日々旁午

2007


きょうは、このページをリンクし、旁午を手抜きしよ。ごめんね。

 あっ、大阪府教委が原告となって豊中市を訴えているので、そちらの記事もリンクしておこう。「大阪府教委が提訴へ、豊中市を相手取り7300万円返還求め」。

 これだけでは申し訳ないので、more than words can say をみてくださいませ。
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昨日行なわれた集団討論の模様を再現していきましょう。テーマは、「団塊の世代の大量退職時代を迎えるが、その社会的問題と対策について」でした。時間は20分にアドヴァンテージをとりまして、22、3分くらいでしょうか。参加メンバーは、男性4名、女性2名の計6名です。

 イニシアティブをとったのは、Aさんでした。Aさんは、団塊世代が昭和22年から24年の3年間に生まれた世代であることを説明し、その方たちの大量退職は教育現場をも直撃することを述べられました。つまりそれはAさんによれば、ベテランの先生方が抜けることを意味し、たとえば、保護者対応に長けた先生などが抜けられることになる。残った若干経験の浅い先生方は相談する人材を失うことになるといわれます。Aさんはこうした問題点を提出されました。

 このご意見につづき、Bさんは、たしかに保護者への緊急対応に慣れておられる先生方の穴を埋めるのは大変であるの同意しつつ、それだけでなく、私たち新人教員の授業に対してコメントいただくこともできなくなると指摘されます。効果的な教育技術の世代間伝承がなくなってしまうのではないかと心配されます。Cさんは、この2つの問題点を受けつつ、生活指導面もベテランの先生の指導力がまだ必要で、それが欠けるのは苦しいと述べられました。

 Fさんは、逆ピラミッド型の教員年齢の構造は批判されつつも、多様な年齢層の先生が学校に揃っていることが、児童生徒に異なる刺激を与えることになると年齢構成に関わる問題性を提案されました。Eさんは、いままでの発言者のご意見を抽象化し、学校運営面における効率低下を危惧し、校務分掌上の問題が出てくるとまとめられました。

 ここでCさんは、団塊世代の大量退職という現象をどう捉えるかが大切なのであり、これはチャンスにもなるのではないかと若々しいご意見を出されました。団塊世代の先生方の豊富な経験や教育的蓄積は次世代に伝えられる価値を持っていることを承認しつつも、これからの教育に新しい風を吹き込んでいく役割が私たちに課せられているのではないかと喝破されたのです。いまの教育をまさに「再生」する役割が自分たちにあるということの宣言でした。

 では、この「団塊世代の先生方の豊富な経験、教育的蓄積」をどのように学校が継承するか、Bさんはこの点を議論します。「団塊世代の先生方の豊富な経験、教育的蓄積」は法則化したり、文章化したりできるとBさんは述べます。こうしたものを基として、ベテランの先生方から研修を受ける計画など、具体的なご意見を提言されました。また、学校行事のスムーズな進行のために豊富な経験からいただけるアドバイスには大きな価値があると認識されているようです。

 Dさんは、ここではじめて発言されましたが、若い先生が頼るべき存在として団塊世代の先生方を位置付けられました。心細さの表出でしたね。今回初参加のDさんは、他の発言者の発言に「あっけにとられた」ような感じでありましたが、この「苦しい討論参加経験」は必ず後に生きてきますよ。Eさんも、若い先生が頼るべき知識経験を団塊世代の先生方がたくさん持っていることを認めておられます。

 その一方で、Cさんは、現場感覚を披露し、「年をとると体力が落ちる、若い先生はエネルギッシュ」といい、若い先生もいろいろやるで、中堅教員もがんばっていると、今後の学校の在り方を視野に入れた発言をされました。先ほどの発言とともに一貫性がある主張です。Aさんは、Fさんのご意見を汲みとって、多様な世代の教員が揃っていることに越したことはない、イビツな教員の年齢構成をどう解消するか、これが問題であることを承認し、その上で、大量退職は20代の先生方に負担が波及することを指摘されます。学校全体の体制変革が否応なく求められる結果となり、負担を背負った20代の先生にアドバイスを与える先生方がいらっしゃらなくなることのデメリットを強調されました。

