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浩の教室・第6期 第9回(通算205回)勉強会の模様

 先日の土曜日は、当サイト主宰勉強会を開催いたしました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。また、祝挑会には40名もの方々にご参加いただき、これまたありがとうございました。まず、勉強会のご報告から。当日は体調悪くされ欠席された方もいらっしゃいましたが、予定通りにプログラムを実施いたしました。まずは、過去問の検討です。今回は、教育法規の問題です。教育基本法と学校教育法という基本的法規の正誤問題でしたので、それほど難しいものではありませんでしたが、しかし、条文の理解を含めて周辺的知識にまでおよび、解説を深めていきました。

 次に講義をワタクシの方からいたしました。生物学的な人間の存在について考えてまいりまして、学齢との関係性を述べました。この議論はもう少しつづきます。配布のレジュメをお忘れにならないよう、よろしくお願いします。

 最後に集団討論です。忙しさに自分で書いたことを忘れてしまい、いきなり「生きる力」についてのテーマを提示され、申し訳ありませんでした。まあ、それでもチャレンジしてくださってありがたく思っています。本番もそのときにテーマを渡されるわけですから、これもご愛嬌と捉えてください。討論の模様は次の更新にいたします。

 夜は祝挑会でした。毎年開催している、合格者祝賀と来年度受験者、および勉強会を卒業された現職の先生方のつどいです。一人ひとりコメントをもらいつつ、この1年間の思い出を楽しく語らいました。合格者のみなさん、現職の先生からいただいた言葉を忘れず、春からがんばってください。祝挑会では、来年のチャレンジャーに対するエールをお送りしました。今年厳しい結果でありながら参加いただいて本当にありがとう。みなさんからいただいた言葉を胸に、先輩たちにつづいてください。

 ご参加いただいた現職の先生方8名には、お礼の言葉もありません。M先生、T先生、H先生、N先生、H先生、M先生、M先生、K先生。大変忙しい中、後輩たちのために駆けつけてくださり、まことにありがとうございました。また、先生方も、一緒に1年間勉強し、同時期に教員になった(M先生はワタクシの大先輩であり、貴重な餞のお言葉をいただきました)わけで、ひさしぶりにお顔をあわされたことと思います。当勉強会を卒業されてから、それぞれの道を歩かれていらっしゃり、その奮闘の軌跡をも語り合われていたことでしょう。勉強会での切磋琢磨よりも、教職に就いてからのシゴトの方が何十倍も大変だということがよくわかったと思います。

 珈琲会には、「祝挑会に参加できず、残念だから来たよ」とお顔をみせに来てくださった、Y先生、M先生、ありがとうございました。

 40名の宴会ですので、ワタクシの方からは少ししかお話できなかった方もいらっしゃいます。申し訳ない。じっくりお話しするつもりで来られた方、すいません。

 それから、お願いなのですが、先輩方がどのように勉強されてきたのか、そのノートを是非、みせてくださるよう、お願いします。すでに、2、3の方にはお願いしているのですが、メールいただけると幸いです。

 それでは、集団討論の再現をアップしてまいりましょう。今回は、テーマがサイトにおける周知とちがいましたので、びっくりされた方も多かったようです。これはひとえにワタクシの勘違いでした。すいません。しかし、このまま、「生きる力をどうやって身につけさせるか、議論してください」にいたしました。「教室を飛び出す〜」については、今週末の課題といたしますね。「生きる力」のテーマに、今回は5名の方が20分間奮闘してくださいました。どのような流れであったでしょうか。

 最初にEさんがテーマを確認され、生きる力というのは基本的な教育の指導理念であるけれども、抽象的に使われているので、私たちが考えているところの生きる力とはどういうものであるのか、意見を出し合いましょうと提起されました。たとえばEさんご自身は、きちんとごはんを食べられる力というように述べられ、そうした力が生かせる社会を実現していかなければならないとむすびました。このEさんの提言である「生きる力をどのように捉えているか」を発言することは大変重要です。面接官は、生きる力に飽きあきしているからです。生きる力は耳にタコができるくらい聞いている彼らですから、もうちょっと上の議論がほしいわけです。

 このEさんの提起に対して、他の方々が参戦してまいります。たとえばCさんは、生きる力とは、問題解決能力であると述べられました。これだとあまり面白くない。なぜなら、問題解決能力も、いい古された語彙だからです。ただCさんは、これに付け加え、社会で生きていくうえで不可欠な能力である旨を語られ、さらに、問題解決能力を児童生徒に身に付けさせるためには、児童生徒に夢を育ませることが必要であると教育的な展望を示されました。ここは評価できる表現でした。また、Dさんは、英語科志望の立場から、英会話能力の養成について触れつつ、コミュニケーションの能力それ自体を高めていくことが生きる力を高めることであると述べられまして、そこに、目をみて話すことやゆっくりイイタイコトが伝えられるように話すことなど、会話技術とでもいうのでしょうか、そうした社会に出てから必要となる力の一端としての生きる力を議論されました。Aさんは、生きる力を分析したご意見を披露されます。答申でも述べられているように、生きる力は、知・徳・体に分けられます。あるいはこの三位一体が生きる力の正体ですね。この中でも、Aさんは国語科志望の立場から、言葉の問題に言及されました。こうした指摘はDさんの議論とも通底しますので、拡大させてみるのも面白いでしょう。言葉の問題は、言語感覚を研ぎすますということであり、Aさんの主張はもっともですね。ただ、残りの徳と体についてはお話されなかったので、そうした「断り書き」を述べればよかったでしょう。

