日々旁午

2005


日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 先日は勉強会に参加していただき、ありがとうございました。男性6名、女性6名の計12名の方々のご参集を得ることができました。。当日は、議論のたたき台となる講義と、「個人面接対策としての『個人解剖』の試み」を行ないました。
 講義では、みなさまから考えさせられるポイントを多々提出していただき、ワタクシの考え方をあるいは「修正」しなければならないところまで「追い詰め」られました。その議論の中心は、生涯学習あるいは生涯教育についてです。いまワタクシの考えている生涯学習に関するポイントを示しつつ、議論を整理してみることとします。
 いうまでもなく生涯学習あるいは生涯教育とは、ユネスコでラングランが主張した教育形態の「新しい」在り方です。ラングランは生涯教育といっています。
 生涯「教育」というか、生涯「学習」というかには、かなりの隔たりがあると思います。生涯「教育」という場合、行政からの教育的プレゼントあるいは民間業者からのサービスを受けとって、学ばせられるといった感覚が濃厚です。お仕着せの教育がそこには確認されるように思われます。それに対し、生涯「学習」と表現する場合には、学習者の主体性が前面にでて、まさに「自ら学び考える」ニュアンスが溢れ出ています。
 臨教審が、学歴社会を打破し、それに代わるに生涯教育社会を用意しようとしたことは周知の事実でしょう。その理念はよかった。生涯教育社会を実現するため、多様な教育の在り方が提起され、単位制高校や総合学科が登場することになったからです。
 ここまでの基礎的な共通理解を踏まえて、議論は次の段階に進んでいきます。それはなにか。生涯教育であろうと生涯学習であろうと、その推進に反対であるワタクシは、自己の主張をみなさんにぶつけました。反対の根拠は、「生涯学習の主体性のなさ」にあります。学ぶものの側に、学ぶ意志が薄弱なのではないか、現段階ではどうも「やらされている生涯学習」になっているのではないか、ということです。また、生涯学習の名を借りて、商業主義が蔓延っているのではないか、ということです。かなりに挑発的な問題提起でもあったわけですが、こうした生涯学習否定論に対し、イロイロご意見をいただきました。
 生涯学習を推進する多様な母体が存在することは、学びのチャンスを増やすので、よいのではないか、とまず反論がでました。4回講座で2000円くらいの、たとえば「アロマテラピー講座」なら、おサイフにもやさしく、そのさわりに触れることができる。さらに興味をもてば、アロマのお店を持つにまで至ることもある。これを一般化していえば、「学びの最初の入り口になる」ということです。また、安価な値段でペン字を学べるのはいいのではないか。「1日20分」のキャッチは、時間のなかなかとれない「主婦層」の心も捉えるし、実際効果がある、という反論もありました。
 さらには、職業訓練学校の学費給付制度を活用して、CADの資格をとったり、簿記の免許をとったり、そうした活用の仕方がある。行政サービスのなかにも、見逃しえないものがある…。実際、教員免許と関連し、商業科の免許獲得のために簿記資格は必須でしょう。ここからは、生涯教育という「教育」に「結果を出す」ことが「強制」されているという問題点もあるような気がします。
 学びの入り口であったり、資格修得であったり、それ自体は否定できないし、生涯学習の肯定的な側面です。このあたりはワタクシも「生涯学習否定論」を貫く態度を反省しなければなりませんね。しかし、その学びに「継続性」、「方法論」、「市民性」があるかどうかは、是非とも検討しなければならない観点であると思うのです。
 たとえばアロマはいい、4回受けて終了。ああ楽しかった。これでは、学びの継続性がありません。これでもいいといえば、それまでなのですが、表面的な知識の趣味的な獲得は、人生のある部分を潤しつつも、結局、義務教育の問題と同じく「剥離」していくのではないでしょうか。100人アロマ講座を受講して、店まで開く人は1人いるかいないかでしょう。
 生涯学習の各講座は、学びの方法論を伝えてくれるでしょうか。これは甚だ疑問です。自分の力で新しいなにかを創造したり、趣味的な講座であっても学んだことをまとめるところまで進めるかどうか。これまた、そうした深いところまで求めるものではないいわれれば、そこまでになってしまいます。
