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浩の教室・第6期 第11回(通算207回)勉強会の模様

 昨日は当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。今回も、新しくご参加いただいた方々がいらっしゃいました。いかがだったでしょうか。今後もよろしくお願いします。さて、昨日も、プログラムは3本立であり、過去問の検討からはじめました。今回とりあげたのは、心理アセスメントの問題です。知能検査や性格検査に関する出題可能性のあるものをほぼすべてとりあげて解説しましたので、レジュメに書かれてあるものはすべて覚えてくださいね。

 次に、議論のたたき台となる講義をワタクシの方からいたしました。そこでは、ヘルバルトのいう思想界のことにはじまり、文化形成と伝達、そしてそれらと教育との関係性まで今後お話しするエッセンスを講義すると同時に、ヘルバルトが登場したついでに、ごくごく簡単に西洋近代教育史についてお話しました。また教育史については議論することがあると思われますが、ほぼ教採には出題されないのでさみしい限りです。この講義をすすめる前に、やっと「自己売り込みのツボ」について紹介することができました。昨年まで先輩たちが作られた売り込みのツボのレポート100枚くらいも自由に閲覧いただきました。来週から、順次、売り込みのツボは報告いただこうと思っています。

 最後に集団討論でした。今回、新しくご参加いただいた方々から、すごくレベルが高いとのお褒めの言葉をいただきましたが、それはどういう内容の議論であったのか。

 今回の勉強会における集団討論のテーマは、「元気」という、ちょっと解釈に広がりのあるものでした。「大阪府は、学校を元気にしたいと思っています。みなさんから、元気にする方法や内容をたくさん出していただきたいと思います。議論してください」です。このテーマに、6名の方がチャレンジしてくださいました。20分間です。仮に、A〜Fさんとして、その発言の趣旨を再現し、反省的視点も提供したいと思います。

 まず発言されたのは、Dさんで、テーマの確認とテーマへどのようにアプローチするかを述べられました。学校を元気にしたいとの願望は、裏を返せば、大阪府だけでなく全国的に学校の活力低下を意味しているとされ、具体的に活力向上方策のひとつとして、高校志望のDさんは、クラブ活動の充実を提案されました。県の大会や全国大会出場をめざすなど、目標を立てて突き進む意欲が学校を活発にするとお考えです。Bさんは、小学校志望の立場から、挨拶の徹底ということを提案されました。おはようからさようならまで、顔を合わせば必ず声を掛け合うことによって学校の元気を取り戻すとの主張です。Cさんは、児童生徒も教員も、笑顔でいるということをご意見されます。ご意見の力点は教員が笑顔を絶やさないことにありましたけれども、なんとなく元気がないようにみえる児童生徒に明るく声をかけるには、教員自身が明るくないとダメとのご主旨です。Fさんは、Bさんと同じく、挨拶についてご意見されます。挨拶運動を養護教諭の立場から推進したいとのことです。つづいてEさんは、「元気」ということから、児童生徒が「あしたも学校へいきたいな」と思わせることが活性化につながると考えられています。なるほど、楽しくない=元気でない、でしょうから、このご意見ももっともです。Aさんは、Dさんのいわれたクラブ活動のほか、自主的な参加は授業においても児童生徒に発揮していただきたいと述べられ、意欲的に児童生徒が取り組める授業の提供こそ、学校を元気にすると力強く発言されました。

 ここで討論参加者全員の第1発言が終わりました。つづいてDさんが、登下校中の児童生徒の顔が明るくないことを指摘されます。それは、携帯をみながら歩いている、つまり下をみて歩いていることに起因する問題です。高校では、携帯持込可のところが多いが、たとえば「携帯を使わない日」を設定してみるのもいいのではないかと提案されます。そのことによって児童生徒間や児童生徒と教員間に会話が生まれ楽しいのではないかと発言されました。Cさんは、このDさんの登下校に関する指摘に刺激され、大学時代の心の居場所に関するアンケートとそれに基づく研究を披露されました。そこでは、児童生徒のホッとする場所の上位に、登下校中が挙がったそうで、そうであれば、登下校中に明るさを取り戻すにはどうすればいいだろうかと問題をたて、地域との協力体制を述べられました。たとえば交代でスクールゾーンにおける旗当番を設定し児童生徒との人間関係を作っていくことなどです。こうすれば、児童生徒と地域住民、教員とも会話をすることになり、児童理解が深まるとお考えです。

