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浩の教室・第161回・勉強会の模様

 昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。

 答申の講読もすすみ、ようやく学力形成と学習指導要領の関係性もみえてきましたね。ただいま、13ページまですすんでおります。参加していらっしゃらない方も、是非、読了しておいてくださいね。答申の解説の前には、必ず前回学習事項のポイントをお伝えいたしますので、そこで自己学習の成果と照らし合わせてくださいね。「生きる力」の理念の共有、基礎基本の定着からそれを活用する学力、具体的に思考力・判断力・表現力を身に付けるというスタンスでしたね。もうあと4回ほど、つまり3月の半ばにはこの答申は終了し、「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての取組を進めるための方策について」にすすみたいと計画しています。こちらの答申は、15枚程度です。

 さて、次に自己売り込みのツボを実施いたしました。緊張感漂う中、Hさんががんばってくださいました。エビちゃん似のHさん、いままでの持てる力を発揮され、3回生らしい元気よさで挑んでくださいました。

 結果は… かなり反省点がありました。兎に角は、姿勢、ですね。ピシッといたしましょう。これは、当日も申し上げたことですけど、「カッと、ひたいをみせましょう。そして光合成しましょう(笑、」でありました。自信のなさが姿勢にあらわれ、うつむき加減にいたします。是非とも前を向き、微笑んで乗り切ってください。当日みなさんからもらったコメントを振り返り、また、用紙に記入いただいたコメントに何度も目を通し、完成版をしあげてください。これが後に自分の武器になります。まあしかし、イイタイコトを確実にしそれが面接官にちゃんとそのまま伝わるかどうか、それをまずは念頭においてがんばってください。

 最後に集団討論でした。今回のテーマは、「表現力は学力を構成するものですが、具体的にどのような学習を通じて形成しますか。議論してください」でした。ここまで細かにテーマを設定することは、本番ではあまりないでしょうが、だからこそポイントが多々あがってよかったです。このテーマに、今回は7名の方が20分間でチャレンジしてくださいました。このテーマは、答申の議論とも絡むものです。そうした意味では、議論の中に、答申の思想を組み込み、それを解釈したご意見があってもよかったと感じております。まあ、しかしながら、いままさに勉強している答申ですから、なかなかそううまくは参りませんね。各参加者の教育実践が発言の基礎になっていました。これもいいと思います。

 まず、Cさんがテーマを確認する発言をされました。最近、Cさんは、トップバッターを買って出るケースが多いですね。リードオフマンの役割をどのように果たすか、むつかしいところですが、2次試験の対策として、特別支援の議論を持ち出すのはいいのではないでしょうか。本番では、特別支援をめざす方々といっしょになるわけですから。ただ、この勉強会では、ある種の違和感がありました。大切なことは、校種に捉われず現在の教育(行政)的背景を語る方がよろしいでしょう。そのあとで、ご自身の立場からのご意見を述べたほうが、議論内容に関する協調性という点ではよいと思われます。

 たとえば、「新聞遊び」ということを特別支援の立場から、表現力を育成する手段としてAさんは述べられたわけですが、それが、たとえば小学校志望者にどのように捉えられるかは考えておかなければなりません。新聞を使って、それを破ったり、丸めたり、くしゃくしゃにしたりし、作品を児童生徒に作らせることは、それはそれで特別支援の場面では大切なことですし、欠かせない実践であることは十分に理解できるところです。自由な表現を児童生徒に求める点でもいい実践でしょう。

 ただし、テーマの冒頭、「表現力は学力を構成するものですが…」となっているのを他の討論参加者がどのように意識しているかといえば、まさに「学力としての表現力」であって、とすると、「新聞遊び」の「遊び」は学力なのかな?となるわけです。あくまで学力との関連で新聞「遊び」を説明する姿勢が求められるでしょう。そうすれば、校種を超えた議論の土俵の広範化を期待できます。また、この例示とご意見を受けて、次の発言者はどのように意見をいえばいいか、かなりむつかしくなります。せいぜい新聞をキーワードに、新聞を使った学習法から表現力を高めていく、といった発言を引き出すことができるぐらいでしょうか。

