日々旁午

2007


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集団討論のテーマは、「昨年末に教育基本法が改正されましたが、みなさんはどのようにとらえていらっしゃいますか。思うところを出して、議論してください」と、ちょっとむつかしいものでした。法規の基礎知識がなければ、議論ができないからです。こういう出題がされたときに、教職教養の知識がしっかりしたものであるかがわかります。このテーマに、今回は5名の方が挑戦されました。いつも6名のところ、みなさんテーマのむつかしさに敬遠されたのでしょうか、もっと意欲的になってくださいよ〜

 まずCさんが発言されました。教育基本法が59年ぶりの改正であったこと、改正し、新しい教育への意気込みを感じるということ、しかし、この改正については、現場や有識者の間でも賛否両論であることを述べられ、最後に、教育行政を法律が縛ることになるということを問題提起されました。最後の意見は、教基法改正によって、他の教育に関する法律も変更を受ける事態をどう受けとめるかということですね。

 Dさんは、教育の憲法と位置づけられる教基法が即時に変更されたが、国民に教基法が変ることによって教育がどう変るのか説明し切れていないのではないか、このまま定着していくと、なにか問題がでてこないか、とご意見されました。

 Bさんも、教基法の改正は、教員だけに影響を与えるのではなく、およそ教育に関わるものすべて、ということは国民全体になるわけですが、国民すべてに影響を与えるので、もっと国会ほか議論が必要ではなかったか、と発言されました。

 Eさんは、これだけ簡単に改正されたのは、国民の無関心ゆえであろうと分析され、議論が愛国心条項をどう盛り込むかに偏りすぎていたと述べられました。もちろん現在の教育の在り方がいいとは誰しも思っていないが、教基法を改正してすべての問題が解決するわけではないと捉えられ、いまある法律を有効に適用する方策をもっと深く考えればよかったのではないかと提起されました。このあたりは、Cさんの意見と響きあうところがありますね。

 Aさんは、たしかにマスコミの報道も愛国心論争に偏りすぎであったとEさんと意見を同じくされます。改正条項にある幼稚園教育や特別支援についても、もっと慎重に議論するべきではなかったかと、具体的に話されました。

 それゆえEさんは、教基法改正全般において、論点整理がうまくいっていなかったと批判し、保護者の責任や役割と学力の伸長の関係もいまひとつわからないと述べられました。そして、経済環境の違う個々の家庭において、共通して学力を伸ばすためにはどうすればいいのか、といった問題を提出されました。また、バウチャー制度の導入と、学校・地域の連携の矛盾を指摘されました。Aさんがこの発言に対し指摘されたように、それは教育再生会議で議論されるべきものでしょう。

 Cさんは、上の家庭の議論が登場したことに関連し、10条の家庭教育「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」、12条の社会教育「個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」について触れつつ、様々な教育機関との連携も視野に入れるべきであると述べられます。さらに、教基法は改正を受けたけれども、日本の教育の在り方を示唆してはいるが細かい言及はそれほどないといわれ、教育行政遂行のための法律がどのように作られていくのか、それを見守ると同時に、教員の立場から、日本の教育の進むべき方向性を示していこうと積極的なご意見でした。

 この意見に関してワタクシから後でコメントしてつもりだったのですけれども、17条の教育基本計画の立案は、きわめて「細かい言及」をすることにならないでしょうか。

 Dさんは、ご自身の最初の意見と整合性がちょっとみえなかったんですけれど、以下の第2回目の発言で、教基法が現代まで長い間変らなかったのには無理があると捉えていましたね。現状にあった法改正の必要を述べられ、改正があってよかったとの立場をとられます。そして、この改正は、それほど大騒ぎするほどのことなのかと議論の種を提出されました。実は、あとの珈琲会では、このDさんの意見に同意する方もいらっしゃり、興味津々でワタクシなどはお聞きしていたのですけれど、この集団討論の場では、このあとこのDさんの発言に対しては、賛成も反対もありませんでした。

