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浩の教室・第149回・勉強会の模様

 本日は、第149回勉強会にご参加いただきありがとうございました。本日は、盛りだくさんで、参加者の方々、大変だったと思います。もう少し、時間があればと返すがえすも、です。講義・ツボ・過去問検討・討論とメニューを充実させました。今後、新しくはじまった「自己売り込みのツボ」、是非、トライしてくださいね。

 今回挑戦してくださった、Jさん、Tさん、お疲れさまでした。Jさんはトップバッターで緊張されたと思います。でもよくがんばりました。かなり厳しいことをいいましたが、ワタクシの心中、お察しください。ワタクシは、ワタクシのこの勉強会に参加してくださるみなさんを全員合格させなければならない立場なので、あやふやなことはいえません。アカンとこはアカンとしっかり自覚を持ってもらい、それを直していくほかないのです。Tさんも、指摘されたところを手直しし、充実させてください。今後、他の方が発表されるのをみて、そしてきょう参加者からもらったコメントをみて、書き直してください。珈琲会のときに持参してくだされば、ワタクシからまたコメントします。先輩たちも、この「自己売り込みのツボ」を乗り越えて、合格しました。自分で自分を見つめ直す作業は、しんどいものです。いま、苦しんで、あす、笑いましょう。

 講義では、新しくレジュメを配布しました。10枚ですが、本日は半ページほど進めました。1行1行、しっかり考えながら今後も進めていきます。みなさんからの活発な問題意識の提示を期待しています。

 自分の考え方が間違っているんじゃないか、発表する度胸がないなどと、おもっていらっしゃると察します。そこから抜け出し、なんでもいってやろうとの根性を持つことが、あなたの教育観をたしかなものにします。とくに、女性陣、イロイロ発言してくださいね。物怖じしないでください。「失敗できる場」、「訓練の場」がこの教室ですから。たとえば、「学校はなぜできたのか」といった簡単で難しい質問に対し、自分なりの答えを用意しておくこと、それが間違っていても、考えるということに意義がある。間違っていれば、どういうふうに考えていけばいいのかが、ワタクシや参加者から示されます。それらを踏まえ、いつでも考えていくことが求められます。最終的に、そうした考え抜く姿勢が、面接の場で生きてきます。

 過去問検討では、教育法規についてでした。Sさんの鋭い質問に答え切れませんでした。これ、反省材料として、調べておきます。みなさま、国家公務員法と地方公務員法の関連性について、再確認してくださいね。今回で、過去問検討のコーナーは終了です。もう一度全編を吟味してください。練習問題が付いているものは、そちらも完璧にし、穴埋めで示したキーワードは、是非、活用できるようにしておいてください。なお、今後、抜き打ち的に『スコープ』から問題を出していきます。ツーといえばカーと答えられるまでにご自身を高めてくださいね。

 きょうは、新規の参加者も数名いらっしゃいました。いかがだったでしょうか。いつもこうした雰囲気で、協力し合いながら進めています。またお会いし、勉強できることを願っています。

 @先輩方が残してくださった勉強ノート、A自己売り込みのツボの文章、Bここ2年間の受験報告、いつでもみることができます。ただ、閲覧したいといってくださらなければ、珈琲会に持参できませんので、よろしくお願いします。また、日曜日の夕方からの閲覧は、申し訳ないながら、お控えいただくとありがたいです。すんません。

 最後に集団討論でした。集団討論のテーマは、「ボランティアの必要性について、さまざまな角度から議論してください」でした。このテーマに、6名の方が挑んでくださいました。20分くらいの討論時間です。ボランティア活動の議論は、ここ数年よく出題されたテーマでしたが、昨年は、鳴りを潜めたようです。各都道府県も、食傷気味になったのでしょう。しかも、総合学習の授業時数の減少が規定路線になっておりますし、このボランティア活動についても含め、体験学習系の授業についてのテーマは、今後さらに減っていくような気がします。というのは、ボランティア活動の重要性はいうまでもないのですが、基本的な学力が低下した現状を受け、どうしても学力向上系のテーマが平成20年夏は多くなると予想されるからです。

