勉強会のお知らせページへ 勉強会報告一覧ページへ  勉強会申し込みページへ


浩の教室・第6期 第10回(通算206回)勉強会の模様

 昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。新規にご参加いただいた方々、また、久しぶりにご参加いただいた方、いかがだったでしょうか。今後も勉強会の内容は、みなさまからの要望を反映させつつ実施してまいります。前回以来、反省している点は、集団討論終了後の検討が時間的に苦しい点です。勉強会で実施しているのは、「20分間の討論」⇒「傍聴者一人ひとりからの批判的コメントとそれに対するワタクシからのコメント」⇒「ワタクシからの総合的なコメントと討論参加者個々人に対するコメント」というような構成です。ところが、これが最後まで達成できず、ご迷惑をかけております。

 いつも、15時45分くらいから17時まで、集団討論の時間にあてているのですが、どうにも短くなってしまいます。もう少し、前半の過去問検討や講義の時間をダイエットするべきかもしれません。ワタクシからしょうもないことをいい過ぎているのが、問題でしょう。ただ、昨日では、NHKで特集があったこともあって、また、過去問が指導改善研修のことについてであったので、裁判員制度のことについていささか長く話してしまいました。しかも参加者の中に、裁判員に「当たった」方がおられましたので、一層ワタクシの方から、「いわないでもいいこと」を述べてしまいました。

 いずれにせよ、集団討論は15時30分からなにがあっても実施した方がよいようです。4時間を有効に活用するべく、今後もがんばってまいります。よろしくお願いします。

 さて、上にも述べましたが、昨日の過去問検討は、教育公務員特例法の独立問題でした。今回は3つの種類の研修に関しまして確認しました。初任者研修、10年経験者研修、指導改善研修です。レジュメ数枚を復習し、キーワードを押えてくださいね。

 講義では、これまた1ページしかすすまなかったのですが、教育課程とその分け方、中高一貫教育のメリット・デメリットについて、議論しました。こちらの方も、もう少しスピードアップいたします。

 それでは、集団討論の模様を再現します。今回のテーマは、「授業中に教室を飛び出してしまう子どもがいる。あなた方はどのように対応するか、議論してください」でした。いわゆる生徒指導の分野のテーマです。討論参加者は、6名の方、20分間でチャレンジしていただきました。まず、Aさんから発言がありました。討論の入り方はイロイロありますけれども、一番無難な入り方として、「テーマを確認するため読み上げ、何を議論するべきかトピックを立てる発言」というのがあります。ワタクシは、勉強会ではこうした第1発言をすることを奨めています。無難でもありますし、スムースに後の議論に入っていけるからです。

 Aさんも、そのように口火を切ってくださいました。そして、教室を飛び出してしまう理由は多様ではあるが、勉強がわからないことが第一に考えられるので、教員としてわかる授業を展開することによって、児童生徒の予期せぬ外出を食い止めたいと発言されました。ここで問題になるのは、「わかる授業」です。「わかる授業」といってしまうと、必ず面接官は、「その内容はなんだろう」と疑問を持ちます。これが個人面接なら、必ずつっこまれます。ですので、それなりに「わかる授業」の内容を示さなければなりません。ただ、これを述べようとすると、かなり時間をとりますので、そのあたりがむつかしいところとなります。コンパクトにまとめる力量をつけてくださいね。つづいてEさんは、教室を飛び出した理由をたずねることからはじめたいと具体的な指導手順について言及されました。まずは対象の児童生徒を落ち着かせることに取り組む主張であり、その後、担任教諭と連携をとると述べられます。養護教諭志望らしい発言といえるでしょう。Cさんは、Aさんのご意見を引き継ぎ、魅力的な授業を展開すれば、飛び出しがなくなるので、逆にいえば教材研究に力を入れることが私たち教員をめざすものに求められていると主張されました。Dさんは、クラスの雰囲気を問題にされました。いじめなど問題を抱えているクラスの場合に教室から出ていくような児童生徒がいると述べ、これはクラスの児童生徒に団結であるとか一体感であるとか、そうした精神的なところが欠けているからであると根拠付けられました。したがって必要な働きかけは、一体感をクラスにもたらすものとなります。Bさんは、この一体感ということに関連して、飛び出していく児童生徒にクラスの中から声をかける児童生徒が存在するようにするとご意見されます。こうした積み重ねが一体感の醸成に不可欠ですね。

 小学校において補助をしているFさんは、実際に教室を飛び出す児童生徒がいたと、経験談を語られました。ふいに出て行ってしまうその児童生徒は、ADHD児だったそうです。それゆえ、飛び出していく児童生徒に、「9時10分になったら戻ってくるんだよ」というような指示を出し、むやみに指導を厳しくしないで対応したと報告されました。こうした個々のニーズにあった指導が、よいクラス環境作りに役立つとお考えのようです。