 ただ、次の発言者であったBさんが、改正前の10条で、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」をとりあげられ、教育法規が新たに作られたとき、これの適用の仕方に問題が出てこないかかなり心配そうでした。Dさんは、急に愛国心を強制されることはないと思うが、現在でも愛国心に対する評価をしている学校もあるといい、民主的な教育が今後できるかどうかある種の怖さを訴えておられました。こうしたことが、「大騒ぎするほどの問題ではない」かどうかは、考える余地がありますね。

 新しい教基法では、Eさんが指摘されるように、16条で、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」と規定され、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」の一句が入っています。これで、法律に基づきさえすれば、行政は国民から「不当な支配」と判断されようとも反省する必要がないわけです。勝手に数の暴力で教育に関する法律が作られて、「法の支配」が貫徹しないまま、つまり法律の内容を検討しないまま適用されても、まったく批判ができなくなるわけです。ワタクシは、これは横暴であると思います。

 Eさんは、これを具体的に話され、国旗国歌法と思想信条の関係性について触れられました。また、東京地裁判決についても議論しようとされました。

 Aさんは、以上の議論の流れに対して、違う立場から切り込まれました。それは「不当な支配」についてですが、基本的に教員は法を遵守する立場にあると述べられます。もちろんそれはそうですね。そして、行政が法に則って執行したときに、その行為が不法行為であるかどうか判断する立場に教員はないとご意見されました。これは鮮烈なご意見でありました。その判断は、司法がするわけで、教員は法の執行については、いわば傍観者であるべきというような立場のようです。そして、法を破ってまでやりたいことをやるのはどうかと主張されました。これは、卒業式における国歌ピアノ伴奏の拒否などが念頭にあるわけでしょう。

 Eさんは、一人の人間としての教員は、法律を守ると同時に守られる権利を持っていると述べられます。法には強制力がありますから、それと権利が相対したときの軋みを問題にされたいようでした。

 ワタクシは、実はAさんのご意見には違和感がありました。「民主主義とは国民による日々の一般投票によるもの」との立場からいえば、所与としての法律でも、それが正しいものであるかどうかは、ワタクシたちの具体的な生活の中で検証されるべきではないかと考えるからです。法執行の是非をすべて司法判断だけに任せる立場にはワタクシはスタンドしません。

 Cさんは、今後将来教育に関する法律が徐々に改正されていくにあたり、どこまで強制力を持って教員に迫ってくるのか、現場の教員は辛辣に受けとめるだろうと予想し、先輩の教員からの助言だそうですが、「自分たちが良識を持って行動すること」、「法律の不適切な執行が行なわれないように遵守しながらもチェックを怠らないこと」を指摘されました。

 最後にDさんが、子どものためによりよい方向に教育が動いていくことが肝要であると述べられ、20分間の議論は終了しました。

 討論終了後、違憲立法審査権の話まで出ましたが、法律の専門家でない教員が、法の成立や執行にどうタッチするかについて、ちょっと議論をしました。また、法律に内心の自由に干渉する記述、たとえば「郷土を愛し」など情緒的な表現があっていいのかどうかなども、指摘しました。

 おそらくこのような受験生の思想に関わるテーマはでないだろうと思います。しかし、でた時にどうするかは考えておかなければなりません。最初に、改正について賛否どちらの立場に立っても構いません、その根拠を理論的に主張できれば、それでいいのです、といったのは、教育委員会の立場からすれば必ず付け足す言葉であろうと思われたからです。広島を除いては。

 このテーマ、むつかしかったようで、20分間で全発言回数は15回でした。表面的に教職教養を勉強しているだけでは、おそらく集団討論の場に参加できないでしょう。やはり、教育法規の勉強は大切です。しかも、記憶するだけの乾いた勉強では、結局、役に立たないでしょう。そうしたことを思い知らされた討論でした。

 ところで、中教審のメンバーが変りますね。鳥居さんが引退し山崎さんが座長になるようですね。教育再生会議に対し中教審がどういう態度をとるのでしょうか。2月からの中教審から目が離せませんね。
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昨日は当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。当日は、教育再生会議第一次報告の講読検討会、集団討論、集団面接、自己売り込みのツボ2名という構成で実施いたしました。

