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浩の教室・第157、158回・勉強会の模様

 昨日、一昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加くださり、ありがとうございました。昨日書きましたように、現職の先生もご参加いただき、貴重なコメントをいただきました。厚くお礼申し上げます。この週末の勉強会から、新しい答申の購読もはじまりました。こちらはかなり重要な答申ですので、みなさんとそのツボを検討してまいりましょう。なお、この資料は、下のレンタルボックス・キャビンにおいています。数冊だったので、即売り切れてしまい、昨日新たにおきました。ご入用の方はどうぞよろしくお願いします。

 さて、両日の勉強会ともに、「議論の叩き台としての教育学講義」と「答申輪読」を実施しました。前者は、この日曜日(第159回)で終了させていただきます。時間の関係もあり、また、内容重複的なこともあり、「講義」を終了し「答申輪読」に一本化いたします。その講義ですが、この週末は、学習指導要領の変遷とその特質ということをお話いたしました。ほぼ基礎的事項ですから、みなさん全員がご存知のことでしょう。ご自宅で『スコープ』を手にとられ、復習しておいてください。大阪府の1次試験の第1問目は、ほぼ、学習指導要領と教育課程の問題と、相場は決まっています。それを歴史的にたずねてくるか、内容的に聞いてくるかはわかりませんが、ほぼ出るのですからやっておくことに越したことはないですよね。

 「答申の輪読」では、今後、声に出して読んでいただくこともやります。そして、その解説も。全45ページ、精読していくわけですけど、すでに重要部分の指摘を含め、おおよそのところの解説は終了しました。ご自宅で2ページにまとめた資料を読み、ツボを押さえ、そのうえで重要事項と指摘したところを精読しておいてください。今後はさらに、マークシートの文章に採用されそうなところをポイントしてまいります。

 次に「自己売り込みのツボ」でした。この週末は3名の方に報告していただきました。まず、Iさん。Iさんは大学生で若く、その若いなりの経験をまとめてこられ、将来的に「やってくれそうだな」と思わせる構成になっていました。ただ、みなさんからのコメントにありましたように、「1行目が勝負」との意識を持ち、印象付けるように書き直しましょう。このことは、みなさん全員にいえることですね。Iさんの経験(ボランティア活動、教育実習)をうまく表現し、ピアノのところは若干整理しなおしてまとめなおしましょう。

 そしてSさん。Sさんは、今回、出し惜しみがありましたね。いい教育実践を講師として実行されていらっしゃるのですから、それを強調しましょう。踏み込みすぎると謙虚さがない、しかし、いわないと実践力がないと判断されるかもしれないとのジレンマはあるでしょう。そこをバランスよく整理し、講師としての力をみせつける。そうした教員としての資質能力を示し、大阪府に貢献する姿勢を文面ににじませることです。いうは簡単行なうは難し、ではありますが、是非、20人からのコメントを参照し、再構成してください。語るべき価値ある実践があるのですから。

 最後にFさん。Fさんは大学3年生。きわめてフレッシュ。しかし、負けず嫌いで、揺れない情熱をお持ちです。その多様な経験をまとめられてきました。内容的に大学3年生としては豊富ではありましたが、それを現場にどう生かすのかの視点から書き直すこと、最初の数行に命を吹き込むこと、これが大切です。かなりがんばっていらっしゃいますから、大丈夫でしょう。

 3名とも、個性的でおもしろい報告でした。是非、書き直して珈琲会に持参してくださいね。

 次に、週末に実施した集団討論の模様を再現し、お伝えいたします。なお、土曜日に討論いただいた内容を採用し再現します。このところ、白い巨塔を何度もビデオで見倒しており、更新サボってしまいました。申し訳ございません。

 今回のテーマは、「学力をもっとつけてやってほしいとの保護者の要求が強く、『うちとこも、東京みたいに塾に頼んでほしい』との意見がでてきています。こうした事態にみなさんは教員としてどのように思いますか。対応しますか。議論してください」でした。これに、6名の方がチャレンジしてくださいました。時間は20分間です。

