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浩の教室・第6期 第15回(通算211回)勉強会の模様

 昨日は、当サイト主宰教員採用試験対策勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。はじめてご参加いただいた方もいらっしゃいましたが、いかがだったでしょうか。今後もよろしくお願いします。さて、当日は、過去問の検討が終了しましたので、ワタクシからの「議論のたたき台としての教育学講義」と、自己売り込みのツボおよび集団討論を実施いたしました。みなさまからのアツイご意見ありがとうございました。

 講義は久しぶりとなりました。昨年末以来でしたが、ヘルバルトの警句を元に教養教育について述べることになりました。直接的には採用試験に結びつかないかもしれませんが、参加者のみなさんの教育的思考を深めるのに寄与できていれば幸いです。

 つfづいて、自己売り込みのツボです。今回、Kさんが挑戦してくださいました。3分間で自分を面接官に売り込むこのツボは、とってもやりがいがあるでしょう。みなさまからの指摘のほか、ワタクシからはかなり突っ込んだ質問をいたしましたけれども、是非、次回に生かせるように反省的に捉えられ、原稿を仕上げてください。必ず夏以降の実力アップにつながります。内容的には、個人情報になりますので、ここにはアップいたしません。

 こうした自己売り込みのツボの原稿が、ワタクシたちの勉強会には百人分以上あります。これはコピー厳禁ですけれども、ご参加のみなさまに自由に閲覧していただいています。これまで6年間勉強会を運営し、合格して卒業されていった方々が遺産として残していってくださった貴重な資料といえるでしょう。これらを参考に、自分なりのものを作り上げることが、自己売り込みのツボの指導内容となっています。

 最後に集団討論です。今回は、7名の方が25分間でがんばってくださいました。今回は、参加希望者が多く、活気があってよかったです。やはり「討論したい、やりたい」と意欲的な方がこれまでも合格していますし、この調子で「奪い合い」になるほどに主体的であることを期待します。テーマは、「児童生徒には好きな教科と嫌いな教科とがあると思われますが、好きな教科は一層伸ばしてやるべきだし、嫌いな教科はできるだけ親しませ、これまた伸ばしてやる必要があると思います。みなさんはどのように指導しますか。議論してください」でした。

 討論のテーマには、むつかしいもの、簡単なものがあります。それは論じやすいかどうかということによるでしょう。論じやすいテーマの持つ特徴は、第1に、多様な意見が出やすいかどうかということ、第2に、議論の方向性、トピックを立てやすいこと、があります。討論は発表会ではありませんから、建設的に各々の参加者の意見が重層化することが期待されます。多様な意見は討論を豊かにしますし、トピックが立てやすいと論理的な筋道が明確になって「議論している」との感覚を共有する結果となります。討論を聞いている面接官も厭きません。これは重要なことです。今回のテーマは、ちょっと長いですけど、論ずるべきポイントや流れが設定しやすいと思われます。「児童生徒には好きな教科と嫌いな教科とがあると思われますが、好きな教科は一層伸ばしてやるべきだし、嫌いな教科はできるだけ親しませ、これまた伸ばしてやる必要があると思います。みなさんはどのように指導しますか。議論してください」でした。

 テーマを分析しますと、上の「第1」を満たす条件となっています。好きな教科云々ということから、教科をイロイロだせばそれだけで豊かになりますし、教科担任制の中高でも、受験者個々人の経験談から意見を提出することができます。「第2」に関していえば、テーマそのものが流れを形成するよう指示しているのがわかるでしょう。というのは、好きな教科、嫌いな教科が自分の場合なんであるのかや、なぜ好きに、なぜ嫌いになったのかなどを議論すること、次に好きな教科のさらなる伸ばし方、嫌いな教科をどう指導するかというように、設定できるからです。また、このテーマでは、前回のように法的な知識や取り決めについての言及が、どちらかといえば不必要だからです(「どちらかといえば」というのは、時間配分など教育課程編成に関連したご意見があるとするとそれは学習指導要領と関わるからです)。本当は、授業時数との関連は大切なファクターなんですけどね。今回の討論にこの話題が登場しなかったのは意外でありました。好き嫌いの克服は時間配分の課題と密接だからですし、大阪府が学力向上プランを作成しているのも、この問題と大きく関わると考えられるからです。まあ、このことについては次回の課題としてください。

