーをつけますけれど、アクセサリーの数が多ければ多いほど、寂しいとワタクシは思っています。たくさんぶら下げることによって、寂しさを紛らわしているといえるでしょう。あるいは、寂しさをアクセサリーそのものが表現しているといえるでしょう。

 ここでFさんが、すごいことを発言します。「人と話す必要がなくなりつつある社会になっている」。だから話せる場を設けなければならないとFさんの主張は収束するのですけれど、PCや携帯などコミュニケーションツールを介した人間関係ばかりになっていく未来は、どうにもオゾマシイですね。いわゆる「影の部分」100%の社会なわけですが、これは理想的な社会ではないでしょう。意思疎通はやはり生身の人間同士がなさないと、的確性が損なわれます。その先にあるのは、わかりあえないギスギスした社会でしょう。Fさんに対する批判ではなく、もしもこうした未来社会に進行しているとすれば、それを阻止しなければならないのではないでしょうか。情報機器の教育的活用は進めるべきなのですが、その一方で、機器に支配された人間社会は、嫌なものです。ワタクシたちの求めるべき「正常な」社会とはどのようなものなのでしょうか。一人ひとりが社会の構成員ですから、社会の在るべき在り方を描いておかねばなりませんね。

 学校における人間関係が希薄化していくのに対し、Bさんは、地道に「いいところ探し」をしていくと述べられます。人間と人間がぶつかり合う教室で、どのようにコミュニケーションを深めていくか、そうした音頭をとる役割が教員に要求されているといえそうです。その教室では、他方、Dさんが指摘されるように、「仲間はずれにされないかおびえている」実態があり、ほめたり、叱ったりされた経験不足が、コミュニケーションの低下を招いていると分析されます。そして、こうした経験不足を補う実践が、総合学習で展開されるべきであるというのが、Cさんのご意見でした。

 つづいてFさんが、Cさんの体験の提起を受けて、ご意見を述べられます。特別活動の体験、これは遠足や修学旅行などの集団宿泊的行事を想定されていますけれど、そうした行事の体験を自分の言葉で書きとめるようなことをすればよいのではないかと指摘し、その書いた内容を発表することによって、クラスの児童生徒の意識も共有されていくと述べられました。こうしたやりとりが、「人と話す必要がなくなりつつある社会」を打破し、「何をしていきたいか」に対するFさんなりの回答になっています。

 コミュニケーションがないということでは、Eさんがいわれたように、新聞報道で夫婦間の会話も1日40分だそうで、大人自身も生身の交流の度合いが低下していると指摘されます。いわんや、児童生徒をや、ということですね。だからこそ、大人である教員が、コミュニケーションの在り方を児童生徒にみせ、模範となるようにするべきだというのが、Aさんのご意見でした。教職員が一体となっている様子を児童生徒に示すことが大切で、そこから何かを児童生徒がつかみとってほしいということです。それは、Cさんがいわれるように「児童生徒は、本当によく教員をみている」からです。また、Cさんは、教員集団の雰囲気によって、学校全体の雰囲気が変わるということを強調されます。

 つづいてDさんは、ご自身が最初に「遊びの変化」ということに言及されたので、それを補強するご意見を提出されました。それは、日本の伝統的な遊び、伝統的な道具が変わっていくということですが、具体的には、羽子板、双六からゲームへということであって、こうした遊びの変化を学習することを通してコミュニケーション欠如による疎外感をなくしていきたいと述べられました。これは、むりからにご意見された感があり、ちょっと苦しい展開です。ご自身の一貫したご意見を討論の中で主張することは大切です。20分ばかりの時間において、いっていることが齟齬するのは避けたほうがいいでしょう。ただし、そこに拘泥し過ぎるのも問題あり、といわざるをえません。討論は、進行していくものですから、あえて無理に理屈付けをする必要はないでしょう。紙に書いたものと違って、言葉は空気中に消えていくものですから、話題として的確でないとすれば、それは「自然消滅」させていけばいいと思われます。

 Eさんは、先ほどの大人同士の交流ということから発展させ、日本人同士の交流だけでなく、外国人との交流も進め、たとえば外国に姉妹校を締結し、交流機会を持つことによって、自校のコミュニケーションの深化を期待するとお考えでした。

 Aさんは、ここで再度テーマに立ち返り、助け合い、教え合いなど3つのIということを提唱されます。体育志望のAさんは球技系など試合の運営方法も話し合わせたいということです。もちろんこれが、「何をしていきたいか」に対する回答となっています。Dさんもテレビでみた「学び合い」(枚方の学校の実践が放映された)を生かしたいと述べられます。児童生徒が互いに切磋琢磨している様子に感動を覚えたそうです。Bさんは、この教え合いということに刺激され、各教科で個性を伸ばしていく指導も大切で、クラス全員が参加できるイベントを取り入れたいと抱負を語られました。また、希薄化をどう食い止めるかということでは、クラスリーダーを育成すること、各児童生徒に役割分担をさせることによって、クラスに主体的に参加している感覚を持たせると解決策を述べられます。Cさんは、ある児童が先生をやってみたいといったそうです。そういい出した児童は、いつもはおとなしい児童だそうで、「先生をやってみて大変なことがわかった」とあとで感想をいったそうです。この事例があった後、クラスが変わったということを微笑ましく語られました。先生の大変さがクラスに共有されたのでしょうね。

 最後に、Fさんから、他人に物事を正確に伝えるのはむつかしい、だから、児童生徒の間で、お互いを理解しあえる場を多く提供したいとの発言があり、20分間が終了しました。

 さて、いかがだったでしょうか。今回は、みなさん活発に意見が出て、途切れることなく20分が経ちました。これはいいことです。空白の時間がないのは、参加者全員で討論を作っていこうという意思が働いているからです。そうした意味では第1段階は乗り越えています。次に、個々人の意見が妥当なものであるかどうか。それについては行論中に少しづつ指摘しておきましたので、参考にしてください。

 集団討論では、協調性が評価されるといつもいっていますけれども、今回、20分間で全23発言機会、ということはほぼ1発言1分です。それだけコンパクトにご意見をまとめられているといえます。ということは、参加者が長々としゃべっていないわけでして、これがスピード感ある討論であるとの印象を面接官に与えます。今後もこうした調子でがんばっていただきたいものです。

 そうですね〜、今回の討論、70点差し上げましょう〜

 次回の勉強会で過去問検討のコーナーが終了し、それに代えて「自己売り込みのツボ」がはじまります。こちらのペーパーを使用します。みなさまにはお渡ししておりますから、それをよく検討してください。なお、昨年度、この「ツボ」をされた先輩たち(2次合格者)のペーパーが残っています。配布はいたしませんし、コピー厳禁ですが、閲覧は可能ですので(30人くらいの力作が残っています)、「我こそは」、という方はチャレンジ申し込みしてくださいね。来3月ぐらいまで継続実施します。次回の勉強会では、Jさん、Tさん、がんばってくださいよ〜。結局のところ、この「ツボ」が、エントリーシートになりますし、面接における最大の武器になるからです。3分間に命を賭けるくらいの覚悟で取り組んでくださいね。楽しみです。

(2007年12月1日)

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