 先に公表されたOECDの調査結果は衝撃的で、とりわけ大阪は学力がもっとも低いといっていい都道府県ですから、余計にそう思われます。「ボランティアなんか、やっている場合やない、勉強をもっとせんとアカン」といい切るわけではないものの、大阪府の求める教員像が、「なにより教科の教え方のうまい先生」にシフトするといって過言ではないでしょう。一時もてはやされた「心の教育」は少しおいておいて、学力だ、との声が、家庭や「大阪社会」から強くなるのを反映する府教育行政の展開が進められそうです。

 しかも、このワタクシの予想は、首長交代にも大きく左右されることも関わって、そう述べるわけです。来年1月27日が投票日ですから、まだ誰になるかわからないですけど、太田行政の、いってみれば「教員倍増計画」が終了するのを待って、新しい行政方針に転換する可能性があるからです。文部科学省の教員増加予算請求に財務省が首を横に振り続けている政治状況をみますと、おそらく復活折衝でもそう多くの予算を文部科学省は獲得できないでしょう。とすると、いかな陳情に府の役人が中央に行っても、そうは問屋が卸しません。つまり県費負担教職員給与分の金額増加が望めません。したがって、定数内講師の増加的対応にすがるほか、府は学力向上政策を打ち出すことができないでしょう。これは、残念なことです。

 無償の学校ボランティアに依存するのはちょっと無理ですし、東京の和田中学のように「夜スペシャル」の猿真似をするやもしれません。大阪府学校教育審議会がどのような独自の「報告」をするのか注視されるところです。また、首長選に出馬が噂されている橋下氏は、大阪府立北野高校という名門です。大阪から優秀な人材を輩出したとの意識は高いでしょうし、名門公立高校の復活に意欲を示すでしょう。その意識が牽引して義務教育の制度的変革と学力底上げを図る政策を掲げるかどうか。苦しい台所事情の府財政から、もっとも結果が出るのが遅い教育行政にカネをかけてくれるかどうかです。

 いやいや、話が長くなりました。上のような予想、あるいは、ワタクシの勝手な思い込みはあるものの、思いやりがなければできないボランティアの意義について、ワタクシたちがワタクシたちなりに足場を固めておくのは大切なことです。

 最初にCさんが、問題提起してくださいました。すなわち、このテーマを法規的角度との関わりからまず位置付けたいと述べられ、昨年暮れの教育基本法改正によって公共の精神の涵養が期待されていることに言及し、こうした精神は体験活動やボランティア活動によって養われるとされます。それゆえに、ボランティア活動を実施するのは喜ばしいことであると発言されます。Cさんは、阪神大震災以降の人びとのこころの動きにも触れられて、新しい公共に寄与する態度を教育によって培いたい希望を持っていらっしゃいます。

 Aさんは、Cさんのご意見を受けつつ、ボランティアの精神は、相手の立場に立って考えるという態度が基礎にあることを指摘されまして、そうした精神の涵養は学校が担当するべきとしつつも、個々別々のペースでボランティアをすると、ボランティアしてほしい相手が、時には不快感を抱いてしまう場合もあるので、これをどうするべきかと発言されました。ここに、すでにボランティアをめぐる問題があらわれています。いやいややるボランティアほど空しいものはないし、相手方にも迷惑になります。学校単位でボランティアをすることの意義はどこにあるのか、との議論を呼び起こすでしょう。

 Fさんは、Cさんの提起を受け、公共の精神の涵養に同意しつつ、ボランティア活動をする実践力について議論しようとされます。この実践力は、道徳的実践力に裏打ちされて効果があると考えられているようです。自分のボランティア活動の実践が、社会の役に立っているとすれば、自己肯定感、自己の存在証明につながるといえます。Bさんもボランティア活動を経験することが大切との立場から、奉仕をする心が尊いということを力説されます。できることから、簡単なことから実践していこうとする奉仕の精神が、ボランティア活動を支える原動力たることが求められるわけですね。Eさんも、ボランティア活動が認められて、児童生徒個々人が社会の一員たることを自覚し、公共の精神を理解していくようになるのがめざすところであるとご意見されました。