 つづいてBさんは、Aさんのご意見を引き継ぎ、授業のことについて述べられました。児童生徒は授業がわからないとつまらなくなり、顔が暗くなると発言されます。だから、教材研究を充実させるとともに、それを生かしたクラス作りにも注意を払いたいといわれます。

 また、Fさんは、養護教諭の立場から、保健室登校さらには保健室に日中閉じこもってしまう児童生徒に対し一言かけて送り出す努力をしたいと述べられました。保健関連の授業を担当する機会があることを前提に、授業に関しFさんは「ハイハイと手が挙がるクラス」を作りたいと意欲的です。そのためにはわかりやすい発問の工夫をしなければならないと自覚され、そうしたクラス状況を保護者に確認してもらうために参観が機能することを期待しておられました。Eさんも教護教諭を志望する立場ですが、集団下校は異年齢交流の場でもあることを指摘し、そこでの活性化とともにPTAとの関わりも生まれる可能性を指摘されました。一緒に児童生徒を守っていこうとのご意見です。この登下校のトピックについては、Aさんからご意見がありました。それは閲覧されているみなさんも抱かれている疑問であると思いますけれども、Aさんは、Cさんに端を発した「登下校中がホッとする時間である」との説明に驚きの色を隠せません。調査結果であるとしてもにわかに信じられないのは、ワタクシも同じです。Aさんは、登下校の話題から離れ、児童生徒が楽しみにしている時間、すなわち休み時間について言及し、その有効な使い方が学校を元気にするとの見解です。

 さて、このあたりまでで、テーマに関するおおよそのトピック(小節)が登場したと思われます。そのことの指摘も討論参加者からありましたけれども、改めて整理すると、クラブ活動、学校行事、挨拶運動、登下校、授業がトピックとして議論するべき対象になるのではないでしょうか。もちろん、教員の笑顔や学校に行くことが楽しいという気持ちは、その大前提になりますね。さらにここに、体力向上という児童生徒自身の元気の根本的課題もあります。ただし、今回の討論では、ひとつ忘れられた検討事項があります。それは登下校に関することですが、後でまとめて述べましょう。

 つづいて発言されたのはDさんであり、AさんやCさんの授業の議論に共感したと発言されました。たしかにわからないと暗くなるとのBさんの指摘は正しいとし、このほか、授業の枠を取り払って他教科と連携した取組を実施することによって面白い授業が生まれるのではないかと提案されます。そこでは、発表があり、互いの評価があり、達成感を直に味わえる工夫が必要であると述べられます。最後の達成感は自己肯定につながり、明るい児童生徒を育成する根拠になるでしょう。

 Cさんからは、逆説的なご意見がありました。元気にしたいということは、現状、元気でない学校が多いのではないかということで、そこでは不登校やいじめがあるだろうと推測されます。そしてそれら学校不適応現象に対する対応策をわれわれはどうするべきかと問いを集団に発しました。

 これに直接回答をするものでなかったので次のBさんの発言は内容的によかったのですけど、いささか残念でした。すなわちBさんは、食育の話をされたのです。このあたりむつかしいところなのですけど、討論には一定の流れがありますので、それをプッツリ切るような、前の方の発言とまったく関連しないと捉えられかねない発言は控えたほうがいいでしょう。もちろん、食育の指導が深いところで児童生徒の精神生活を支えているのは間違いなく、ひいてはいじめや不登校を解決する方策になるでしょう。発言のタイミングが問題ということです。