 このむつかしい役割を引き受けたのがDさんでした。しかし、Dさんは、Cさんのご意見を引き継ぐというよりむしろ、表現力の意味規定をするという方向に水路付けられました。表現力を、自分の考えを伝える能力であるとDさんは規定し、それは言語を媒介して達成されると述べられます。小学校低学年でひらがな、成長に応じて漢字を学んでいきますが、それらを使い、いわゆる「せんせいあのねノート」を作らせたいと抱負を語られました。児童生徒が日常を描写し、語り、書くことを練習するのが、表現力を育成する前提となるとの考え方です。

 ここでわかるように、特別支援、とりわけCさんの場合、言語能力に障がいのある児童生徒を担当されているようですから、Dさんの述べられた言語を媒介とする表現力の育成とは話が噛み合いません。これはこの勉強会だから起こりうるいい点でもあり、悪い点でもあり、勉強会の特色と理解していただけると幸いです。それに、「特別支援教育は教育の原点」なのですから、特別支援の内容や教育方法論を学ぶことは大切です。

 Bさんも、表現力とは児童生徒が感じたことを「外へ出す」ことである、自分を外へ出すことであると、それこそ「表現」され、それは国語科で養われるところが多いと捉えられているようです。Bさんは、たとえば小学校低学年において、国語の物語文を読み、児童生徒にどのように感じたかを意見発表させるところから表現力育成を手がけようとお考えでした。

 Eさんもほぼ同様に、自分の考えを他人に伝えることが表現そのものであり、その力をつけてやることが教員の使命であると位置付けられています。そして、他人に自分の考えを伝えるときに、「理由付ける力」が必要と付け加えられます。まさに、why-because関係なわけですね。そうした理由あるいは回答における意味、意図を含めた理性的な反応を表現力に込められたところに、Eさんのご意見の新鮮さがありました。Fさんは、表現力をほぼコミュニケーション能力と捉えられていたみたいです。相手にわかってもらうことが大切であるとの発言に、Eさんのイイタイコトがありますね。そこから、第1に、個性を伸ばすための表現力育成として作文教育などを、第2に、他者との調整能力を考えた表現力育成としてディスカッション、ディベートを現場に取り入れると発言されました。第2のほうは、要点をついた発言能力が必要になってきますね。高校を志望するEさんの立場がよくあらわれている発言です。

 Gさんは、いままでの議論を聞かれていて、表現力は言語活動だけではなく、身体で表現する場合もあることを指摘され、体育における創作ダンスを取り上げられました。このご意見も議論に広がりを持たせるものといっていいでしょう。創作ダンスにおいて自己の感情を表現するということを述べられたとき、あまりストレスの発散などマイナスの説明はする必要ありません。むしろ、いい意味で自己表現をしている例示をするといいですよ。

 1巡目の最後に、Aさんが発言されました。言語活動の前提として知識や技能の育成は避けられないとの立場からのご意見です。すなわち、基本的な知識がなければ、表現しようとしても言葉にならないわけであり、社会の仕組みを理解していないと社会科などでは表現するにもできないわけであり、そうした基礎基本をまず授業で定着させることが先決ではないだろうかとの問題提起でした。ここには、レポート作成という高度な学習が前提されています。自ら調べてそれをまとめ言語化する表現力は、これまたAさんの志望する高校において育成したい表現力ですね。

 とすると、さまざまな校種において、「学力としての表現力」に多様性があるということが理解されます。そして、それを育成する教員側の方法論にも多様性がある。このあたりの共通理解を求めるのは、先のCさんの提出された特別支援の議論でも触れましたけれどもむつかしい問題です。しかし、校種間連携や交流教育が期待されている学校現場において、こうした問題を避けることもまたできないでしょう。

 多様な校種をめざす方々が集まって議論するむつかしさと面白さがここまでの討論でよくあらわれています。Aさんの意見が出て1巡し、Eさんがここまでの議論から、表現力育成の観点が言語活動、コミュニケーション能力、体育の創作活動という3点が出たことを確認したあと、このほかになにか表現力育成の構成要素はありますかと振られました。これに応じ、Aさんが、表現力の育成は各教科の特性にもよるけれども、それだけではなく、クラス全体で表現力が試される場合があると述べられます。それはAさんによれば、文化祭や体育祭のときに試される表現力であると発言され、他者と団結して表現する観点を提出されました。