 再生会議の報告書をみなさんと一緒に検討していきましたが、初回でもあったため、この会議の構成メンバーについてや、簡単な解説をするにとどまりました。次回、本格的に内容を検討していきましょう。この資料を忘れずご持参下さい。新規の方には、ご参加のときにお渡しします。

 なお、このとき、カミオカンデと光学異性体とで、発見学者のとりちがえをしておりました。ご指摘およびご説明いただいた参加者の方、ありがとうございました。

 次に集団討論でしたが、教育基本法改正にかかわってのテーマでした。次回更新時、その模様をお伝えします。

 集団面接には、6名の方が挑戦されました。質問事項は、今回は8つ、「大阪府、市、あるいは他府県の志望動機」、「教採の勉強の息抜きの仕方」、「親友は何人ぐらいいますか」、「その親友からどのようにあなたはみられていますか」、「ボランティアを進めるためにどんな声掛けをしますか」(挙手制)、「どんなクラスを作りたいですが、クラス目標をいってください」(挙手制)、「良い教師とはどんな方でしょう」、「最後に一言」でした。

 挙手制の質問以外は、全員順番に答える方式です。この各質問に対して参加者がどのように答えたのか、当サイトをご覧のみなさまにあっては興味あるところでしょうけれども、これは公開しません。なぜなら、これは個人に密着した答え方になるからです。

 最後に「自己売り込みのツボ」でした。3分間で自分を自治体に売り込むコーナーです。よく考えられて報告いただきました。作成された原稿を手直ししてください。また持ってきてくださいね。添削しますから。もちろんながら、この添削は無料です。
 当日は、珈琲会に今秋合格された先生方4名の方およびもう4年目となる先生に来ていただくことができました。勉強会参加メンバーに、イロイロと勉強の方法そのほか相談にのっていただきました。こうして先輩から後輩へ教えが伝わることにありがたい気持ちを持っています。今後もよろしくお願いします。

 さあでは、2月もがんばりましょう!
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本日、日教組香川主宰教採学習会にご参加のみなさま、お疲れさまでした。来月までに、配布レジュメを復習、ご検討下さいね。2月24日は、このレジュメを使って、つづきを解説していきます。レジュメ途中の練習問題を解いてみてください。

 次回は、面接対策もいたしますので、右欄のよく出るシリーズを参照しておくことを期待いたします。
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あすは、香川へ参ります。日教組香川主宰の学習会参加のみなさま、よろしくお願いいたします。今回、資料は100枚近くにしました。来月の分とあわせて、200枚くらいになります。この資料は、香川対策であると同時に、一般的な教職教養の参考書として活用いただけるように編纂いたしました。これと、いつも推薦していますように時事通信社の『教職教養スコープ』で、勉強を進めれば、いい結果が期待できます。

 土曜日は、広島からも、徳島からも、ご参加があるようで、楽しみにしております。日教組香川の先生方、お世話になります。資料の印刷方、よろしくお願いいたします。

 そしてあさっては、当サイト主宰第105回勉強会の開催日です。これまたご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。当日、教育再生会議第一次報告の体裁をまとめたものを持っていきます。20枚ですので、200円ご負担下さい。すいません。あさっての計画は、集団討論、集団面接、自己売り込みのツボ、それに、この第一次報告を読みましょう。

 時間的に厳しいかもしれませんが、ご協力お願いします。集団討論のテーマは、教育基本法改正についてです。右欄に旧法と改正後のを載せています。これ読んでくださいね。

 あ、教員免許の国家試験化は、第一次報告に盛り込まれてますな。
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「プロジェクトXもやるんだね。ワークライフバランスなんだ。教育3法改正もするんだ」。

 きょう、教育再生会議第一次報告が出来した。すでにもう読まれた方もいると思う。ワタクシも読んだ。この会議が非公開であったから、密室議論であって、どんなことが最終的に報告されてくるのか教育評論家や教育者は予想するほかなかった。ちょこちょこ流された会議議事録を読んでいたワタクシではあったが、出てきて驚いた。

