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浩の教室・第153回・勉強会の模様

 昨日は、第153回当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。新しくご参加いただいた方、いかがだったでしょうか。今後ともよろしくお願いします。体調を崩されて、不本意ながらお休みになられた方、回復をお祈りいたします。かくいうワタクシもここ数日体調不良で、寝汗でズクズクの日がつづいておりました。なんだか今年の風邪は長くてイヤになってきます。のど風邪なんですよね。はぁ〜

 さて、当日は、まず、講義からはじめました。レジュメも24ページまで進んでホッとしています。生涯学習についての議論が中心でしたけれども、そこに現在の政治的状況、たとえば府の首長選挙についてや、そこから小学校の校庭芝生化について話が飛び、一体、どれくらいお金がかかるんだろうといったような話も出ました。また、なぜだったか忘れましたが、皮膚科のお話もでて、話題提供者としてはよかったのか、悪かったのか、いずれにせよ反省です。ははは。しかし、当日の講義の肉付けを必ずやっておいてくださいね。それについては講義中指摘しましたが、『スコープ』ほか、手持ちの問題集で補填してください。義務標準法や高校標準法ですね。これはあと5年すれば日本全国で公立小中学校が1117校減るという讀賣新聞の情報を元に議論したところで登場しましたね。

 次に「自己売り込みのツボ」でした。まず、Kさん。Kさんの履歴の興味深さが際立っていた「ツボ」でした。時間的に3分40秒だったので、いかにカットするかが課題です。さらに、1分間に縮める際に、どう大鉈をふるうかです。やはり社会人経験をどのように教育現場に生かすかで迷いがありますから、その接続をどうするか、みなさんからもらったコメントを手がかりに、じっくり悩んで再構成してくださいね。

 次に、これまたKさん。Kさんは、非常にわかりやすかったとのコメントを傍聴者からいただいたようです。ストレートにイイタイコトがいえていると評価していいでしょう。講師経験を軸に豊かな教育方法論が語られておりました。感動の体験も盛り込まれており、清々しい文面になっておりました。問題は、上のKさんと同じく、1分間にどのようにして圧縮するかですね。そのほか、内容的に話す順番をどう設定するかでしょう。お二人のKさん、期待しています。できたらまたもってきてください。

 最後に集団討論です。今回の討論は、非常によかったです。ワタクシの採点は80点です。テーマが限定的であったにもかかわらず、うまく積み上げ方の討論になっていました。まったく空白期間がない20分間でした。書き留めるのにも必死でしたよ。

 今回のテーマは、「家庭学習についてどう思いますか。また、保護者から自由な時間確保のために課題を減らして欲しいとの要請があったがどうしますか、議論してください」というものでした。このテーマは、試験に出題されたもので、実際にこれを議論して合格された方も勉強会にいらっしゃいました。そのYさんには、あとで試験会場でどんな意見が出たのかを含めてコメントをいただきました。

 さて、時間は20分、6名の方の挑戦です。昨日書きましたけれども、今回の討論に対するワタクシの評価は高いものでした。議論が流れるようにつながり、参加者同士の意見の交流が自然な形でなされたからです。20分間で24回の発言機会というのも、よい塩梅です。1発言1分を切っており、集団に対する貢献意識がこうした各々の短い発言を可能にしているといってよいでしょう。

 このテーマ、簡単なようでむつかしいにもかかわらず、手際よくトピックをたてられたのも、印象的でした。テーマの大本は家庭学習ですが、そこに保護者対応の問いも潜んでおり、この両方を調和的に議論できたかどうか、そして、保護者の要求に一教員として、また、学校としてどう対応するか、さらには、この要求が保護者の一方的な要求なのか、児童生徒の要求を保護者が代弁しているのか等々、議論のトピックは様々です。学力の問題でもあるし、保護者対応の問題でもある、いや、実に難題。

