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浩の教室・第6期 第14回(通算210回)勉強会の模様

 みなさま、更新遅れていましてすいません。ほんとは本日午後にでも更新しようと予定していたのですが、京都に行く用事があり、単車で行ったのですけど、その帰りに事故に巻き込まれまして、イタタの状況なのでした。いまは、まだ強打撲の痛みがひかず、ヒィーヒィーいってます。まあなんとかこうしてタイプできるまでに復活しており、週末の勉強会は大丈夫です。

 さて、先日の第14回勉強会にご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。また、珈琲会には昨季合格者がお見えになり、ありがとうございました。Sさん、Sさん、N家の方、楽しかったですよ。また、かなり久しぶりでありましたが、Oさんには、勉強会も珈琲会もご参加いただきまして、ウレシク思っております。

 プログラムは、過去問の検討、自己売り込みのツボ、集団討論となりました。過去問の検討は今回の勉強会で終了です。最終問題は、中教審答申「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての取組を進めるための方策について」の正誤問題でした。本答申の簡単なまとめ的解説をいたしまして、かつ、勉強会には養護教諭志望の方がたくさんいらっしゃいましたので、答申の文章に魂をいれるよう、イロイロおたずねしながらすすめてまいりました。現場の先生方のお声を乾いた答申の文章に吹き込み、具体的に理解できるのは大変ありがたいことです。ご参加いただいていたメンバーの方々も具体的に理解できたのではないでしょうか。

 次に「自己売り込みのツボ」です。今回は、Nさんに報告していただきました。個人情報になりますので、こちらの内容は割愛しますが、みなさんからのコメントやワタクシからの指摘を生かし、再度、原稿作成してくださいね。今後また報告する機会があるやもしれませんので準備を怠らないように。なお、1分間スピーチ大会があります。その元になる原稿ですし、府や市のエントリーシートにも十分生かせるものですから練りに練ってください。

 最後は、いつものように集団討論です。今回の討論、大変評価が高かったです。今回の集団討論のテーマは、「わたしたちは体罰によらない指導を基本としています。なぜ体罰はいけないのかそれぞれ回答した後、体罰に関する考察を深めていってください」でした。これも2008年夏に出題されたものですが、「それぞれ回答した後」の部分はワタクシの追加です。このテーマに今回は5名の方が挑戦してくださいました。20分を切るくらいで議論してくださいました。仮に着席順にA〜Eさんとして、議論を再現してまいりましょう。

 まずEさんがテーマを確認されました。そして、ご自身が養護教諭志望であり看護士経験があることを述べられた後、体罰の結果、児童が入院したケースを紹介され、体罰が絶対に許されてはならないことを強調されました。体罰から障がいが残るケースもあるのであり、こうしたEさんの報告にはナマナマしいものがありました。それだけに印象深いご意見になっており、緊張感ある集団討論のスタートとなりました。つづいて、Cさんが、中教審答申の表題「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての取組を進めるための方策について」を借りつつ、現場において児童生徒の安全を守る立場から体罰の問題を取り上げられました。心身の健康を守るのが教員であるのにそれと正反対の体罰という暴力をふるうことに対する怒りがあったと思われます。Bさんも体罰は絶対に許されるものではないとの立場に立ってご意見されました。Bさん曰く、教員は他の親御さんのお子さんを与かっている立場であることを忘れてはならないと述べられまして、体罰は児童生徒の人権を守る上でも行なってはならない行為であると主張されます。人権の問題として体罰の問題を捉えられているところに、Bさんの発言の評価すべき点があります。Aさんは、体罰は法的にもダメであると指摘されます。いうまでもなく、学校教育法11条に基づくご意見であり正当ですね。また、思春期に体罰を受けると自己肯定の感覚がそがれることにも注意を払うべきであると述べられました。体罰がトラウマになることはあり得ることです。Dさんは、身体だけでなく心も傷付けることになる体罰についての指摘、しかも、長期にわたって体罰を受けたことを思いつづけることから発生する問題をも指摘されました。これもトラウマになるということでしょう。

 なおここで法的規定について補足しておきます。平成19(2007)年2月の通知である「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」の「3」に「懲戒・体罰について」があります。そこでは、「児童懲戒権の限界について」(昭和23年12月22日付け法務庁法務調査意見長官回答)をいわば塗り替える「回答」が用意されており、これが「体罰・懲戒」の新しい判断基準になっています。重要な文書ですので、以下、引用しておきましょう。

1 校長及び教員(以下「教員等」という。)は、教育上必要があると認めるときは、児童生徒に懲戒を加えることができ、懲戒を通じて児童生徒の自己教育力や規範意識の育成を期待することができる。しかし、一時の感情に支配されて、安易な判断のもとで懲戒が行われることがないように留意し、家庭との十分な連携を通じて、日頃から教員等、児童生徒、保護者間での信頼関係を築いておくことが大切である。