 最初の「7つの提言」はそれほどでもないけれども、あとの緊急対応の4つの中の3つについては、安倍氏は小泉氏に倣ったように即断即決の姿勢をみせたいらしく、ずばり「平成19年度通常国会提出」と記載されている。内容的に驚いたのではない。このように、もうずばりと「変えます」と書き切っていることに驚いたのである。これに対する驚きの反応は、ワタクシだけでなく、政府与党の中にもある。文科相伊吹氏もそうにちがいない。

 教育3法の改正、つまり、学校教育法・教育職員免許法・地方教育行政法のほぼ同時改正は、現実的に政治日程にのぼらせることができるのかどうか。

 安倍氏は100点満点と評価する。それはそうだろう。

 陰山氏や浅利氏は、貝のような口を開けてほしい。

 中教審は、自立性を侵された。どう対応するのか。

 いずれにせよ、登場したこの報告書、勉強会で読みましょう。
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教員免許の開放性を揺るがす議論が教育再生会議で検討予定のようである。これは、ユユシキ事態である。なぜなら、戦前の師範タイプと呼ばれる教員ばかりの養成から、多様な資質、なかでもバンカラ、型破りな教員の養成へと舵を切った戦後の教員養成体制に、悪しき変質をもたらすからである。『朝日新聞』2007年1月23日付は、教育再生会議が、教員免許の「国家試験化」を1次報告に盛り込むこと報道し、「教員養成への国の関与はいっそう強まる」と評した。いい得ている。

 さらに、「再生会議では、教員養成課程をもつ大学を卒業生の『質』で事後評価し、合格率が低調な場合は教職課程の認定を取り消す措置の導入も検討されている」と、非公開会議の情報をどこから仕入れたのかはわからないが、確信があって伝えるのである。

 試験に合格する学生が少ない大学は、教員養成の担当能力がないとバッサリ切り捨てるわけで、これでは、どの大学も、教職課程があるところはその存続のため、変な手段に出るかもしれない。福岡教育大学の例をみよ。また、ひとりも法曹合格者を出せなかった京都産業大学法科大学院のように、責められる大学をだそうというのか。

 別に合格者がいなくとも、志ある若者にチャンスを与えることこそ、安倍氏のいう「再チャレンジ」精神ではないのだろうか。あんまり表現はよくないけれども、脳味噌が詰まっていない安倍氏は、将来の日本を想像できないらしい。創造もできないだろう。

 多様な人材こそ、教育実践の多様性を保障する。中立性を保障し、一方に振れた教育の在り方に歯止めしてきたのにもかかわらず、戦前がえりの主張を、なぜするのか。たとえ閣議決定しないにしても一定の影響力を中教審にすら及ぼす教育再生会議報告である。そのココロは、中曽根氏が忌み嫌ったほどの、中教審のスプレンディドな伝統を、「いまこそ!」と力を入れて潰すところにあるといえよう。官邸の軍門に下った野依氏、義家氏など、誰もが一流と認める学者から人生の再生成功者までを傘下にし、保守思想を国民化する手を打ち、「これだけバラエティに富んだ人物たちが、承認しているのだから」との理由で、「国家試験」化を一瀉千里にやり遂げようとするわけである。

 安倍政権の本質は、保守本流以上に「保守本流」化している。だから、教育基本法の改正は実現したし、憲法改正を歴代の総理よりも声高に叫ぶのもわかる。その超保守思想が、共謀罪成立指示を出したり、引っ込めたり、思想軟弱なのはお笑い種だが、「なんでもいっちゃえばいい」というのは、単なる参院選対策だからで済む話ではない。政局の現状分析からすれば、上に森の熊さん、横に麻生氏、斜め下に谷垣氏が控えているから、なんとか点数を稼ぎたくてイロイロいってみるのもわかる。これは、ブレーンが悪いんだろう。世耕氏など首相補佐官の人選に問題があったのかもしれない。まして、文科相伊吹氏や農水相松岡氏の疑惑、佐田氏の更迭など厳しい内閣所帯である。日本右傾化の政策を「なんでもいっちゃえばいい」との態度でなければ、神経が持たないのかもしれない。

