日々旁午

2009



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当サイト勉強会で使用している問題集や参考書ほかを、大阪駅前第2ビル地下2階で、いつでも購入することができるようになりました。地下2階のレンタルボックス・キャビン(06-6344-0509:営業時間/平日11:00〜19:30/土日祝11:00〜18:00)というお店に陳列しています。下の写真、ロボットが目印です。問題集のほか、しょうもない小物も置いていますのでご覧ください。

現在、「シート式C」、「シート式D」、「平成19年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、「平成18年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、などを陳列しています。

レンタルボックス・キャビン店内に連絡掲示板が設置されています。連絡掲示板にご要望を記入いただければ対応しますので、必要な資料あるいは問題集について簡単にコメントくださいませ。コメントがあれば、おきたいと思っています。そのほかは、こちらのページ(日程の下に資料の一覧表があります)、および、こちらのページを、どうぞご覧ください。よろしくお願いします。

各種資料ほかをご購入いただいた方々、ありがとうございました。お礼申し上げます。

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県別教採対策まぐプレ

−講読についてのお知らせ−
『会員登録ページ』はこちらです。
1ヵ月目は講読無料。こちらに案内があります。
現在発行の「まぐプレ」の簡単な説明については、以下のバナーをクリックしてください。なお、講読解除も以下のサイトから簡単にできますのでご安心ください。
まぐプレバナー(←広島教採対策)

■ながらくご愛顧いただいておりましたマグプレ広島教採対策ですが、今冬を持ちまして、発刊終了することにいたしました。ご講読いただいたみなさま、まことにありがとうございました。今後も広島対策は継続いたしますが、当サイトにおきまして、直接の扱いといたします。また、2009年も、広島におきまして対策講座を実施いたします。日程につきましては、また、当サイトにて広報いたします。よろしくお願いします。

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それでは、集団討論の模様をお伝えします。今回は、参加希望者が多く、活気があってよかったです。やはり「討論したい、やりたい」と意欲的な方がこれまでも合格していますし、この調子で「奪い合い」になるほどに主体的であることを期待します。
 討論のテーマには、むつかしいもの、簡単なものがあります。それは論じやすいかどうかということによるでしょう。論じやすいテーマの持つ特徴は、第1に、多様な意見が出やすいかどうかということ、第2に、議論の方向性、トピックを立てやすいこと、があります。討論は発表会ではありませんから、建設的に各々の参加者の意見が重層化することが期待されます。多様な意見は討論を豊かにしますし、トピックが立てやすいと論理的な筋道が明確になって「議論している」との感覚を共有する結果となります。討論を聞いている面接官も厭きません。これは重要なことです。今回のテーマは、ちょっと長いですけど、論ずるべきポイントや流れが設定しやすいと思われます。「児童生徒には好きな教科と嫌いな教科とがあると思われますが、好きな教科は一層伸ばしてやるべきだし、嫌いな教科はできるだけ親しませ、これまた伸ばしてやる必要があると思います。みなさんはどのように指導しますか。議論してください」でした。
 テーマを分析しますと、上の「第1」を満たす条件となっています。好きな教科云々ということから、教科をイロイロだせばそれだけで豊かになりますし、教科担任制の中高でも、受験者個々人の経験談から意見を提出することができます。「第2」に関していえば、テーマそのものが流れを形成するよう指示しているのがわかるでしょう。というのは、好きな教科、嫌いな教科が自分の場合なんであるのかや、なぜ好きに、なぜ嫌いになったのかなどを議論すること、次に好きな教科のさらなる伸ばし方、嫌いな教科をどう指導するかというように、設定できるからです。また、このテーマでは、前回のように法的な知識や取り決めについての言及が、どちらかといえば不必要だからです(「どちらかといえば」というのは、時間配分など教育課程編成に関連したご意見があるとするとそれは学習指導要領と関わるからです)。本当は、授業時数との関連は大切なファクターなんですけどね。今回の討論にこの話題が登場しなかったのは意外でありました。好き嫌いの克服は時間配分の課題と密接だからですし、大阪府が学力向上プランを作成しているのも、この問題と大きく関わると考えられるからです。まあ、このことについては次回の課題としてください。
 さて、第1発言者は、Fさんでした。Fさんは、テーマを読み上げられて確認し、私たち自身も好き嫌いがあったことを認め、最初に、嫌いな教科をどのようにして克服したのかを出し合いましょうと提案されました。好きか嫌いかどちらか一方だけでは困りますけれども、好きと嫌いとどちらを先にするかはグループによって違うでしょうし、どちらでも評価に大きくは関係しないでしょう。Fさんは教科としての音楽が苦手だったようです。Fさんはリコーダーの修得過程を例示され、ステップを設けながら演奏を完成させたようで、ここでは達成に向っての努力が嫌いな教科の克服につながることを主張されたわけです。
 この第1発言ですでにひとつの問題が登場しています。たしかにテーマでは「好き」や「嫌い」というように表現されていますけれども、嫌いな教科、嫌いな教科といっていいものかどうか、ということが討論参加者の念頭にあったと思います。これは諒としましょう。テーマで使っている言葉ですしね。問題はそれを教える立場にワタクシたちはあるわけですから、テーマの議論を通して、苦手教科を告白するということになります。ここまで深く面接官がみているのかどうかはわかりませんけれども、あまりに嫌いな教科について「やっつけて」しまいますと、Fさんの場合でいうならば、「あ〜、この受験生は音楽はダメなのか〜」とかんぐられてしまう可能性があります。
 ただ、この「嫌いな教科」はまだいいのです。さらにつっこんでいいますと、苦手な教科というように「苦手」というのはいいのかどうか、さらには「成績が悪かった教科」と暴露していいのかどうか、という問題になります。苦手の克服はプラスの価値に転じたからとのニュアンスで語ることを忘れないようにしましょう。また、後で申し上げますけれども、こうしたテーマに隠されているいわば落とし穴に関して、Bさんの発言は微妙です。
 Fさんの次に発言されたのはGさんでした。Gさんは、数学が苦手であったことを表明、さらに嫌いになったと述べられました。しかし、成長するにつれて社会における数学の必要性、重要性について理解したと言葉をつづけられ、数学は授業だけでなく、担当の先生に何度も直接教えを受けて克服していったと述べられました。つまり個別に質問して克服したということです。Cさんはその数学を志望している受験生であり、数学は解法を教えるだけでは嫌われてしまうと分析し日常体験と通ずる数学的思考とリンクさせることが数学嫌いを少なくしていくのではないかと述べられました。Dさんは、歴史が苦手であったと述懐されました。それは暗記科目という点からではなく、歴史を想像できない、イメージできないところにむつかしさを感じたといわれます。歴史の流れを自分で想像できないということは、歴史のダイナミズムを自分でつかみ取れなかったという意味ですね。その克服にDさんは、視覚的な学習が適当であったといわれます。これも賛否両論でしょうけれども、いわゆる『まんが日本の歴史』というような学習素材を活用して克服されたようです。Eさんは、Gさんと同じで、実はワタクシもそうなのですが、数学がダメだったといわれます。とりわけ焦って単純ミスを繰り返し、なかなか解答と一致しないで悔しかった旨を述べられました。こうしたEさんの状況に対して担当の先生からのアドヴァイスが「ひとつひとつきっちりやりや」と本質をついています。計算も考え方も、落ち着いてやることが、数学克服の第1歩であったということです。
 次の発言が、上で触れたBさんの発言でありました。Bさんは中学のときに国語が苦手だったと述べられました。その理由は、先生が嫌いだったと発言されたのでした。これはよくあることで、ワタクシも実は経験がありますし、討論参加者も、多かれ少なかれあるでしょう。問題はこれを採用試験の場でいっていいのかどうかとなりますね。それはそうと、この先生は他の生徒とBさんと同じことをしているのに、Bさんをのみ叱ったということで、Bさんは「なんでやねんやろう」と実際感じられていたわけです。もう、10年は経つというのに覚えているわけですから、教育とは恐ろしいものです。ワタクシも身が引き締まります。結論からいいますと、Bさんのこの発言は表現を工夫して同じことを別のいい方でいうべきであろうということです。どのように述べるべきなのかはお任せしましょう。
 Aさんは英語が苦手であると告白されました。その克服はおもしろく、英語はアメリカ人の子どもでもできるのだから、3歳児の英語の絵本からはじめ、最後はパレスチナ問題を英語で読み取るまでに努力したと発言されました。こうしたやり方は独学的であって、他の方法を試みることができなかったことや、友人たちと一緒に勉強できなかったことが反省点であったと述べられました。
(以下、次回更新)

