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浩の教室・第7期 第17・18回(通算273・274回)勉強会の模様


 先週末の土日は、当サイト主宰勉強会の通算第275、276回の開催にあたりました。ご参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。キャンセルもありましたがすべて埋まり、満席のご参加ありがとうございます。また、土曜日、日曜日ともに、昨年の合格者にもご参加いただき、土曜日には集団討論の指南を、日曜日には自己売り込みのツボに対する徹底したコメントをいただきました。さらに土日ともに珈琲会にもご足労いただきました。これに懲りず、またお顔みせていただくことを期待しております。昨年の合格者にあっては、小学校などでは、勤務校はまだですけど、勤務自治体(府で市町村単位)が確定したようです。そのご報告をメールでチラホラいただいています。ありがとうございます。この教室で学んだ初志を是非とも貫徹していただきたいものです。苦しい現実に、この教室で学んだ理想の立場を吹き入れてください。

 さて、最初に学習指導要領の検討からはじめました。今回もこれまたイロイロとみなさんをあてながら文章の「解釈」と「具体的説明」に時間をかけた結果、2ページでしたが、密度濃い時間となりました。学習指導要領の検討には、1時間程度いつもあてています。今回の教育課程実施上の配慮事項は面白いところです。是非、復習してください。特別支援をめざす方々からご意見を多く頂戴いたしました。最近の中教審における特別支援の議論は、平成17年の答申でストップしたあと、19年に「発達障がい児」とLD、ADHD、高機能自閉症の児童生徒を統合して呼称する通知のほかは管見のかぎり見出せず、特別支援教育行政は一息ついた感があります。

 特別支援教育の思想も、制度の在り方も、おおそよ出揃った結果といえますが、現実はこうした答申や研究者会議報告どおりにいくはずもなく、市の特支施設の「排除」とそれに対する司法の「保全」があったように、右往左往しているといえるでしょう。文部科学省が答申した思想に基づいて、それから逸脱しない現実的な支援姿勢を各自治体は財政問題を理由にせず、成し遂げてほしいものです。

 学習指導要領の検討につづいて、自己売り込みのツボと模擬授業を実践していただきました。個人面接の基盤となり、エントリーシートの下拵えとなる自己売り込みのツボです。土日で6名の方に実践していただきました。個別的な指摘は、個人情報にかかわることがありすぎですので伏せます。しかし、全般的にいいまして、自分をどのように売り込むかについてのポイントがズレている場合、大きく修正しなければならないことはわかったと思います。また、自治体という集団に所属しようというわけですから、極力、悪い波風は立たないように仕上げなければなりません。しかし、ツボに書きたい内容が、どうしても採用にあたってある意味で不利になることもあるでしょう。そこは葛藤、思想的板ばさみになるとは思いますが、「合格してから所期の目的を達成してやる」の意気込みを胸中深くしまいこむのが賢明かもしれません。各自のご判断にお任せします。ただ、自治体の教育方針から逸脱した売り込みはさすがに残念なことになります。現在、おおきく学力重視の方向に舵が切られていますから、これについては齟齬しないようにまとめるのが、作戦としてよいでしょう。そのほかの個別的な特性については、余すところなく健筆で対応し、情熱あるところを表現しましょう。

 つづいて模擬授業です。土曜日に2名、日曜日に1名でした。土曜日は、中学と高校の数学志望の方々に、LOGと三角形の合同条件について実践していただきました。さすがにプロをめざすみなさま、うまい説明でした。模擬授業は、府の場合、最初からトップギアに入れなければならないところがシンドイですが、躊躇せずいわば「展開」に踏み込んでいらっしゃったので、時間の使い方もよかったと思っています。時間は5分間ですけど、すぐ終了というのが実感であると思います。その中で、どのように強調点、中心点を主張するかです。まあ、このあたりは、今後も模擬授業をつづけていきますので体得してほしいところです。日曜日は、大阪市を受験される方のための場面指導でした。今回は、保護者対応の電話版でした。やりとりがむつかしいところですけど、おおむね良好だったと評価しています。しかし、ポロポロ指摘がありましたように、「これをいうべきかいうべきでないか」の柔軟かつスピーディな判断をくださねばならない場面も登場すると思われますので、しっかりやってください。こちらもやはり「場数」を踏むことが必要ですね。ちなみに、この31日開催の勉強会でも、大阪市の場面指導課題をしていただきます。なお、模擬授業をみなさんの前で実演したい参加者は、是非、メールください。ある程度先まで担当者が決定していますけれども、ご希望に沿うべく対応いたします。