 Bさんは、むつかしい立場ながらなんとかAさんの発言についていこうとされていました。というのは、Aさんは養護教諭志望であり、「生きる力を知の立場から捉えた確かな学力」とどうかかわっていくべきであるのか、具体的に述べにくいからです。そうでありながら、保健室を訪れた児童生徒にどんな声をかけるか、徳や体に関連させて言葉を選びたいと述べられます。

 Eさんは、Aさんの提出された知・徳・体をバランスよく育成し、いわゆる自ら学び自ら考え問題を解決する資質能力、判断力などを養うべきとの主張をされ、それは教員と児童生徒との対話の中から生まれるものではないかとシビレル発言をされました。こうした主体的能力は、人間と人間の語り合いの中から生まれるわけで、そうした生きた学びを実践しようという意欲をEさんに見出したワタクシです。この発言につづき、Bさんは、保健室にきた児童生徒への具体的な指導について述べられました。

 それは1回目のBさんご自身の発言に継続するものであり、ふざけて怪我(「かいが」ではありません)をしたケースなど、外科的な治療を要するケースでは、なぜそうした傷を負ったのかを自分の言葉で語らせるといわれまして、さらに、自分でできる処置に何があるのかを考えさせると述べられました。傷を自分で洗浄するほか、イロイロなことが考えられますね。

 つづいて発言されたのは、Cさんでした。Cさんは、対話力の増進を提案されたEさんに同意しつつ、知的能力を伸ばすには、教員のわかりやすい指導が不可欠であるが、その前提に教員と児童生徒との間に信頼関係が成立していなくてはならないと主張されます。基本的な学校における授業運営姿勢の確認ではありますが、大切なことでしょう。こうして児童生徒との対話が成立すれば、児童生徒に対して自己目標の設定を求めることもできますし、それゆえに児童生徒が、いま、どの位置に自分自身が立っているのかも理解される。そうして身に付けた成果を将来どう活用していくのかについても展望を持たせると述べられました。こうした教育の過程において、Aさんがいわれるように教員はカウンセリングマインドを持っていなくてはなりません。同じ目の高さに立って指導をすれば、勉強をする力を養わせることにもなります。このように考えるAさんは、勉強する力=継続して取り組む力と捉えられているようです。

 対話力に関して、Eさんは「児童生徒に発言させる力」について議論しようとされました。授業で黒板を写してそれで終了ということに高校段階ではなりがちであるが、それでは考えるということそれ自体が希薄であって、言葉のやり取りをすることによって、物事を考えていく力が養成されるわけですね。児童生徒が主体的に発言していく力を身に付けさせるには、何が必要なのでしょうか。「君、話なさい」というだけでは、発言するわけはないのであって、やはり、口をつく何かがなければなりません。その何かは、授業内容に関する興味であり、自分なりの勉強上の発見なのかもしれません。Dさんは、この点、板書を写すことだけだと児童生徒との距離が遠のくので、その距離をどう縮めるかとの問題としてはっきり提起されました。Dさんは、「君と勉強しているのだ」との自覚を教員自身が示すことに、距離を近づけるヒントがあると解答を与えました。

 こうした議論についていこうとBさんは、養護教諭の立場から切り込まれます。養護教諭は保健指導の領域に入ることもあるとし、生活習慣についての振り返りを指導する際に、危険回避の力、飲酒の問題、薬物の問題についてわかりやすく伝えたいと述べられます。これはAさんの提出されたカウンセリングマインドが必要なわけで、Cさんがそれを指摘し、生徒の抱えている問題の発見には、つまり、Bさんのいわれたような課題の発見にはカウンセリングマインドが必要であると指摘されたわけです。そしてそうした指導を通して、生きる力が養われると述べられました。それは、生きる力の徳や体の課題解決につながっていくものでしょう。