 まずAさんが、家庭学習は家庭における学習習慣を身に付けさせるために奨励するものであって、これは学校における授業だけではむつかしいものであると述べられました。家庭で勉強する癖をつけるということですが、各々の家庭には様々な状況があり、環境も違うので、保護者に家庭学習に対する理解を個々求めていくと発言されました。これに応じ、Dさんは、学校の学びを定着させるのが家庭学習の意図であるとし、英語を志望するDさんは、たとえば実践的なコミュニケーションは仲間がいなくては成立せず、オーラルイングリッシュなどは学校で行なう一方、家庭では学校でやや学習不足になりがちな文法の学習をさせるなど、家庭学習に期待する学習の内容に相違があるとまとめられます。Eさんも、学校で学んだことを家庭で深めるとのスタンスで家庭学習を捉えられており、家庭学習は個々に応じて理解を深められるので、その課題も個別の程度に応じて学習できるメリットがあると指摘されました。

 つづいてFさんは、自ら学び考える場所として家庭を位置付けつつ、学校で学んだことをもう一度家庭においてどのようにインプットし、そしてその内容を実力としてどのくらいアウトプットできるかを考えるよいチャンスであると考えておられます。家庭学習が成立すると、学校でもそれを前提とし、さらに学びが高度になって切磋琢磨できるようになると付け加えられました。Bさんも、概ねこれまでの討論参加者のご意見と同じで、机に座る習慣をつけるのが、家庭学習の意図であると強調され、自発的な学習が学校の学びを増幅するとともに、児童生徒に家庭学習の課題を与えることが学習のペースメーカーとなると指摘されました。

 こうした家庭学習肯定派の発言がつづく中、Cさんは、基本的に家での過ごし方は自由であると喝破され、家庭学習を減らす方向で考えてもいいと述べられました。保護者の減らしてほしいとの要求をそのまま受け容れるこの発言は、波紋をもたらす発言ではありましたが、このいわば家庭学習否定派の意見をどのように吸収するかが、今回の討論のひとつの課題となりました。これに対し、Aさんは、保護者の要求はある程度聞くべきであり、児童生徒への課題が、過度の負担になるようであれば減らすべきであると、やんわり対応されました。この「やんわり」が大切です。そして反対派意見に拘泥せず、教員として、学び方を身に付けさせることが第一であって、学校の限られた学習時間では覆い切れないところを家庭学習で補うとの姿勢形成を強調されました。とりわけ学習の方法という点では、家庭においての自主学習によって何かをつかんでほしいと期待し、学習意欲の喚起という点では、家庭だからこそテレビで教養番組をみるなどできると主張されます。社会科教員をめざすAさんは、学校で歴史番組など児童生徒の興味関心を高めるものを紹介されているそうです。

 Eさんは、反対派の意見に対し、保護者の要求は理解できるものの、課題を単に減らせばいいというものでもないと指摘されます。家庭学習は学習そのもののペースメーカーであるし、ひいては生活習慣の確立にも関わってくるものだからであるとその理由を述べられました。その点で、Dさんは、保護者に家庭学習の必要性を説明することが肝要であるとご意見されます。課題が過度であるかどうか、他教科の課題提出状況を把握しておく必要が教員の側にも必要で、各教科の教員がこれを話し合っておくべきであるとも述べられました。たしかにひとつの教科で大量の課題があるとすれば、その他の教科の教員が課題を課すのを控えてしまうこともあるでしょう。職員会議でこうしたところをチェックするのは大切です。また、学年会でチェックするというご意見が登場してもいいところですね。Fさんは、Cさんの「家庭での過ごし方は自由」とのご意見に対し、自由は自由だが、やはり家庭学習によって学習の定着はどうしても必要であるとの立場です。この課題をやりなさいとか、こうしたノートを作りなさいとか、個人差に応じた課題の出し方にも注意して実施していくのがいいかもしれないと述べられます。ただし、このページからこのページまでというように区切って課題を課してしまうと、クリアできない児童生徒も発生するので、指導が大変になると指摘されました。