 では、食育についてBさんはどのような発言をされたのでしょうか。講師として勤務する先でBさんは、食育を担当する機会があったそうです。そこでは規則正しい生活を前提に、「早寝早起き朝ごはん」のことに触れる時間を持ち、この実践をしたあと、朝食を欠食する児童生徒が減ったと報告されました。朝食をちゃんと摂ってくる児童生徒は元気があり、朝のしんどさもないようで、話もよくするようになったとその変化を具体的に伝えてくださいました。学校を元気にする方策として食育は欠かせない指導でしょう。実際、指導がうまくいくことによって、児童生徒一人ひとりの物理的な意味における「元気」は向上するといえます。

 先のCさんの問題提起を受けてDさんが対応し、乱れている学校、活気のない学校のひとつの原因は、家で問題を抱えている児童生徒がいるというところにあるかもしれないとされます。家庭の問題を内に抱えている児童生徒は授業にも集中しなく(できなく)なります。これをどうするか。Dさんは、児童生徒がお互いに支えあうのが大切であると理想を語られるわけですが、そうした互いの支えあいを実現するクラスの雰囲気を形成するのが教員の役割であると捉えられています。Eさんは、心の問題を抱えている児童生徒への対応を養護教諭の立場から実行する考えを持ち、そうした児童生徒の話に耳を傾け悩みをつかみとる努力を重ねるとされました。

 ここで話題が変わり、Fさんから、児童生徒個々人の元気そのものを問題とされました。まさに、元気は一人ひとりの元気からというわけです。学校が元気になる根本は健康と喝破され、そのためにも保護者を啓蒙したいと意欲的です。こうした立場からインフルエンザにかからないよう具体的な指示項目について、うがい、手洗い、適度な運動、栄養というように語られました。このFさんの発言以降、個別の提案がつづきます。

 Bさんからは、学校を元気にするには、学校全体ですすめていくことが大切であり、教職員が協力しあうためにも、「仲良く」なければならないと述べられました。

 Dさんからは、学校が元気になるには児童生徒が自ら学校を作っているとの問題意識を持つことが涵養であり、児童生徒が議論しあってたとえば校則についてもその決定を考えるなど自主的な取組を大胆に行なうことがより一層学校に元気さを与えると発言されました。全員参加でルールを設定することが、それを守ろうとする児童生徒の自主的態度を形成しますし、なによりも児童生徒自身にメリハリが生まれます。それが元気の元になるでしょう。

 さらにBさんからは、体力作りのための定期的な運動を推進してはどうかとのご意見がありました。この点、Aさんは、みんなで運動すれば気持ちもほぐれてくるし、球技系のバスケ、サッカーなどを実施すれば、仲間との付き合い方や自分の出し方なども学べると述べられました。Cさんも運動の視点から、マラソン大会の提案をされます。また、実際に児童生徒がマラソン大会を完走して感激した事例を報告されました。走ることの嫌いな自閉症の児童をマラソンに出るよう励ましたようで、ハラハラしたが完走。3年生全員が一緒に走り、達成感を共有したということです。この行事の後、授業も意欲的に受けるようになったとの思わぬ効果も認めておられました。学校が元気になる方法はイロイロあるものです。

 FさんはこのCさんのご意見に触発され、マラソン大会のほか、多様な学校行事が学校そのものを元気にすることを確認し、運動会だけでなく文化祭も元気を作り出すものであると論を展開されました。最後にEさんが、他の先生の健康管理を心配し、行事を実践できるようサポートをすると述べられました。このご意見には、命を大切にする児童生徒の育成とそうした児童を育てる先生の健康という意味を含ませられています。生活習慣病やメンタルヘルスの問題をとりあげられ、20分間の議論は終了しました。

 さあ、再現を読まれて、いかがだったでしょうか。次回更新にて、若干のコメントをしたいと思います。

 討論の終了後、今回は3つほど面接官役のワタクシから質問をしました。それは、@お隣の方の発言の中で印象に残っているご意見をひとつ教えてください、A討論は終了しましたが、いまから思えばいい残したこと、あとから気がついて発言しておいたらよかったと思われることがあれば述べてください、Bいまの討論を採点すれば何点ですか、の3点です。

