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浩の教室・第6期 第26・27回(通算222・223回)勉強会の模様

 3月7、8日におきまして、当サイト主宰教採対策勉強会を連日開催いたしました。満席のご参加にてありがたく思っております。お疲れさまでした。昨日は更新しようとがんばったのですけど、昼間に確定申告の書類をウンウンいいながら作成していたので疲れ、さらに夜はWBCをハラハラしながらみていたので疲れ、深夜はガーガーとイビキをかきながら熟睡し、さぼってしまいました。すいません。

 きょうは、リンカーンあるのですか?アメトークあるのですか?ご参加のみなさまに、「どんなTVみてるの?」とたずねたところ、そうした回答が戻ってきて、テレビっ子のワタクシとしましては、こりゃみなければならないと思っています。いままで、はまったドラマといえば、「白い巨塔」でしょう。それ以外は、あまり覚えていないです。

 さて、日曜日の珈琲会には、S大先生にご光臨いただきました。ご拝顔の栄を賜り、ありがたく存じます。また、是非、勉強会を活性化させるためにも、お力おかしください。

 さて、勉強会では、この2回で、学習指導要領と教育課程との関連性、多様なカリキュラムの歴史的な生成、「学びのすすめ」にみる文科省の教育行政の自己修正についてお話しました。またこのつづきの講義を次週いたします。ただ、この講義、3月いっぱいで終了するべく、必死になっております。もうあと少しだけお付き合いください。

 つづいて、自己売り込みのツボを両日あわせて4名の方に報告担当いただきました。なかなかシビアなことを申し上げましたが、是非、がんばってくださいね。Nさん、もうちょっとがんばってくださいね。Kさんは、いささかむつかしい言い回しが多かったですから、こなれた表現で作成し直しですね。Mさんは、校種の関係性をどう捉えるか、うまいこと組み直してください。Tさんは、ようやく志望が固まったようでなによりです。みなさん、珈琲会で原稿みますので、がんばって再考してきてください。いまがんばっておけば、後で困りません。願書提出1週間前くらいにオロオロするようではいけませんから。シンドイことから逃げない姿勢が合格を引き寄せます。

 最後に集団討論を実施しました。今回のテーマは、「生徒理解を深めるための工夫について議論してください」でした。3月7日に実施した討論の模様を、次回以降、再現しますね。

 第1発言者はDさんでした。Dさんは、テーマを確認され、生徒理解の工夫をエピソードを交えて語りましょうと方向を示されました。Dさんご自身は、小学校を死亡する立場から、6年間にわたる成長過程では、それぞれの学年において発する言葉が変わってくると指摘され、どの学年においても、一所懸命に話す大切さを訴えて生徒理解をすすめていきたいと述べられました。Aさんは、このご意見を受け継ぎ、いまの児童生徒はコミュニケーション能力が低下しており、なぜか外にいかずに教室にほとんどいるといわれます。それゆえに、話しやすい環境を提供することが生徒理解を進める方策だと発言されます。Cさんは、児童生徒と一緒に遊ぶ、話すことはいうまでもなく大切な生徒理解の手段である一方、じっくり家庭訪問して児童生徒の生活を知ることも大切であると指摘されました。児童生徒と教員との信頼関係を作っていくことが大事であるとも付け加えられました。

 Eさんは、高校での勤務経験から、他の教員と連携して生徒をめぐる情報交換をすることが、生徒理解をすすめるのに欠かせないといわれます。Bさんも高校勤務ですが、「その子を知ることが大切」との立場から、生育歴など情報、資料をEさんいわれるように共有し、それを土台に教員間でどのような生徒なのか話し合うことが求められていると述べられました。Fさんは、「目の前の児童生徒」にこだわった発言をされました。資料や情報も大切ではあるが、生徒理解は「目の前の児童生徒」をしっかりみつめることから出発すると強調されます。教室においてやクラブ活動において、ナマの児童生徒がどういうような行動をとっているのかしっかり観察することから、理解が促されると強く発現されました。

 Aさんは、EさんやBさんのいわれた情報の共有に言及し、ややもすると担任を持っていたり、自分の担当する学年の児童生徒しかしらなかったりするものであるが、学校全体の児童生徒を把握することができないものかと問われて、職員会議などで全員を知ることを目標に生徒理解をすすめると意欲的です。Dさんは、生徒理解をすすめるには、学校の教職員が協力して個々の児童生徒を理解するのも、「目の前の児童生徒をみつめる」であれ、「情報、資料に基づく」であれ、大切な一方で、とりわけ「情報、資料」であれば、中学校なら小学校の、高校なら中学校の情報を検討し、児童生徒理解をすすめることができると発言されます。