 Dさんは、相手の立場に立って行動することがボランティアの精神の内実であって、それが学校生活においても期待されていると発言されました。Bさんが簡単なことから、といわれた点に呼応し、たとえば休んでいる級友のためにノートをとっておこうとか、廊下にごみが落ちていたらすすんで拾ってやろうとか、身近な活動とその活動を実行させる精神が重要であると位置付けられます。そして、教員もこうした精神を持つことが、学校を豊かな実践の場とするのであると主張されました。こうした議論にみられるボランティアの実践態度をFさんは「チョボラ」という数年前にはやった言葉を出して説明し、ボランティアをするのに構えたり、考え込んでしまったりするのを避けるのが、スムーズなボランティアとの「出会い」になるとお考えです。「やってみよう」は、案外大切ですね。これに関連し、Cさんは日常の教育活動で折に触れてボランティア活動の意義について説くことが、ボランティア精神の涵養において奏功すると述べられます。募金活動の事例をCさんは提示し、具体的にボランティア活動の意義について語ろうとされました。

 これまでの議論を聞かれていたBさんは、ボランティアについて様々な考え方があるのだなぁと、しみじみいわれ、固定概念に縛られていたと反省の弁でした。しかし、その発言がなかなか好意的にグループの中に伝わっており、よかったです。小さなことからはじめるといいとの意見に対しても、「この気持ち、いいですね」というように思っていらっしゃることをそのまま述べられていました。

 Eさんは、保育実習にいった高校生のことを例示し、幼稚園訪問中にその高校生が触れ合いの大切さを実感したことをレポートされました。その発言においても、小さなことからはじめるボランティア、相手のことを思いやるボランティアという考え方が貫徹していました。Aさんは、重症心身障がい者を対象としたボランティア活動に従事されていた経験をお持ちで、吸引作業の大変さと、まさに命に直結するこの介助作業の大切さについて語られました。Fさんはそうしたボランティアに実践的意欲を注ぎ込めるよう、総合学習で点字学習、盲導犬について調べるなど講師として指導されていらっしゃり、ボランティア精神をこそ養うべきであると力説されました。

 ここでDさんが、従来、論争されてきた問題を提示されます。それは、ボランティアが自発性を尊重する活動であること、したがって、学校で強制的にボランティア活動を推進するのは無理があると捉えられるということ、そこから、わたしたちはどのようにボランティア活動を推進する根拠を導き出すかということについてです。ボランティア活動を推進する皮切り役が教員にあることをどう考えるかとDさんは訴えられました。

 教員がボランティアを率先垂範することに、ワタクシも、いささか偽善的な感覚を拭えません。やはり、心底ボランティアをしたい「人」がするべきであって、教育課程上位置付けがあるからやむを得ずやるとの指導態度では、そのうちボロがでます。まあ、そんな教員はいらっしゃらないでしょうけど。しかし、たとえば高校単位未履修問題があったように、受験目的が世界史や総合学習すら消滅させてしまっている過去があります。どうしてボランティア活動を無視しないと断言できるでしょうか。

 この問題はともかく、実際、児童生徒の自発性に期待するのがボランティア活動です。そうした意味では、答申のいわゆる「活動の成果」としてボランティア精神を根付かせるというのは、やはり詭弁に近いものがあります。ところが、もう最近では、ボランティアありきになっており、こうした自発性の有無は問われなくなっています。学校でボランティア活動を推進するのは当たり前だよとの風潮が感じられます。果たしてそれでいいのかどうか。もちろんこれが、最初のCさんの発言、つまり公共の精神の涵養と響きあっているのは、いうまでもないでしょう。ボランティア活動を学校で一括して推進することは、それをやりたくない児童生徒の基本的人権を侵害することになります。ボランティアの行事が内容的によろこばしいものであることは、おおよそ一般の人びとに認知されているとしても、強制参加はやはり問題であるといわざるをえません。理論家の立場からいえば、これが結論になります。比較対照として、愛国心の強制を挙げれば、納得できるのではないでしょうか。学校教育が、強制力(公権力)を行使して、児童生徒の承認なく、ボランティアをさせるのは、本来おかしいことといわざるをえません。

 ただし、是非ともボランティア活動をしたいと要望する児童生徒の切なる希望を排除することも、これまた許されることではありません。とすれば、選択的な活動として、学校はボランティア活動を実施するべきではないでしょうか。総合学習の範囲で実施するのではなく、放課後の自主的選択活動として実施するのが筋のある実施態度でしょう。

 これは難しい判断を児童生徒個々人に迫るものです。しかも、「内申点を上げるためにボランティアをする」児童生徒も登場する恐れがある以上、評価対象になる総合学習を活用してボランティアをすることに、ワタクシはあまりよい気持ちがしません。