 まず、Aさんがテーマを確認され、その主旨をAさんなりに説明し、保護者の教育的ニーズが「うちとこも、東京みたいに塾に頼んでほしい」との声にはあると述べられます。学力を児童生徒にしっかりつけてやっているのか、学校の現状を反省し、みつめ直す必要があると発言されました。Bさんも、同様の主旨から、なぜ、保護者からこうした要求が登場したのか、その背景を探るべきであるとご意見されます。Fさんは、こうした保護者の声を学校内で検討しすると同時に、学校における塾の活用はいいのかどうか、慎重に判断しなければならないと主張されました。またAさんは、土日に塾に「授業」を依頼するのはOKであるとの立場でした。一番つけてやりたいのは学力であって、そのためなら学校は配慮してもいいのではないかとの立場です。

 これに対して反対の立場を表明しつつご意見されたのが、Cさんです。Cさんは、Bさんと同じく、なぜ保護者がこうした要求をするのかその原因を考えることを前提されます。したがって、保護者と連絡を取りあい、学力をつけさせることは、学校(教員)でできるということを、説得力つまり裏付けをもって伝えると述べられました。

 Dさんは、基本的に学校世界に塾を導入するのは賛成の立場であると表明されました。「おちこぼれ」との言葉は使わない方が賢明ですよ。Dさんは、東京の夜スペの場合、半額になっていることを指摘し、経済面でも問題解決できるといわれます。ただし、保護者から塾導入反対意見もあるケースは想定しなければならないと付け加えられました。Eさんは、保護者のこうした要求を学校全体で再考し、同時に、担任の立場から考えれば、児童生徒につけさせてやりたい学力は、なにも知だけではないと指摘されました。

 ここで各参加者の発言が1巡しました。

 つづいてAさんは、Eさんのご意見を受けつつも、あくまで児童生徒の学力向上という保護者の要求を前向きに捉え、塾導入には賛成の立場を示し、教員と塾講師とが連携し補いあう関係を模索するべきであると主張されます。塾利用の経済面における問題も、地域と話し合いで解決できる問題であると、Dさんのご意見を後押しされました。Fさんは、保護者の要求は学校の教育に満足していないことを吐露していると捉えられます。学力格差が確認できる現在の学力状況をどう止揚するか、悩まれている態度でした。Fさんは、塾に通わせられる、通わせられないという各家庭の経済問題が学力の格差を生んでいると認識されています。学校は格差ある学力状況を反省しつつ、関係機関との連携を進めるとの立場から、塾を活用してもいいのではないかと述べられました。

 Aさん、Dさん、Fさんのような塾導入肯定意見に対し、Cさんは私たちは公立の学校に勤務する教員であって、その立場から最低限度の基礎的な学力、確かな学力を身につけさせるべきである、「私たちだけでもつけさせることはできる」といわれます。そして、それをちゃんと説明するのが筋ではないかと強調されました。塾の参入を一方的に認めていいか疑義があるとし、私たち教員が指導力を高めて乗り越えていくべきではないのかと提起されます。Bさんは、塾に通える、通えないによって学力格差が激しくなるのは問題だし、経済の問題もあるとし、学校でできることを保護者に説明、実際の取り組みを保護者に観察してもらってはどうかと述べられました。Bさん曰く、居残り補習や早朝取り組みなどを来てみてもらいたい、と。そうでなくても保護者に「なんとか便り」によって、学校の努力を広報するのが大切であるとまとめられました。大学3年生のBさん、「なんとか便り」はご愛嬌、次回からは学校新聞あるいは学校便りなどと表現しましょう。

 この広報努力は「開かれた学校」を地で行くわけでして、討論終了後、いい意見であったとコメントがつきました。

 つづいてDさんが、保護者にある不信感を払拭するために、私たちの指導力を高めていく努力を重ねるのは当然であるとCさんに同意されます。その努力がいわゆる受験テクニックにつながるものであるのかどうか、限界もあるとのご意見でした。そして、受験指導の面で塾が一歩すすんでいるとすれば、それを活用すると保護者も納得するのではないかと発言されました。

