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浩の教室・第6期 第13回(通算209回)勉強会の模様

 先日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。また、勉強会終了後の麦酒会にも大勢の方に集っていただきました。久しぶりに駆けつけてくださった東京の先生、遠く愛知からもご参加いただきました。ありがとうございました。

 さて、この28、29日は旧交を温めるために名古屋の方に行っておりまして更新が遅れました。すいません。今年最後の勉強会は27日の土曜日に実施し、生涯学習に関する過去問の検討、Yさんの自己売り込みのツボ、最後に集団討論を実施いたしました。

 過去問の検討では、いささか長くなりましたけれども、生涯学習についての議論をすすめました。生涯学習の提唱から日本における展開、生涯学習振興行政についてです。また社会教育行政のことについても簡単に触れました。問題としてはむつかしくはないものの、選択肢に使われている言葉からむつかしさを感じるようです。しかし、しっかり読めばよいですね。選択肢に関連する答申の部分を引用および説明しつつ、知の循環型社会とはどのようなものであるのかについてもみなさまからご意見をいただきながらすすめました。

 次に、講義をするか、自己売り込みのツボをするか若干迷ったのですけど、せっかくYさんが用意してきてくださっていたので、お願いすることにしました。プライベートなところにもかかわりますので、ここではYさんに対するコメントは差し控えます。しかし、みなさんや先生方からいただいたコメントを十分生かし、原稿作成がんばってください。

 最後に集団討論です。「教育の専門家として、教員に必要なことは何か、議論してください」がテーマでした。どのような議論がなされたのか、次回の更新であきらかにしてまいります。

 ただいま新名神土山インターを出たところです。車の中の更新は揺れて大変です!


 無事に名古屋から新名神経由で帰ったのも束の間、昨日から今日にかけては、友人宅を来訪し自慢の火鉢をみせてもらい、さらには親族宅にて昔ながらの臼と杵を使っての餅つきと、ハードな日々を過ごしておりました。年末年始の雰囲気です。ああ、年賀状をなんとか印刷し、宛名を書き込むシゴトも残っています。なんとかしなくちゃね。うっしっし。

 さて、集団討論の模様を再現いたします。今年は師走もかなり押し詰まった27日にも、「勉強してから正月を迎えましょう」という意図の下、開催しました。テーマは、「教育の専門家として、教員に必要なことは何か、議論してください」と基礎的なものでありました。今年を締めるこのテーマに、6名の方が20分間議論してくださいました。

 Eさんからまず提案がありまして、テーマに即して一人づつ「必要なこと」を述べてみましょうと切り出されました。Eさんは高校志望の立場から、学力の問題をとりあげられます。これは学力向上のための授業力を教員が身に付けることが必須であるとのご意見です。それは、よくわかる授業、ためになる授業の実践力を意味します。つづいてCさんは、「必要なこと」は、コミュニケーションの力であると述べられます。これは、単に児童生徒とのコミュニケーションの能力ではなく、保護者や教員間におけるそれも含めて必要性を語っていらっしゃいました。Fさんは、音楽科志望の立場から歌を歌う力、楽器の演奏能力が是非とも必要であると述べられ、教科の特性としてこのような能力を教員個々人が高めることによって、児童生徒に自然と学ばせることができると話されます。Dさんは、一人ひとりのことを理解する能力、つまり生徒理解を挙げられます。児童生徒との信頼関係を作り上げ、彼らを理解することが、授業の実践を左右すると述べられました。

 次にAさんは、児童・生徒理解の議論から、理解の前提となる深い愛情を彼らに注ぐことが必要と述べられました。そして最後にBさんが「必要なこと」は、児童生徒の人生を豊かにする業であるとご意見されました。オーストラリアでワーキングホリデーの経験を持つAさんは、様々な体験が心を豊かにするとの自論をお持ちです。

 このように参加者めいめいの「必要なこと」の提案が出されて、これ以降、どのように議論を深めていくか苦心することになります。


 1巡して第1発言者のEさんに戻ってまいりまして、Eさんは、教育の専門家としてコミュニケーション能力は是非必要な能力であるとのご意見に同意され、教員が地域社会との結びつきをもっと強めるべきであるとの立場に立つ方法を話されます。それは授業内容についてであり、地域の文化施設を調べさせる授業を展開し、児童生徒と地域社会との接触や交流を深めることを通して、教員もコミュニケーション能力を高めていくことができるとの発言です。その際、教員は飽くまで支援者ですから、文化施設たとえばお寺でもなんでもいいわけですが、児童生徒にじかに連絡をとらせて児童生徒自身のコミュニケーション能力を育成すると述べられました。その際、Cさんが提案されるように、班単位での話し合いの手法をとることも有効ですね。Cさんはそれだけでなく、コミュニケーション能力の育成は挨拶に出発するとの自説を主張、おはようやさようならをちゃんといえる人格形成に力を入れるとのことです。学校が児童生徒を元気よく迎え送り出すことが、コミュニケーション能力育成の前提となるとのスタンスです。コミュニケーション能力は学校からの文字の発信でも可能です。Dさんは各種通信の活用を図りたいと述べられます。こうすれば保護者とのコミュニケーションもとることができます。