 こうしたワタクシの考え方が、Dさんと共有するものであるのかどうかは、今度、Dさんに直接お聞きしないとわからないところです。Dさんは、「児童生徒の自発性に任せるのには無理がある」とお考えである以上、ワタクシと近い立場にいるとは感じています。

 さてこのDさんの問題提起に対して、他の討論参加者たちはどのように対応したのでしょうか。Bさんは、ボランティア活動への誘発活動は、基本的にしなくていいのではないかとの立場を表明されました。その根拠を論理的に教えていただきたいところです。Bさんご自身は、過去を振り返られ、ボランティアにあこがれて、実際におこなったと発言されました。これはこれでいいと思われます。児童生徒の時代のBさんが、自発的にボランティア活動をしたいと思い立ったわけですから。そうした立場は尊重されなければなりません(だからこそ、逆に、ボランティア活動をやりたくない立場も認めなければならないという相互の立場の承認が、上で述べたように、求められるわけです)。Bさんは、「ボランティア活動とは、こういうものなんだよ」と示して、経験させてみるのはよいことであると位置付けられました。

 Aさんは、この問題に対し、ボランティアを実際にしている方々をみてみることで、実践意欲が湧くのではないかと述べられます。発達段階に応じて働きかけをすることが、教員としての役割と認識されているようです。Fさんは、ボランティア活動の押し付けはダメであることを前提し、その上で、学校教育活動においては、小学校であれば、低学年で活動をさせるのではなく活動に結びつく態度の育成に力をいれ、高学年で環境についてなど具体的なボランティア活動をやるのがいいと提案されます。Fさんの全発言を貫徹して、その基底部分には、ボランティア精神を養うことが第一であるとの認識が確認されますね。

 最後に、Eさんが、ボランティア活動をやってみたくなるきっかけの提供についてご意見され、討論は終了しました。

 今回は、ワタクシの意見をわりあい多く挿入しながら、討論の模様を再現しました。今回の討論は、実は18分くらいでありまして、ちょっと短かめでした。それは今回の勉強会のプログラムがいっぱいいっぱいだったことによります。討論の全発言回数は17、8回でして、これはこれまでの発言回数と比較すると、少なめです。いつもは平均して、22、3回あるでしょうか。今回少なかったことは、時間の問題でしょう。一般的にいって、発言回数が少ないことは、評価に直接するとはいえません(もちろん20分間で10発言機会などはダメですけど)。量より質だからです。

 ただし、今回の18分であっても、もっと総発言回数が増える可能性はあります。というのは、最初の問題提起が難しかったので、つまり公共の精神が登場しましたので、そこからどういうように議論を組み立てていくかに苦しさを覚えた討論参加者もあるいはいらっしゃったと考えられるからです。もちろん、このことはCさんの責任ではありませんし、ワタクシとしましては、このCさんの冒頭の発言は、意義ある発言であると評価しています。しかし、誤解を恐れず、かつ、申し訳ないいい方かもしれませんが、大学4年生、あるいは、教職教養を勉強し切れていない受験生が一緒になる可能性がある本番の討論の出だしにおいて、「法規的角度から議論しましょう」と口火を切れば、下手するとかなりの沈黙の時間がつづくやもしれません。そうした意味では、内容的によいご意見であるCさんの最初の発言は、2回目の発言機会のときに、自分の主張としてまとめて提起された方がよろしいかもしれません。

 いや、イロイロ申し上げました。また、次回ですね。年内はあと2回あります。今後、集団面接対策も実施してまいりますし、集団討論との違いも実感・理解できるように、いまは、集団討論実践に慣れておきましょう。

おしらせ 当サイト勉強会で使用している問題集や参考書ほかを、大阪駅前第2ビル地下2階で、いつでも購入することができるようになります。地下2階にレンタルボックス・キャビン(06-6344-0509:営業時間/平日11:00〜19:30/土日祝11:00〜18:00)というお店があります。すでに陳列済です。今後、教採に関するイロイロな資料を揃えようと考えています。みなさま、よろしくお願いしますシート式の種類を増やしました(現在、2種類あります)。売り切れた平成19年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分)を補充いたしました。まだまだ揃えていきますので、よろしくお願いします。
 ご購入いただいた方、ありがとうございました。

(2007年12月9日)

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