 いま、ADHD児の対応の話題が出たところで、Cさんから自閉症児童のことについて話題提供がありました。幼児保育ボランティアをされた経験のあるCさんは、折り紙の授業での学習過程を披露されました。そこでは、作業の行程たとえば折ること、糊付け、と段階があります。その一つひとつの段階を経るごとにいわば「逃げ場」としての「遊びにいっていいよ」の声かけをするようです。Eさんは、こうしたADHD児や自閉症の児童生徒のことを正確に発達障害を抱える児童生徒と位置付けた上で議論をつづけられます。これは文部科学省の通達を考慮した発言であり、勉強の成果が出ていましたね。Eさんも実際に飛び出しがあった現場をみていらっしゃいました。高校での経験だそうです。なにか悩んでいることでもあったのでしょう、該当の生徒は、偶然、イライラしている状態にあったそうで、それを咎められ、バッと教室を飛び出してしまったそうです。こうしたことはよくあることですが、思春期の成長段階では、自分の気持ちをコントロールできないときがありますね。そこに、「一呼吸おいて考えましょう」といえる柔らかさが必要であるとのご意見でした。

 Dさんは、実習体験をテーマに即して語られました。一度、叱りすぎた、といってもDさんご自身はそれが通常の指導と思われていたようですが、児童に逆上されたことがあって、自宅に迎えにいくことにもなったそうです。これは飛び出した子どもではなく、自閉症のある児童のケースだったのですけれども、このことからDさんは、日頃の意思疎通を強固にしておく必要性を実感されました。ワタクシたちからも、一人ひとりに声をかけることは大切であると、よく討論ではご意見が出ますが、これを本当に実践しなければならないことを痛感されたようです。また、児童生徒との信頼関係をはぐくむためにも、心の教育は重要であり、ふだんの児童生徒の姿の確認とともに、道徳の授業でどのような内容かは述べられておられませんでしたが心の教育を取り上げて、教室を飛び出す事例のほかの生徒指導一般にも通用する児童生徒の意識改革をすすめていくと述べられました。

 Bさんは、ご自身が中学時代に、実際、教室から出ていった生徒がいたそうで、その理由はお腹が痛かったとの正当な理由がありました。先生は勝手な教室からの退出を咎めて叱られ、それが契機となって該当の生徒は、授業を受ける態度も変わってしまったそうです。頭ごなしに怒るのはいけないわけでして、教員の方にもいき過ぎた言葉があったかもしれません。しかし、こうした発言は、あるいは教員批判に取られる可能性もありますので、ちょっと控える方がいいでしょう。内容的に語ってよい価値のあるものでも、いい方一つと申します。今後、ご注意を。Aさんは、養護教諭や専門家とも、さらには保護者とも連携して、発達障害のある児童生徒の行為を是正していかなければならないと述べつつ、Bさんのケースについては、先入観を持たずに児童生徒と向き合い、信頼関係を形成していくことを基本的なことながら指摘されました。Bさんの発言では腹痛が理由ということですが、このほかにも喫煙のために出ていったり、水を飲むためにでていったりと、その理由は様々であるから、それを見極める目を養うことが教員に求められているとAさんは追加的に発言されました。

 その一方、あまりはっきりした理由なく、プイッと出ていく児童生徒もいます。Cさんはそうした児童生徒に出会ってきて、「トイレや」との一言とともに出ていくのを何度も経験したそうです。この「トイレや」の一言は、実はCさんの指導の成果であって、なぜ出ていったのかその理由を求め常に声かけする指導姿勢の賜物であったと客観的には評価できます。こうした勝手に出ていくことがつづくとよくないことはいうまでもないですが、Cさんのいわれた「4月に決めたルールの確認」を再度行なうという指導も大切ですね。こうしたCさんの議論をFさんは、「先生にどこに行くのかいわないままでていく」環境こそが問題であると反発されました。何もいわずに出ていってしまう児童生徒がいないように最初から努力する必要があるとのご意見です。Fさんは、すなわちこれを、「その子一人が欠けても成立しないクラス」作りと表現されました。上に述べられている一体感を別の言葉で述べたものでありますが、力強さを感じる主張でした。

 さて、議論は佳境に入ってきました。ここでDさんが、ご自身の先ほどの主張を補強あるいは再説し、加えてクラスのチームワーク作りのために尽力するのが担任としての役割であろうと発言されました。このご意見の内容面は正しいと思いますが、通常、チームワークといえば、野球など特別活動領域で使うとしっくりくる言葉であって、クラスのチームワークというのは、ちょっと不自然さを感じました。子どもたち同士の信頼関係の形成が、「チームワーク」を強くするためには必要との主張もわかりますし、学級活動においてそうした意識を高める支援をしようとされるDさんのご意見も、正しいでしょう。結局、Fさんがつづいて発言されたように、教室を飛び出す子は、「自分をもっとみてよ」とのサインのあらわれなのかもしれません。そして、そうして出て行ってしまった子が、あるいは不審者と遭遇するやもしれないというところにまで気を配る発言をされたFさんは、児童生徒に対する愛情が深いように感じました。