 さて、こう考えてくると、生涯学習講座にも2種類あると思われるのです。ひとつは趣味的講座≒「遊びの延長」。これは言葉の使い方に注意しなければなりませんが、おおよそ、こう考えていいでしょう。もうひとつは、資格修得講座です。こちらは、宅建ほか国家資格を含めたもので、ハウツー講座といえます。こちらも、資格を修得すれば終了、それ以上の学びの展開を、主宰者も受講者もなかなか自覚できないものであるといえるでしょう。もちろん、資格の数には際限がなく、マニアも生み出しているほどです。だが、それは資格間に有機的な連絡はないように思えます。コレクション的資格修得でしょう。ひとつ思いつく例外は、英語系の資格類でしょう。英検、国連英検、TOEICなど、英語世界の実力を測定する資格類は、統一間がうかがわれるからです。しかも、こうした資格の背後に英語の学問世界があります。だから、そこには方法論も当然あるし、それを身につけたいと思っている方が大半でしょう。
 最後に「市民性」の問題があります。学びの主体が市民であるとき、生涯学習が最終的に成立するとワタクシは考えています。行政サービスとしてあった講座が基盤となったとしても、そこから市民的な横の連帯が強まり、新しい学びの在り方を個々に追求するミニ集団が生れ出て、自発的に学びのサークル活動が、深海から海上に上昇する小さな小さな泡粒のように、社会にでてくること、こうした動きを潜在させている学びや学びの集団が生涯学習に値するのではないかということです。
 ところで、個人の学びへの関わり方が問題だ、たとえば、資格も個人がとるものだから、その個人がどこまでがんばるか、なのである、とのご意見をいただき、そこにこの議論は収まったようにみえました。しかし、これにはワタクシは不満だったのです。なぜなら、こういってしまうと、講座に提供できる経済力も含めて、すべてが個人の態度になってしまい、なにも生涯学習をいいだす必然性がないのではないかと思うからです。そうした点では、「生涯教育という名前がなんで新しいのかわからなかった。なぜ『新しい理念』なのかわからなかった」とつぶやかれた疑問は、問題の考察に示唆的であったわけです。
 まだまだ、生涯学習に関してはまとまりがつきません。
 生涯学習の美名の下に、商業主義が蔓延り、儲け主義に学びが従属する。芸能人を使ったCMをたれ流し、人びとを「なんかやらなあかんのかなあ」と心情的に追い込むやり方は、生涯学習のあるべき在り方とはどうしても思えない。また、「儲け」のことからいえば、かなりの違いがある。行政サービス的生涯学習は、テレビCMをうたないし、その分、宣伝力は弱い。しかし、講座料金は格安である。開催回数にもよりますが、アロマでもその他趣味的講座でも、2000円〜5000円でしょう。ところが民間の商業主義的生涯学習は、その5倍から10倍は料金がかかる。どうも、「学びを金にする」ということに、ワタクシは怒りを覚えているようです。
 生涯学習でもなんでも教育には金がかかる。それは疑いありません。しかし、義務教育そのほか教育一般に資本の論理が入りすぎると、崩壊する。これも疑いありません。勉強会参加者のみなさんとともに、もう少し考察することにします。
 「個人解剖の試み」については、そのための「シート」を公表することにしましょう。これはまた次回の更新にします。(1/31)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 明日は、第22回勉強会を開催いたします。「個人解剖の試み」におきましては、1週間あきましたので、質問事項に準備できている方もいらっしゃるのではないかと思います。是非、がんばってくださいね。
 投稿いただいた論作文を総てアップいたしました。コメントにはまだ若干時間いただきますが、よろしくお待ちください。
 ところでこの「旁午」の更新不連続期間中は、夜な夜なPCを持ち歩いて、徳島のレジュメを作成しておりました。一人あたり20枚くらいになります。徳島の教員採用試験は、大阪と違い記入式であり、良問揃いです。なかなか一筋縄ではいかんなぁという印象です。
 このレジュメを勉強会参加者の中で希望者にはお配りしようかとも考えております。ただ、徳島教採勉強会は有料ですので、コピー代など実費だけは負担いただこうと思っています。
 そして、これを期に、「奈良のこくばん」を「うしろのこくばん」に統合し、新しく「徳島のこくばん」を設置する予定です。
 神戸市の教採の方式がガラッと変わりますね。私信みたいで申し訳ないですが、1015さん、市対策どうしましょう?いままでの1次問題はなくなってしまいますから、根本的に考えなおさないとダメですなぁ。予想もつきかねますから、ちょっと困っています。ワタクシが困っているということは、僭越ながら神戸市受験生の方々も寄る辺なく、相当困っていらっしゃることでしょう。心理学の問題を「校種」に応じて出すようなことを市は書いていますが、これもどんなものか。そのあたりも含め、ワタクシの考えていることをまとめてみますね。(1/28)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