 さて、第1発言者は、Fさんでした。Fさんは、テーマを読み上げられて確認し、私たち自身も好き嫌いがあったことを認め、最初に、嫌いな教科をどのようにして克服したのかを出し合いましょうと提案されました。好きか嫌いかどちらか一方だけでは困りますけれども、好きと嫌いとどちらを先にするかはグループによって違うでしょうし、どちらでも評価に大きくは関係しないでしょう。Fさんは教科としての音楽が苦手だったようです。Fさんはリコーダーの修得過程を例示され、ステップを設けながら演奏を完成させたようで、ここでは達成に向っての努力が嫌いな教科の克服につながることを主張されたわけです。

 この第1発言ですでにひとつの問題が登場しています。たしかにテーマでは「好き」や「嫌い」というように表現されていますけれども、嫌いな教科、嫌いな教科といっていいものかどうか、ということが討論参加者の念頭にあったと思います。これは諒としましょう。テーマで使っている言葉ですしね。問題はそれを教える立場にワタクシたちはあるわけですから、テーマの議論を通して、苦手教科を告白するということになります。ここまで深く面接官がみているのかどうかはわかりませんけれども、あまりに嫌いな教科について「やっつけて」しまいますと、Fさんの場合でいうならば、「あ〜、この受験生は音楽はダメなのか〜」とかんぐられてしまう可能性があります。

 ただ、この「嫌いな教科」はまだいいのです。さらにつっこんでいいますと、苦手な教科というように「苦手」というのはいいのかどうか、さらには「成績が悪かった教科」と暴露していいのかどうか、という問題になります。苦手の克服はプラスの価値に転じたからとのニュアンスで語ることを忘れないようにしましょう。また、後で申し上げますけれども、こうしたテーマに隠されているいわば落とし穴に関して、Bさんの発言は微妙です。

 Fさんの次に発言されたのはGさんでした。Gさんは、数学が苦手であったことを表明、さらに嫌いになったと述べられました。しかし、成長するにつれて社会における数学の必要性、重要性について理解したと言葉をつづけられ、数学は授業だけでなく、担当の先生に何度も直接教えを受けて克服していったと述べられました。つまり個別に質問して克服したということです。Cさんはその数学を志望している受験生であり、数学は解法を教えるだけでは嫌われてしまうと分析し日常体験と通ずる数学的思考とリンクさせることが数学嫌いを少なくしていくのではないかと述べられました。Dさんは、歴史が苦手であったと述懐されました。それは暗記科目という点からではなく、歴史を想像できない、イメージできないところにむつかしさを感じたといわれます。歴史の流れを自分で想像できないということは、歴史のダイナミズムを自分でつかみ取れなかったという意味ですね。その克服にDさんは、視覚的な学習が適当であったといわれます。これも賛否両論でしょうけれども、いわゆる『まんが日本の歴史』というような学習素材を活用して克服されたようです。Eさんは、Gさんと同じで、実はワタクシもそうなのですが、数学がダメだったといわれます。とりわけ焦って単純ミスを繰り返し、なかなか解答と一致しないで悔しかった旨を述べられました。こうしたEさんの状況に対して担当の先生からのアドヴァイスが「ひとつひとつきっちりやりや」と本質をついています。計算も考え方も、落ち着いてやることが、数学克服の第1歩であったということです。

 次の発言が、上で触れたBさんの発言でありました。Bさんは中学のときに国語が苦手だったと述べられました。その理由は、先生が嫌いだったと発言されたのでした。これはよくあることで、ワタクシも実は経験がありますし、討論参加者も、多かれ少なかれあるでしょう。問題はこれを採用試験の場でいっていいのかどうかとなりますね。それはそうと、この先生は他の生徒とBさんと同じことをしているのに、Bさんをのみ叱ったということで、Bさんは「なんでやねんやろう」と実際感じられていたわけです。もう、10年は経つというのに覚えているわけですから、教育とは恐ろしいものです。ワタクシも身が引き締まります。結論からいいますと、Bさんのこの発言は表現を工夫して同じことを別のいい方でいうべきであろうということです。どのように述べるべきなのかはお任せしましょう。

