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浩の教室・第175・176回勉強会の模様

 本日は、第175回勉強会でした。ご参加のみなさま、お疲れさまでした。本日は集団面接を2回、個人面接を1回、集団討論を1回の実践でした。みなさん、がんばっておられまして、よかったです。

 集団面接は、1回目と2回目と、質問内容が異なるのですけれど、ロールプレイング的質問を含めた1回目の方がやりやすかったとのご意見がありました。まあ、これは参加者のタイプにもよりますね。新しく登場した学習指導要領についても簡単な質問を出しました。みなさん、ちゃんと答えられていて、この間の資料精読の意味があったとホッとしています。Aさんの答え方、よかったですね。

 次に、個人面接です。今回は、Yさんがチャレンジしてくださいました。イイタイコトがなかなかまとまらない印象でした。反省点として、次回に生かしてくださいね。

 また、この日曜日、第176回勉強会にご参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。こちらも第175回と同様、集団面接2回、個人面接1回、集団討論1回のプログラムとなりました。

 集団面接では、今回はロールプレイング的な質問事項をいたしませんでした。次の機会にしましょう。個人面接では、Fさんががんばってくださいました。実力のあるFさん、声のトーン、質に注意すればよいでしょう。内容的には完成されている感があります。しかし、ちょっと長めの発言ですので、10〜20パーセントくらい短くいう感覚で受け答えしましょうね。

 つづいて集団討論です。今回のテーマは、「児童生徒がインターネット上で誹謗中傷し、事件になっていることがあります。私たちは、教育を通じて、どのように対処していけばいいでしょうか。議論してください」でした。このテーマで、GWあけの第4回水曜会ではがんばってもらいます。第175回の勉強会でしていただいた討論を再現してみましょう。参加者は6名、時間は20分間です。

 このテーマで討論していただいた後、「テーマとして話しやすいですか、それとも話しにくいですか」とたずねたのですけれど、半々のご意見でした。ワタクシとしましては、簡単な部類にはいるのではないかと思っていたので、意外でした。「話しにくい」という意味は、「討論しにくい」ということでした。そういわれる方々によれば、イイタイコトやいえることはあるけれども、3回くらいいってしまえばもういうことが枯渇するとのことです。たしかに、誰でも何かはいえるけれども、それを20分間もかけて深めていくのは大変なのかもしれませんね。

 さて、まず発言されたのは、Aさんでした。Aさんは、誹謗中傷の内容からテーマに接近しようとされました。すなわち、誹謗中傷の具体的な中身は、身体に関する欠点をいうことがまず挙げられるとし、保健の授業時間に身体のことを学び、同時に欠点をあげつらうようなことを諌める倫理的な態度形成を充実させたいと述べられました。Bさんは、誹謗中傷の内容について、身体のあげつらいもあるけれども、圧倒的に多いのは、「死ね」、「消えろ」といった存在を否定する言葉であるといわれます。こうした情報倫理は道徳の時間で地道に解決するものであろうと述べられました。

 Eさんは、こうした誹謗中傷があるからといって、ネットの世界を規制することはむつかしいと発言し、だからこそ、私たちの力で情報教育をどのようにしていくかということが試されていると指摘されます。Cさんも、ネットの世界について言及されます。Cさんは、例の学校裏サイトの存在を取り上げ、そこでの匿名のやりとりが問題を起こしていると分析されます。現実では本音をいいにくい、しかし、ネットでは何でもいえる、そうした感覚が、放縦な書き込みをさせる根拠になっているということを強調されました。

 Fさんは、誹謗中傷するようないじめは絶対に許されるものではないということをまず発言されました。現実の場であろうと、ネットで行なわれていようと、いじめが許されないのは同じです。その防御策としてFさんは、すっぱり裏サイトなど「みるな」といわれます。これもひとつの解決の立場でしょうね。情報に関係するモラルを道徳の時間で伝えていくことをFさんは追加的に指摘されました。Dさんも匿名性がいじめの温床になっていることを指摘し、道徳指導と情報教育、ネチケットの自覚を児童生徒に持たせることを私たちは担当するべきであると発言されました。


 Fさんの「学校裏サイトそのものをみるな」のご意見を受けて、Bさんは、これを実現するには家庭との協力が不可欠であるとし、フィルタリングソフト対策を徹底しなければならないと述べられます。Fさんは、すぐさま、家庭との協力の必要性を肯定し、さらに、掲示板などに書き込む側の理由を探るとともに、もともと児童生徒が自己の意思を伝えきれるかどうかというところに焦点をあてられ、それを現実世界で修練すべきであるとのご意見です。すなわち、交換ノートをつけて、ちゃんと書く技術を身に付けなければならないとされます。