 Fさんは、ここで違った視点からのご意見を述べられました。それは、団塊世代の大量退職はいままで議論してきたような問題はあるけれども、そうした問題は、都市部と地方では受けとめられ方が違うということです。教員にかぎっては、地方では退職者は少ないので、問題にならないケースもあるということです。これは統計を調べないと、なんともここではワタクシからはコメントできないのですけれど、たしかに「実感的」には、ワタクシも、そう感じています。都市と地方の対比を論じることはインタレスティングですけど、難しいですね。岐阜から勉強会に毎週のようにご参加いただいているFさんらしいご意見でした。この問題意識が討論の中でどのような意味を持つのかは、あるいは持たせるのかは、検討課題だと思いますよ。みなさんも考えてみてください。それが、日本全体の教育の在り方をみつめ直すきっかけになります。世代の変動と地域の変動とどうクロスするのかしないのか。講義でも申しあげましたが、「地方に予備校業界が進出するのは中央よりも遅れる」の例を熊本のお話をKさんから聞きながらやりましたね。ゆっくり再考しましょう。

 Cさんはその一貫性ある主張から、再度、問題点の指摘はわかるが、私たちがどうしていくかが問われているわけであり、現実から出発するのが大切であると述べられます。若い世代が創造していくことは何か、にこだわってご意見を何とかつなごうとしています。新しい教材の開発、運営の在り方、そうしたことをご自身の問題意識として討論参加者に訴えたい気持ちが強く伝わってきました。

 Bさんは、話題をもっと具体的にしなければならないと思ったのか、ここでITについて振られました。団塊世代からなにがしかのことを受け継ぎつつも、私たちは私たちで自分を磨いていかなくてはならない。その課題のひとつに教育のIT化にどうかかわっていくか、ということがある。Cさんの議論を具体化する形で、議論を構成しようとする発言態度であるといえます。IT技術の教育への導入はたしかに団塊の世代がやり残したことであり、若い先生方にその仕事はかかっています。それから、退職していく団塊世代との協力体制についても触れられました。教員を退職する方だけでなく、あらゆる団塊世代の退職者とどう教育は関係性を紡いでいくか。たとえば総合学習で協力するなどが具体的方策となるとCさんは指摘されます。また、学校退職者が再びボランティアの先生として再登板してもらうことも提案されました。そうすれば、私たちも学ぶことができると付け加えられました。

 Dさんは、退職された方々となんらかの情報共有をするためには、その退職された方に研修を頼むことも可能であろうし、地域連携をするシンボルになってもらうこともできるといわれます。「学校全体が手を挙げていくこと」と表現されました。

 結局は、Aさんがいわれるように、大量退職に伴う教育的ノウハウの喪失があり、それをどう引き継ぐか、学校同士の連携もその解消策になるし、技能共有の契機になるでしょう。

 Eさんは、ここで違った角度から討論をつなげようと必死の努力です。問題提起型でよかったです。Eさんの父が団塊世代であり、自分はつまり団塊ジュニア=イチゴ世代であること、父と話しをしてみて、「仕事を辞めたら職場はどうなるのだろう」と心配していること、その一方で、第二の人生をいかに過ごそうかとワクワクしていること、こうした二面性を持った心境に団塊世代が浸されていることを「レポート」してくださいました。そして、去り行く職場に何を残せるかを真剣に考えるEさんの「父の姿」が伝えられ、退職は悲しいけども、さわやかな気持ちになりました。

 最後にAさんが、非常勤としてでも学校に出てきてもらいたい旨を発言され、討論は終了しました。

 今回の集団討論の問題点、反省点をあげましょう。ひとつは、テーマに対するアプローチとして、教育に限定しすぎではないかということです。第2に、繰り返しの発言、同内容の発言が多くて、議論の発展性がみえにくくなっていたことです。それから、今後学校を作っていく若い先生方が何をするべきなのかを議論していいのかどうかということ。最後に、これは表現の問題かもしれませんが、本番の試験で「団塊世代の先生方を非常勤として雇う」といったような発言をしていいかどうか、ということです。

 第一のものに対しては、ワタクシは、このテーマが社会的問題として出題されているかぎり、教育に限定するのはマズイと思っています。しかし、教員採用試験ですから、教育にまったく触れないのもマズイ。時間配分的いえば、団塊世代の大量退職に関わる一般的な問題性について、少なくとも枕としては議論がほしいです。できれば30パーセントくらい議論してもいいのではないでしょうか。社会保障のことや労働力の低下、消費の問題など、経済、労働、福祉について、なにがしか議論できることはあるでしょう。

 それが教育社会でどうあらわれるのか。これを切り口に教育現場の大量退職の問題性につなげていくのがスムーズかもしれませんね。

 第2に、繰り返しが多いのは、個々人のイイタイコトが少量だからです。これは勉強するほかありません。討論の進行を円滑にする技量は、参加者個々人の知識の量によって変ります。進行のうまさと知識量は関数関係にあります。