 Aさんは英語が苦手であると告白されました。その克服はおもしろく、英語はアメリカ人の子どもでもできるのだから、3歳児の英語の絵本からはじめ、最後はパレスチナ問題を英語で読み取るまでに努力したと発言されました。こうしたやり方は独学的であって、他の方法を試みることができなかったことや、友人たちと一緒に勉強できなかったことが反省点であったと述べられました。

 つづいて発言されたのは、Fさんでした。第1発言者であったFさんは、自分自身が提示した問題、つまり「苦手の克服をみなさんはどのようにされましたか」に対して討論参加者がそれぞれ「解答」を述べてくださったことに感謝の意を示されつつ、BさんとAさんの発言に言及されました。Bさんのご意見に対しては、つらい経験であったことを承認し、同時に、ではどうすれば児童生徒に好かれる指導ができるかを教員として主体的に考えていかなければなりませんねと述べられ、Aさんのご意見に対しては、自分の仕方すなわち苦手教科の自己流の克服方法をあみ出すことが大切なんだと教えられた旨を述べられました。問題のBさんの発言に対し、これがこれ以上、拡大して話題化しないように工夫があった対応の仕方であると思われます。EさんはこのFさんの発言の中の「好かれる指導」について、やはりほめる指導が効果的であろうと主張されます。そうすれば児童生徒が該当教科を好きになる確率は高まりますからね。

 ところでこの、よく登場する「ほめる指導」ですけど、これが万能薬のように、あらゆる指導の究極のように扱われます。現代の教育のスタンダードな指導法であることはまちがいないでしょう。ただ、あまりにもこれを強調しすぎることは、一般論として、反対します。ワタクシなどは、どちらかといえばほめられた経験がなく、批判的な指導を受け過ぎているからでしょうか、どうもほめる指導をあんまりしたことがないのですよね。「自分が経験した指導法を他者にする」ということはあると思います。ワタクシは厳しい指導ばかりを若いときに受けていたので、どうしても言葉を緩めずにガンガンいうときがあります。時代遅れなのでしょうね。そうした世代における受けてきた指導の色合いの違いを考えれば、面接官とほぼ同世代のワタクシからのアドヴァイスとして、万能薬的指導法としての「ほめる指導」ではなく、せめて、「メリハリのある指導」という表現の仕方をとってほしいと希望します。なお、この話題は、別のテーマや集団面接にも関わってきます。というのは、「優しい先生と厳しい先生」といった観点を含むテーマあるいは面接質問にどう対応するかに直接するからです。また、「どちらの指導をあなたはなさいますか」といった質問に対応するときにもちょっと足元をみつめ直す必要性を感じさせるからです。しかもここではほかにもポイントがありますので、また集団面接や個人面接を実施したときに説明しましょう。

 さて、Bさんがつづけられたように、児童生徒がある教科を好きになるのは、ほめる指導のほか、教員がわかる授業を提供したときでしょう。Aさんもそれに同意されます。Aさんは、しかし話題を集中化するためにわかる授業に関しては一歩おいて、ほめる指導の中身について検討されます。ほめる指導のほめるを、なんでもかんでもほめるのではいけないとの認識をもたれる一方で、ほめるハードルを低く設定するのはいまの教育界で要求されている事実であるとの立場に立たれています。教員として反省的視点から、「こんなこともできないのか」との禁句をいわないのはいうまでもなく、そうした思いを心の中でも保持しないよう努めるような発言をされました。100歩引いてほめるポイントをみつけることが、いま、要求されていると感じられているようです。「753理解」といわれて久しいわけですけど、高校志望のAさんは、おそらくこの「3」の理解度を引き上げる方策に腐心されているから、このような発言になったのだと思います。Dさんも、このAさんのご意見に重ねて、小さなハードルを設けること、見逃さないでほめることを付け加えられました。また、ある教科を好きになる場合のポイントとして、授業の面白みということについて述べられました。ノルマ的に授業をただ進行されるのでは、教員も楽しくありません。教員も楽しく、ということは授業に対して情熱的であるということを意味しますが、教員自身が楽しく情熱的に授業をやっていることが児童生徒に必ず伝わるとお考えです。熱意は伝わるもの、と考えないと、教員としてさみしくもありますね。