 議論の流れから、塾活用において賛成・反対の2つの立場に分かれていることはすぐわかると思います。今回のテーマは、こうした反対者を作ってしまう議論になることは必定です。テーマ自体がアップトゥーデートでありすぎて、どちらの立場に立てば、採用試験において、有利なのかはわかりません。A、D、Fさんの主張にもみるべき点がありますし、Cさんの一貫した反対主張にも、納得できるポイントがあるからです。まあ、有利・不利を考えてしまうことに、「捉われ過ぎ」の「悪魔」が襲いかかるものです。自分の教育観や信念からじっくりと形成した意見をいうべきでしょう。単に賛成・反対ではなく、なぜその立場をとるのかを説得力もって語れるかどうかが評価されるのではないでしょうか。

 こういっても、むつかしい立場選択であることに変わりありません。東京受験者ならOK、他なら不可かといえばそうでもありませんしね。和田中の導入経緯にも、「待った」をかけたり、容認したりの都教委の姿勢にも、ワタクシたち受験生の判断を鈍らせるところがあります。大阪府や市は果たしてどう考えているのでしょうか。財政再建状況にある府、裏金がまた出てきた市、では、とる態度がちがうでしょうね。府の状況で考えれば、首長の「府債発行しない」発言が「見識不足」とほぼ確定しているわけでして、半額といえど、負担はしたくないのが本音でしょう。塾がロハでやるわけないですし、地域がどこまで開催に本腰いれたとしても、半額以上の経済負担をしてまで「夜スペ」的なものをするかどうかといえば疑問だし、無理でしょう。

 こうした塾の授業を導入するかどうかというトピックは、テーマにおいては狭義のポイントであるとワタクシは考えています。これを教育的外部教育資源の導入と捉えるかどうかも、経済面が絡んできますから、議論としてはむつかしいところです。本来、教育的外部資源の導入は、ボランティア精神に依頼し、学校野球部のコーチを地域の方にしていただくなどというのがスタンダードな考え方だからです。コーチと塾講師を同一線上におくのは無理な注文でしょう。ひとつの可能性としての議論であればいいとは思います。

 こうした狭義の議論よりもむしろ、広義の議論をするのが、このテーマに似合います。それは、やはり教員を目指すものとしての反省的視点と学力とは何かを煮詰めるということです。とりわけ、後の再現模様にも登場しますが、学校で身につけさせてやりたい学力は、知力のほか、道徳と体育もあります。こうした広義の話題に触れ、その枝として塾の活用に降りてくるのがよろしいかと思われます。といっても、教員のメインの仕事は学習指導ですから、それは中心議論となります。とすれば、教育方法論、技術論に話題が及んでしかるべきでしょう。

 さて、議論のつづきを再現しましょう。

 Dさんの発言を受けて、Eさんが学校でできることの検討こそ、先に検討する点であると述べられます。保護者と学校と、学力の捉え方が違うということをこのテーマから嗅ぎとられたEさんは、各教科の指導はもちろん大切であるし、思考力、表現力、判断力、行動力、推理力などもつけさせてやりたい学力であると認識されている一方、教員として生活指導、生徒指導もしているわけで、その面からの学力つまり道徳的判断能力も学力の一部を形成しているとのご意見を述べられました。Cさんも、学校でしかできないことに触れ、たとえば特別活動の学校行事など、体験を通しての学習の必要性を説き、そこで養われる情緒的なもの、感性を磨くことも学力に含め考えるべきではないかと指摘されます。

 Aさんは、学校と塾の連携にこだわりを持ち、ご意見を重ねます。外部の人材を登用しいい形でタッグを組むことは、今後も模索されてよいのではないかとの基本姿勢を崩されません。双方が協力しあい、保護者の要求する学力向上に向えば、最善が実現できるのではないかと主張されます。その際、教員と塾講師のランク付けが生まれる問題(児童生徒によっては、有名講師が来れば、おのずといつも教えてもらっている先生と比較するし、甲乙つける)もAさんは指摘するのを忘れず、それを逆手にとって、学校と塾の相乗効果を狙うとの考え方をお持ちです。切磋琢磨が刺激を生み、学校に活を入れることになります。学校における習熟度別学級編成もありますね。こだま、ひかり、とクラス編成されることに鑑みれば、塾導入による発展的な学習の指導も、理屈は成り立つとワタクシも思います。

