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浩の教室・第196回勉強会の模様

 昨日は、今期最終の勉強会にご参加いただき、みなさまありがとうございました。まず、合格者から、この1年間どのようにして勉強してきたのか、ご報告いただきました。そのひとつにつきましては、こちらをご参照お願いします。合格者報告では、京都と奈良に合格された方に順次ご依頼し、一般教養の勉強の仕方、教職教養の勉強の仕方、そして、面接の対策方法と試験当日の面接に関しての感想、そのほか、ワタクシや参加者の質疑に応答する形でお応えいただきました。ありがとうございました。

 つづいて、個人面接を実施いたしました。まだ大阪府の採用試験は継続しておりますので、メンバーの中に、未受験者がいらっしゃいます。その方の個人面接を行い、参加者のみなさんから問題点を指摘していただきました。是非、当日までに少しでも問題点を解消しましょう。

 ところで、大阪府の個人面接を経験された複数の方から聞き取り調査(?)しましたところ、エントリーシートに基づいて質問を受けた方と、まったくエントリーシートに関係なく質問された方と2通りあるようです。通常、提出物に基づいて、個人の資質や能力を見極めるものでしょう。まったくエントリーシートに基づかないならば、何のために提出させているのかわからないですね。府は、面接の精度を上げる工夫はしているでしょうけれども、その前提に、少なくとも面接実施態度を統一する必要があるのではないでしょうか。はなはだ疑問です。

 最後に集団討論です。未受験の方にも、合格者の方にも、そして、来年をめざす方にも参加していただきました。それゆえ、当日のテーマは、「理想の教師像について議論してください」といたしました。仮にA〜Fさんとして、討論の行方を追っていきましょう。

 まず、養護教諭志望のAさんから発言がありました。それは一言でいえば、理想の教員とは、信頼を得られる教員ということでした。今回、志望校種がバラバラな中、養護教諭の立場を踏まえつつ発言されようとしたのはいい態度であったと思います。養護教諭ばかりが集合して討論するのであれば、テーマそのものが異なるはずでしょう。一般的な、理想の教師像を語る今回のテーマでも、自分らしさを忘れず果敢にアタックされたことは、ご自身の教育観を広め、深めるためにもよい経験となるでしょう。内容的にも、他校種、教科の志望者と擦り合わせをしようと、キーワードとして「信頼」を提出されたのは、第1発言者としての責を果たしていると感じます。

 この提起に応じられたのが、Fさんでした。信頼を得ることは大切で、それを一人ひとりの児童生徒を人間として尊重することであるといい換え、さらに、その信頼をえるにはどうすればいいのかの具体策を議論していく方向にふられました。具体策は次の発言者であるEさんから語られます。Eさんは、一人ひとりの居場所を作ることと述べられ、そうした学級経営を実施したいと抱負を述べられます。こうしたあたり、4年生らしいさわやかさがあらわれていました。

 Cさんは、信頼をえる方法をさらに深め、困っている児童生徒、壁にぶちあたっている児童生徒に真摯に寄り添うことが、それぞれの児童生徒の信頼関係を形成していくことになるといわれ、そのためには、児童生徒を観察していく眼を養わなければならないと発言されます。この観察眼の精度向上が、児童理解、生徒理解を意図しているのはいうまでもありませんね。Dさんが、この発言に付け加えられ、児童生徒と一緒に、つまり輪の中に入って活動することが、観察眼を豊かにする方策であると述べられました。

 Bさんからは、理想の教師像というテーマに今一度立ち返り、尊敬される存在が教員であるとし、ご自身でもそうなりたいと述べられます。「信頼されない教員」が多い現状において、理想像を社会に発信していくことが大切なのではないかと、これまでとはちがった問題提起をされました。この提起はかなり第上段に立って議論しようとするご意見であり、これに応じていくのは大変であろうと思われます。しかし、この提起が社会と学校・教育を近接していこうとする開かれた学校の理念を実現し、教育の方から社会に課題を発していくには不可欠な態度であると評価できます。