 しかし、変更をあからさまに指示される各行政分野や国対はたまらない。それは国対は身内だから、両者泣いたらいいけれども、各行政分野の最先端は泣くに泣けない。

 おそらく教育行政の未来図は、官邸によるとこうだろう。文科省の権限拡大、都道府県教委の廃止、教育公務員の国家公務員化、校長・教頭以外の職員の非正規雇用化、教科書有償制、道徳教育における教科書の採用、義務教育の12年化、保護より厳罰の児童生徒管理、などなどである。

 森の熊さんがしたかったことを、安倍氏が代わりにやるような感じである。そこに独自色がないだけに、教育改革が最優先課題といったところで迫力がないのである。
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サイトの配色を変えてみました。いかがですか。

 東京都は、採用試験の仕方を変えました。一般教養をなくすそうです。こちらのオフィシャル発表もどうぞ。「第一次選考において、一般教養試験を廃止する。択一式で行っていた一般教養試験を廃止する。実践的な教職教養問題を充実させるとともに、論文と面接の工夫改善を図ることで、総合的な人間力を評価する」。

 都の「実践的な教職教養問題を充実させる」という書き方は、あらゆる想像をさせてくれる。しかし、改正の対照表をみれば、どうやら、一般教養出題だけを単純に削るようである。この30分間はどこへいくのか。

 「総合的な人間力」の評価は、人物対策がかなりの比重で担当するのだから、ますます当サイトの存在意義が高まったと思っている。

 右へ習えの自治体も出てきそうですね。いかがですか。
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それでは、例によって集団討論の進行過程を再現してみましょう。みなさん、かなり上手になってきましたね。新規の参加者も、物怖じせず参加され、苦しいながらも得るところはあったと思われます。討論は場数ですが、討論でなにを主張するべきかを持っておかなければなりません。それは個人の課題です。今回のテーマ、「昨年、子どもたちの自殺が多発しました。タレントも自殺予防の文章を新聞に書いていました。私たちは、自殺したいと悩んでいる児童生徒の心に響くどのような声を掛けるべきでしょうか。多角的に児童生徒の自殺問題について議論してください」にきましても、自分なりにイイタイコトをまとめ直しておきましょう。

 さて、このテーマに6名の方が挑戦。20分間でした。討論初挑戦のFさんが、勢いよく口火を切りました。自殺を考えている児童生徒は、自分自身が「必要とされていない」と思い込んでいる。ここを解消なければならない。「君は宝物を持っているんだ、それを失うようなことはしないでほしい」と語りかけると述べられました。テーマに対応した話し方であったと思います。つづいてAさんが、いじめや虐待を受けている児童生徒は、非常に孤独を感じているので、力になってやる姿勢で接するのが大切ではないかと主張され、その辛さに共感しつつ、「私のためにも生きてくれへんかな」と伝えたいと話されました。

 Cさんは、このテーマを次のように解釈します。テーマでは「どう声を掛けるか」を問題にしているけれども、まずは児童生徒の声を聞くことからはじまるのではないか、ということでした。目の前にいる児童生徒に対し、まずは聞いてやる姿勢を教員が持つことこそ、問題解決の第一歩だと捉えられています。けっして「正論」をそのままいうのでは効果が少ない、共感する姿勢が大切である付け加えられました。

 Bさんは、自殺を考えている児童生徒は、周りがみえていない場合が多いといい、そんな状態の児童生徒に声を掛けてもなかなか伝わらないのではないかと問題を提出され、あえて声を掛けるなら、教員の視点ではなく、児童生徒の立場、保護者の立場に立って想像し、語るべきではないかと主張されました。Dさんは、「自殺」ということから、命の大切さということを議論しようとされました。命を与えてくれた保護者の存在を考える授業をするのが、自殺を防止する契機になるとし、命を大切にすることを伝える授業を実践したいと提起されます。それは、具体的には、長田出身のDさんにあっては、1.17を授業化することでした。体験に根差した発言であるので説得力がありました。災害で命を失うということの辛さ、炎が迫ってくる恐怖、かなりリアルな表現を交えつつ、ご意見を述べられました。そして、さらに、我が子を産んだときの心境を母親に作文に綴ってもらい、それを児童生徒に渡すといった実践をDさんは経験したそうですが、非常に感銘を受けられたようです。

