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浩の教室・第167回勉強会の模様

 昨日は当サイト主宰勉強会に多数ご参加くださりありがとうございました。珈琲会にはなつかしい方を拝顔することができ、これまたありがたいことでした。遠く宮崎からのご参加もありがたいことでした。是非また折をみて、ご参加くださいね。さて、昨日は、答申の講読からはじめました。もうすぐはじめる集団面接とはどういうものかを答申を素材にちょっとすすめてみましたが、いかがだったでしょうか。今回で、教育課程に関する答申は終了です。8回にわたって精読してまいりました。ここから出題されたら、必ず得点獲得できるようにしてくださいね。大阪府の場合、教職教養は12問しかありませんから、1つ落とすと大きいですから。 答申第7章についてコメントしたところを、しっかりおさえてください。

 つづいて自己売り込みのツボでした。NさんとKさんに報告していただきました。お二人ともかなり練ってこられた文面でした。しかしそれでも問題点が浮き彫りにされたということは、それだけ勉強会参加者のレベルが上がってきた証拠でもあります。みなさん、いいものじゃないと飽き足らなくなってきたのですから。

 Nさんの報告には、多少、聞き違えられる可能性のある表現が文章にありました。それをまずは手直ししてください。内容的には、トピックとして、大学院における研究事項をいれることも考えてみてくださいね。それから、ボランティアにかかわる大学学生時代の実践は、少し削りましょう。全体として、「〜だから〜ができる」ということを織り込んで、売り込みにしましょう。

 Kさんのツボは、むつかしい漢語がありすぎて、一度聞いただけでは素通りされてしまうかもしれません。考えておられることを抽象化する高い能力をお持ちです。しかし、面接官とのやり取りでは、平易な表現で具体的にイイタイコトを述べましょう。相当高い英語能力をマークする実力を、是非、中学現場で生かしてください。

 次に集団討論でした。討論テーマは、「卒業式シーズンです。『こうなってほしい』というみなさんの児童生徒に対する期待と希望があると思います。そうしたことを語り合ってください」でしたが、一体どうなったのでしょうか。さて、討論のテーマは、これまでこのサイトに明示してきました。しかし、4月以降は本番さながらにするため、テーマを伏せます。出たとこ勝負で議論できる力を養うためです。がんばって。

 では、集団討論の模様を再現しましょう。上のテーマに、6名の方が20分間で議論してくださいました。議論の行方をみてまいりましょう。

 まず口火を切ったのが、Cさんでした。Cさんは、テーマを確認し、子どもたちには、自分を大事にしてほしいと育成したい児童生徒像を述べられたわけです。自分を大切にするとは、自分のみということではなく、自分がつながりを持っている他者との関係も大切にすることを含めてのことであると付け加えられました。

 なお、以降の文章では、「育成したい児童生徒像」を単に、「像」と略して表現します。

 次にBさんは、スマップの歌にもあった、ナンバーワンでなくオンリーワンであってほしいと像を語り、一人ひとりがすばらしい個性を備えた存在であるとの自覚を持たせたいとのことです。そうした個々人が自尊感情と自信を持ち、みずからの課題を発見できる人間であることを望まれています。Aさんは、幼稚園教育10年の指導経験をバックボーンに、十人十色という言葉を使って個性尊重の人間観をまず語られました。そしてBさんの発言を受けて、集団あってのオンリーワンであることを指摘されました。集団の中で自分を見つめることができる像の提出です。

 Fさんは、少し抽象的、というよりもむしろ主語がない言葉といった方がいいですが、高校の卒業式で生徒に「幸せになってください」との言葉を贈ったそうです。幸せの形は人それぞれであるので、みずからの幸せをみずからの力で切り拓いて獲得してくださいというのが、Fさんのイイタイコトです。そのために高校で力を培ってきたんだよ、というように述べて像を提出されました。Eさんは、小学校教諭をめざす立場からですが、一番具体的に、働くことに意義を見出せる人間になってほしいとの像を提出されました。単に収入の多寡に一喜一憂するのではなく、人間としての充実した生き方を働くことを通して自覚できるような人間、そうした尊厳意識を培えるような人間になってほしいと像を出されます。Dさんは、自分を大切にする自尊感情を持った人間を出され、お互いが違う存在であるということを認め合える素直さを備えた人間を像として示されました。