2 体罰がどのような行為なのか、児童生徒への懲戒がどの程度まで認められるかについては、機械的に判定することが困難である。また、このことが、ややもすると教員等が自らの指導に自信を持てない状況を生み、実際の指導において過度の萎縮を招いているとの指摘もなされている。ただし、教員等は、児童生徒への指導に当たり、いかなる場合においても、身体に対する侵害(殴る、蹴る等)、肉体的苦痛を与える懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間保持させる等)である体罰を行ってはならない。体罰による指導により正常な倫理観を養うことはできず、むしろ児童生徒に力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがあるからである。

3 懲戒権の限界及び体罰の禁止については、これまで「児童懲戒権の限界について」(昭和23年12月22日付け法務庁法務調査意見長官回答)等が過去に示されており、教育委員会や学校でも、これらを参考として指導を行ってきた。しかし、児童生徒の問題行動は学校のみならず社会問題となっており、学校がこうした問題行動に適切に対応し、生徒指導の一層の充実を図ることができるよう、文部科学省としては、懲戒及び体罰に関する裁判例の動向等も踏まえ、今般、「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」(別紙)を取りまとめた。懲戒・体罰に関する解釈・運用については、今後、この「考え方」によることとする。

以上引用しましたが、最後の「3」の「別紙」の内容が重要になってまいります。なにしろ、今後、この「考え方」によること、と述べているのですから。では、そこでは、どのように「新しく」規定しているのかみてまいりましょう。

「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」

1 体罰について

(1)児童生徒への指導に当たり、学校教育法第11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある。

(2)(1)により、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。

(3)個々の懲戒が体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。

(4)児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、「いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない」としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、「生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される」としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。

(5)有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常体罰には当たらない。
○放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を過ぎても長く留め置く等肉体的苦痛を与えるものは体罰に当たる)。
○授業中、教室内に起立させる。
○学習課題や清掃活動を課す。
○学校当番を多く割り当てる。
○立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。

(6)なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。

となります。ここは、1次試験においても出題される可能性が高いです。じっくり読み、覚えましょう。


 つづいて発言されたのは、Eさんでした。Eさんはここまで一巡して出されたご意見をまとめ、体罰が心とからだと両方に深刻な問題をもたらす点と法的に議論するべき点があることを再確認されました。集団としての意見の方向性を2つに絞る意見といえます。その上で、もちろん体罰はのぞましくない行為であるが、教員が暴力を振るうにいたる理由いいかえれば児童生徒に暴力を振るわれるどのような理由があるのかをあきらかにし、今後の指導に生かしていかなければならないと述べられました。ここでは、体罰が「起こってしまっている」との仮定の上での発言となっています。

 Dさんもしっかり児童生徒から話しを聞くことが重要であると捉えられています。教員も人間であるから、カッとするときもあるが、しっかり言葉で説明していく態度を教員は保持するべきであるとの立場に立ち、そのためには生徒をよく知ることを進めていかなくてはならないと、帰結を生徒理解に求められたわけです。その際に、たしかにBさんがいわれるように児童生徒が納得いくように伝えなければならないでしょう。また、Bさんが指摘された「体罰をすれば教員の負け」は鋭い指摘です。まさにそうでしょう。つまりAさんがいわれるように、力で言い聞かせようとするのが間違っているのであり、教員は冷静な指導態度が要求されます。養護教諭志望のAさんは、「なんでそう(体罰)されたの?」と保健室で話を聞く言葉の投げかけを充実していくとのご意見を提出されました。Cさんは、体罰を受けたときの児童生徒の気持ちを受けとめるべきであると教育的な心配について述べられました。さらに、体罰を振るってしまった教員は実際大変なことをしてしまったと内省しているはずであり、そうした教員に対するケアも慎重にやっていかなければならないとご意見されました。

 ここで話題が少し変わり、Dさんが体罰には身体への暴力のほか精神的な暴力もあると述べられました。たしかに授業中トイレにいかせないことも体罰の一つにほかなりません。そして、Dさんは、大阪府も準備している体罰防止マニュアルを教員間で「勉強」し、教員全体で体罰に対する意識を統一していくことが期待されていると述べられました。マニュアルの研修という点ではAさんも同じ立場をとられ、また、食べ物に好き嫌いがあるのに無理やり食べさせるのも体罰になるのかといった発問がありました。これはむつかしいですね。どうなんでしょうか。好き嫌いをしてはならないという指導が正しいはずですが、無理に食べさせるのは体罰になる… Bさんは思い切って「学校で体罰がないかといえばウソになる。部活などの場面では体罰はある」と発言されました。この立場から、体罰をゼロにするにはどうすればいいかと問題を立てられたのですけど、あまりすすめられる発言ではありません。体罰が皆無でないことは日々の新聞や報道が証明しているところです。しかし、みなさんの前に座っている面接官は校長教頭ほか教員なのですからこうした指摘に対してあまりいい気持ちはしないでしょう。やめておいた方が無難です。