 後の2つは個別的な問題点ですけど、あまりにも若い先生がなにをやるべきかに議論が集中してしまうと、受験生が社会をどう考察しているのかを測ろうとしている今回のテーマの場合、マイナスになってしまうのではないかと怖れます。もちろん将来の学校を想う気持ちは尊い。しかし、団塊世代は役割済との印象を面接官にもたれてしまうと、これはマズイ。ほかならぬ面接官が団塊世代の可能性があるからです。しかし同時に、団塊世代の面接官が、イキのいい若い先生を求めているのも確かです。それゆえ、やはりこれは表現の仕方になるのでしょう。最後の非常勤云々についてもそうですね。

 第103回では、福岡市のもうひとつの課題をやりましょう。では〜
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本日は、当サイト主宰第102回勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。今回、はじめてご参加いただいた、お2人の方、いかがだったでしょうか。次回からのご参加も期待しております。よろしくお願いします。また、本日は勉強会終了後の情報交換会の珈琲会には、昨秋合格の先生方が5名も集まってくださり、ありがたく思っております。後輩への多様な指導、痛み入ります。今後も援護射撃よろしくお願いします。JR大阪を勉強会の場所とした場合、夕方から「あの場所」で集まってますので、時間があればお顔出し期待しています。

 さて、本日は、最初に「議論の叩き台としての教育学講義」をいたしました。そこでは、世界図会の意味や大教授学の命名の由来、積み木をフレーベルは何と呼んだか、など、視覚的認識の教育学的意味をとりあげたり、学習指導要領の性格説明を織り込みつつ、33年、43年、52年、元年のそれぞれのキャッチフレーズから考えてみたりしました。学習指導要領については、もう少し説明が必要ですから、次回の講義のときにお話しますが、お渡ししているレジュメを17ページの最後まで読んでみてください。ようやくあと2ページですね。今日、20行ほど進むことができてよかったです。

 大阪府過去問解答解説では、教育法規の問題を取り上げました。これで、ペーパー対策は一端終了です。教育法規は得点源にしてください。なお、『教職教養スコープ』のページ数を明示したところは確実にしておくことです。新しい教育基本法は、すでに右欄に表示しておりますので、これも読んでおいてください。その問題は、いずれまた提供します。

 最後に集団討論を実施いたしました。今回のテーマは、福岡市の「漏洩問題」でした。団塊世代についてでしたね。タイムリーにも、本日帰ってきましたら、NHKスペシャルで、団塊の世代についての番組を文珍さんほかの司会でやっていましたのをみることができました。ワタクシたちが議論していたなにがしかのことも、登場しておりましたね。討論の模様は、次回の更新にいたします。

 勉強会の今後につきまして、みなさんにお聞きしました。なにぶんにも教室は20人でイッパイ、しかし、申し込みはものすごく多く、どのようにして公平・平等にこの勉強会にご参加いただくか、難しくなってまいりました。今後ますます新しくお申し込みになられる方もでてまいります。どう調整すればいいか悩んでおります。ハァ〜

 どこかでなんらかの形で線を引かねばならないことは、是非ともご了承お願いいたします。おそらく20日の19:00から受け付けはじめて、数分で終了する事態も考えられます。しかし、なんとかみなさんのご希望に添えるよう、努力することをお約束いたします。いまは、月単位のお申し込みを優先する方策をとりいれるよう考えております。
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あすは、当サイト主宰勉強会を開催いたします。ご参加のみなさま、メールにてご案内いたしましたように、よろしくお願いいたします。

 なお、5日、福岡市教員採用試験問題漏洩事件が判明しましたので、強調して申し上げておきますが、ワタクシの勉強会と大阪府教委あるいは大阪市教委とは、なんらの関係もありません。あくまで、教育のことを一緒に勉強しましょうという純粋な動機からワタクシは勉強会を主宰しています。いつもこの欄で申し上げているように、ワタクシは府教委や市教委と闘っております。すなわち、ワタクシが伝えたこと、指導したこと、このことがどこまで参加者を通じて通用するか、これがワタクシの挑戦なのです。お笑いになられるかもしれませんが、ここに記します。

 府教委に関しては、教育長と上宮との馬鹿げた接待を指弾したこともあります。また、府教育長の裏金問題における大アマ発言についても、いまでも不審に感じています。こうして府教委を批判もし、情報すべてをオープンにしている当サイトの運営姿勢からも、教委と無関係なことは理解いただけるでしょう。

 今回の福岡市の漏洩事件は、大阪府よりひどい話です。福岡教育大学かわいさに、人の道を踏み外した行為といえるでしょう。これでは「教員の常識は世間の非常識」といわれても、反論できません。教員の末席を汚すワタクシといたしましても、情けないかぎりです。