 なかなかに議論をつなげるのがむつかしかったのか、次の発言者であったFさんからは、もう少し教室に近いところからの発言となりました。それは、私たちが担任を持ったとして、30人から40人の児童生徒を理解しなければならないので、それをどうするべきかという問題でした。Fさんによれば、児童生徒理解を確実なものにするために、学習指導、生徒指導にこだわらず、個々の児童生徒に関するメモをとることが具体策になるのではないかと述べられ、さらには、その個々人に対するメモの記述量に偏りがあるとすれば、それは児童生徒理解に偏りがあると判断できるわけで、そこから観察眼の公平性、平等性を自己修正していくと話されます。こうした具体的に観察眼=生徒理解を深めていく方法に、どのようなものがありますか、と集団に対して話題を進めていく発言をされて、議論をつなげようとされました。

 次に発言されたのは、Eさんでした。Eさんは、今年の京都合格者です。おめでとう。Eさんは、Fさんが提起された観察眼を磨く、あるいは、子ども理解の方法として、いいところ探しを挙げられました。それを学級経営に生かしていくと力強いです。Cさんがこれに応じ、生徒との信頼関係を築いていきたいと述べられたあと、Aさんも、高校の保健室運営の立場からどのように児童生徒理解を進めていくか述べられました。たとえばそれは、クラス担任を持たない、いわば不利な点をどのように解消するかの観点から語られ、廊下で出会う生徒に積極的に話しかけることや、一人ひとりの生徒の情報を、担任の教員から聞き、自分なりに個々の生徒について理解をしておくことなどとされます。

 Bさんは数学科の立場から、自論である「できなければできないでいいじゃないか」の論旨を爆発させつつ、しかし、数学的達成を図ることは必要とし、それをたとえば40点という赤点であれば、それを超えさせることが最低限度の責任と捉えられているようです。こうした問題提起の根底には、学力保障の課題があります。Bさんの発言主旨は、ここにあるのであって、一定程度の学力を保障することが可能なように私たち教員は教えているのであろうかという反省的視点がありました。

 学力保障という観点からは、Cさんは、高校地歴の授業をいかに楽しく進められるかということを提案されます。暗記教科と捉えられやすい社会科系ですけど、楽しみながら学習することが「させられている」との感覚から脱却する方策ではないかと述べられ、歴史の年号の暗記に関しても、例の「鳴くよ鶯〜」のようにひとつづつ楽しく進めていこうと発言されます。このことに関しては、後でワタクシの方から、語呂合わせで年号を覚えることが本当に楽しいのかどうかとの疑問を呈しましたけれども、それは、ひとつの例示であるとのことでした。歴史の学習は、本来ダイナミックであるべきなのですけど、児童生徒にあっては、まだまだ「いかにつめこむか」の教科的特性の次元で捉えているのかもしれません。そうした捉え方をどのように打破するのかが、ワタクシたちに期待されています。

 Fさんは、Bさんの提示された、「楽しみながら学習する」という理念に同意され、その際、授業の導入に注意を払うと述べられます。つまり、ある単元において、興味関心をもたせられるかどうかは、「最初」にかかっているとの見解ですね。それが算数の立方体に関する理解であろうと、歴史における平安京遷都の課題であろうとです。Fさんはとりわけ参加型学習の推進を力説されていました。そうした意味では、Dさんも家庭科において実習を多く取り入れ生活力を伸ばしてやりたいと応答されました。

 Aさんは、BさんやCさんが提出された学力保障に関し、養護教諭として何ができるか提示しようとし、結論としては、教科教育がしやすいように精神面におけるサポートを忘れぬことと述べられました。各教科担当者に対して、保健室をたずねる生徒の実情を情報提供することで、側面支援するということです。Eさんは、学力保障については、児童のレディネスの確認ということを主張されました。

 Aさんの発言主旨をまとめてCさんは、教員間連携の話題を提供され、その点、Bさんは、学校という組織の改革をどう進めるかまで、議論を発展させました。すなわち、情報共有や交換は、これまでの学校組織でも行なってきたが、それでもまだ不十分であればどうするべきなのか。学年会においても情報を交換し合う時間がない現実があって、それをどう改善していけばいいのだろうかと具体的に解決策を模索されるご意見を出されます。また、中高では、それぞれ専門性を持たれる先生方が、その専門をどのように発揮し、分業の体制を基礎としつつもそれを束ねていって、いわば学校の個性を出していくかという、これまた難しいながらも考えなければならない視点を提供されます。

