日々旁午

2006


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みなさま、昨日は、第61回勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。満席になりありがたく思っております。また、遠く、広島からのご参加もあり、ウレシク思っております。

 昨日は、例によって、答申の講読、神戸市の教職教養解答解説、そして集団討論を2題いたしました。討論は時間に余裕がなく、みなさまからのご意見をいただけなかったのが心残りです。

 さて、答申は、「学校組織運営答申」を検討しました。今回でこの答申の検討は終了です。ここでは、教員の評価と処遇について、「能力評価は任用」、「業績評価は給与」と書かれていたことについてお尋ねしました。各々の教職員の「授業力」、「生徒指導能力」が「任用」にかかわり、「自己目的設定⇒達成」ということが業績評価、ということに落ち着きました。

 この答申については、前に「報告」で書きましたように、非常にコンパクトにまとまっておりますので、全文を読みきってください。そして、勉強会の場で議論されたことを重ね合わせ、反芻しつつ答申のイイタイコトを定着させてくださいね。次回からは、新しく中教審答申「新しい時代の義務教育を創造する」(昨年10月)を検討してまいります。この答申は、ちょっと長いもの(A4版37枚)ですが、なんとかワタクシなりに解説をまとめましたので、みなさんの議論の叩き台にはなると思っております。

 神戸市の教職教養は、「障がい児教育」について問う問題多く、本日は性同一性「障がい」の問題と、LDの問題、ノーマライゼーション、マイノリティー、ネグレクトの概念と結びつきの強い述語を問う問題、それから盲・聾・養護学校学習指導要領の問題について解説いたしました。解答するのがそれほど難しい問題ではありませんが、その問題の背後に横たわる教育思想や制度論を理解することが肝要です。もうちょっと述べておけば、どこの自治体でもよく出題されるLD、ADHD、高機能自閉症の定義は完全に暗記してくださいね。

 このことに関連し、勉強会の場でも申し上げましたが、「特殊教育」の名称が消えます。こちらの『朝日新聞』の記事をどうぞ。ようやくワタクシがいってきたことが陽の目をみるようになり、よろこばしいことです。例の「欠陥」の記述がなくなるといいですね。

 レジュメに記載した「それぞれの違いの一覧表」をご確認ください。次回は、盲・聾・養護学校学習指導要領について少し時間をとって学んでいきたいと思っております。次回ご参加のみなさま、あらかじめ問題として表示している穴埋めのところを考えてきてくださいね。そして、15日には、神戸市の問題の後半の解答解説を配布します。すいませんが、コピー代だけご負担お願いします。こちらは20枚くらいです。

 集団討論のテーマは、「社会の期待にこたえる教師とはどのような存在か。どんな心構えが必要か議論せよ」と「生徒指導を実践していく上で気をつけるべきことはどのようなことか、議論せよ」でした。あすの更新で、最初のものの討論の再現をいたします。そして若干の注意事項を述べたいと思っております。
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あすは、当サイト主宰、第61回教育学勉強会の開催日です。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。

 前回からご参加されている方々は、資料を忘れずご持参くださいね。新たにご参加される方には、資料をお持ちいたします。

 あすも、1次試験問題の解答解説、答申の講読、そして集団討論をいたします。討論のテーマは2つです。

 ひとつは、社会の期待に応える教員とはどのような存在か、というテーマ、もうひとつは、生徒指導上、注意することです。

 みなさまの多様な考え方をお聞かせいただけることを期待しております。では、あす!
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上昇志向。これを現代流にいえば「勝ち組」に仲間入りすることといえるだろう。恬淡としたワタクシなど、「勝ち組」に入れそうもないのであるが、なぜに人びとはこの組に入りたがるのか。この組が経済的な富裕層であることから、「勝ち組」イコールお金持ちということになる。近時、経済界のナンバーワンになろうとして、諸々のITグループは鎬を削る。キング・オブ・キング、勝ち組の中の勝ち組になる意欲に満ちている。すでにホリエモンは負け組との声もあるほどである。

 まあそれもよかろ。資本主義の世の中だからである。経済的価値が第一であることを「戦後」に宣言してから、まっしぐらにこの道を日本は歩いてきたのだから。そうだとすると高度経済成長は、いわゆる「格差社会」への序章であったと将来歴史的に断罪されるかもしれない。一億総中流が、一部上流と最下層に分断されたからである。『下流社会』が読まれる時勢である。こうした社会構造を演出した思想が「新自由主義」といわれるものであろう。階層社会に日本を追いやっている思想として批判されているが、一体、これはなんなのだろう。一般的にいえば、政治的には「小さな政府」、経済的には市場原理の貫徹、この両者の実現を意味する「主義」である。これなら近代日本の蘇峰的な、イギリス古典経済学派の思想と表面的にあんまり変わらないように感ぜられる。

