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浩の教室・第8期 第20・21回(通算362・363回)勉強会の模様

 今週は、体調を崩して、更新できずでした。うーん、しんどい週でした。勉強会の報告も遅れました。

 もう、一週間前になるんですね。講義と売り込みのツボと集団面接のプログラムは変わるところありません。講義は、少々険しいところにはいっていきました。まずは、実質陶冶と形式陶冶のちがいなど、教育学の基本的な概念について、『リーンハルトとゲルトルート』を紹介しながら説明いたしました。ただし、もともと陶冶という言葉はドイツで用いられることが多いことをここでは追加しておきます。

 この陶冶のお話がなぜ登場したのかといえば、もっと大きなテーマとして、「どうして学校はできたのか」を提出し、これを多様な角度から議論していた途次だったからです。学校は、洋の東西を問わず、有史以来存在すると思われます。これを歴史的に実証することは、「文字のない時代」では不可能ですが、それでもソクラテスでも紀元前ですし、中国の伝説の王の時代にも学校はありました。

 こうした歴史的考察を進めていったときに、教育と公教育の違いをはっきりさせなければならないのではないかとのご意見もでまして、では、公教育とはどういうものであるか定義をしてみました。公教育を論ずるとすれば、国家の成立に触れなければなりません。ここから、先週の議論とつながるのですけど、支配と被支配、支配の教育ということや、育成されるべき人間像にも言及するほうこうに講義はすすみました。

 なかなかおもしろい対話型の講義になり、ワタクシとしても脳内が整理されてよかったです。

 つづいて3分間で自己を売り込む「ツボ」の報告がありました。土日で4名のかたから報告いただきました。土曜日のNさん、Hさんの報告、すごく文章が練られていてよかったです。しかしNさんは、もう少し教育経験を盛り込んだほうが、もっとよくなりますね。Hさんのはまとまりあるものの、どこを削るか苦心の跡がありながら、残しておいたほうがいい部分をカットしていたようです。20人の目からみれば、イロイロな見方があるもので、文章そのものの必要不必要に関しても、意見がわかれます。最終的には、個々人の決断ですが、みなさんからのコメントは、ワタクシのも含めて、なんとか助けになっているのではないでしょうか。

 それは、日曜日の報告者であるTさんとKさんにとっても、そうでしょう。TさんとKさん、対照的な雰囲気が漂っていて、おふたりを評価する立場のワタクシたちも、「どうしょう」という感じでした。Tさんの技術者の側面やそこからくる固さ、文面の堅調さ、Kさんのほんわりした雰囲気、教育経験の表現、といったように、好対照といっていいでしょう。軍配を挙げる必要はないのですけど、お互いに足らないところの自覚が生まれたと思います。

 最後に、IさんとMさんの模擬授業でした。土曜日のIさんは、家庭科の先生、がんばってます。いろんな工夫をしようとその意気込みを買います。問題は、ここでいうにいえぬ昨年からの課題でしょう。ここまでくれば、「はっちゃける」ことですね。表現しよう、いいものをしようの意識は伝わってきますし、標準以上の模擬授業内容ですので、2つ、3つのハードルは超えています。自身持ってください。

 日曜のMさんは、ちょっと心配。淡々とした授業進行については、これはこれでポイントを押さえているのでいいでしょう。問題は、Mさんの精神面の補強ですね。びびっているとあきません。ここを乗り越えなければ、ならない。ちょっと厳しく指導するべきか、ワタクシは悩んでいます。

(2011年1月29・30日)

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