 ここで「必要なもの」として、授業についての議論に戻り、Fさんが好き嫌いのある音楽などの芸術系教科についてどのように指導するべきか語られました。楽器でも好き嫌いがある現状、児童生徒の個性に応じ、好きな楽器を担当させることを極力実施し、楽しめる授業を提供することこそ、教員としてなさなければならない「必要なこと」であると確認されました。Aさんはこれを一般化し、伝えあう力や理解しあう力、ひいては表現する力が現在の児童生徒にいささか欠けている点を指摘し、授業中でどうにかして、手を挙げて意見をいう機会を増やそうと抱負を語られました。その実現は教員と児童生徒とのよい関係ができているかどうかにかかっているとEさんは述べられます。それは児童生徒理解と関わってくる議論ですが、教員がいわゆる気づきの目をどれほど持っているかによりますね。そうした児童生徒をどう理解するかにおいて教育実習の経験を語られたのがDさんでした。

 Dさんは、クラスノートが用意されていたのを報告されます。生徒とコミュニケーションをとる時間がなかなか見出せない高校にあっては、日記風でよいのでこのノートに生徒がなにがしかを書き、それに対して担任の先生がコメントを常によせられていたようで、こうした「うまい手」をもっと作り出していくことができないかと考えておられました。こうしたノートからは、児童生徒の生活もみえてくるでしょう。それをFさんが指摘されます。Fさんも実習体験から、班の交換ノートに触れられ、夜2時まで起きてしまって遅刻したとの記述を紹介されました。もちろんそれに対するコメントが生活リズムを修正するひとつの方策になっているわけです。

 Eさんは再度、授業の議論に話題を戻されて、高校志望の立場からは、彼らの自主性を育むために、ぐっといいたいことをこらえてスタンバイしておく態度が教員に必要なのではないかと提案されました。理解は教員がするのではなく、生徒がしなければならないことです。なんでも教員が答えをいってしまうのではなく、また、辛気臭くて教員がたまらず指導してしまうのではなく、待つ姿勢が大切であるとのご意見です。これは一般論として、なかなかできないことだけに重要なご意見ですね。いわば教員が児童生徒を突き放す姿勢です。自分で考えるきっかけは、面倒見のよさと相反する姿勢ですが、この両者相俟って指導が貫徹するのでしょう。


 つづいて発言されたのはDさんです。自主性を育むとのEさんのご意見を引き継ぎ、発表機会の充実を主張されます。総合的な学習の時間ほか各教科においても児童生徒自ら発表する機会を増やすことが授業論としても「必要なこと」であるとのご意見です。どのような教科であれ、発表を促すには、Cさんがいわれるようにわかりやすい授業が前提となりますね。専門的な知識や技術が教員に要請されます。つまり「必要なこと」です。児童生徒は毎日6時間授業を受けるのであるから、授業が楽しくなければならないし、そうした授業であることによって、児童生徒が学校に休まず通う動機にもなると主張されました。Eさんは、この議論を煮詰めて、授業に発表形式を採り入れることが講義形式が多く一方通行的な社会科系の授業を改良し、児童生徒の学習意欲を引き出すとまとめられました。

 これを具体的に英語の授業で語られたのがBさんでした。文法学習は退屈なもので、授業の工夫として具体的な内容を英語で語ることが動的な授業形成を可能とすると考えられており、ご自身の体験談を踏まえた内容作りに精を出すと述べられました。

 Aさんは、Cさんの提起されたわかる授業に言及し、わかる授業は実践性を持っているものであると位置付けられます。おしつけるものではなく、児童生徒自らが動いていく、考えていくようになるのがわかる授業であると規定されました。教員と児童生徒が一体となっている授業は、児童生徒の間で適切なやりとりがあることが条件で、観光名所で外国人に話しかけて返事が返ってくるかなといった期待感を込めて指導することがあってもいいと述べられました。このご意見に関連し、Bさんが英語を学ぶ意義について、外国語を学ぶことによって、いままで持っていた思考のアングルから脱却し、新しい視点を獲得して物事をみつめることができると主張され、ひいては、他人の気持ちを理解することができるのではないかと述べられました。

 ここでDさんが環境教育について語られ、持続可能社会の実現とエコに関する能力の授業への導入を述べられましたが、討論の時間がもう20分を過ぎるころであって、応答はありませんでした。

 最後にAさんは、Cさんの問題提起に応え、留学体験を話し、常に国際的な視野を持つことが学校教育に期待されている教育内容であろうと発言され、議論は終了しました。

 今回の集団討論では、コミュニケーション能力と授業論とがトピック化していました。これはこれでよいのですが、このほかにも、「必要なこと」として、健康問題、教員としての使命感、教員の持つべき向上心の内実についての議論があってもよかったと討論終了後の検討で登場しました。

 また、「教員に必要なこと」と「教員になったらこうしたいということ」とが錯綜している場面があって、このあたりの交通整理が必要ではないかとの反省もありました。「教員になったらこうしたいということ」が、討論中で盛り上がりをみせているのは、微妙に「必要なこと」とズレがあるのではないかとの視点もありました。

 みなさま、来年もがんばりましょう!

(2008年12月27日)

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