 そもそも、試験問題をもらって勉強してなんになるのか。馬鹿馬鹿しい。そんなことまったく意味がない。

 長くなりました。月祝の勉強会では、教育学講義をし、つづいて過去問の解答解説、そして集団討論です。討論テーマは、去る5日、はじめて知った、「団塊の世代の大量退職時代を迎えるが、その社会的問題と対策について」といたしましょう。

 ところでこの福岡市の問題漏洩事件については、教育長植木とみ子氏のオフィシャルコメントが発表されてから、そして、できれば元校長の行方がわかってから、他日、論じたいと思っております。福岡市教育委員会のページをリンクしておきます。

 あ、それから、大阪府の教育長の年頭所感がまだアップされていないと思うのですが、みなさん確認できましたか?
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先日、「教採の問題が流出したそうである。『朝日新聞』(2007年1月5日付)の速報であるにもかかわらず、その見出しは『教員採用試験で問題漏洩か』というように『か』がついており、後続の報が待たれる」と書いたが、『毎日新聞』が記事化しているので、リンクしておく。「調査委の調べは昨年末から始まったが、事情を聴かれたOB職員は直後の今月1日から行方が分からなくなった。関係者は自宅近くの駅で顔写真入りのチラシを配るなどして行方を捜し、警察にも捜索願を出している」ということだから、自責の念から自殺も考えられる。そうならないことを祈る。
(1/6・追記)

 追記の追記。『朝日新聞』(「市教委幹部から元小学校長へ漏洩か 福岡の教員試験問題」2007年1月6日付)も、上の『毎日新聞』と同じような内容の記事を配信していますので、リンクしておきます。こちら、「試験問題、無施錠会議室に保管 教員試験漏洩の福岡市」もどうぞ。

 それにしても、件の元校長、今月1日から行方不明って、正月早々雲隠れということか。「市教委などによると、幹部は市教委内の試験問題検討委員会(11人)のメンバーの一人。元校長は福岡県内の大学の出身で、退職後に教員試験の受験者向け勉強会を開き、この幹部と関係が深かったという」というのだから、ワタクシの勉強会も注意しよう。といっても、そんなことありえないけどね。ワタクシのところは正々堂々、在野だしね。

 問題は、元校長が不正な手段で問題を入手したことにある。そういう意味では、教員採用予備校など教育産業に、元校長、元教頭などが天下り的に再就職するのに対し、法的規制を設けるべきではないか。それが「李下に冠を正さず」になる。他の公務員でも関連企業に天下りするのは禁止期間があるくらいなのだから。「職員は、離職後2年間は、営利企業の地位で、その離職前5年間に在職していた人事院規則で定める国の機関、特定独立行政法人又は日本郵政公社と密接な関係にあるものに就くことを承諾し又は就いてはならない」(『国家公務員法』「第3章 官職の基準」・「第7節 服務」・第103条の2)

 まあ、この事件を総括すれば、「先生による巨大カンニング事件」ということで、元校長は教育者ではなかったということである。漏らした市教委幹部も、懲戒免職になるのだろう。2007年の年頭を汚損する教育界の不祥事であるといえよう。
(1/6・追記の追記)

 『讀賣新聞』の記事、「福岡・教員試験漏えい、市教委幹部が元校長に問題案?
(1/6・追記の追記の追記)

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もう、怒り心頭ですよ。ほんま。

 おとつい、親族一同3家族で焼肉食いにいったんですよ。そこで、肉の刺身がのった「牛肉すし」というのがあって、一貫半(つまり、にぎりで3つ)で1000円ですよ。

 値段に文句があるんじゃない。お品書きの写真をみて注文したわけ。いかにもうまそう。写真では、シャリの2倍以上ある長さの、3ミリ以上の厚みのある牛肉がのっているわけ。シャリが重そうな肉でつぶれて苦しんでいるわけ。

 で、出てきたのをみたら、写真の半分の長さ、半分以下の厚みなわけですよ。シャリの方が大きいくらいや。しかも、シャリは楽そうな顔してるわけ。肉なんか全然重たないでといわんばかりや。

 たまらん。注文をとりにくるねーちゃんに文句をいっても埒が明かないので、「店長だせ」となったわけよ。写真と実物とちゃうやないか、と。そしたら、いうに事欠いて「クレームあったから、新しいの作り直して出したんですけど」やて。前のと変わってへん。もう、怒り心頭ですよ。ほんま。だいたい、クレームあったからって、クレームつけた本人にいうか。