 Bさんは、Dさんのご意見に賛成し、どれだけ課題を課しているかの現状把握をまずするべきであるとし、その一方、課題を出したら出したで、出しっ放しでは困ると教員の側に立った自己反省的な発言をされました。また、課題を児童生徒から提出させるときの意識付けにも注意するべきであると指摘されます。

 以上のように、イロイロとご意見が出ました。こうした意見を聞いていたCさんは、課題が強制にならないように注意したいと発言されました。それは、学ぶこと、教育することとは児童生徒の内面を育むことなのだとのCさんなりの信念に基づく意見であり、課題を課すことが逆に学ぶこと自体を嫌いにさせはしないかと慎重な姿勢を披露されます。

 つづいてFさんは、Bさんの提出された議論を継いで、児童生徒と教員との間でどのように課題をやりとりするかについて話題提供されました。児童生徒が課題をしてくる、それに担当教員がコメントを残し返却する、こうすればコミュニケーションもとれるし、課題を通して保護者との関係も築くことができるとご意見されます。そして、今回のテーマにあるような保護者との摩擦の解消にもこうした方策は役立つし、児童生徒の「心境の回復」にもつながると指摘されました。家庭学習は自主的学習に到達し、自分で学んでいけるようになることが要求されますが、そうした学習態度の形成にも、コメントを書いて返却する行為は効果的であると捉えられていました。EさんはこのFさんのご意見を引き継ぎ、家庭学習を見守る保護者は、勉強している我が子をみて、学校でどのようなことを学習しているのか理解するきっかけになるし、児童生徒も家庭学習によって、いま、何を勉強しているのか自覚できるので、やはり家庭学習は必要と強調されました。家庭学習は家庭における親と子のコミュニケーションを生むとご意見されました。

 さて、次にDさんの発言があったのですが、それは、ここまで使われていた「家庭学習」という言葉のはっきりした内容がわからないので、この言葉の性格について明確にしようとの問題提起でした。すなわち、家庭学習との言葉をいまこの集団討論で使用しているけれども、それは宿題の意味で使っているのか、それとも自発的な学習という意味で使っているのか、どちらを意識してみなさん(討論参加者)は使われていますか、というものです。Dさんご自身は、学校の教育内容定着のための学習という意味で使っていると表明され、自発的な学習は、たとえば長期休暇中の学習と捉えていたと述べられました。ワタクシは、これを聞いて、自発的学習は長期休暇中のものに限るのかと、逆に感じてしまいました。日常生活においても受験勉強に接続する嫌いはありますが、自発的学習はするものではないかと思っています。もうちょっといいますと、いまの児童生徒は、あまり日常、勉強しないのかな。まあ、塾もありますし、「勉強する」ということに関連し、場所や形態が変化してきているのでしょう。学ぶということへの動機付けは、時代を超えてむつかしいものです。

 Aさんは、このDさんの疑問に応答し、宿題はその日のうちに是非とも仕上げてほしい内容であって、習ったことの復習的意味合いが強く、さらに次回の授業への予習にもつながる意味を持っているとされます。自発的学習は、児童生徒の関心・意欲に根差して実行されるものであると捉えられ、そうした自発性に支えられた学習が展開できるよう、私たち教員は意欲を喚起する授業、意欲をかきたてる授業を実施しなければならないとまとめられました。非常によいご意見であったと思います。