 Cさんからは、教員からの指摘(ほめる)だけではなく、児童生徒の主体的な興味関心を耕さなければならないと、それこそ「指摘」されました。興味関心は学習意欲の源泉となります。「できること」に「興味」を持つかどうか、これは必ずしもそうではないですけど、「興味」が「できること」によって増すのは事実でしょう。そのためには、結局、上の教員の「熱意」と当然関連するのですが、Cさんの言葉でいえば「授業の充実」ということになり、それは教材研究の深みにつながってまいります。「できる」よろこびと「興味」が共鳴し、相互に両者が高まっていくことが、児童生徒の将来の専門の選択にまで影響を与えることでしょう。Gさんは、地歴志望の立場から、具体的にハードルを低く設ける(Aさんのご意見)内容について発言されました。基本的知識を授業を通して身に付けさせるのはいうまでもなく、それらの定着を図る小テストを日々行なっていくと述べられました。これだけでは100マス計算的なドリルワークと代わり映えしないのですけど、Gさんは、そこから越えようとの強い思いを示されます。とりわけ地歴は暗記教科だと捉えられがちです。これをどう打破するべきかが、Gさんの、そして現職社会科教員のすべての方の課題でしょう。それは歴史解釈の議論という高度な課題学習に児童生徒をいざないます。学習の定着度がマチマチの高校一般の状況において、討論型や参加型の学習スタイルをどのようにして地歴に組み込むのか、Gさんの将来に期待しています。

 数学教育の立場からAさんは、出題される公式をちゃんと押えておくことなど、現実的なご意見を述べられました。さすがにつづけて述べられた「簡単な公式を適用して問題が解けたらいいよ、無理ならいい」はいい過ぎとの見解が討論傍聴者からもありましたように反省するべきポイントです。本音をぶちまけることがいつでもいいとはいえませんね。近い将来の目標が高校卒業で、現実的に赤点とならない40点をとれればいいというような過度の期待をしない表明は、残念ながらみなさんから総スカンを喰ったようです。まあ、言葉を選びましょう、ということです。

 Fさんは、討論の筋を戻すべく、Cさんの語られた興味関心に言及されます。社会科で本物の武士の格好をして学習への接近をしやすくするなど(実際、テレビでその様子をみられたそうです)、授業工夫を具体的に述べられました。奇を衒うというわけではなく、学びに入り込みやすい導入をするということをこうした工夫は意味しています。またこれを一般化してFさんが発言され、黒板とチョークだけでは説明ができない、わかりにくいことをイメージ優しく伝えると「好き」の度合いも増すし、「嫌い」も緩和されるということです。リコーダーの学習においては、「楽しい」という要素が含まれるべきであることを強調されていました。Dさんがこれにつづき、中学になれば歌うのを恥ずかしく感じることがあると感想を述べられ、歌う歌の詞そのものを読ませること、それからリズムをとり、さらにメロディにのせるというように段階を追って音楽にアプローチしてはどうかと苦手克服について具体的に語られます。また、自分自身が児童生徒の隣で楽しんで歌う実践が欠かせないと発言されました。実際、いままで声が出なかった児童生徒が出すようになったということです。特別支援教育をめざしているDさんらしい実践的な報告でした。一方、体育教育についてEさんは、「できないから嫌い」というケースが多いので、成功体験を積ませることからはじめると主張されます。そのためにはルールをいいように改善して取組を進めるとも発言され、たとえば本来11人でサッカーはしますが、この人数を少なくし、ボールに触れる機会を多くするといったようにです。Bさんは、音楽専科担当の経験を持っておられ、曲選びに力を注ぎ、その際、身近な曲の中から、サザエさんやポニョなど示してリコーダーで演奏しやすい選択をすることによって「嫌い」にならないように指導すると提案されました。

