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浩の教室・第150回・勉強会の模様

 本日は、第150回当サイト主宰勉強会にご参加いただきまして、ありがとうございました。急遽募集しました席もお申し込みがあり、満席となりました。また、勉強会終了後の珈琲会には、今年の合格者が3名(Tさん、Kさん、Sさん)ご参加くださり、みなさんからの質疑応答に答えていただきました。有意義な時間となりましたことをお礼申し上げます。

 本日は、まずワタクシの方から講義いたしました。その中心は、日本における学校の展開といっていいものでした。近代の教育が変質していく状況を、次回の現代社会との対比で考えてまいります。このときみなさんに尋ねた高度経済成長時の様子、面白かったです。経済成長の時代をリアルタイムで経験した方のお話は、ワタクシの経験とも重なるものであり、なんだか過去を思い返しておりました。

 次に、「自己売り込みのツボ」を実施しました。Iさん、Tさん、お疲れさま。Iさんのチャレンジは相当なもので、原稿をみずに話しきり、訴えるところがあってよかったです。回収したみなさんからのコメントをさらに活用し、再度練り上げてください。Tさんは、もう少しでした。全体的に難しい言葉を使いすぎて、イイタイコトがなかなか伝え切れなかった印象です。声のトーンも考えて(といっても自然がイイのですが)、表現力を豊かにしましょう。自己売り込みのツボでは、相手にわかってもらうとの姿勢が大切であり、そのためには、原稿の分量をもっと減らした方がいいですね。これはみなさんにいえることです。

第150回勉強会における集団討論のテーマは、「子どもにとって学校はどんな場所でなければならないでしょうか。多様な見方があると思います。議論してください」でした。今回は、20分間で5名の方が議論してくださいました。このテーマは、「どんな場所でなければならないでしょうか」と問われているので、参加者1人ひとりがそれにパシッと答える必要があるでしょう。その意味では、最初に発言する方が有利かもしれません。このテーマですぐに思いつく回答は、現場はもちろんですが答申でもさんざん使われた言葉である「開かれた学校」にしなければならない、というものでしょう。当然この回答が討論中にだされました。このほか「どのような場所でなければならない」のか、数点登場します。そこで、以下、再現してまいりますが、テーマに対する回答が出てきたときに、@、Aというように丸数字を冠しますね。

 まずAさんがテーマを読み上げられ、回答を用意されます。最近の文部科学省の調査にもみられるように、不登校の数が増えてきている、これは、学校に行きたくない気持ちのあらわれといえる、だから、学校を@「楽しい場所」にしなければならない、と。この@「楽しい場所」を実現するためにBさんは、教室がキレイでなければならないとご意見されました。自分たちの学習し生活する場所の掃除が行き届いていれば、楽しい場所であると自覚できるとの理解です。また、その一環ではありますが、Bさんは、掲示物の工夫もするべきであると述べられ、これまたきれいな掲示、古い日付の掲示ははずすということも含めて提案されました。このように、「どのような場所?」⇒「○○な場所」⇒「その実現方法」というパターン化が以下の議論においてもみられます。これはこれでよいとワタクシは思っています。むしろ、これ以外で討論を続けるのは難しいかもしれません。

 Eさんは、高校志望の立場ですから、A「人格形成の場所」であると同時にB「切磋琢磨し学びあえる場所」と発言されました。Cさんは、EさんのB「切磋琢磨し学びあえる場所」を敷衍し、授業が楽しいように児童生徒が感じてこそ学びあえる場は実現されると述べられました。Cさんはこのほか、心の面でも楽しくなければならないと次に続く提起をされました。おそらくここで、次の発言に登場するC「安全な場所」をいいたかったのでしょう。しかしここではCさんはこの回答をあえて述べられませんでした。

 Aさんは、Bさんのご意見を受けつつ、私たちは児童生徒がどんなことを知りたいのか把握している必要があり、それを授業計画に生かして魅力的な授業を構成したいと発言されました。Bさんはこれを受け、児童生徒の個性を把握し、飛びついてくるような発問や指示を用意すると応答され、こうすれば児童生徒も満足し学ぶ喜びを実感できるのではなかろうかと、Eさんの提起にも同時に答えつつご意見をまとめられます。的確な発問や指示をすることによって、彼らの思考の過程をつかみとることもできますね。