 で、お品書きの写真と実物と交互に店長にみせて、こんな看板に偽りありのすし出すんか、とか、どうみてもちゃうやろ、とかいったら、写真では違う肉やからとか、なんとかウダウダいうわけ。ほんで、腹に据えかねたから、「あんたとこの客は、こんな写真と違うすし出して、みんな我慢して喰うてるんか」といったら、「はいそうです」やて。

 みなさん、ワタクシを誤解しないでほしい。ワタクシは珈琲を注文して、虫はいってるやん、とか、食事した後、ゴミはいってたでとか、そんなヤクザまがいのヤカラをいう人格の持ち主ではない。しかし、である。写真があって、その半分やったら、これは怒るで。

 しかも正月。ふつうは、正月サービスです!!いつもよりおおいれときましたで!今年もご贔屓に、というのが大阪の商売人やろ。で、またきまっさ、となって商売繁盛で笹もってこい、となるんや。それが半分やで、半分。あきれてものいえんわ。

 まあ、こんだけ文句いってたら、他の家族はひいてたわけ。まあそらひくわな。で、2家族に、こんな看板に偽りありのもんでも喰うか、とたずねたら、まあまあ、となって、しょうがなくも食うたわけ。うまくもなんともない。もうあの店には行かん。
 まあ、ここはネットだから、店名は伏せるしリンクもしない。だが、お品書きの写真、変えとけよ。ほんま。
(1/6・「ある『牛肉すし』に対する個人的見解」)

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不思議なことがあるものである。教採の問題が流出したそうである。『朝日新聞』(2007年1月5日付)の速報であるにもかかわらず、その見出しは「教員採用試験で問題漏洩か」というように「か」がついており、後続の報が待たれる。

 昨年の出だしにも鳥取で教採に関わる不祥事があったが、今年の幕開けは、、福岡市における試験問題の漏洩である。記事によれば、「事前の検討段階で出題を取りやめた問題も含まれて」いたというのだから、これは内部流出、しかも早期流出である可能性が高い。

 漏洩したのは、集団討論や模擬授業のテーマである。記事は、「関係者によると、ある予備校では20人以上の受験者が、漏洩したとみられる予想問題を入手。市教委や朝日新聞が入手した問題の写しには、集団討論で使われた九つのテーマのほぼすべてが書かれていた。九つはA4用紙に個条書きされ、『出生率の低下による少子化の問題点とその対策について』『団塊の世代の大量退職時代を迎えるが、その社会的問題と対策について』などとあった。実際の試験でも、少子化の原因やベテラン職員の大量退職に危機感を持つ企業への対策などについて討論させている」と語る。この「ある予備校」がどこであるのかなどゲスの勘ぐりはしないけれども、公平性をあえて損なってでもこのような態度をとるのは、「ある予備校」の業績向上のためには致し方ないのかもしれない。こうした手法で合格して、受験生はウレシイのか。

 どんな問題が出題されたかは、後に受験生の報告からわかる。そしてそれを分析し、どういう教員的人間像を各教委が求めているか理解することのできる判断材料となる。そうした意味で、ワタクシも一般に情報公開された上で問題の中身を知りたいという意志はある。これと関連していえば、ワタクシの手元にも昨年の受験生が報告してくださった「試験内容」が80通くらいある。ものすごく詳細にみなさん書いてくれている。これを春先にこのサイトでも公表する。春先にしたのは、受験生の「漏洩問題」に配慮しているからである。

 誰だって、はやく情報は欲しいさ。しかし、そこをぐっと堪えて基礎を固める学習がこの四半期には期待される。まだ1次まで7ヶ月ある。

 さて、この漏洩問題、誰が漏洩したのか。大立者だったら、福岡市教委の「権威」は地に堕ちる。福岡市教委の教職員部長森英之氏と教職員第1課長武藤一之がマスコミ説明担当であることから、このお2人ではないとしても、教育委員クラスだったら由々しき、巨大な問題に発展する。

 折りしも例の教育再生会議が中間報告をだそうとしているギリギリの時期である。議論のたたき台のたたき台がまた増えて、座長も頭が痛いことであろう。

 いくら社会人枠を増やすとか、良質教員の採用とか、免許更新制とかいっていても、入り口が汚染されているのであれば、意味がない。この漏洩犯と「ある予備校」との関係も、『朝日新聞』(同上)がいうように「福岡市教委が調査始める」のであろう。

