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浩の教室・第151回・勉強会の模様

 昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。これで年内開催はすべて終了です。みなさんでYさんの合格を祝いつつ、珈琲会も無事終了しました。

 昨日のプログラムは、まず、ワタクシの方から講義をいたしまして、ご参加のみなさんからコメントをいただきました。遅々として進まない状況ですが、付属的話題を織り込みつつ、今後もお話させていただきたいと思います。希望者にのみお配りした中教審作業部会の報告書でしたが、これ、みんなで読んでもよかったですかね。いま、一番大切な資料ですから。しかし、これが本格的に来年早々の中教審答申になるわけで、そちらで確認すればよいかとのワタクシの判断で、希望者配布としたのです。年明けに登場するであろう答申はみなさんと一緒に検討しようと予定しています。

 次に、「自己売り込みのツボ」を報告していただきました。その準備の間に、『スコープ』から質問をみなさんに浴びせましたが、これがなかなか。まあ、ちょっと、あせってください。

 「ツボ」を報告したのは、YさんとNさんでした。両者ともに再検討の余地ありです。この「ツボ」では、根本的に自分自身を振り返る必要があるとともに、「なぜ、教員をめざすのか」をきっちり表現しないといけません。この出発点を苦しみながらも固めることからすべてがはじまります。土台がグラグラでは元も子もありませんから。Yさん、しっかり手直しし、段落のつながりがうまくいくように。Nさんは、自己のこれまでの経験が、なぜ教員をめざすことにつながるのか表現に工夫が必要です。

 まだJさんしか、やり直した文面を持ってきていませんよ。みなさん、ちゃんとやってくださいね。

 さて、次に集団討論です。今回のテーマは、「学力向上のために授業時間の増加は適切な措置であるか議論せよ」でした。参加者から「ちょっと、むつかしい〜」との声が挙がりました。しかし、実は集団討論のテーマなんて、何が出ても感想は「むつかしい〜」なんですよ。今回のテーマは、up to date なものでありまして、学力向上と授業時数との関係性をどのように捉えられているのかを、先生の卵から聞いてみたいとの意図に出るものでした。こうしたワタクシの意図に的確に応えられていなかったのが残念です。つまり、「授業時数増加ありき」の議論であったということです。

 今回の討論参加者は6名、時間は20分です。A〜Fさんとして、ワタクシの意見を交えながら議論の行程を再現してまいります。なお、このテーマの背景にある教育時事的な事柄につきましては、12月19日付けの当欄記事を参照願います。この記事は、ミニまぐを経由して、ミニまぐ登録者にはメールでもお届けしているものです。登録および配信料は無料ですので、右欄あるいはこのページから申し込みくださいね。

 さて、まずAさんが問題提起を行ないました。Aさんは以下のようにいわれます。この11月、中教審が報告した資料が示すように、授業時数の増加が既定路線となっているものの、授業時間を増加することによって学力向上が実現するかどうかいい切ることはできないので、私たちとすれば、増加した時間をどのように活用するべきかを議論しましょう、という提起です。Aさんご自身は、国語や算数・数学、英語の時間が増え、総合学習が減っているけれども、いずれにせよ基礎基本を徹底的にする必要があると述べられます。また、OECD学力調査の結果を受け、読解力が低下しているのはあきらかであるから、とりわけ読解力向上のための時間に増えた時間を活用するべきとの論旨を強調されました。

 実は、この第一発言において、問題の所在が確認されると同時にテーマからの逸脱があります。というのは、「授業時間を増加することによって学力向上が実現するかどうかいい切ることはできないので、私たちとすれば、増加した時間をどのように活用するべきか」は大切な教員的自覚に基づいた発想であり、この議論そのものはすべきなのですけど、いちばん出題者が聞きたいところをオミットしているからです。授業時数の増加=学力向上との方程式が成立するかどうかをこそ、議論していただきたかったのです。単純に授業時数を増やしただけで学力は向上するのかどうか。Aさんの議論したい「増えた時間の活用の仕方」は、その次に議論されるべきトピックといえるでしょう。