 意味論はいいとしても現代史的にはどうなのか。はたして小泉氏のいう、あるいは、小泉氏が掲げていると見做される「新自由主義」は、どのような岩の割れ目から噴き出した思想なのであろうか。単に経済成長の最終局面として、「勝ち組」をめざさせる意思としての「新自由主義」が登場したのではないように思われる。とすれば、なにか、端緒があってしかるべきはずであるのに、きわめて突発的に、気付けば「新自由主義」の雲に覆われていたというのがワタクシの実感なのである。しかも、小泉氏のいうのは「新自由主義」というよりも、「新<個人>自由主義」みたようなものだろう。そこまで小泉氏は厳密に考えていないし、そもそも彼が「新自由主義でやっていこう」などとは一言もいっていないのではないか。

 この経済思想の登場のターニングポイントが、もしも経済的逆説現象であるバブルの崩壊だとすれば、ちょっとよくわからなくなるのである。中曽根経済から小泉経済へは一直線に進んでいないのではないか。コンドラチェフ的観測では見落とし、キチン的には近視的でわからない、そうした何かがあるのかもしれない。

 バブルは、相対的な意味で、貧者を世に生み出した。栄耀栄華を再び望んだ元お金持ちの貧者に、「人生やり直しがきく」として、経済活動を促す。ここに振興勢力が挑戦状をたたきつける。市場を土俵に剥き出しの戦いである。この戦いの最中に頭角を現したのががITであろう。

 誰しもが願う「利」は、本当にいいものだよと甘くささやき、そういう立場になれよと国民をくすぐる。それが小泉的「新自由主義」=「小泉的新<個人>自由主義」である。だが「新自由主義」との言葉は、小泉氏にはもったいない。小泉氏がいいたいのは、それほど高尚なものではないしそもそも彼は新自由主義なんていう単語を使っていないだろう。その中身はなんとなくわかっているようではある。「新自由主義」を裏で用意したのが平蔵氏である。経済財政諮問会議は、のちのち、大きな研究対象になる議事録を残したといえる。

 再度、整理しよう。

 右肩上がりの経済成長は多様な物質的欲望を満たし、空腹を感じない豊かな社会を築き上げた。そこにまっていたのは究極の下降であった。株の下落であった。懐かしい恐ろしい話である。そしてそれにつづく贖罪の日々。平たく表現すると、順調な経済成長(70年代、80年代前半)⇒バブル経済(80年代後半)⇒バブルの崩壊(90年代)≒失われた10年(停滞状況の継続)と歩んできた日本である。この国は、年間3万人の自殺者を出しながら、子どもの数を増やさないままである。その犠牲の上に、デフレスパイラルからの脱却にやや成功し、不良債権を償却した。それは竹中的手法でアメリカ的魔手の大鉈ふるいであった。刀で切ったのではなく、トマホークで腹を割くような国内経済手術である。「骨太の方針」は太い骨をトマホークで断つ仕儀であった。

 製造業の方では在庫はなくなりつつある。在庫を多量に抱えたダイエーはその創立者の死とともに昨年ほぼ流通業界から去った。ダイエーホークスからソフトバンクホークスへと、鷹だけが空を舞う。

 失われた10年から、いま、抜け出し、泥沼の渦から新たな魔物が天空に駆ける。グリーンメーラーなどは、その最たるものであろう。いまの景気良好判断は庶民の経済復興実感ではない。低成長に強食で生きる知恵をつかんだ鋭利な頭脳だけが、経済市場で「勝ち組」に入ったわけである。経済は、そうした一部トップ企業の利益の復興を促し、その筋肉質になった企業が下々の中小企業のグロウアップを図る。高度経済成長時代の装いを変えた成長方法が、また、甦る。

 しかもこの手法の行方は、バブル期の資産価値運用を惹起し、バブル的崩壊過程と似てくるのではないか。デイトレーダーが、ちょこちょこその真似をしだしている。

 バブル期には国民のほとんどが踊ったわけで、いまは少数者が踊っている状態であろう。

 小泉氏の「新自由主義」は、バブル時に国民の欲望を満たした経済政策の焼き直しに近い。しかも倫理を抜いた焼き直しであるから悪い。さらには多数の幸福ではなく少数の幸福をまず担保しようとしているといえよう。

 経済界にはナンバーワン追求はあるが、オンリーワン追求はないのである。この世でひとつだけの花はないのが経済の世界である。深山椿だけが咲くといえる。
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新年、あけましておめでとうございます。今年も「浩の教室」をよろしくお願い申し上げます。平成18年 丙戌 浩
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