 天網恢恢、疎にして漏らさず、である。

 では、この漏洩問題を拝借して、当サイト主宰第102回勉強会の集団討論のテーマを、「団塊の世代の大量退職時代を迎えるが、その社会的問題と対策について」としましょう。もちろん少子化問題も、もう一度いつか取り上げますね。サイト右欄の「サイト内辞書」に「団塊世代」、「少子化」を入力して、該当ページをイロイロ読んでみてください。
(1/5・「福岡市教採問題漏洩事件について」)

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お知らせ的更新です。3月以降の当サイト主宰勉強会のメールによるお申し込みは、1月20日19:00受付開始とさせていただきます。
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いやもう新年も3日である。正月三が日というが、きょうで親戚廻りも終わり。みなさん、新春行事はいかがでしたか。

 ワタクシは、まあ、下のように『希望の国、日本』を読んだり、今年計画していることの文書作成をしたりして過ごしてました。年末から個人的な「大きな問題」も発生しまして心静めてもいました。

 今年で厄年3年間も終わるから、新年早々変なんですけど、はやく今年も去っていってほしい気持ちです。

 一日、一日、充実した時間を過ごすことができれば、それでいいと思っています。それが一番難しいことなんですけどね。

 昔、宿坊に友人と泊まったことがあって、そこの高僧と問答したことがあるんですが、「プロなら、3ヶ月ごとに結果を出すもんだ」といわれたことがあります。もう10数年以上前にいわれたこの言葉が耳から離れません。たしかにそうだし、しかし、3ヶ月クールでどれだけのことができるのかとも考えたものです。

 目標の自己設定は3ヶ月単位で解決できるものとする。そして、その間に次の3ヶ月の目標を見出す。4回やれば、1年が終わりです。

 うまくいくようがんばります。
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経団連が『希望の国、日本』を発表した。元旦から、これを読んでいた。経団連が究極の圧力団体であることはいうまでもない事実であるが、財界主体の政治的要求にとどまることなく、10年後の社会はこうあるべきだとぶち上げ、ミサイル防衛を推し進めるべきといい、憲法の変革にまで触れるのだから、経団連は日本の支配者たることを自負しているといえる。政治と共同歩調をとって、日本社会の実質的支配者たることを望んでいるのは、新聞各社が「首相寄り」とその論調をこぞって批評しているこのパンフレットの存在が如実に示している。読めば誰しもわかるように、まさに「首相寄り」であった。消費税増税プランを除いては。

 経団連は、憲法の変革のほか、教育の再生、公徳心にも言及してくる。「政府の役割を再定義する」と言い切れるのは、企業の自信のあらわれか、それとも、傲慢の言か。だいたい一介の社団法人が国民政府を再定義するなどいえるのか。本来彼らが反省し主張するべきCSR(企業の社会的責任Corporate Social Responsibility)について言及する部分は、ほんの数ページである。以下、まず、『毎日新聞』(2007年1月1日付)の記事を紹介し、次に、このパンフレットの第2章の論旨を追っていこう。

 『毎日新聞』(「同上」)は、「経団連:成長路線明確に 『御手洗ビジョン』発表」と題して、次のように報じた。「日本経団連(御手洗冨士夫会長)は1日付で、今後10年間の日本の進むべき道筋を示した『希望の国、日本』(略称・御手洗ビジョン)を発表した。規制改革などを実現することで、15年まで名目で年平均3.3%、実質で同2.2%の経済成長を達成できると試算し、成長を重視する安倍内閣の『上げ潮』路線に歩調を合わせた」とこのパンフレットを位置付ける。上で述べたように、相当首相寄りであることが、この新聞の記述だけでもわかるであろう。

 つづけて、「一方で、財政健全化のため、『遅くとも11年度までには消費税を2%引き上げる必要がある』と明記した。/ ビジョンは経団連の今後の提言の基本になる。税制では、09年度の基礎年金国庫負担割合の引き上げ時までに、その財源確保策を含めて税制改正議論を深め、消費税引き上げにつなげる必要性を示した。一方で、産業の国際競争力強化のため、国・地方税を合わせた法人実効税率を10%引き下げるよう求めた。/ さらに、10年代初頭までに戦力不保持を定めた憲法9条を含めた憲法改正、中央集権体制を改めて、自立した広域経済圏を目指すため15年度までの道州制導入も提唱した」(『同上』)と報じ、つづけてこのヴィジョンの弱点を分析、指摘する。