 こうして、それぞれの像が、1巡目で登場し、次の段階にすすんでいきます。

 このあと、どのように進行していくのか、非常に興味があるところでしょう。このときに、テーマの読み替えがうまくいっているとスムーズにすすみます。というのは、たしかにテーマからすれば、回答はもうでているということになります。しかし、さきほどワタクシが「次の段階」と書いたように、これだけでは集団討論として不満ですし、像の共通項を煎じ詰めるということだけでは、物足りません。それに時間も余ります。「次の段階」をどう想定するべきでしょうか。そこに、集団としての力量が試されます。

 しかし、そうはいっても、「次の段階」の内容は、誰でも思いつくものです。すなわち、それぞれの出された像に近づくために、どんなふうに各参加者が支援してきたか、また支援するのかを議論するという点に落ち着くでしょう。それはすなわち、Fさんのいわれた、「そのために培ってきた力」を議論することになりますね。それをテーマに即して、前回の勉強会の討論と重ねていえば、学力面、生活面から多様に意見を出しあって、期待される人間像を集団として回答していくことになります。人格の完成に寄与するどのような支援が、どのような方法で行なわれるのかを語る時間が、残されているというわけです。

 ここまで1巡で6分くらいでしょうか、ですので、あと14分を、こうした議論ほかにあてることとなります。

 たとえば、次の発言者、Aさんは、Fさんの発言やEさんの発言を受け、大阪のいわゆるこころの再生運動を取り上げ、体験活動を充実していくことが、像の実現にあたってひとつの指標になると述べられましたし、Cさんは、現実の学校生活を過ごしたあとには、いい思い出も、悪い思い出もあるとし、理想だけではない振り返りの作業が、個々の児童生徒に期待されていると語られます。そうした足元を固めるといいますか、現実的な教員感覚を持っているということを主張することは、評価に値すると思われます。誰しもが幸せになる権利を持っているとのCさんの立場は、その実現のために学校生活を糧にすることを児童生徒に要求し、学校生活がプラスにもマイナスにも働くことに注意しつつ、わたしたち教員は指導を豊かにしていかねばならないと述べられたわけです。

 ここでしかし、学力面と生活面という捉え方を、どういうように集団討論として表現していくかという隠された課題がクリアされていない感があります。それはどういうようにこのあと解消されていくのでしょうか。いいかえればこれは、学力的人間形成と倫理的人間形成の支援法ということになるでしょうか。

 さて、次に発言があったのは、Bさんからでした。Bさんは、Aさんの出されたこころの再生運動に触れ、学校、家庭、地域社会の3者が児童生徒をあたたかくみつめ、例の「あかんもんはあかん、ええもんはええ」を実現することこそ求められていると述べられました。Cさんは、中学志望の立場から、思春期の中学生に対する指導を念頭におきながら、こころの再生運動推進に従事するべきとも付け加えられました。Eさんは、切れる子どもが多くなっている現状を反省して捉え、具体的に感情、心をコントロールするよう支援することを述べられ、運動にいそしむことが、こうした課題解決につながるであろうとご意見されました。Eさんの発言は、討論の進行に応じて柔軟に述べられていますが、前回の発言の働くことの意味や価値を理解する人間像ということに直接する意見ではありませんので、そのあたりをどうするかですね。というのは、討論の中で、一貫した意見を述べることも大事だからです。これはむつかしいワタクシからの注文です。

 Fさんは、あかんもんはあかんが話題となっていることにつなげて、生徒が反発した場合の具体的な解決策jこそのべられませんでしたが、学校全体、教員全員で見守っていくこと、生徒指導に関する懐の深さを備えるべきであるということを指摘されます。Eさんは、学習指導の面で、インターネットの活用ということを発言され、大学に行かなくてもインターネットで学んでいけるというようなエピソードが新聞に載っていたことを紹介されました。すなわち、言葉は出ませんでしたけれども、生涯学習をインターネットを経由してやっていけるということですね。そして、Eさんは、こうした学習を進めるには、自分の興味がどこにあるのかを発見しなければならず、そのことが問題意識を持つ人間になることであると指摘されました。