 ここまで、どちらかといえば、「情報、資料」に基づく生徒理解が話題の中心ですね。Fさんは、前の発言から一貫して「目の前の児童生徒」の理解だと主張されます。児童生徒の言葉を真剣に聞くこと、共感的理解、受容的態度を持って聞くこと、そこから生徒理解ははじまると、この立場を堅持されます。Bさんは、このご意見を受けて、では、どういうようにしてカウンセリングの力を私たちは向上させていけばいいだろうかと論点を深めようとされました。どのように児童生徒にアプローチしていけばいいのか、どういうようにしゃべればいいのか、専門の機関に依頼して教職員が研修するのもいいと発言されます。Cさんは、「目の前の児童生徒」の議論に関して、とにかく現状の40人学級においては、ひとり3分も接することができないと、これは批判というよりも現状を嘆かれるような表現で発言されました。圧倒的に時間が足りないとの認識です。そして、こうした時間のなさを補う生徒理解の方法として、作文を書かせたり、班ノートをまわしたり、任意のお題を出してなにか書かせたり、そうした創作物から生徒理解を深めていくとご意見されました。

 Aさんからは、保護者との連携で児童生徒の理解を深めていくご意見がありました。PTAの会合でバトミントンを一緒にされたそうで、そのときに保護者から児童生徒の様子を申告されたり、こちらからたずねたり、保護者を通して児童生徒を理解することができると話されました。と同時に、保護者と接する態度、心構えもできると発言されました。

 つづいて発言されたのは、Eさんでした。Eさんは、小学校でボランティアをされており、子どもたちのサッカーの相手をしている(つとめている)そうです。そこでの小学生の様子をみていると、学年を異にする上下関係の中で、多様な側面をみせており、たとえば、子どもたち同士のしゃべり方を観察するなどして、生徒理解をすすめるヒントを受け取っているようです。Dさんは、Eさんのいわれた「観察」とともに、じっくり話をする時間をとりたいと述べられ、「場面理解」ということをいわれました。また、特別な教育的ニーズの必要な児童生徒とのコミュニケーションのとり方をどうするかということについてご自身の実存的な課題と関わらせながら言及され、どこまでも障害のある人と一緒に行動するところにこそ、彼らを理解する本道であると強調されました。つづいて、障害のある児童生徒との関わりについてFさんの発言がありましたが、ここでも「目の前の子ども」を大切にするとの視点から離れることはありません。そうした一貫した立場から、傷害のある児童生徒に接するのは、なにも特殊な接し方を必要とするのではなく、障害のない子どもと接するのと変わらずに対応するのがよいと主張されました。Aさんは、はじめて「なかよし学級」を担当されたときの戸惑いについて率直に述べられました。つまり特別支援教室における軽度障害児指導についての苦心を発言されたわけです。このときAさんは、情報収集、研修、専門書というように、本当にかなりの苦心をされたようで、結論として、教員と特別な教育的ニーズの必要な子どもと、一緒に成長していくことが重要であるとまとめられたのです。

 特別支援教育に関する話題が一息ついたところで、Bさんが、ひとりの児童生徒に注がれる眼は多数あることを指摘されます。担任の眼、異学年の先生の眼、保護者の眼、などなどです。そうした複眼の分析によって、ひとりづつ「この子はどんな子なんだろう」とあぶりだしていくことが、生徒理解を深めることになると述べられました。

 つづいてDさんが、議論の前提として、なぜ生徒理解をすすめるのかという基本に立ち返り、方法論に傾きかけた流れを軌道転換されました。もちろん、生徒理解の方法論も大切ですが、なぜ、生徒理解をしなければならないのか、という前提の共通理解に議論の方向を向けられたわけです。そのためには、Cさんがいわれたように、子どもの好きなもの、好きなことをみつけるのがいいでしょうね。Cさんが指摘されたように、好きなことに夢中になっている児童生徒は、いい顔をみせてくれるものだからです。Cさんは、それを具体的にサッカーの話ですすめられたのですが、好きなことがサッカーであるとして、目標を定めよう、大会で優勝しよう、そのために一緒にがんばろう、というように児童生徒と一緒にがんばる姿勢が、児童生徒から信頼を得ることになると捉えられています。

 Bさんは、先ほどの複眼的観察について、ご自身が志望する養護教諭の立場から議論されます。つまり生徒理解の工夫を健康観察に求められたわけです。健康観察は生徒指導につながる要素が多く、実際に生徒指導上の問題解決につながった事例もあると述べられました。表情が変わった、服装が変わったなど、多様な変化が心の変化をあらわすのはいうまでもありませんね。こうしたことがすべて、児童生徒とのコミュニケーションを深めるものとなるわけです。