 「◇目標達成に難しさも/ 経団連の御手洗ビジョンは、御手洗会長が掲げるイノベーション(技術革新)や規制改革によって、『人口減少社会でも経済成長は可能』とのシナリオを描いた。しかし、15年度まで平均年2〜3%台という成長率には、『希望を持てる社会にするために必要な成長率』(経団連幹部)という意味合いも強く、目標達成には高いハードルが残る。/ 中でも、社会保障制度の確立と労働力の確保は難題だ。ビジョンは、消費税率引き上げで、社会保障費を確保するとともに国債残高減額への道筋をつけることを提唱した。しかし、社会保障給付の伸びを抑制するための処方せんや少子化対策での具体策は示せず、将来に不安を残した。/ 労働力の確保策としては、女性や高齢者、若年層の積極活用を打ち出し、労働市場改革の重要性も強調した。そのために、現行の給与体系を含めて『労働関係諸制度の総点検』をうたう。労働組合などの抵抗も予想されるため、それとどう調和を図るかが、実現へのカギになりそうだ。/ また、ビジョンは国外から活力を積極的に導入する方向を示した。具体的には、アジア諸国を中心に経済連携協定(EPA)の締結を急ぎ、東アジア共同体の構築を目指す方針。ただ、国境を越えたモノや人の交流進展によって、国内の格差が拡大するおそれもある。国民の反発を招く可能性もあり、自由化の行方は見通せない」(『同上』)。これを読めばこのパンフレットの基本スタンスが判断できるが、もう一歩掘り下げて本文を精読し、問題点を洗い出してみたいと思う。

 第2章「めざす国のかたち」の文面から紹介すれば、第1節に「精神面を含めより豊かな生活」を実現するといい、社会の絆を強め、安心できる社会を作りたいとまず述べる。それが豊かさだとする。そのため教育が動員される。「安心できる社会」の標榜は、すべての批判を許さない最も簡単な主張である。それはそうだろう。安心できない社会に住みたいと思うものはいないからである。書き出しがこうなっているのは、煙幕をあらかじめ張っているわけであって、ここで「いいこといっている」と騙されてはならない。

 そして、法と社会規範以外のなにものにも選択の自由を疎外されるべきでないという。それが豊かさの必要条件であるというのだが、これは何を意図する記述なのか。そのまま読めば、大きくは、規制緩和後の社会において個人の、そして、法人の活動はその自立のために、法と社会規範以外の何者にも従わなくていいということをいいあらわしたものだろうが、これでは当たり前に過ぎる。

 ここに欠けている視点は、「善」である。善の意志が貫徹してはじめて、法の下でワタクシたちは多様な活動をすべきであるのに、その意識がない。代わりにあるのは、いうまでもなく「成長」である。彼らにあっては、「成長」=「善」だから、そのためにはなんでもやる。政治献金も、法がそれを許せばなんとでもなると考えている。山吹色の品物は強い。消費税アップも「成長」の前では「善」と考えている。例の輸出戻し税の問題もある。

 さらに、地方主導を実現するため道州制の導入をめざせという。道州制は地方活性化の方策である。つまり分散型経済成長の主張である。ここがこの社団法人の性格に最も合致する主張である。

 分散型の広域経済圏の形成が、経済成長を可能とする残された道であるのは理解できる。その理由はこうである。高度経済成長の時代、大都市圏つまり東京・大阪・名古屋の3大経済圏形成による経済効率は恐るべきもので、ヒト・モノ・カネがそれぞれの都市に集中し、生産効率を上げた。ネコの額くらい狭いところに成長の手立てを総動員したのだから、それはそれは工業製品が多量産出され、消費者も買ったことであろう。けれども、ジャパネットたかたが売りに売りまくるようになっては、もうこうした旧来的手法では経済成長が望めなくなっている。重厚長大産業を保護する太平洋ベルト地帯的工業化も時代遅れとなり、行政枠組を新たにし、分散型による経済再生に賭けざるをえない。

 ベルト地帯に関して補足すれば、経済効率至上主義は4大公害にみられるように、現代にまで負の遺産を送りつけているのをワタクシたちは忘れていない。失われたのは、決して取り戻すことができない人間の命と自然なのである。この繰り返しを現代に実演するのは愚の骨頂であろう。

 「広域経済圏」構想とは、日本の国のあちこちにリトルトーキョーを作ることなのであろうか。リトルトーキョーといっても都市的なそれではなく「広域的」なそれかもしれない。いってみればリトルトーキョートを作るつもりなのであろうか。「広域経済圏」は社会資本の整備を改めて要請し、右手で自民党守旧派道路族と結び付き、左手でニュー自民と握手するわけで、経団連の融通無碍なスタンスが理解される。