 Aさんも、Fさんの発言である「もっとみてよ」のご意見に同意され、それゆえにかまってほしいとの意識が強いわけであって、クラスの一体感を高める指導、さらには、あるいは「どこいくの」という言葉がクラスメイトから出るくらいの、出ていくのを止められる雰囲気作りにまで踏み込んで発言されました。そして、学習面の理解不足が飛び出す原因になっているとすれば、具体的にどのように指導していけばいいのかにAさんは言及されます。これは、第1発言の教員としての自己反省としてのご意見をさらに説明する発言であって、国語科を志望する立場から、漢字のプリントや読書をマラソンに見立てて実施する方法など、児童生徒の「わからないレベル」に応じた学習指導を提供すると述べられ、授業の楽しさを実感させることが、飛び出しほか問題行動全般を阻止することにつながると語られます。

 たしかにAさんのご意見は傾聴に値するものですね。こうした反省の視点の提出につづいて、Cさんから主張されたのは、こうした飛び出す児童生徒に具体的レベルでどのように対応するべきかというFさんと同じ問題意識を持った発言でした。実際に、飛び出しだけだとまだなんとかなるわけですが、それが複数であったり、クラスが荒れて崩壊現象がみられるような場合には、本当にどうすればいいのか。これは担任だけではもちませんティームティーチングについてもCさんは触れつつ、実際に飛び出す児童生徒に付きっ切りに指導する先生も、発達障害のある児童生徒であれば必要なのではないかと提案されました。現実に、発達障害のある児童生徒の場合、このような措置がとられているケースが多いですね。これによって担任教諭の負担もいささか減少しますね。こうした複数教員の指導が、「いっしょに教室へ戻ろうよ」の声となるとはFさんのご意見です。職員が全員で指導にあたるべきことを印象付けた主張でした。そうした指導を実現するには、生徒指導の際に注意の強弱が異なったり、叱るポイントがまちまちであったりすれば困ります。このご意見はEさんが提出されたものです。児童生徒に対する対応のバランスの崩れを心配するご意見です。

 Eさんのご意見を引き継ぎ、Dさんからは教員関連系の話題が登場しました。これは、飛び出しの理由が怠学によるものにせよ、特別な教育的ニーズの必要な児童の場合であるにせよ、最終的に職員会議における意思統一の議論に結び付きます。これまでの参加者のご意見や直前のDさんのご意見から、Cさんは、特別な教育的ニーズが必要な児童生徒に対する対応に反発する他の児童生徒のことに言及されました。

 自閉症の児童が教員にかかえられて教室に戻ってきたときに、「なんであの子だけが」との反発があったわけです。これは保護者からのクレームとしてもあったみたいです。学級通信を通じて特別な支援の必要から指導をしている旨を伝達することから問題解決ははじまるとCさんは述べられました。

 同様の例はBさんからも発言されました。教室を飛び出していった発達障害のある児童を教員が追いかけて連れ戻そうとする。そのたびに授業は中断。しまいにはなぜ中断するのか、といったブーイングがでてくる。これも発達障害のある児童に対する無理解が遠因で反発が起こったわけですが、Bさんは、教員の努力によって、最終的には他の児童がその該当児童にやさしく接したり、中断した場合でも自習ができるようになったりしたそうです。

 ここでタイムアップ。討論は終了しました。今回、討論傍聴者が期待していた大きないくつかの論点が、開始3分くらいで全部出ていたのが印象的でした。@授業に対する反省、A飛び出した児童生徒に対する具体的対応策、B発達障害にかかわる議論、ですね。これがそのままトピックとして議論の方向性を規定していました。それゆえに、話の筋が討論参加者にあっては捉えやすく、それが発言のしやすさになっていったようです。

 もちろん、議論の余地はまだまだありまして、たとえばAに関しては、学校組織としての安全確保の問題が出ました。また、怠学ゆえに教室を出ていくようなケースでは、「一人で出ていくことはほとんどない」とのご意見もありまして、そうした見方があることに、なるほどと思っていました。たしかに、怠けて出ていく児童生徒は、外でいわゆる「不良仲間」とあっている場合は考えられますね。

 Bに関して反発意識に触れましたが、残された児童生徒の学習権をどのように保障するのかも、議論したほうがよいとの傍聴者からの指摘がありました。これももっともなご意見です。いわゆる「他者の学習権を侵害する行為」として、厳しく該当児童生徒を糾弾するべきなのか、それとも、温情的な指導をするのかどうかという決定に関する議論になります。同時に、ゼロトレランスの議論にもつながる可能性を持っています。また、飛び出す児童生徒の理由が、トイレにあった場合はどうなるのでしょうか。法的には、トイレにいかせないと学校教育法に抵触し、教員が懲戒処分を受けることになります。これを児童生徒の怠惰あるいは傲慢な行為とみるか、それとも、本当にトイレで出ていったとして、それを簡単に許していいのかどうか。この判別にのめりこんでしまうと、討論自体は小さくなって面白くなくなるかもしれません。しかし、議論するに値するトピックではあります。

 さあ、また、週末ですね。今年はそろそろ「自己売り込みのツボ」をはやめにやりましょうかね。みなさん、Fine!!で参りましょう!

(2008年12月7日)

戻る 浩の教室・トップページへ