 このあと、集団討論を実践していただきました。大阪府では採用試験科目として課されていませんが、とてもよい勉強になります。土曜日にご参加いただいた合格者のKさんをめざして、がんばってください。

 いやいや、思い出します。昨年(2008)は、秋から集団討論の対策をしていて、いざ、受験要綱が発表されると、「集団討論なし」だったのですよね。でも、よい勉強になりました。Kさんも、2008年の秋からご参加、討論を聞いたりやったりし、実力をつけられてきました。それが集団面接や2次の個人面接の受け答えの底を支えていたのは間違いないでしょう。やったことはすべて血肉になります。この夏をめざすみなさんも、貪欲にとりくんでください。


 それでは、23、24日に実施された同一テーマの集団討論のうち、土曜日の方を再現してみましょう。テーマは、「道徳教育について、その理論や実践、様々な角度から自由に議論してください」といった感じでした。今回は、あまりテーマを厳密に絞らず、道徳教育関連の話題の積み重ねであればよしとの意図を持って出題しました。このテーマに、20分間で、6名の方にチャレンジしていただきました。仮にA〜Fさんとして、討論の論旨を追っていきたいと思います。

 最初に手を挙げられたのは、Cさんでした。Cさんは、道徳教育とは何か定義を一人ひとり述べていきましょうと提案され、学校生活の問題を解決する話し合いをすすめることであるとされました。つづいて、Dさんが具体的に自分のことを大切にすることを指導することであるといわれます。なぜなら、今の子どもをみるに、自己評価の低い子どもが多いからだということです。Eさんは、人に対して思いやりの心を持つこと、持たせることが道徳教育であるとし、あいさつするよう指導するのもその一環であると位置付けられます。Fさんは、人間として当たり前のことができるよう指導することと述べられました。この「当たり前」の中身はこのとき語られませんでしたが、議論中にFさん自身が述べられるのでしょう。Aさんは、以上のようないわば「ベタ」な道徳のことではなく、国家社会の形成者としての道徳をどのように考えるのかというように、教育基本法を視野に入れて、社会性を養うことと放棄との関連性に言及しつつ定義されました。Bさんは、DさんとEさんを足したような観点から、自分も他人も認め合うことができるように指導することこそ道徳教育であると主張され、つづいてでは、これまで登場した道徳教育をどのように推進していくか議論しましょうと、次の段階へ導く発言をされました。

 これに応じ、アジアチャイルドサポートセンターの話題を提供しつつ述べられたのがFさんでした。アジアの貧困の解決をどう考えるべきか。それは隣国の問題を自分の課題として捉え返すことにほかなりません。しかし、それが「身近なところ」でないので、どうしてもピンと来ない。しかし、実は、この問題解決のためにどうすればよいのかの回答はすでにあるとFさんは述べられました。というのは、このサポートセンターにおける講演の一部を紹介していただいたのですけれども、「日々、自分のするべきことをし、一所懸命生きること」が、貧困にあえぐアジアの子どもたちを救うことに深いところでつながっているということです。ワタクシたちがワタクシたちの日常を誠実に生きることが、アジアの大きな問題に直接することを紹介されたのでした。これは第3世界の経済的貧困を考えるときにも有効で、ややもすれば「ボクたちと関係ないわ」、「自分たちと離れすぎていて、現実的に考えることができない」とのよくある意見に対抗する原理であると思います。Dさんは、この発言につづき、具体的な道徳教育の方策を3つのSで説明されます。Dさんは教員自らが手本となって児童生徒に示すことが大切であるとの立場に立ち、整理、整頓、清掃の3つのSの先頭に立って指導すると力強いです。この3Sは、大阪のY製作所の社是のようであり、自らが清掃するS社のトップに見習って、自分自身も教員としてがんばりたいと述べられたわけです。

 こうしたFさん、Dさんの社会的現実にヒントを得た道徳教育の在り方、すすめ方に対し、Cさんは講師経験に根ざして、道徳教育の具体相を報告的に主張されます。すなわち、命の大切さをどう指導するのか、言葉の問題と絡めて述べられました。現在、「死ね」といったり、リストカットをしたりする児童生徒がいて、この問題解決に自分自身がどのようにタッチしていくか悩まれている様子がわかります。大切な存在におきかえたときに、果たして安易に「死ね」といえるかどうかを考えさせる時間をとるなど、奮闘されているようです。こうした言葉遣いの問題は、Eさんに共有され、どういうふうに大人になるかを考えることが道徳教育なのではないかと話されました。