 この節の最後に、ゲーティッド・コミュニティを形成することで安全を取り戻すのは誤りであると追加記述しているところは、絶対王政をようやく超えた認識であるというべきか。いまさら城柵を張り巡らした商都からの脱却をいうのは、ICT社会にあって不自然な気がする。

 第2節「開かれた機会、公正な競争に支えられた社会」では、法と社会規範の下では平等が絶対的に保障されるとする。平等が保障されていない例を巷によくみる市井の人間には理解し難い。公正な競争をいうのであれば、CANONは、プリンターインクリサイクル訴訟地裁判決を受け容れるべきだったのである。ここにも「善」はない。「インクがなくなれば、インクを詰め替えればいいものを、カートリッジごと交換しなければならないから、その高価で特殊なものを買うことになる。結局は、消費者が損をする仕組みである。これは消費者を惑わすものだ。というより、消費者をだますやり方である。それが正当な販売方法であろうか」というのは、我が意を得たりのコメントである。自社の利益追求のみを考え、消費者と環境に配慮しない傲慢な姿勢が認められるといえよう。特許権は認められなければならない法的価値であるが、地球規模の環境にまなざしを向けない貧弱な我利我利思想が「公正」の美名の下に意味を違えて活用される。経団連には一生加盟できないこの会社に凱歌が上がる最高裁判決を期待したい。

 話を元に戻そう。続けてこの節では、旧社会主義諸国の官僚制を批判しているが、日本の官僚制もそれと変わりないくらいの規制つまり締め付けをしてきたし、その締め付けを企業は味わってきたのではなかったか。日本は資本主義経済体制ではあるが、それは実質的に旧社会主義諸国ばりの「計画経済」によって作られてきたものではなかったか。

 第3節「世界から尊敬され親しみを持たれる国」では、日米同盟の全方位的な強化を期待し、それが国際社会でアジア、アフリカなど他の新興経済プレーヤーに負けない必要条件であることを説明する。BRICsに対するジワジワかく汗を拭おうとしているといえる。親しみを持たれるためには外国人つまり留学生や観光客をたくさん呼んで、日本を知ってもらうようにするという。日本の経済社会の仕組みや伝統文化を理解してほしいそうである。一方、日本人のハイタレント化にも言及しICT能力に長けた人材養成を急務とする。そうでなければチャイナクロスやインディアクロスになるからである。

 最後に、国連における日本の立場の向上を唱え、PKOを評価し、日米同盟下のMD充実に触れ、諸国に尊敬されるようにといって、この節を閉じている。

 以上のような「めざす国のかたち」を勝手に主張し、経団連は国民に賛同を求めている。要するに『希望の国、日本』の根本的主張は、とにかく強い国日本を作りたいというところにある。しかも慎重に「国柄」という表現をとって「国のかたち」を示しているものの、これは「国体」ではないのか。

 「めざす国のかたち」は、企業だけではなく、ひとぞれぞれであっていいはずである。教員もあるべき国家像をイメージしているし、労働者もそうであるはず。経団連が企業にだけ、こう表明し従属せよというのならわかるが、国・地方、国民にまで、このシナリオに加担してがんばれというのは、何かおかしくないか。

 憲法、MD、教育など他領域にわたる、ある意味僭越な意見を経団連が表明するようになったのは、高度経済成長以来のことである。すなわちワタクシたちの国が企業国家として位置付けられたのが20世紀の中盤であったがそのとき以来である。徐々に力をつけ戦後すぐに借りた借金を完済した企業群は、国家を形成する他の領域にまで意見具申し、政治を経済の力で動かそうとした。政治は企業経済の実りをもらい、フトコロをあたため続けてきた。こう書いてくれば、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」をどうしても思い出してしまう。

 こうした政治と経済の蜜月関係が来るところまで来たというのが、『希望の国、日本』の読後感である。ここまで政治に擦り寄りをみせて、同時に自己の目的を達成しようとするのもおぞましい。安倍首相か御手洗首相か、わからないくらいである。

 「自由な市場経済は健全な民主政治に支えられる」と経団連はいうが、本音は、「健全な民主政治は、自由な市場経済に支えられる」であろう。これならまだいい。「表面的な民主政治は、搾取の市場経済に支えられる」だったら、目もあてられないからである。

 経団連は、「成長の果実が枝もたわわに実り、ひとびとのわらいとさんざめきが溢れ、子どもたちの瞳は明日を映して輝く『希望の国』、その実現をめざして、経団連は成長への道を走り、走り続ける」らしい。だが、走るのはディープインパクトだけでよい。成長重視に善の理念がないのであれば、断崖に向かって走るようなものだからである。
(1/2・「経団連の傲慢」)

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