 Aさんは、Dさんの発言を受け、命を大切にすることは、自殺の予防措置となることを認め、自分の命だけでなく、他人の命を大切にすることも、他人の気持ちを考えることも道徳の授業で実践したいと述べられました。このAさんの反応に答え、Dさんは、PCゲームなどで命が再生できることを疑似体験している児童生徒にあっては、命とはそうしたものではないということを是非伝えたいと強調されました。Fさんも、授業のことをDさんが話題提出されたのを受け、命に対する畏敬の念を育てる授業をしたいと希望を語られます。

 Eさんも、集団討論に初挑戦の方でした。Eさんは、これまでの議論を聞かれ、孤独や周りがみえていない、あるいは必要とされていないという感覚をどうすれば自殺を考えている児童生徒から払拭できるかという観点から、日々の学校生活における「あいさつ」の大切さを説明されます。おはよう、さようなら。こうしたあいさつが、どの児童生徒をも受け容れられていることを示すものではないのかということでした。また、学校行事に全員参加することも、あるいは「孤独」な状態の児童生徒を生まないようにする方法であるということを指摘されました。

 Bさんは、日々のあいさつの重要性を受けとめつつ、クラスにおいて自殺の事件を学んでみることも意義があるのではないかと話されます。なにが原因で自殺したんだろうということを、現実の事件を題材に授業で取り上げようということです。それが当事者としての意識を高めるとBさんは考えられています。これは討論終了後にコメントしたことですが、生々しい遺書や自殺事件の記事などを授業で取り上げることの注意点を是非よく考察しなければならないということ、教育現場でどんな状況がこれらを読むことによって生まれるかということに注意しなければならないでしょう。つまり、自殺事件の授業化には、賛否両論あるということです。

 Cさんは、自殺問題のマスコミ報道の問題性を指摘されます。報道に仕方によっては、昨年のように、自殺「誘導」あるいは自殺の連鎖が起こってしまうことに、危惧されています。そこから、正しい情報判断の力を養うべきことを指摘されました。

 Aさんは、ここで話題転換し、自殺を考えている当事者に、どのようなアプローチをするべきかに力点をおきましょうと方向付けし、苦しさを抱えている児童生徒に、その苦しさを「発散」するなにがしかのことを示せないかと考えられていました。なにか得意なものを見出し、没頭、熱中できれば、自殺の予防になるのではないかとのご意見です。児童生徒に、ネガティブな思考ではなく、活発なエネルギーの費やし方を示唆するのがよいということですね。Dさんは、自殺を考えている児童生徒の保護者からも、できれば(かなり無理ですが)情報収集できないかと発言、Eさんは、児童生徒が悩んでいる場合、保護者も悩みを持っているのではないかと指摘、Fさんは、情報を積み上げ、学級担任だけが問題解決に取り組むのではなく、校内上げて組織的に対応することが大切であると述べられました。こうした発言を受けとめ、Aさんは、学年団でも協力体制を作り、話し合いを重ねること、保健室の先生(=養護教諭)に力になってもらうこと、スクールカウンセラーの活用、ということに触れられました。