 ここでCさんがC「安全な場所」と提案されました。児童生徒が防犯意識をたくましくすることを要請されます。池田小学校のことも話題にされつつ、教員の役割を「危険を取り除くこと」と具体的に述べられました。ところでC「安全な学校」というのも、ルソーのいわゆる消極教育なのでしょうかね。つづいてAさんから、学校は、楽しいだけでなく、守らないといけないことを守らせる場所でもあると述べられます。学校教育活動は集団活動です。集団活動を通して社会性を獲得させたいとの意識があらわれていたご意見でした。これはD「規範意識を形成する場所」といえます。

 ここでDさん、がんばりました。学校には、多様な環境で育ってきた児童生徒が集まってきている。それぞれの児童生徒が生活環境に依存する悩みを抱えているのであって、それを個別に解消するのは難しいが、そうした悩みにも対応できる学校でありたいとの主旨のご意見を述べられました。

 思わず助け舟をだされたBさんの発言をはさみ、Eさんが、E「人との違いがわかりあえる場所」でなければならないと回答し、そこから自分をみつめ理解し自分自身だけでなく友達もかけがえのない存在であると理解できるようになってほしいと述べられました。

 Bさんは、AさんのD「規範意識を形成する場所」に対し、いけないことはいけないとちゃんと注意できる毅然とした対応を学校組織的にできるようにしたいと述べ、教師間連携を強化すると抱負を語られました。

 つづいてCさんから、F「まちがえてもいい場所」との回答がありました。これど同時に、他人の失敗を笑わない場所でありたいものですね。Cさんいわれるように、まちがえてもいい場所は、まちがいを怖れない場所でもあります。そうした認識が、活発な学校教育活動を展開させる原動力になりますね。このことをEさんは、社会へ旅立っていくまでの実験の場と表現されました。したがって、体験活動が要請されることになります。

 Aさんは、ご自身の提出されたD「規範意識を形成する場所」の説明を補強し、いいか悪いかをはっきりさせることが、学校の、、教員の存在感を高めるとお考えのようであり、「あの先生がいるから学校へいきたい」と思えるようになると発言されました。信頼関係の形成に関わることですね。学校で大変な事態が起きようとも、それを乗り越える絆を作り強める場所が学校であるとのご意見です。そうした信頼関係の在り方は、小学校では、教員のことをまちがって「お母さん」と呼んでしまう児童の存在にあらわれるのかもしれません。これは、Dさんのご意見です。Dさんは、教員が第2のお母さんになり、「先生には何でもいえる」そんな空間であってほしいと述べられました。G「家庭のようなあたたかい場所」とでもまとめるべきでしょうか。Eさんがいわれたように、様々な友達にいろんなことをいえることが大切で、それが子どもの成長を促します。Bさんは、Dさんのご意見を引き継ぎ、教員にも個性があって、どんな役割をするか各々認識する必要があると述べられます。Bさんはこの点では一貫した主張を討論を通して展開されていますね。教員が個性を自覚し自分なりの学校における役割を発見すること、これが学校への貢献になるということでしょう。

 Cさんは、Bさんのご意見に賛成の態度を示されつつ、児童生徒も教員に協力し、それが実る場であればいいなぁと話され、Dさんも児童生徒の協調性が育める場所でありたいと希望を語られました。これはなにも同じ年の児童だけではないと付け加えられながら。

 ここでAさんが新しい回答を用意、H「努力が実る場所」であるべきと述べられます。みんなでやったからできたんだとの実感を持てる場所、そうした意味では行事などが連想されますが、そこだけにとどまらない「場所」を求められているようです。この点、Bさんが具体的にお話されます。音楽教員を志望する立場から、クラスが一体になって作業するたとえば合唱など、クラスが一丸となれること、同じ方向を向く機会が必要なことを提案されます。そこでは、連携、協調、達成感が味わえますね。