 ですから、いわばマクラがない状態でのスタートとなりました。Fさんも「増加は適切」といい切り、Aさんの議論を受け継いでしまって、国語や算数・数学では基礎固めをするべきであるが、クラスによって理解度に違いがあり、教員が増えた時間を有効に活用することが期待されると述べられます。つまり、教員のアプローチの仕方によって、増えた時間がいいようにも悪いようにも使われるとの主旨の発言でした。Fさんによれば、基礎固めのチャンスも、授業時間数の増加に応じて増えるのでしょう。Dさんも、授業時数増加に対応し、たとえば習熟度別学習を従来以上に教育課程に組み込み、個に応じた指導を展開することができるとよいとご意見されます。

 ここまでの発言者は、テーマの授業時数の増加を是認する態度であるといっていいでしょう。この態度をどう捉えるか。これを一般化していえば、中教審という権威ある諮問機関の発表を、肯定した方が有利であるとの意識が働いているといえます。「長いものには巻かれろ」というといい過ぎですけれども、こうした発表にしたがって立論するべきか、それともこうした発表を批判するべきか、どちらの立場に立った方が「合格しやすいか」は、誰しも考えるところです。批判すれば、ダメなんじゃないか、まあ、したがっておこう、その方が無難だ、との心理が働くものです。

 こうした考え方に対するワタクシの判断は、こうです。「立論が正しければ、批判的であろうとなかろうと関係がない」です。ワタクシの判断は、というように、これは教育委員会の判断ではありません。教育委員会がどのような判断をするのか現時点ではわかりません。しかし、教育長綛山氏の悲壮感から類推すれば、授業時数増加に賛成の立場でしょう。なにしろ、大阪府は全国学力調査でも最下位に近いので、低学力の児童生徒をどうするかで頭がいっぱいなわけですから。

 しかし、論理的にモノを考え、自己の主張として意見をまとめる能力が試される教採試験にあって、批判的な意見であったからといってそれを頭からダメだと評価し、その人物を採用しないとすると、人材を見抜く目が府にはないといわなければなりません。だからこそ、授業時数の増加に対して肯定、批判いずれの立場でもそれを明示し、その後に、Aさんのいわれる「活用の仕方」を議論すればいいのです。

 実際に、授業時数の増加は、学力向上に役立つのでしょうか。これは、「やらないより、やる方がいい」という立場に立てば、そうなります。いまの学校教育に一番足りないものは何かといえば、練習時間だからです。しかし、生きる力的な、「自ら学び、自ら考え、問題を解決する資質能力」は大切です。この理念によって、論理的思考力を高めたいというのが、学ぶことも意味でもありましょう。この、問題発見の実力や課題解決能力を授業時間数の増加で対応できるのか。もしそれが可能であるとすれば、その目玉の時間である総合学習をなぜ減らすのか、理由がよくわからなくなります。事物を抽象化し、客観的に物事を見つめられるような力は、たとえば数学や科学系の教科教育によって主として養成されます。そうした思考力の向上は、児童生徒の意欲的な態度が100パーセント維持されたと仮定しても、授業時間を増やしたとして、実現できるのかどうか。

 基礎基本的な力にしても、定着するには繰り返し学習が必要です。ここから、学校で思考力の向上、塾で練習し定着、といった弁別が生まれます。塾に期待されるのは、ドリル学習によって得点を上げるというところにあります。本来は考え方を学校で学んで、家庭で宿題や自主的学習をし、定着をはかるというのが筋でしょう。しかし、家庭では、そうそうそうした時間を児童生徒が過ごせるかといえばそうではない。和田中の夜スペシャルをうかがえば、それがよくわかる。地域本部が主催で、本来家庭でやればいいことを公立中学で、しかも夜に、塾の講師を招いて授業をするのですから。もし、思考力向上が学校のみでできないので塾とコラボレートするというのなら、どうも本末転倒のような気がします。そして、そうしたコラボレートをしない場合は、授業時数の増加は、結局、定着学習のための繰り返し学習になる予感がします。ちなみに、和田中の夜スペシャルは、教育における悪平等の打破に、実施根拠があります。