 @は、おいておきまして、Aでは、地域の教育資源を生かすこと、つまり外部から講師を呼んでなにか授業をしてもらうことや、歌を組み込んだ行事について、ケンダマの授業、食育に関して郷土料理や地産地消について、保護者との付き合い方に関連して外部評価について、挨拶運動以外に清掃活動などについて、とのご意見が出ました。みなさん、よい気づきですので、次回はこうしたことも忘れず討論で述べきってください。また、Bは、50点から80点まで様々な採点となりました。個人の出来を中心として採点するか、討論全体を採点するのか、点数化するときに迷うと思われますけれども、面接官がどういうように聞いているのかを聞き漏らさずに、相手の要求しているように応えましょう。今回は、後者でした。

 さて、討論の問題点はどこにあったでしょうか。議論の途中で登下校中が一番ホッとするとの発言がありました。これに討論参加者はいうまでもなく傍聴の側からもあとでご意見が出ました。それはそうですよね、問題は、「学校とはどこからどこまでを指すのか」ということです。一般的には学校を元気にするといえば、学校の内部、子どもの笑顔、授業、その他活動をイメージするのでして、登下校は学校活動の核心的部分ではありません。したがって、あまりこの論点に深入りすると、討論自体が水で割ってアメリカンになるでしょう。ワタクシはそういう見解です。まったく議論しないでもよいですし、この論点が出てきた場合であっても、そこに討論時間の半分も割くようでは評価は低くなるのではないでしょうか。といっても、では、学校とはどこからどこまで指すのかを議論しても「概念定義」に陥る討論となってしまって、テーマの本質を蔑ろにするような感じがないでもありません。学校がどこからどこまでかは自明とはいい切れません。しかし、一定程度の共通土俵はあるはずです。それはAさんの授業、Dさんのクラブ、といったような誰もがすぐに思い浮かぶ場であり、内容だと思うのです。討論の一般的なすすめ方としては、やはりこうしたところにフォーカスするべきではないでしょうか。異論はあると思いますけれども、1年に1回しかない採用試験ですので、わざわざアブナイ橋を渡る必要もないと思われます。教員になれば、常にルビコン川を渡れ!といわれますので。

 さて、歌をうたう行事のことがAで出ました。これに関連して、校歌の議論が登場しました。親しみのない、難しい言葉がちりばめられている校歌をわかりやすく楽しいものに変えるのはどうかとのコメントがあったのです。これはこれでひとつのご意見ですね。傍聴の方々にお尋ねしたところ、『旅立ちの日に』とか、『巣立ちの歌』とか、卒業式でもこれまでの『蛍の光』とはちがう歌が採用されているワケですし、この指摘自体が面白いものといえます。

 さらに、元気を来てくれる児童生徒がいてこそ、学校が元気になるとの指摘がありました。これも討論の中でご意見がありましたが、あまり煮詰められていないので反省的に傍聴者から指摘があったのでしょう。これと絡めて、人間関係がうまくいっていることが元気の条件であることとか、生徒会への参加が責任感を生み、それが元気につながるとか、貴重なご意見が出ました。責任感は一人ひとりの活躍の場を見出すあるいは提供するわけで、これが元気を作るということになります。

 他方、授業に関することでは、総合学習について触れていないのがマイナスポイントであるとのご意見が出ました。これは確かにそうで、総合学習や生活科についてまったくご意見がでなかったのは、致命的とはいえないにしても残念なことです。動的な授業が元気を生むとすれば、総合は児童生徒の主体的な学習をめざすものですから、この討論の中心的な議論においてもよいくらいでしょう。

 以上、ポイントを挙げました。討論がグループで評価されるとしても、究極には個人の評価に還元されます。とすると、いかに発言するべき内容を多く持っているか、他者と違う斬新なポイントを提供できるか、というところをワタクシたちは磨くべきだと思うのです。20分という短い時間にブレインストーミングをどれだけできるかということになるのでしょう。

  年内はあと2回あります。みなさん、がんばってください。ところで12月27日は、珈琲会のかわりに、今年も終わることですし、麦酒会を開催します。スペシャルゲストもお迎えする予定です。ただ、参加人数が限定されますので、勉強会に継続参加されている方は、お問い合わせください。よろしくお願いします。

(2008年12月14日)

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