 Dさんは、全体の中の個人というAさんの提出された観点に刺激され、集団における個人の表現力ということを語られます。Dさんはピアノ歴が長く、ピアノを通してどのように個性を表現するか苦心されていたことを話されました。

 Fさんは議論をテーマに引き戻し、教員の使命は、学校を卒業してからも生きていく力を児童生徒に身に付けさせることにあると述べられ、表現力も人生を生きる力であると規定されます。だからこそ、Aさん、Dさんの提出された集団の中の個性の表現が大切になってくると発言されました。Aさんはこの発言を受け、それをどう評価するかという新しい観点を議論に登場させ、教員側の課題であると指摘されます。そしてこうした表現力の評価について、児童生徒の聞く姿勢を高く評価するべきであると持論を述べられました。ここから国語的能力ではありますが、「読む」、「聞く」、「話す」、「書く」について議論を推し進めて下さったらもっとよかったですね。この聞く姿勢の評価ということに関連し、Fさんはディスカッションにおける問題と捉え返し、ディスカッションにおける聞く姿勢とともに、意見を積極的にいう態度をどのようにして形成するかとの問題を出されました。これはディスカッションに慣れているかどうかということにも関連するとFさんは議論をつづけ、グループセッションの面白さをもっと話されたいようでした。英語志望のFさんらしいご意見でした。

 意見を積極的にいえない児童生徒ということに関連し、Cさんは特別支援の立場からご意見されました。喜怒哀楽を言葉にして出しづらい児童生徒は存在するのであって、障がいのある児童生徒の場合、表情を持ってしてもそれが出せないケースがある。そのときにコミュニケーションツールとして機器を活用すると述べられます。VOCAという機器であるそうで、「うれしい」や「楽しい」などの感情表現をボタンを押すことによって表示し他者に伝えるというものです。

 Gさんは、なかなかなにも発言できない児童生徒に対する対処法をインターンシップ経験から学んだそうで、お友達の意見が自分と同じ意見であったとしても、それをまとめていってみることが大切であるとのことです。自発的に発言できなくても、こうして話したことを繰り返していわせてみることが、表現力の向上への第一歩であると捉えられています。Bさんも、人前に立って発言することが大変な児童生徒が当然存在することを前提し、少人数のクラスでやってみてはどうかと提案されます。発言の最中に詰まってしまう児童生徒がいても、それを辛抱強く待つ姿勢が求められていると教員としての自覚を持ったご意見でした。児童生徒の発言が一段落つけば補足すればよいとのことです。Eさんは、人前で話すことは大人でもむつかしいが、話すための前提作業としてワークシートを作り、発言したいことを書き発表するという段階を踏んだ指導をするのがよいと提案されます。CさんもGさんと似ていますが、おうむ返しでいいからひとことでも繰り返して言葉にしてみることが大切であると述べられます。そしてその表現された事実をほめ、自信を児童生徒に持たせて表現力の向上につなげていくと抱負を語られました。

 ほめるということでは、Aさんもそうで、表現しようとする意欲を持たせてやる指導を私たち教員は実践しなければならないと述べられました。Dさんもほめて育てることを念頭におき、児童生徒に寄り添って指導することが表現力の向上だけでないにしても重要な教員としての姿勢であると発言されました。Dさんは、そうした態度を間合いを詰めていくと表現されましたが、奈良の大仏を絵に描いてみようという時間に実践されたことを報告されました。「大仏は丸い?四角い?」といったイエス・ノーで答えられる質問をつなげていって「間合いを詰め」表現力育成の本質に接近していくと述べられました。
 つづいてGさんが発言されました。Gさんは、表現力を身に付けさせるための実践ということに関連し、体験学習の効果を指摘されます。日常の学校生活、家庭での生活において感動した体験を必ず児童生徒は経験しているといわれます。こうした体験を書いたり話したりすることによって、表現力を養いたいとのご意見でした。この構想をもう少しふくらまし、たとえば学校生活の一断面を切り取って発言されると具体性が出てさらによくなります。また、ご自身の経験として、たとえば「文化祭のあのシーンを作文に書きたかった」などと説明して現実的な構想であることを面接官に訴えるのもいいでしょう。