 和田中のことを話題にしたので少しだけ触れますけれども、夜スペシャルを是認したとして、では、和田中にお勤めの先生方は、この事態をどう捉えているのでしょう。昔、「学校と塾との違いはどこにありますか」との教採によくでる質問に、ワタクシは冗談で、「学校は昼間行くところ、塾は夜行くところ」と勉強会のメンバーにいったことがあるのですけれど、それが冗談ではなく、本当になるようです。夜スペシャルでも、思考力を向上させる「生きる力」を知の立場から捉えた確かな学力を養成するために実施するのだとすると、昼間がんばっている先生方の存在理由はどうなるんでしょう。

 ところで夜スペシャルについては、教育評論家の尾木氏は批判的です。どのような批判なのか、ワタクシは深いところまでわかっていません。尾木氏には、どのような観点で批判的なのか、「深いところ」をちょっと聞いてみたいと思っています。おそらく、もうすぐ活字にされると思われますので、どのようなご意見なのか、楽しみです。

 あらららら。筆に任せて書いていると、長くなってしまいました。元に戻しましょう。

 Dさんまで、3人の方が授業時数増加肯定派のご意見が登場した後、ここで、Eさんは、授業時数の増加には、適度な検査が必要であるのとご意見を提出されました。現在講師をされているEさんは、週4回の英語を担当し、これだけでも1コマ多いわけですが、さらにプラス1で英語を担当しているそうです。これでいい結果が出るかどうか、慎重な立場です。というのは、授業増に関わって、児童生徒の負担にならないかどうか心配だからだそうです。これは、議論するべき新しい点です。Eさんは、授業時数増加否定派ではありません。ただ、検討の余地があるとのご意見で、児童生徒の「負担」をどう考えるのかとの指摘をされたわけです。緩みではない「ゆとり」も必要でしょう。

 今回の討論参加者から、まったく指摘がなかったのですが、この「負担」を、もう少し角度を変えて表現すれば、「詰め込み学習」ということにならないでしょうか。授業時数を増やすことは、詰め込み学習になる恐れがないとはいえません。そこをどう解消するべきでしょう。

 どちらかといえば、授業時数の増加の再検討派であるEさんの発言に対するリアクションは、ありませんでした。これについては次にEさんに発言が回ってきたところでもう少し解説しましょう。

 つづいて発言したのは、Cさんでした。Cさんは、塾におけるアルバイトの経験から、中学生の学力低下を実感したと述べられ、基礎基本の習得を徹底するべきとのお考えで、そのための繰り返し学習が期待されると述べられます。このご意見も、授業時数増加におおむね賛成の態度といえるでしょう。このご意見に対し、Bさんは、授業時数の増加をどのような枠組で捉え、その効果を考えるべきであるのだろうかと問題提起されます。Bさんは、年間授業時数でいえば、35時間の増加はごくわずかと捉えられています。その上で、この増えた時間の効果的な活用法を議論するべきだとされ、なによりもそれは「はっきりした指導目標の定立」にかかっているとの立場に立っていらっしゃいます。

 Dさんは、小学校の教育課程において授業時数が増えたことについて、どの教科が増え、どの教科が減ったかということに目を向けられます。そこで、今回中教審のプレ報告において、英語活動の時間が設置されることを討論参加者に紹介し、小学校の英語活動では英語を使ったコミュニケーションをしたり、英語の歌をうたったりするのが、よいのではないかと、Aさんのいわゆる「活用の仕方」を提案されます。文法などは中学から学ぶべきと付け加えられました。Aさんも、小学校高学年にこの英語活動の時間はあてられているけれども、この時間では、児童に英語への興味付けに力を入れるべきであると主張されます。勉強が好きではない⇒だからやらない、という悪循環を断ち切るためには、興味関心を児童に湧かせることが、なによりも大切であると指摘されます。学習意欲の問題ですね。学習意欲の低下は、これまたOECD調査でもあきらかになっています。児童生徒の意欲を高めるのは、いつの時代においても難問です。やる気を起こさせることに躍起になってきたというのが、戦後の教員の実際ではないでしょうか。