 Aさんは、Cさんのいわれる命の大切さを指導するには、自然の美しさに感動する心を養うことが前提となり、こうした美しさに心が洗われるとすれば、心情的な成長が認められ、人命というもっとも大切で美しいものに対する感覚にも敏感になっていくと考えられているようです。この心を養うために、Bさんは自分たち教員自身が模範にならなければならないのであり、文脈に即していえば、先生の心が問われるということになるとまとめられました。

 こうした道徳的な心情形成のために必要なことこそ、Aさんがいわれたコミュニケーションなのでしょう。Fさんはこのコミュニケーションのとり方について、社会人への第一歩とみなし、読む書くだけでなく、相手を理解し、伝え合うこと、話し合うことが道徳教育では期待されるといわれます。これはまた、Cさんがいわれたように、日々の言葉遣いの問題でもあり、学校教育全体において、「失礼します」とか、「名前をしっかり呼ぶ」とか、「用事をきちんと伝える」とかの、細やかな指導が、道徳的な行為行動として実を結ぶのでしょう。Dさんが、日々のささいな場面を捉えて道徳的な問題意識を掘り起こし、それを学級全体の問題意識へと発展させるということも、道徳的価値の追求と実践力の向上のためには欠かせないことといえます。Bさんも道徳教育と言語能力は切り離せないと捉えられており、多様な感情を言葉にあらわすことが道徳判断につながり、福祉施設でどのように振る舞い、どのような言葉を発するかが問われるように、体験学習にまで話題を振られました。これまでの話題が学校の内部における道徳教育の推進とみられたBさんは、学校外の活動に目を向けられ、多様な分野、教育領域にどのように道徳的な感覚を養う場を設定できるかを提案したといえます。

 Aさんは、この学校外部におけるコミュニケーションを通して道徳教育を実践する場合に重要なのは、事前指導と事後指導だとされ、たとえば作文、活動整理に言及されました。Eさんは、事後指導が道徳教育の要となるとお考えで、実体験を文字化し、積み重ねていくことを「バースディライン」関連のお話を交えつつ述べられました。Fさんは、体験的な道徳教育の立場から、地域の方とのふれあいを通して学んでいくことを提案し、地域密着の話題として若ゴボウ作りについてプランを展開されます。

 ここでBさんが学校内における道徳教育のあり方に今一度話題を戻され、自分と他者との理解や相互の尊重をどのように進めていくべきか議論しましょうと舵を切ります。これについてCさんは、自分の思いを言葉にできない中学生の現状を報告され、Eさんは動物とのふれあいを通して思いやりの心を育てる旨を語られました。Eさんは、とりわけ動物の体調を察知するやさしい心をはぐくみたいと付け加えられました。Dさんは、お互いが認め合えるような教室の雰囲気作りについて述べられ、それは具体的な場としては、絵でも曲でも、発表会が互いに認め合う機能を持っていることを指摘し、作品を認め合うことがお互いを認め合うことにつながると説明されました。

 さらにDさんの発表会での認め合いでも活用されるべき心がけを、Fさんが3点にまとめられます。一つはよいことには拍手を、二つにはありがとうを3秒、最後には相手の目をみて語ろう、でした。すなわち、Aさんにいわせると、基本的に、いってはいけない言葉は徹底するとなるわけですね。これは小学校の学習指導要領総則編にも注記されているところです。これを逆にいえば、Cさんのようにしてはならないことをしっかり指導するとなるわけでして、携帯の所持やタバコといった具体物に対する注意となります。

 Bさんは、以上の議論から、道徳教育は横断的に実践、指導するべきであると述べられると同時に、阪神大震災の被災者の心情について話題提供され、被災者の心情を理解するためにはどうしていけばいいのだろうかと話され、Aさんは、修学旅行で沖縄にいったときの「姫百合」のことに言及されました。どのようにこうした道徳的啓発を継続していくべきであるかという話題です。

 残念ながら、ここでタイムアップ。議論はまだまだつづく様子でした。豊富な話題が多々登場し、それらが構成よく螺旋状で議論されていました。単に発表会型の集団討論ではなく、お互いの意見が響き合う時間ではなかったかと思います。そうした意味では、集団討論は、オーケストラ的なところがありますね。いかにテーマをうまく奏でるかということです。とすれば、一人ひとりの楽器を演奏する能力(=教育に関する実践的知識)が高ければ高いほど、奏でられる音楽(=討論の中身)は、美しい調べとなるというわけです。

 次回、月末は、集団面接に戻ります。また機会をつかまえて、討論もやっていきましょう。

(2010年1月23・24日)

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