 Eさんは、誹謗中傷の問題が道徳の問題であることに同意され、ネットで展開されることについてアンケートをとって事態を把握し、授業で課題化して一斉指導をしてみると抱負を語られました。Bさんのいわれたフィルタリング対策についてCさんは、これで規制しても誹謗中傷はなくならないのではないかと消極的でした。そうした対策よりも、人間の間柄を整える、つまり友人間の信頼関係を密度濃くすることが教員の仕事であって、本質的、根本的な問題解決につながるであろうとご意見されます。Dさんも、顔をつき合わせて話し、話すことに責任を持つ態度を養成することが重要であると指摘されます。この点、Aさんは、学校の日常生活において、生徒との会話をするにしても、その生徒が話題とするポイントを聞き流すことなく、さらに教員として、倫理面に関わる言語活動について話題にあった場合には、ビシビシ注意するべきであると主張されます。Fさんは、これを学校全体で対策するべきであるとし、そのことがBさんいわれるように、いじめ自殺を少しでもなくす方法でもあります。これは大袈裟ではないでしょう。なお、Bさんは、Fさんと同じく、裏サイトは「悪」であるとの立場に立たれていました。Aさんは、裏サイトは管理できないかと問われ、たとえばサイバー捜査官的役割を学校が担えないかといわれます。その延長線上に、警察との連携による問題解決もおかれていました。削除はBさんいわれるようにプロバイダーの仕事でしょう。そこまで学校ができるかどうかといえば、むつかしいですからね。

 いじめを助長するものとして裏サイトを捉えるEさん、裏サイトの話題をクラスでしてみるのもいいかもしれないと大胆です。Fさんも、裏サイトにおける誹謗中傷が不登校につながる可能性が高いので、現実の場における指導を視野に入れておられます。Dさんも同意見で、児童生徒と深く接して私たち教員が察知しなければならないというように、早期対応の必要性を語られました。

 教員側からの対応ももちろん大切であるが、児童生徒の主体的な倫理意識の形成という観点では、Aさんが思いやりの心を持つといったように、道徳観の自主形成が重要です。体育の時間でもグループワークをしてこれを養うようにしたいというのがAさんのご意見です。

 つづいてCさんが、現実問題として、匿名で無責任に書き込みすることがネットにおける最大の問題であるから、おしゃべりする場を学校でできるかぎり設け、友達同士交流できる場を提供することによって問題解決しようと提起されました。Fさんからは、無責任ということに関して、体育教員をめざす立場から、スポーツマンシップの精神を培わせることが解決策の一つであると示されました。相手を思いやる心ですね。こうした精神は、相互尊重の精神を生みます。Cさんがそう指摘し、このほかに、「できる子ができない子に教えること」によっても、思いやる心ははぐくまれると追加的説明をされました。Eさんは命を大切にする教育について言及され、Dさんは多様な価値観が存在することを認識させたいと述べられました。

 もう終盤になっていますが、ここでFさんは、ご自身が携わるボランティアワークについて紹介し、「障がいあるもの=弱者ではない」ということを強調されました。これは、多様な価値観が存在することを一歩掘り下げ、多様な人間によって社会が構成されていて、人間同士のあるべきあり方を考えるところから提出されたご意見でした。このご意見は、ひいては多様な民族、文化といったところにまでつながりますね。

 最後に、Dさんから、これまでネットのデメリットばかり指摘していないだろうかと反省的視点を挙げられ、ネットを賢く便利に活用する情報教育が期待されているとまとめられ、Cさんから、そうだとすれば、ネットでも「ほめる指導」が展開できないかと、実現可能性はどうであれ、おもしろいご意見が出ました。Bさんいわれるように、教員一人ひとりが情報教育について研修を深めていく必要がありますし、交換ノートを携帯メールですることが可能かといったAさんの指摘もありましたが、ここでタイムアップでした。

 さて、第176回の討論において出てきたご意見をひとつ紹介します。それは実際に、ネットを舞台としたいじめ問題があったことについてのご意見でした。そして、教育の第一義的責任は家庭にあるとの立場をどのように考えるか、後の反省会ではおもしろい議論となったのです。

 ネットでいじめに巻き込まれるのは、当然、誹謗中傷した相手が悪いのですけれど、児童生徒に携帯電話を持たせることをやめさせられるかどうかは、結局、保護者にしかできないことで、これを学校が保護者に伝えることができるかどうか。また、学校の教員が、24時間休むことのないネットのことにまで責任ある指導ができるのかどうか。これは両方とも考えさせられるご指摘でした。後半の問題は、本当にどう捉えるべきでしょう。現実の学校世界においてさえ、指導が困難な場合もあるのに、いつ誹謗中傷が書き込まれるかわからないネットを、また、学校と切り離された世界であるネットを、どこまで教員は「指導」しなければならないのか。これは、学校のスリム化と反する議論になりますね。学校で相談体制を整えることがいじめの問題解決になにがしかの効果はありますが、異次元といっていいネットを舞台にいじめが起こると、これを解決するのは学校ではもうどうにもならないかもしれません。しかしまた、学校がホームページを持っているように、完全にネットと学校が切り離されているわけでもありません。

 この、第176回の勉強会で出された問題、みなさんは、どう考えますか。教えてください。

(2008年4月26・27日)

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