 Eさんは、他の先生方の体罰があったとして、自分自身の反省課題として体罰をみつめ直すことが教員として大切なのではないかと述べられます。それはすなわち、体罰をしていないと考えている自分自身への戒めです。実際に手を出すケースがなかったとしても、ひょっとして言葉の暴力をしているのではないかと常に自戒する慎重な態度が必要とのご意見です。それは何気ない態度や言葉で児童生徒を傷つけるケースを意味しており、Aさんがいわれるように児童生徒の声にちゃんと耳を傾けることが自戒の意識を実践化することになります。体罰に関する研修を充実させていき、学校全体として共同歩調することが求められているとのご意見も傾聴に値するAさんの発言です。

 上にもありましたが、Cさんは体罰の定義ということに触れられ、言葉の暴力の問題性を取り上げられました。言葉が体罰になるかどうかの判断は難解であり「誰が聞いても」との条件が「言葉の体罰」の認定ということになるのでしょうか。児童生徒の「傷つく」程度も主観的なものでありますし、法的判断にまでいかなければ判然としないこともあるでしょう。養護教諭志望のCさんの立場からいわせると、SOSを訴える場所としての保健室との設定で、児童生徒の声を正面から受けとめることの必要性は消えることはありませんね。体罰の共通理解という角度からは、教員間の共通化だけではなく、児童生徒においても、こういう場合が体罰であるとの認識をもっていないといけないのではないかとDさんは述べられます。これもそうでしょう。児童生徒自身が体罰であると感じる行為行動が本当に体罰であるのかどうかの問題もありますし、なんでもかんでも体罰と捉える向きが強い現実の中で、体罰と懲戒の線引きを児童生徒にも周知徹底させることがあるいは必要なのかもしれません。結局は体罰などなしで指導することができるように教員としての資質=指導能力を高めていくことが何よりも要求されているわけでありまして、Bさんがそのための児童生徒との信頼関係の構築と強調されたのは当然でしょう。ただ、教員に無茶なことをいう児童生徒に対しては、また別の指導手法がいります。このあたりの具体的な方策をBさんが提示してくださればよかったですね。

 Eさんは、先ほどから登場している言葉の暴力についてさらに言及されました。問題は教師にも同級生にも心無い言葉を言う心理にあるのであって、そうしたいわば暴言を吐く根底にある心の問題と捉えられています。また、体罰が物理的な形つまり有形力で出るよりもむしろ、最近では圧倒的に言葉として出るわけで、それが裏サイトへの書き込みのような形で蔓延ると指摘されます。これは道徳指導に結び付けて体罰問題を解消する視点を含む発言ですね。Cさんは心の問題が身体の変化にあらわれることを指摘し、だからこそ健康観察が欠かせないと提案されます。朝、なぜか機嫌が悪い児童生徒、この場合には、単に体調の問題があるだけではなく(それだったらまだいいのですが)、なにか心に抱えている問題があるわけですね。それを見抜く技量が、すべての教員に期待されています。

 Aさんのいわれるように、児童生徒の声を大切にしつつ、信頼関係を構築し体罰に変わるに言葉による教育を真に実現しないといけません。具体的にはBさんが教育実習体験を述べられたことにヒントがあるわけですが、そこでは、活発に動きのあるクラスは深い信頼関係の中で成立しているということで、これは児童生徒間の、そして児童生徒と教員間のコミュニケーションの効果です。Cさんも職場における観察から、心の指導をどうするかということに大いに悩まれておられます。とりわけ「キレル児童生徒」対策について言及されました。実際、キレルとはどういうことなのか。キレルとすぐに悪態をつくわけでありまして、身体的な欠点をズバッといってしまう児童生徒もいます。「嫌なことをいわれたときにどうするか」は、心の問題ですね。

 最後にDさんが、怒ると叱ると違うということ、感情に任せて怒る指導をするのではなく、理性的に教育的に叱る指導をすることが、体罰とはまったくはなれた愛情ある指導になっていくという発言をされて、20分間が終了しました。

 今回の討論は、途中何回か十数秒程度の空白時間はありましたけれどもとても聞きやすく、また、参加者個々人のご意見が的を射ているものばかりで、内容評価としても抜群でした。討論傍聴者の方からも、法的規定の確認をするべきではないかという以外は概ね良評価でした。ワタクシも同じです。

 また、次回ですね。

(2009年1月10日)

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