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浩の教室・第7期 第7回(通算263回)勉強会の模様


 昨日は、当サイト主催勉強会に多数ご参加いただきましてありがとうございました。新しくご参加いただいた方々、いかがだったでしょうか。また、今回、風邪などでご参加いただけなかった方、次回またよろしくお願いします。

 さて、その模様をお伝えしましょう。まず、勉強会そのもののスタイルについて簡単に説明しました後、「自己売り込みのツボ」についての説明をいたしました。昨年以前の合格者の作成された「自己売り込みのツボ」の紹介を交えて、どのようにまとめるのかを細かく指示いたしました。この「自己売り込みのツボ」は、教採試験の一里塚です。これを仕上げることがもっとも苦しい乗り越えなければならない壁になります。すでに来週報告担当者が決定しています。ご参加の方はそれをご覧になりつつ、どういう風に作成すればいいかを学んでくださいね。

 そしてすぐに大阪府1次マークシート解答解説に移りました。今回の問題は、教育法規でした。かなり簡単なサービス問題でしたが、解答するだけにとどまらず、派生的知識の確認に及びました。

 平成18年に改正された教育基本法とかかわって、選択肢の文章とよくにた項目のある他の法令との混同を避けるよう注意を促しました。また、各法令の主語が今回のような法令の名称を答えさせる場合には重要な判断基準になることなどお伝えしました。日本国憲法にかかわって、第3章国民の権利及び義務における4領域に分化された各権利のことも、話題として含めました。毎年、日本国憲法については、全国の採用試験で登場しますし、大阪府でも独立問題として出題がありました。昨年は地方自治について尋ねられました。これは、時事的観点からいいましても出題が予想されたところです。

 地方公務員法と教育公務員特例法は、その弁別の仕方と重要な覚えておかなければならない条文をお伝えしました。これらの法規は教員になってから当然遵守しなければならないものですから、単に採用試験に出題されるからとの理由ではなく押えておく必要があります。

 問題の解説につづいて、学習指導要領の検討です。かなり緻密に解説を試み、また、みなさまからコメントをいただいていますので、時間がかかっています。今回は3ページくらい進んだでしょうか。教育課程編成のためにしたがわなければならない法令について、ここでも登場しました。また、家庭や地域社会との連携、地域社会と密接な教育課程の在り方にどのようなものがあるのかとの観点から、京都丹後の実践例をある参加者からご報告いただきました。鰤が1尾2万円というのは高いか安いか。楽しい議論でもありました。地域に根ざした教育とは一体どのようなものなのか、さらには、自分が教員として地域と協力した授業実践をする際、どんなことをするといいのか、したいのか、そうした展望を語れるようになっていただきたいものです。

 さて次に、先輩方のノートを閲覧する時間を若干とりました後、集団討論的談話をいたしました。今回のテーマは、「生徒指導について自由に語ってください」というものでした。間口の広いテーマゆえに、逆にポイントを絞りにくいテーマでもありましたが、定番的なものといえるでしょう。

 さて、集団討論的談話ですが、まだまだはじまったばかりですし、それほどフォーマルな形式にすることなく、発言しやすい雰囲気の中で、代表者に議論していただきました。テーマは「生徒指導について自由に語ってください」でした。今回、集団討論なるものをはじめて傍聴された方もいらっしゃいます。本番でもこうした感じでの進行が予想されます。今回は、20分間、6名の方に実践していただきました。仮にA〜Fさんとして再現してみます。

 まずは、テーマの確認。こうした発言から入るのが定番です。そしてそれに付け加えて、生徒との信頼関係を形成することが生徒指導の前提になるとはEさんの発言です。また、Eさんは信頼関係を形成するために、児童生徒と接する機会を多く持ちたいとし、授業はいうまでもなく、朝、校門における挨拶の指導、遅刻の指導にも力を入れると述べられました。Bさんは、遅刻指導、頭髪指導など、どちらかといえば問題行動対応が生徒指導だと捉えられがちであるけれども、本来生徒指導は学校教育目標にしたがい、個々の児童生徒の人格の完成のために実施されるべきもので、広いイメージで捉えるべきであると述べられました。Cさんは、生徒指導に信頼関係形成は絶対に必要で、とにもかくにも児童生徒とよく話すことが求められるといわれます。そして、児童生徒の活動の場所に教員が出かけていくことこそ信頼関係を作っていく教員の態度ではないかと提言されました。児童生徒をほめるにしても、叱るにしても、その瞬間を捉えてほめる、叱るをするべきであると付け加えられます。Dさんは、ほめる指導を生徒指導、生活指導で展開しなければならないと主張され、児童生徒に自信を付けさせていくことが生徒指導における教員の仕事であると述べられました。Aさんは、生徒指導において、個々の児童生徒が何を問題として持っているのかを見抜くことこそ問題解決に結びつくといわれます。Fさんは、Bさんの発言を受けつつ、生徒指導は懲戒することだけではなく、よりよい学校生活を送らせるための方策であると強調されます。学校が「社会の縮図」と捉えるFさんは、ルールを守ることが生徒指導においてなされるべきことのひとつであるとされました。