 つづいてAさんが、ご自身のご意見である集団の中で個性をいかにはぐくむかということを再度強調し、その上で、集団における聞く姿勢の定着ということを語られます。毎日の学習の終わりに「よかったね話」のコーナーを設けて、友達のお話を聞く時間を設ける。その時間を集中して聞くことができるように指導する。聞く姿勢がちゃんとできることと、像の関係を述べればもっといいでしょう。集団の中での個性ということに関連し、Bさんからは、集団規律の問題に転換して指摘がありました。集団における規範を理解しているかどうか、こうした課題は高校志望のBさんならではのご意見でしょう。規範意識の形成は、学校教育活動全体で実践されるべきであり、特別活動もそのために活用されるべきであるとご意見されました。Bさんは、文化祭や体育祭を想定されて、あるいは遠足や集団宿泊的行事を想定されて語られていたと思いますが、ズバリ具体的プランを述べてもよいでしょう。この規範意識の形成問題が出てきたのに呼応し、Fさんは、他人のことを自分のこととして考えることのできる行動規範の育成ということにつなげられました。議論が議論になっている感じがあっていいですね。Fさんは、これを公共の精神といいかえられ、ふだんの授業における、起立、礼、そしてAさんの指摘された聞く姿勢も含めて態度形成が重要と述べられたわけです。

 Cさんは、一人はみんながいてのこと、と公共の感覚を理解し指摘しつつ、理想を掲げつつ生きる方法を見出していく必要があると卒業式で語るといわれ、自分の存在が他と切り離された個ではないということ、助け合って人間社会が成立していること、そうした社会において「何事に関しても、あきらめることなく生きていくこと」を強調されました。

 あまりにマイナスイメージを与えることは避けた方がいいというのがAさんの立場であると、討論をお聞きしていてワタクシは感じたのですが、Aさんは、このマイナスのイメージにへこたれない子ども像を期待、希望されているようでした。

 このAさんの指摘は何を意味しているのでしょうか。Aさんの提示された像は、つづく発言の中で「生きる力」を備えた像であると換言されました。前回更新の最後に「考えてくださいね」と投げかけたのは、「生きる力」がみなさんに浮かぶかどうかを確認したかったからです。そうすると、へこたれない児童生徒を育成する代表的授業時間として、総合学習があがるでしょう。Aさんの発言論旨もこのようにすすみました。そこでは中学校における作文がとりあげられたのですが、美化活動に関する作文をまとめたときの話題がありました。

 ここで話題転換がありました。Bさんの発言です。Bさんは、これまで教員の目からみた像を語ってきたけれども、生徒自身にも保護者にも理想像はあるので、こうした要求をも十分に組み込んでいくことが期待されていると述べられます。Fさんもこのご意見に同意し、こうなりたいという力を引き出すのが教員であり、こうした人間になりたいということを引き出すのが授業時間であるとご意見されました。Eさんは、Bさんのご意見に対し具体的に応じようとされ、保護者の願いを受け容れるため、担任が家庭にインタヴューにいき、保護者の我が子に対する期待をビデオに収め、それを学級で放送するのはどうかと提案されました。Aさんは、こうした議論の最後に、素の子どもと向き合っていくことが期待されているとまとめられました。

 Fさんは、学校でみられない児童生徒の一面、つまり、クラブや地域行事でみせる児童生徒の意外な姿に注目し、それをみて感動しつつも、その児童生徒の特質あるいは個性を引き出していくことがよりよい指導になるのではないかと述べられました。そのためには、しっかりした児童理解、生徒理解がEさんいわれるように重要になってきます。また、Bさんが提起されたアンケートによる適性検査を用い、どういう人間になりたいか、また、どういう能力を持っているのかを探ることも教員の仕事でしょう。Aさんは「自分で気づかなかった自分の発見」と表現されました。これは最後の発言者Fさんの、自己同一性、アイデンティティーの課題となります。スピーチ大会を通して、あるいは人権教育を通して、この課題は生きるためのヒントを培うことになるのですね。

 さて、以上で討論は終了です。最後の方で、保護者の像を語ると転換があったところでは、テーマからずれないようにする注意が必要でしたが、何とか大丈夫でした。今回の討論には、ほめる指導といったことがありませんでしたし、最近の児童生徒に欠けていることも議論にありませんでした。まあ、議論からこぼれる論点は20分間とかぎられた時間ですので致し方ありませんね。好奇心、チャレンジ精神といった教員として求めたい像も、言及するべきことでしょう。

 みなさま、もう春ですね。これからはじまる集団面接、個人面接、がんばってくださいね。

(2008年3月16日)

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