 Cさんは、Aさんの提起された当事者へのアプローチということに関し、「ちょっとちがう見方、意見を述べたい」と前置きし、自殺を考えているほどの児童生徒が私のところに相談にきた事実を尊重したいといわれます。これはすなわち、私だから相談にきたと捉えていいのではないか、すなわち、「この先生だから信頼して相談にきた」と一般化でき、そうであれば、児童生徒の秘密を打ち明けられたということになる。ここからCさんは、守秘義務を問題にされ、学校の組織的な対応を進めつつも、慎重な情報の共有を求めたいと発言されました。Bさんは、情報の共有はやはりおこなわなければならないのではないかと述べられます。ここはむつかしいですね。一方で守秘義務、生徒からの信頼を失ってまで「自殺」のことを話しににきた児童生徒のことを「漏らして」いいのかどうか。しかし、逆に、もし本当に自殺してしまえば、そのことを知っていた教員は、苛まれることになる…まさに、文科省の自殺予告文発表に重なり合う問題です。Bさんはつづけて、どんな声を掛けるかは、同時に真剣なまなざしで語るということをも要請し、児童生徒となんらかの「約束」をした場合には、いわば「教員を辞める覚悟で」その約束を守るべきだと主張されます。そして、こうした自殺を考える児童生徒が存在するということは、なにかクラスにほころびがある証拠であって、そのほころびを毅然とした対応でなくしていくことが、私たちの役割ではないかと力説されました。

 Aさんは、自殺の原因、理由は多様であり複合していることを指摘、私たちは丁寧にその一つひとつに対応するべきでしょうとまとめられました。

 その際には、Dさんのいわれるように家庭や地域との連携が必要になり、自殺の未然防止方策を手厚くしなければならないでしょう。その中にはAさんが付け加えられた家庭訪問もありますね。家庭によっては児童生徒をめぐる事情も様々であり、我が子のことであってもわかっていないケースもある。保護者に学校における児童生徒の状態を報告することも教員には課されているのではないかというDさんの発言で、討論は終了しました。

 以上の内容が、20分間で議論されました。密度の濃い、よい討論であったと思います。今回は、討論に参加するときの姿勢、態度が話題になりました。どの方向を注視しているか、身体が揺れていないか、足、手の動きなどです。声の大きさも注意点として出されました。

 お聞きになられている方も、参加したつもりで、ご自身ならどんなことをいうべきかを考えておられたと思います。そうした訓練が大切です。第104回では、討論と面接と自己売り込みでしたが、どれかひとつに参加できるようにプログラムしています。主体的な参加を期待しております。
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本日は、第104回勉強会にご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。本日は、ます、教職教養の基本的事項をどれだけ勉強していらっしゃるかを確認するため、1問1答方式で、みなさんに問題を出し、それに答えていただくという、「啓蒙活動」をいたしました。今後、間欠泉的に、このチェックをいたしますので、抜かりのないようにペーパー対策もしてくださいね。

 次に、集団討論をいたしました。討論の模様につきましては、次回の更新といたします。なかなかみなさんがんばっていました。いい出来ばえでした。70点差し上げます。

 そして、集団面接を実施しました。今期はじめての集団面接でした。もちろんこれは、大阪府の1次試験対策ですが、他の都道府県にも応用できるものです。右欄の質問集を根本としつつも、昨年度の合格者からのメール報告(つまりどんなことが質問事項にあったか)を受け、そこから問題を抽出し、みなさんに尋ねています。大学3年生の勉強会参加者や教採を未受験の方にとりましては、よい刺激になったのではないでしょうか。

 だいたいの実施方法がわかったと思われますので、是非、右欄の問題に対して自分ならどう答えるかを書いてみてくださいね。今後、新しい質問事項を追加してまいりますので、常にチェックしてください。

 最後に、自己売り込みのツボをやりました。今回がんばってくださったK君、Kさん、お疲れさま。かなり厳しいことを申し上げましたが、再検討のうえ、書き直してくださいね。また、珈琲会にて文面をみます。前回担当されたF君、A君も、考え直して文面ができたら、持ってきてください。ワタクシの視点から、なにがしかの意見を差し上げますね。

 28日の勉強会では、M君、そして岐阜からご参加のI君、いい報告を期待しています。3分間で自分を語るのは簡単なようでむつかしい。自分を見つめ直すよい機会になります。精一杯取り組んで、衆人環視の下、イロイロご意見をみなさまからももらいましょう。

 昨日書きましたが、勉強会の3月期のお申し込み、お待ちしております。残席わずかです。上の「勉強会のお知らせページ」をご確認のうえ、メールお待ちしております。
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