 Cさんは、個々の力量に応じた展開という言葉でこれまで登場した授業工夫についてまとめられました。数学志望のCさんは、授業方法論についても掘り下げ、ティームティーチングや習熟度別学級編成のメリットについて挙げられて、「好き嫌い」の要因である「できるできない」を、クラス全体を分割することによって解決を図る考え方に立たれます。高校志望らしい現実的なご意見といえます。このご意見に対し、Fさんは、小学校でも習熟度別学級編成は有効であり、現に習熟に応じて3クラス化していることを報告されました。さらに、ここで話題を転換されて、これまで苦手克服をメインに話題がつづいてきたけれども、「好き」をもっと「好き」にさせる方法について議論しようと提案されます。これは各教科の方法論に流れいささか発表会型になりつつあった今回の集団討論を救う発言であったということができます。苦手を持つ児童生徒にヒントを与える役に指名して、クラスに連帯感が生まれるよう指導することは大切なことでしょう。用意した別プリントもこなし、さらにヒントを与える経験までさせれば、その児童生徒は「さらに好き」になるとの見解です。

 Gさんは社会科ではどう「好き」を伸ばすのかについて発言されます。社会科はその教科的特性を重視し、教科書の問題を解ければいいというのではなく、社会観や世界観を構築するように指導していかなければならないとお考えで、日常をつねに意識した指導が社会科好きを増やすとの立場に立たれています。

 Fさんがいわれたように、「教えあい」が「好き」を伸ばすのは体育でも同様であるとEさんはご意見し、体育における習熟のむつかしさを語られつつ、技能定着に向けての指導法を模索されています。Dさんはより一層音楽を楽しむには、音楽記号を棚上げして歌ってみるのも一興だとし、歌詞の中でどこがいわゆるサビなのかや、アクセントをつけるべきところを変更してみる工夫などをして、面白みを発見したいと語られます。もちろんこれが「好き」を伸ばす一つの手法であると考えられているからです。また、簡単なものからむつかしいものへと段階を追って達成感や充実感を経験させるということでは、Aさんがいわれたように、練習問題の提供の組み立て方が従来的ではありますが効果があるでしょう。最初は基本レベルからはじめ、最後は東大や京大の入試レベルの問題を出題するといった学習の進め方ですね。

 Fさんは好き嫌いに関わらず、奇想天外が興味関心を引くには重要であると、さきほどの武士の例示のほか、「一万円札は電気を通すか」といった理科教育における「やってみてはじめてわかる実践」をもっともっとやっていくべきではないかと提案されました。それはGさんがいわれるように授業におけるパフォーマンスの向上であって、社会科的には豆知識の豊富な仕入れに妥当するとご自身の問題意識に照らして説明されました。最後にBさんが、数学と理科の教科内容を結ぶべく物理現象についての理解を深め、これを自分の言葉で表現することの重要性を指摘されました。さらに、新しいものの発見という点において、数学や理科と共通するものとして、音楽ではピアノの分解を実際にしてみたことを披露し、Fさんのご意見と共鳴するところの「やってみてはじめてわかる実践」、驚きが学習意欲を増進することを指摘し、討論は終了しました。

 今回、25分間で7名の方が討論に参加され、全29発言でした。担当教科や専門教科に関する多彩な授業方法論を通じて、いかにして児童生徒を伸ばしてやろうかとする指導意欲あふれるご意見ばかりでした。学力向上を至上課題としている大阪府にあっては、ここで確認できた方法は、たとえ稚拙と批判されても重要なことであるに変わりありません。そして、小テストや繰り返し学習、興味関心の持たせ方について、伝統的な手法を受験生が捉え直している姿勢があって、それを聞いているだけでも楽しいものでした。

 そう、たとえ教員採用試験の集団討論であっても、楽しくやらなきゃいけませんね。それはDさんの発言の中にもあったように、「教員も楽しむ」ということが情熱を伝えられるという教育的な真実でしょう。

 下に紹介していますレンタルボックスキャビンに、平成20年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみ、A4・90ページ片面印刷です)を数冊陳列しています。みなさま、よろしくお願いします。

(2009年1月18日)

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