 Fさんは、英語の導入に触れて、懐疑的な立場からご意見を出されました。実際に総合学習における国際理解で英語をとりあげてやっているのを観察した感想を述べられます。それは、教育実習でのことで、英語を最初は楽しんで学習しているものの、そして、AETもちゃんと指導していたが、英語のゲームなどやっていても次第にそればかりでは児童の方でも飽きてくるというものです。Fさんのみられたところ、45分間を有効に活用できない実態であったようです。これは、どこの小学校でも似たり寄ったりかもしれませんね。そうした感想からFさんは、6年生では、中学校英語へのいざないの時間として、一歩踏み込んだ時間にすればどうかとの提案がありました。これはたしかにそうかもしれません。ただ、その一方で、英語学力小学校間格差が発生している現状、これをどういうように調整するかという、これまたむつかしい問題を惹起します。ある小学校では、突っ込んだ英語学習をし、ある小学校では、歌をうたって終了。そうだとすれば、中学校のスタートラインで学力差があらかじめ生じていることになる。これをどう解消するか。これはEさんの問題意識ですね。

 さて、Bさんは、Fさんの問題意識を引き継ぎ、これを小中の接続の問題に一般化し、中学校の先生による出前授業がすでに実施されているけれども、これを恒常化して、校種連携の密度を高めることが問題解決につながるのではないかと指摘されました。なかなかよい目のつけどころといえます。

 Eさんは、いきいき授業などで週に数回小学校へ「出前」する中学校の教員の存在を指摘した後、先ほどの問題つまり授業時数の増加は慎重にするべきであるということを再び発言されました。授業時数増加が児童生徒への押し付けにならないかどうか、大変心配されています。

 さて、一貫した主張をもって議論に参加しているEさんですが、他の討論参加者は、積極的にこのご意見にのっかろうとの意思を示さなかったように思われます。この少数意見をどのように討論に生かすかは、実際むつかしいところです。「そうした意見もありますが、…」といった対応や、「児童生徒の負担にならないように考えるべきですね。それはそれとして、…」といった方向転換など、意見表明は受け容れつつ、授業時数増加に慎重な態度を「反体制の意見」として一顧しないでやり過ごすか。今回は、まさに「やり過ごす」結果となったようです。まったく見当違いの、あるいは、変ないい方になりますが、無視していい意見ならいざ知らず、Eさんのご意見は、少数ではあるものの検討するに値する内容を含んでいます。Eさんは、英語活動なら英語活動でプログラム作成の問題をクリアすることによって、児童生徒の負担増を乗り越えようとされていますし、授業時数増加による問題点の具体的な解決法を提出しようとされています。単に、「増えたらダメだ」、「詰め込みに戻るのか」といった後ろ向きの議論ではなく、深いところで「活用の仕方」と結びついているといえます。他の討論参加者は、ここに着眼するといいのではないでしょうか。何度もいっているように、集団討論では、協調性が重視されます。ですので、他者の意見を完全に無視するのは最も悪い態度です。どのようなご意見であれ、テーマに即した価値あるご意見ならば、なんとか討論の輪の中に組み込む努力が集団に求められるでしょう。ワタクシなら、このEさんのご意見を吸収しつつ立て直すような「貢献」姿勢を示した受験生を評価します。そうすると、少数派のEさんその人をどう評価するのか判断が苦しいのですけど、前にも触れたとおりEさんはEさんで一貫性ある態度なので、否定的評価とはなりません。いま、「貢献」姿勢といいましたが、次のCさんのご意見など、ふんわりと問題を包んだ感じの発言でした。

 すなわち、Bさんも触れられましたけれども、教育課程の全体計画をしっかり編成するとのCさんのご意見です。児童生徒に質問用紙を渡しそれに回答してもらった経験から、Cさんは、総合学習が好きと答えた児童生徒の学力が高かったことを報告され、知識の覚え込みではなく、ホンモノの(モノホンの)学びを指導しなければならないと発言されました。議論を「生きる力」に引き戻しつつ、授業時数増加に関する問題を、ここに吸収しようとされています。

 総合学習が育成すべき生きる力のひとつは、モノの考え方=思考力そのものです。学力は成績にあらわれないでめいめいの児童生徒の原石として輝くのを待っている状態かもしれません。それを引き出さなければなりません。それを引き出す力が児童生徒に備わっているはずですし、その支援を教員がやるわけですね。モノをしっかり考えられる力は、創造的な力の源泉になりますね。Dさんがいわれたように、削減された総合の時間に代わる授業時間は、なるほど大切に使わなければなりません。