論作文道場にみかリンさんの「いのち」をアップしました。みなさまからのご意見も「うしろのこくばん」にてお待ちしています。(1/26)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 ようやくの更新です。論作文道場のご応募もアップ遅滞気味ですいません。いましばらくお待ちください。1月中は大変厳しい状況です。
 さて、遅れに遅れていた「勉強会」の報告です。22日の土曜日は、男性4名、女性5名の計9名の方にご参集いただきました。前半は、答申輪読でした。「これからの教育を語る懇談会」です。復習がてら、前回参加されていない方に、「人間力」とはなにか、についてお聞きした後、免許更新制の議論、教員養成制度そのものについて議論し、例の奈良の高校から教員養成するコースの設置について話し合いました。
 奈良のある種の閉鎖性にも話題がおよびましたが、問題は、「教員養成コースに進んだはいいものの、純粋培養された教員を生み出し、そうした教員がはじめて『問題のある子どもたち』に接するとすればどうなるのだろう」というような疑問でした。青田買いや囲い込みは、いいところも悪いところもある。結論はでない問題だし、まだそうした教員が養成されるのは少なくとも8年か9年は先ですから、成果を待ちましょう。ただ、このコースの卒業生が優遇されるのは間違いありません。そうでないと制度の意味がない…。
 後半は、「個人解剖の試み」に3名の方が挑戦されました。「個人解剖」は、受験生一人ひとりが他者からどのようにみられているのか、それをあますところなくいいあおう、出しあおう、とする試みです。全員監視のもと、ひとりの参加者に対し、ワタクシともう一人面接官役を買って出てくれた方が、右欄の「良く出るかもしれない面接質問集」の質問事項を15分間にわたって、本番さながらに質問していくわけです。それにどのように対応しているか。内容的な観点と外見的なことに関する指摘を参加者全員からいただくというものです。その内容をここに細かく書くことは控えます。なぜなら、それは個人の経験に根差す受け答えであり、当事者に完全に即した応答だからです。つまり、その答えはその方独自のものだからです。
 そして、なくて七癖といいますが、外見的なところについては忌憚のない指摘がつづきました。目が泳いでいるよ。もっとネクタイの結び目を見て答えよ。かゆいところに手が届く受け答えをせよ。もっと笑え。ニッコリしろ。自信があふれるようにいえ。
 こう書くと厳しいように思われますが、もちろんいいところの指摘もあるのですよ。でも、どうすれば厳しい試験において失点を少なくするか、また、面接官受けするか、そうした視点を最優先したやりとりが、個人に対する質問時間の終了後行なわれました。面接官役のワタクシも、やさしい聞き方、圧迫的な聞き方、つっこんだ、たたみかける質問と、あらゆる面接法を想定し質問を浴びせました。
 これに耐えれば、合格間違いなしです。みるのとやるのとは全然違います。次回、「個人解剖の試み」に挑戦される、予約された3名の方、是非がんばってくださいね。では、今週末に。
 サイトの更新、遅れがちで本当にすいません。ちょっと更新ペースが落ちるかとは思いますが、どうかご寛恕のほどを。(1/25)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 本日更新お休みします。すいません。勉強会の報告書は、いましばらくお待ちください。現在、右のコンテンツともかかわる「人権教育」のまとめを作成中です。それから、こちらで勉強会を開催します。徳島の方、よろしくご参加ください。こくばんにありますが、神戸市教採は激震ですね。対策を根本的に考え直さなければなりませんね。(1/24)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 明日は勉強会を開催します。その用意をしているのですけれど、右欄の「良く出るかもしれない面接質問集」をご確認くださいね。「個人解剖の試み」では、ここから質問しようと思っています。だいたいこれくらいをマスターすれば、どこの自治体でも通用すると自負しています。旁午読者のみなさま、がんばってください。(1/21)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