 こうした議論の流れをみて、Fさんはこれを外部に頼むか頼まないかの2元論に陥っていると指摘し、専門的能力の向上が外部機関に依頼する意味であるならば、受験指導に長けた塾のいい面を学校がとりこんでいけばいいのではないかとご意見されます。これをロハで学校に塾が提供してくれるかどうかはわかりませんけど、いい視点です。実際、塾は学校教育を補完する存在であると文部科学省もすでに認めていますし、学校は、なんやかんやといいながらも、塾の模試を活用しているではないかとの意見もでそうです。もっといえば、全国学力調査をNTTデータやベネッセに頼んでおいて、塾の導入はダメというのも、本来、説得力に欠けるかもしれません。

 Cさんは、Fさんの発言を受け、その一貫した姿勢から、「塾に行けばなんとかなる」といった「盲目的先入観」が保護者にあるのではないか、また、私たち教員にも、そうした先入観に捉われているかもしれないと反省的視点を提出されました。Eさんは、学校だけで保護者の教育要求に応えられれば一番よいとし、基礎基本の確実な定着のために、たとえば、教科を問わずフラッシュカードを活用する実践や百マス計算もあると実践的な指導場面を思い浮かびあがらせました。

 ここで議論は終了しました。

 このテーマでは、どうしても2項対立、日曜の討論参加者の言葉を借りればダブルスタンダードになりがちです。ただ、上述しましたけれども、そこばかりに拘ると、テーマを矮小化しすることになって、ひょっとすれば討論自体が陳腐化する恐れがないとはいえません。たとえば単に塾にかかる経費の問題だけに終始するとかです。こうした議論が小さくまとまる恐れから脱却するにはどうすればいいのでしょうか。そのためには議論するべきトピックを多様化するほかありません。今回参加された現職のKさんが、数点にわたって論ずべき点を指摘してくださったので、ここで紹介しましょう。

 まず、授業力向上、ひいては学校力向上の視点です。これは組織的な取り組みをも含めてですね。次に外部資源をどう生かすかの視点。これは討論でも出た話題です。第3に、「開かれた学校」ともかかわり、学校の広報努力の視点。第4は、広報努力と関連しますが、学校のアカウンタヴィリティーの視点です。その際、成績に関連して数値目標の公表・非公表の観点もあります。第5に、学力格差と個に応じた指導の論点。第6に、教員の服務をどう考えるか。つまり、夜スペといっても、最終的に門を閉じる鍵を塾講師に渡すことになるのかといった問題もあります。第7に、保護者との連携、第8に教員の資質向上。この第8は、研修の話題にもつなげていくことができます。最後は次の点です。最初に組織としての取り組みと書きましたけれども、新人教員として、そこにどうタッチしていくか、校長のリーダーシップをどのように捉えるかの視点です。

 このほかにも、地域においては塾の導入が不可能な「田舎」もあります。府受験ではあまり出てこない議論でしょうが、教育の機会均等との関係で話題とすることができるでしょう。それから、塾導入が「学校のスリム化」の結果なのか、などなど。

 この間のNHK番組において和田中の生徒がいっていたことを紹介すれば、「遠いところにある塾に行かなくていい」という視点。すなわちこれは、学校と家庭との物理的距離から問題化されるべき学校安全の課題となるところです。

 さらには、討論再現でBさんがいっていた「なんとか便り」になにを掲載するかとの視点でいえば、各学校の教育方針ということになるでしょう。Eさんのいっていたところからは、知・徳・体の揃った人間形成、調和的教育方針をどう伝えるかということにもなります。

 日曜の討論から拾えば、学習指導要領に示された以上の内容である発展学習という範疇をどう位置つけるか。民間である塾の早期撤退など「事件」が起こるとすればどうなのか。教員の負担過大、云々です。

 残念ながら土日ともに登場しなかったキーワードがあります。これだけ多様な議論があったのに、「生きる力」が一度も出てこなかったのは、賛成にせよ、反対にせよ、やっぱり寂しいかな。

 ではまた次回です。

(2008年2月2、3日)

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