 ここまでの議論から閲覧者のみなさんはお分かりになるでしょう、議論が具体的な教室内における問題、児童生徒と直接する観点からの問題と、それよりももう少し大きい学校の運営問題にどのように参画する教員的個性を自己育成するかの問題とクロスしています。この交差を立体交差にして素通りにするか、赤信号を設けて両者の交差を平面でぶつけ合い議論するか、どちらを取るべきでしょうか。ワタクシは後者をとろうと思うのですけど、そのつなげ方が相当困難です。理念と実践をどういうようにつなげるのかの問題といってもいいのですけど、それぞれの参加者の問題意識の持ち方をどう収束するべきでしょうか。大阪府において「結論はいりません」というのは、こうした議論における問題点の錯綜は、そのままにしておいていいとの意味なのでしょうか。これはちょっとわかりません。というよりも、そんな高度なことを大阪府は求めていないでしょうし、そんなことまで気にしている面接官など大阪府にはいないでしょう。

 とまあ、大阪府教委にケンカを売っているわけですけど、何十人もの受験生から聞いていて、やる気のない(ようにみえる)面接官が多いみたいですね。面接官がちゃんとやっているかどうかチェックする面接官が必要みたいです。家で待っているワンちゃんがかわいそうだから、ワンちゃんにペットがいるなあ、ということです。

 学校の組織論としては、Dさんがいわれたように、特別な教育的ニーズが必要な児童生徒に対する対応の工夫も重要です。どの先生にあたっても、安心して教育を受けられるように支援する体制の組織化のご意見です。また、組織としての学校は、教員間の連携を期待します。この見解は先ほども出ましたけれども、どのようにして連携を強めるかに関して、Fさんが情報技術(ICT)の活用を挙げられました。

 このほか、いささか制度論に傾きかけていますけれども、CさんがBさんのいわれた「教員の分業体制の組織化」に対して、別の言葉で説明されます。それは、教員の役割分担ということになりますが、たとえば非行対応にしても、担任だけがそれを担当するのではなく、協働して解決を図るべきであると述べられます。これも、組織化の問題でしょう。BさんがこのCさんの発言を引き継ぎ、結論的に、人材育成が教育の使命であるから、それに忠実に学力保障をしていくべきであるとの旨の発言をされました。

 ここでFさんから、ほめる・叱るの議論が出されまして、叱る場合は簡潔にし、ほめる場合はみんなの前でほめるということをいわれました。掃除をしていない児童生徒の前で、掃除をしている児童生徒をほめ、刺激を与えるとの主旨です。

 最後に、学校ではメリハリをつけることが求められており、チャイムの意義を考えるなど、児童生徒のルールの問題に及ぶ発言がEさんから発せられて、今回の討論は終了しました。

 さて、議論が噛み合ったのか、噛み合わなかったのか。問題点はすでに立体交差なのか、信号を設けて平面で交差させるのか、というたとえを提出してワタクシから述べましたけれども、討論参加者の集団的性格にも議論のポイントは左右されます。今回、小中高と校種がバラバラだっただけに、児童生徒に直接してご意見を述べられていた小学校希望の方と、学校組織の観点に力点をおいて述べられた高校希望の方、そこにどういうようにして入り込もうかと苦労している養護教諭志望の方となりました。議論が小さくまとまるよりは、多様性があらわれますので面白いわけですけれども、どの立場にあろうとも、教育対象たる児童生徒をしっかりみつめる議論と学校組織において教員がどのように振舞っていくかの議論と、両方ともなにがしかのことが発言できるように鍛えておかなければなりません。それは参加者個々人が幅を広げるためでもあります。

 ただし、今回のテーマが「理想の教師像」であることを発言する前に自覚しているかどうか、これが重要です。

 では、また〜

(2008年9月21日)

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