 ここでEさんは、話題を転換するご意見を出されました。ひとことでいえば、一貫性ある学校指導体制の確立ということです。様々な、個性的な教員の存在する学校で、先生方の連携協力はいうまでもないことでしょう。しかしそれが機能しているのかどうかといえば、100パーセントとはいえないでしょう。一貫した指導は、Bさんのいわれた多様な、徳・体の分野の生きる力を育成するにあたって欠かせず、その場合に一番忘れてならないのは、Eさんが指摘された基準の明確化です。生徒指導の課題でもあるBさんの提出された問題は、ここの教員の間にあって指導の強弱があっては崩壊します。Dさんが指導体制の混乱と崩壊を心配するのもわかるところです。Bさんがこれまでの議論を聞いていて、養護教諭と教科担当、学級担当の先生方と連携していく意思を強く述べられたのも、一貫性の課題とかかわるものであり、保健室を出て連携を求めていくことが、生きる力の育成に一役買うものであることは、確かなことです。是非、将来、こうした実践をしていってほしいものです。

 連携という言葉は、魔力を持っています。みなさんは、連携と聞いて、なにを議論しようとすぐ思い立ちますか。おそらく3者連携でしょう。Bさんが他の教員との連携を養護教諭の立場から問題にし、Eさんが学校の一貫した指導体制の確立について問題提起したまではいいのですが、この「連携」という言葉が独り歩きしてしまいました。教員間の連携は重要であって、情報交換が児童生徒の指導を豊かにすることは間違いありません。Cさんがそのようにいわれるのはもっともなことです。しかし、それをいわば転移させ、地域や保護者との情報交換や連携も重要であると述べられ、face to faceで保護者とともに指導していくと述べられたのが、魔力に誘われた最初の一言でした。

 実は、このご意見の後、ほぼ最後まで、3者連携の方策を討論参加者は議論していくことになりました。Aさんの担任として児童生徒の生徒指導上の変化を保護者に支援をいただいて実践するという意見がそうでしょう。ただそのあとにつづけられた、学力補助のための補充授業を行ない、一人ひとりに応じた指導を行なうというのはギリギリ土俵際のご意見ではありました。Eさんの、学力の捉え方から高校になれば保護者と生徒が一緒に勉強するのはあまりないことであるが、なにをいま学習しているのかを伝え連携を強めていくとの発言、つづいて、保健便りは一方的な情報伝達の嫌いがあるので保護者との連携のためには電話や連絡帳を活用するとのBさんの発言、保護者や地域と連携し、児童生徒の夢の実現のために大人がどうするべきかを考えるとのCさんのご意見などは、「連携」から導き出されたものにほかなりません。Cさんのすぐ前の発言には、清掃活動や高齢者訪問を総合的な学習で行なうとのご意見もありましたが、どうも3者連携の実践説明に終始している感があります。だから、Cさんの発言に触発されて、Eさんがどんな仕事が世の中にあって、知を身に付けてどう生かしていくか、旋盤工がいないと車が作れない、ねじ一個作るのも、立派な仕事、というようにいわれるのも、職業と学校との関係性を3者の中でも地域産業とのかかわりで議論されているように捉えられてしまうのではないでしょうか。

 面接官は、イロイロな議論が出てくることを期待してはいますが、テーマに即している意見を期待しています。ここでは、生きる力の育成なのです。だから、上で羅列的に書いた各討論参加者のご意見が、3者連携の視角からまとめ述べるようにするのではなく、生きる力育成と関連する視角から述べるべきなのです。たとえば、車作り、ねじ一個の議論でも、基礎技術の向上がそれを支えているわけであって、それは学校における基礎学力に依拠していること、その基礎学力を身に付けるための教育課程こそ、生きる力育成のプログラムになると述べた方が効果的にテーマに迫っていると判断されるのではないでしょうか。

 さて、議論はまだ継続します。Eさんの発言につづいて、Bさんが学校に保健所の方を招待し、健康について述べてもらうとのご意見が出されました。Dさんからは、保護者と児童生徒が一緒に授業体験をするのはどうか、具体的に外国料理を食べるような授業時間を家庭科でできないかとの発言がありました。これも、「連携」の具体的内容の発表といえるでしょう。

 ようやくAさんに発言がまわってきたとき、もう20分を過ぎるか過ぎないかくらいでした。Aさんは、豊かな人間性をはぐくむために幼稚園訪問や老人ホーム訪問を実施し、自分たちの通学している学校の特色を伝えることが、学校という存在を自分なりに考えるいい機会になるといわれました。これは、豊かな人間性が生きる力の一角をなしているので、ようやく軸足がテーマにもどってきたような感じがします。そして最後に、Bさんが、様々な仕事を知ることによって社会をみつめていくことがキャリア教育につながり、進路に悩む児童生徒に将来どのような道を歩むかを考えさせる契機になると発言されて、議論は終了しました。

 前半は評価すべき討論内容がつづいていただけに、3者連携に偏った議論になった後半はいささか残念な展開でした。後半はテーマに即していると判断しがたいだけで、内容的に問題があるものではないということは、付け加えておきます。3者連携は、話しやすいテーマなんでしょうかね。

 では、次回は日曜、週末ですね。もう、師走ですな。テーマは、これですね、これ、「授業中に教室を飛び出してしまう子どもがいる。あなた方はどのように対応するか、議論してください」。

(2008年11月29日)

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