 Dさんは、悪いことを児童生徒がした場合、なぜその行為や態度が悪いと判断されたのか、考えさせなければならないとし、次にどういう態度をとればいいのか自己判断できる根拠の形成をこそ教員がなさなければならないとされます。その際、Bさんがいわれるように、教育的愛情がなければならないでしょう。教員として児童生徒のことをしっかり考えてやること、また、時には毅然とした対応をとることも要求されるのは、Bさんのいわれる通りです。Dさんは、これに応じ、叱った後でよいところを指摘しフォローすることで自信を育ませるようです。

 ここで、これまでに使われた言葉、アメとムチについてEさんが発言されました。ほめると叱ると、アメとムチなわけですけれども、具体的に、ちょっかいをかける児童生徒にはちゃんと叱らないといけないといわれ、ご自身の経験を少し語られました。Cさんは、自己解決を願う立場から叱りもするしサボりの心にもストッパーをかけるといわれます。Fさんは、叱られるということは、誰かに迷惑をかけているということを意味し、このことを児童生徒は自覚しているかどうか、自覚していなければ生徒指導は終了していないと発言されました。この考え方は、ひいては社会に巣立っていったときに、挨拶や掃除や遅刻など、社会人としてのマナーの問題にもつながるものであると、高校志望らしい発言でした。もちろん、こうした態度は、Aさんがいわれたように、教員自身が手本となってみせるべきで、そこから児童生徒は生活態度を改めていくでしょう。

 ここで少し話題が変わりました。生徒指導の場は、学校全体であるとはBさんのご意見です。そうだとすれば、生徒指導において教職員間の連携が校長を中心になされなければうまく機能しないのではないかと発言されました。Dさんがこれをいいかえて、学校の体制の問題といい、生徒指導における教員間の共通認識の問題であると述べられます。学校では、学級のことは担任でとなりがちであるけれども、複数の視点から、つまり複数の教員からの注意があれば指導の色合いもずいぶん変わってくるし、児童生徒も「あかんねんな」と認識しやすいのではないかとご意見されました。T.T.の経験を持つEさんは、些細なことでもクラス担任に報告し、生徒指導上の共通理解促進を進めた事例を報告されました。こうして、あるひとりの児童生徒について、学年、学校全体で一定の認識ができあがると発言されました。この一定の認識が、ある意味ではレッテルになりますので、注意が必要ですね。

 ここでFさんは、先ほどの生徒指導における共通認識に関連し、教員間の意思統一、全体でどのような生徒指導の計画を立てるのか、いじめやトラブルの発生に対応するマニュアルの作成についてなどに触れられました。Cさんは、指導の際に、教員だけが児童生徒を育てているのではないということを付け加えられ、また、しかしながら、教員として児童生徒に心配している気持ちを切々と伝わるように工夫が必要と述べられました。たしかに、生徒指導は、学校、教員だけの手で負えるものではなく、Bさんがいわれたように、保護者との連携がなければ達成できない教育課題です。連絡帳の活用ほか、学校の状況と家庭の状況が違うことから、それぞれの場でみせる児童生徒の様子も異なるのであり、それを互いに報告し共有するべきであろうと述べられました。それは個別にはEさんがいわれたような、名札、服装、授業中の睡眠などですね。最後にFさんが、教員同士が報告しあうことによって、学校の風通しがよくなるということを述べられ、また、いじめの調査結果について触れられて、議論は終了しました。

 今回の討論では、間口が広いだけに、掘り下げられた議論ができにくかったと思われます。討論はキリキリ穴を開けるように進めるのがコツです。それでも、各参加者の発言にキーワードが多くあって、非常に参考になりました。晩秋のこの時期、このくらいの討論ができれば合格ですね。

(2009年11月21日)

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