 Bさんは、どうやら行論中の「課題」を、宿題と捉えられていたようです。その上で、宿題は大量に課すのではなく、また、宿題が学習の重層的な学びに連なるように、自発的学習につながるように出したいと述べられました。Eさんは、宿題は好奇心をたくましく育むものであってほしいし、宿題をすることによってその好奇心が集合し、自発的な学習の原動力になればよいとのニュアンスで語られました。Fさんは、Dさんの提起に答える発言がつづいたので、話題を転回し、宿題をやりたいから時間をちょうだいと児童生徒自身が保護者にいい、また、宿題を教員側に欲するような、魅力的な宿題の出し方を検討するべきであると指摘されました。Aさんは、このFさんのご意見に対し、児童生徒自らが保護者や教員に「宿題をやりたい」といってくるというのは非常に大事であると賛同を示しつつも(ワタクシは、この事態は「夢のような事態」であるとは思いますが…)、塾へ通わせたいとの要求や習い事をさせたいとの要求が保護者にあったり、児童生徒の方でクラブ活動を優先させたいといったり、様々な「自由な時間確保」要求があるので、共通理解を形成しないと、宿題を出す意味も薄れるとまとめられました。これをEさんは3者の共通理解といい直され、どのような意図から宿題を課しているのか、保護者と児童生徒の間で相互理解しているかどうかを探り、その上でテーマの「自由な時間の確保」の問題解決に進めていくといわれます。

 つづいてBさんは、講師経験から、児童生徒が冬休みの課題をしてこなかった事例をあげられ、責任意識について保護者に理解を求めるような家庭の指導を提案されました。こうした責任観念の育成にも宿題は一役買っているわけですね。Cさんは、このご意見に、宿題をやってこなかったのは課題が多かったのかもしれないと反省も必要と付け加えられました。

 最後にDさんが、宿題をしてみてわからないところがはっきりするし、それを授業に持ち寄ってくれて、フィードバックできればよいと抱負を語られました。そして、児童生徒も一人ひとりライフスタイルが違うことも考慮し課題を提供しつつ、「がんばれば評価してくれるのではないか」と児童生徒に思わせることも教育技術であると述べられ、20分間が終了しました。

 さて、いかがだったでしょうか。ひとつのポイントは、家庭学習に対する教員としての指導意識でしょう。これは賛成にせよ反対にせよ、議論の中心となります。過度の負担とならないように宿題という名の課題を出すことは概ね全員了解されたようです。ここで、Cさんの発言について述べましょう。Cさんは、今回は反対派であったわけですけれども、それはそれでよいとしても、立論が弱かったと思います。また、「過程の時間の使い方は自由」とぶっきらぼうにいっても、集団の合意にはずれるばかりで、異色な意見と面接官には映るでしょう。これは損な態度です。これを改良し、どのような意味で反対なのか、それを懇切丁寧に述べる必要があります。

 しかし、それでも、このテーマであれば不利です。採用試験に受かるという観点からすれば、耐えてご自身の意見は採用後に主張するべきでしょう。学力形成にあっては、やはり継続的な学習習慣が必要です。天才的ひらめきなど、あるようでありませんし、それは、地道な学習からピクッと登場するものでしょう。Cさんが、特別支援教育に携わっておられて、その立場から課題に対する一定の見解があり、「過度な負担になりはしないか」とシリアスに捉えられる意識はわかるのですけど、そのことは上に再現したように、一言も発言されませんでした。これでは面接官に伝わりません。相手はわかってくれるであろうというのは、長い付き合いの中でならいえることですが、はじめて会う面接官に、しかも20分そこそこでわかってもらえると思うのは、安易過ぎます。逆に、わかってくれないものと割り切って、だからこそ自己主張するのであると考える方が正論といえます。この点、次回に反省を生かしましょう。

 次のポイントは、非常にむつかしく、この討論でも達成できていたか微妙なところですが、学力と家庭学習の関係をどういうように捉えるか、さらに、そこにトピックとしての「自由時間の確保」ということをどのように関連付けるかということです。これについては、最後に討論参加者のだれかがまとめのご意見をいってくださってもよかったと思っています。その力量があったグループなので、残念です。もしそうした発言があれば80点以上ワタクシはつけましたよ。

 このほか、討論傍聴者の方から、PISAの話題、保護者のおかれた環境など、議論の種があるという指摘がありました。

 次回もまた、がんばりましょう〜

(2008年1月12日)

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