 そうした学校は、Cさんいわれるように、I「開かれた場所」でなければなりません。ようやく答申でよくいわれるこのキーワード(一般的には「開かれた学校」と表現されますね)が登場しました。このI「開かれた場所」についての話題が他の討論参加者によってすぐに深められなかったのは、ちょっと残念です。なぜなら、3者連携と絡んで、いくらでも議論のタネになったからです。

 Dさんは、J「ストレスが発散できる場所」といわれました。これは意味のとりようによっては苦しいので、注意が必要な表現です。その例示としてケンカをだされたので、Dさんがイイタイコトと違う意味で捉えられてしまう可能性があります。Eさんが、ケンカも間違いの場、実験の場だから許されると説明補足されましたが、これも、どうかと。難しいところです。

 CさんはDさん、Eさんの発言にあったケンカに言及し、なぜケンカになったのかを探る必要を訴えられました。そして、軌道修正し、ケンカも間違いとのニュアンスを抽象し直し、「授業を通してまちがいから学ぶ」と述べられました。いささかわからない方向に討論が進みそうになったとき、こうした修正はグループに貢献している姿勢と判断されることでしょう。このときは、こじつけであってもいいのです。ケンカの話題から無理やり授業中における児童生徒の失敗に飛んだような印象を受けられるでしょうが、「なんだかマズイ」と討論の方向性を感じたときには荒業ですけど有効です。今回の場合、Dさんの発言が間違っているとか、間違っていないとかは関係ないのです。そうではなく、評価者の面接官にどのうように受けとめられるかが問題なわけであって、言葉というのは受けとめられ方によっていいようにも悪いようにも受けとめられてしまいますから、パッと話題転換してしまうことによっていわば「追及を避ける」ということです。政治家みたいですな。ははは。

 ここでAさんから、ようやくCさんの提出されたI「開かれた場所」に絡むご意見が出されました。文化祭の開催を取り上げられ、児童生徒の存在が地域からも認められるようになる、と。教員や保護者だけでなく、地域から児童生徒の存在が認められてこそ、C「安全な場所」たる学校の実現も叶います。Bさんいわれるように、児童生徒がイキイキしていれば、地域も安心です。そのためには、基本として、教員がすべての学校教育活動を楽しく感じていることが前提されます。Aさんがいわれたご意見です。

 ここで20分間が終了しました。今回のテーマに対する回答を登場順に示しておきましょう。それは、@「楽しい場所」、A「人格形成の場所」、B「切磋琢磨し学びあえる場所」、C「安全な場所」、D「規範意識を形成する場所」、E「人との違いがわかりあえる場所」、F「まちがえてもいい場所」G「家庭のようなあたたかい場所」、H「努力が実る場所」、I「開かれた場所」、J「ストレスが発散できる場所」となります。これらはすべていいえているかどうか、議論の余地はあります。また、重複しているものもあります。それを公約数化すると、「楽しく、安全で、切磋琢磨し学びあえる開かれた場所」が学校ということになるでしょうか。

 今回の討論では、限界を感じました。なんといいますか、討論参加者の視点が固まっているということです。基本として、開かれた場所など受験生ならだれでもいえることだけでなく、もっと広く学校を見渡して、「回答」を提出していただきたいと思っています。もっと厳しくいえば、せっかく教職教養を勉強しているのに、それが生かされていないということです。何のために過去問をやっていたのでしょうか。ちょっと厳しいですかね。

 このテーマの回答は、実は簡単なんです。もちろん「開かれた場所」は当然としても、過去問を勉強すればすぐでてくる「回答」として、「人権が守られる場所」とか、「法規が貫徹する場所」とか、「環境に配慮する場所」とか、「本に囲まれている場所」とか、「言葉に敏感な場所」とか、どうでしょう。難しいことをいおうとするのではなく、勉強してきたことをいおうとすること。それが大切でしょう。いま紹介したそれぞれの「場所」は、府の1次試験で登場する問題そのものです。簡単でしょ。

 集団討論だ〜、ということで構える必要はまったくありません。地道にやってきたことを言葉にすること、です。何度も申し上げて恐縮ですが、それが「血の通った教職教養」ということです。

 次回で年内最終ですね。いまは、まだできなくともいいんです。7月に最終型ができればいいんです。そこに目標を定め、一つひとつクリアしていきましょう。

(2007年12月16日)

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