 Cさんは、話すことにおける表現力の問題は、児童生徒の学習到達段階に即して指導するのがよく、段階に応じて働きかけに変化を設けるとのご趣旨の発言をされました。絵画の場合でも、同様の指導方法をとるのが、特別支援ではよい方策になると考えておられます。

 最後にFさんが表現力を集団の中で発揮する方法論について議論があったけれども、グループ学習における報告会のような場面で表現力を高めるべく児童生徒に自発的な発表機会を提供するということを提案され、今回の討論は終了しました。

 今回の集団討論は、本番ではあらわれない問題点つまり多様な校種の方が参加された場合の交通の仕方がありました。これは小学校志望の場合など、ほとんどの方は心配されないでよい問題ではありますが、間々、校種が混じったときにどう対応するかのケースとなりました。美術や音楽など芸術系教科受験者や特別支援志望者、場合によっては受験番号によって、他校種の者同士が集団形成するときがあります。そうした場合に役に立つのではないかと思っています。

 表現力は、国語的能力でも養われますし、芸術的要請からも必要な能力です。また、体育学習から必要とされるものでもあります。Fさんが述べていたように、社会に出てからも役に立つ表現力を身に付けさせたいものであります。ワタクシなどは、表現力といえば、文章作成能力をどうしても思い浮かべてしまうわけでありますが、これは反省しなければなりませんね。身体的な表現、器具を活用した美的表現、さまざまに表現はあるわけですからね。国語的能力に関しても、散文的、韻文的の大きく2つの表現力育成が期待されるわけですしね。中原中也賞の話もでました。

 個人が必死になって自己表現する姿勢を支援し、かつ、力のあるものに導くことができれば、なんと素晴らしいことでしょうか。生活綴り方運動の中にも、こうしたエッセンスがありました。日々の自分の行為行動をみつめ直し、客観化することによって、新しい自分を発見しようとする生活を作文に表す運動です。議論に登場した「せんせいあのねノート」も綴り方運動に源流を持っている指導法といっていいでしょう。ワタクシたちには、こうした遺産を引き継ぎ、それを総合学習に、キャリア教育に染み込ませていくような実践が期待されるといっていいのかもしれません。

 また、討論終了後に議論が出た、大村はまさんの実践についても国語教育の貴重な実践として振り返り、その批判的摂取をすべきでありましょう。教科書を辞書的に使うはまさんの実践は、まさに「10円玉を横からみれば長方形」という目を覚まさせられる指導でしょう。

 芸術系教科や社会科、理科、算数においても、表現力とはなんなのか、各教科担当者は煮詰めていく必要があると思われます。社会科における統計処理を文書化する表現力、理科の実験の成果から一定の法則を発見する表現力など、継続的な努力の末に結果される表現力はウツクシイものです。Kさんがいわれたように、数式はそれだけでウツクシイ形を持っています。E=mc2でしたっけ、簡単な数式がすべてをあらわしているのですから、表現もここに極まれり、なのでしょう。

 表現力は最終的に自己の形を持ち、個性的な創造力に昇華していくものでしょう。ワタクシたちの教え子に、ノーベル文学賞を受賞する児童生徒が出れば、なんとウレシイことでしょうか。

 自分の考えを相手に伝える能力としての表現力は、生徒指導の前提となる生徒理解のためには、欠かせないものでしょう。イイタイコトに形を与える指導こそが、教室の雰囲気をよくし、児童生徒の青春の一時期を豊かなフィルムに焼きあげるために是非ない指導です。ひょっとすれば、いじめの根絶は、児童生徒の表現力の向上にかかっているのではないでしょうか。

 ワタクシたちも、集団討論における表現力を、もっと、もっと高めてまいりましょう。

 珈琲会では羽目をはずしすぎ、失礼いたしました!

(2008年2月17日)

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