 ここで話題が転換しました。特別支援教育をめざすAさんは、学力=自立であるとの立場から、増加した時間を自立活動の充実に充てたいとのご希望を述べられました。Bさんは、このご意見を受けつつ、それぞれの分野(教科)で実情に応じた配分をするべきであると話されました。算数・数学なら、理解力向上といっても、計算力の向上の時間とじっくり考える時間というように、配分先を勘案するべきであるとのことです。それはEさんが発言された、「教師の力量」によるのでしょう。常に児童生徒にプラスになるのかどうかを考えてみる必要があるとのご意見です。この「教師の力量」と「指導計画」が合致するところに、「理想的な増加した時間の活用」が結果されるといえるでしょう。

 しかし、Eさん、授業時数増加と学力向上が比例するのかどうかを指摘するのはいいですが、「教える方がダラダラしているとどうなるのか」は厳しいいい方になっていますのでご注意を。

 つづいての発言者は、Aさんでした。Aさんは、Bさんが話題にされた「接続」に関連し、小中高の連携を重視し、いわゆる七五三の状況から脱却すべきであると主張されます。七五三とは、授業を聞いても小学校で7割しか理解していない、中学校で半分、高校では3割だという授業理解度のことを意味します。ここに小1プロブレム、中1プロブレムもあって、学習上のギャップをどう乗り越えるかが、学校の課題だと指摘されます。したがって、完全習得学習をめざして、スモールステップの導入を述べられたわけです。このAさんのご意見は、Eさんの「負担」のトピックに刺激され提出されました。

 Cさんは、授業時数の増加それだけによって、学習意欲を高めるのはむつかしいかもしれないとトーンダウンされましたが、学習に集中できる環境を、家庭との協力によって形成したい旨の主張をされます。それは、たとえば、基本的生活習慣の問題になるとCさんはいわれますし、また、例の合言葉、「はやねはやおき朝ごはん」を出されて説明されます。Aさんも、学習調査結果を引き合いに出し、家庭と学校との関係性の再構築の重要性についてCさんに応答され、生活習慣の見直しに増加した時間を活用するのも無駄ではないと述べられました。Bさんは、授業時数が増えるということは、それだけ児童生徒と接する時間が増えることを意味し、児童生徒観察も進むと指摘されます。

 FさんはBさんのご意見を受けて、家庭教育との関係性を深めるために増加時間を使うのもいいが、それだけでなく、自己肯定感を高めるような指導をすれば、学力向上につながるのではないかと問題提起されました。また、ボランティア活動を推進するなど増加時間を有効活用するほか、児童生徒が一番つまづく文章題の問題に焦点をあてて指導するのもひとつの方法であろうと強調されました。できたり、できなかったり、ではなく、確実に消化する教育課程の編成を期待するご意見です。それをBさんは、「勉強とはどういうものか」ということに対する解答を一人ひとりの児童生徒に自覚させたいと抱負を披露されます。さらに、数学の各分野の関連性、たとえば分数から方程式までどのように統一的に理解するべきか、いわば数学的世界観を児童生徒のこころに構築させたいと学者的態度からの意見をまとめられた発言をされました。

 ここで20分間が終了です。今回の討論では、Eさんのご意見を軸に、これをどのように位置付けるかが大きな課題でした。昨日、一昨日とこの解説に文字を割きました。是非何度か読み直して対処方法を練ってください。また、練習の討論ですから、思い切って自分がいわばEさん的な意見をいってみてもいいですね。

 長きに渡りましたが、これで今回の集団討論の再現は終了します。

 いやはや、HさんとHさん、勉強したい意気込みよし。ただ、座席が限られてますので、ご注意〜

 「お知らせ」にありますように、資料を追加陳列してまいりました。資料類がスッカラカンだったので、補充しにいってよかったです。しかし、それももうなくなりそうです(あと1冊)。年内29日か新年5日に、シート式Aとシート式B、平成19年度教職教養解答解説集を補充します。できればシート式Cも持っていきますね。なお、店内には「連絡掲示板」があります。そこにご希望書いていただければ、それに応じて持参します。たとえば、広島対策などです。みなさま、よろしくお願いします。

 本日、購入者のMさんに、偶然、お店でお会いしました。是非、がんばって問題集にチャレンジしてくださいね。無料でお渡しした資料類も読んでください〜

(2007年12月22日)

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