 健康観察との関連で、小学校の体育に言及されたのがAさんでした。3年生では生活習慣について学ぶが、自分で起きる児童、起こしてもらう児童というように項目をチェックし、どこに問題点があるのかを客観的に探ろうと実践的です。起こしてもらう児童なら、夜遅く寝ていたり、朝ごはんを食べていなかったり、問題が生活のリズム全般にあらわれます。そこから改善策を児童とともに考えていこうとされるわけです。生活習慣ということでは、Eさんは、遅刻指導をとりあげられ、遅刻が生活習慣の乱れを意味することを指摘し、児童生徒の生活実態を把握するようつとめられています。朝の指導から生活面を立て直そうという工夫ですね。その際には、児童生徒に声かけをするわけですが、それは早朝時にかぎりません。Fさんいわれるように校内を歩いているときに一人ひとり声をかける。ファーストコンタクトがうまくいけば、さらにつっこんで声をかける。それが生徒理解を深めるとのご意見です。もちろん、信頼関係も育むことができますね。

 先ほど、服装のチェックについて話題がありましたが、Dさんは、小学校の場合、服をみても生徒理解できないこともあると述べられました。たしかに、小1生など服装を自分自身でコントロールするとはいえません。したがって、低学年では多様な観点(これがどのようなものなのか具体的に語るのが理想ですが)から生徒理解を深めていくほかないと主張されました。低学年の生徒理解はむつかしいといいますか、さっきまで幼稚園や保育園だったわけで、どちらかといえば、その子を理解するというよりもむしろ、ダメなところつまり自己中心であるとか、すぐ手を出すとか、そうしたところを反省的に指導するということが、低学年担当教員の中心的な指導となるのでしょうか。

 つづいてCさんは、クラブ活動について生徒理解をすすめる観点から述べられました。このご意見は、Cさんご自身が直前に述べられた内容を補強されるものであり、多様なクラブ活動の実践において、児童生徒同士のぶつかりあい、それがケンカの場合もありますが、これを契機に生徒理解をすすめるというものです。Fさんは、保健室に来室する頻度から児童生徒の精神状態をチェックするというように、養護教諭の立場から提案されます。月に1回来るのか、毎日来るのか、来室回数が多いとなにかあったのかと心配になりますね。

 こうして20分間が終了しました。文字にしますと討論参加者の発言のつながり具合をうまく表現できていないところがありますが、実際に傍聴していますとそうでもなく、ちゃんとつながりが確認できます。

 今回の討論の反省点は、授業をしている最中はどのように生徒理解をすすめるのだろうかということにある程度しか答えていないということでしょうか。日曜に実施した同じテーマの討論では、参加者が高校を志望される方が多かったことを反映し、授業における生徒理解について意見が多数出されたのと対照的でした。美術の先生からは、作品制作に児童生徒の精神が投影されていてそこから心理状態をつかんでいくというご意見や、英語の先生からは授業後アンケートをとって、そこから生徒の要望をすくいとるといったご意見がありました。こうした教科指導にもとづくご意見は、生徒指導というより学習指導の問題になりやすく、本来この2つが切っても切れない関係にあることを示唆しています。これを無理やり2つに分けて、生徒理解に即してのみ議論するのは実際的ではありませんが、あまりに教科指導よりになると、テーマはなんだったの、ということにもなりかねません。その点、ご注意を。

 ところで、今回の再現の表現におきまして、「生徒理解」の使い方にあるいは問題があるかもしれません。小学校を志望する場合、教育対象が児童であり、「児童理解」となるのではないのか、といった点や、生徒理解と生徒指導、生活指導をきっちり区分して使うべきではないのか、といった点です。

 ワタクシ自身のケースですけど、「児童理解」という言葉はあまり聞かないです。児童であっても児童の理解をすすめる、は、変な感じですが「児童の生徒理解をすすめる」と表現してもいいのではないかと思っています。気になる方は「児童理解」を使っていただいたらいいと思います。それから、生徒理解と生徒指導のちがいは前提と具体ということになりますから、区分けはできますが、生徒指導と生活指導は、ほぼ同意味に捉えてよいと思っています。厳密を期すなら、自分なりに意味の違いを解釈して使ったらよいと思いますが、そこまでこだわる必要はないでしょう。

 さて、3月14、15日における集団討論のテーマは、「ほめる指導のよい点と悪い点について、議論してください」といたしましょう。

(2009年3月7・8日)

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