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1月31日の土曜日、(JR大阪駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:1月19日14時42分⇒18時50分募集終了しました)。

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昨日は、当サイト主宰教員採用試験対策勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。はじめてご参加いただいた方もいらっしゃいましたが、いかがだったでしょうか。今後もよろしくお願いします。さて、当日は、過去問の検討が終了しましたので、ワタクシからの「議論のたたき台としての教育学講義」と、自己売り込みのツボおよび集団討論を実施いたしました。みなさまからのアツイご意見ありがとうございました。
 講義は久しぶりとなりました。昨年末以来でしたが、ヘルバルトの警句を元に教養教育について述べることになりました。直接的には採用試験に結びつかないかもしれませんが、参加者のみなさんの教育的思考を深めるのに寄与できていれば幸いです。
 つづいて、自己売り込みのツボです。今回、Kさんが挑戦してくださいました。3分間で自分を面接官に売り込むこのツボは、とってもやりがいがあるでしょう。みなさまからの指摘のほか、ワタクシからはかなり突っ込んだ質問をいたしましたけれども、是非、次回に生かせるように反省的に捉えられ、原稿を仕上げてください。必ず夏以降の実力アップにつながります。内容的には、個人情報になりますので、ここにはアップいたしません。
 こうした自己売り込みのツボの原稿が、ワタクシたちの勉強会には百人分以上あります。これはコピー厳禁ですけれども、ご参加のみなさまに自由に閲覧していただいています。これまで6年間勉強会を運営し、合格して卒業されていった方々が遺産として残していってくださった貴重な資料といえるでしょう。これらを参考に、自分なりのものを作り上げることが、自己売り込みのツボの指導内容となっています。
 最後に集団討論です。今回は、7名の方が25分間でがんばってくださいました。テーマは、「児童生徒には好きな教科と嫌いな教科とがあると思われますが、好きな教科は一層伸ばしてやるべきだし、嫌いな教科はできるだけ親しませ、これまた伸ばしてやる必要があると思います。みなさんはどのように指導しますか。議論してください」でした。次回更新以降に、その模様をお伝えしてまいります。
 下に紹介していますレンタルボックスキャビンに、平成20年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみ、A4・90ページ片面印刷です)を数冊陳列しています。みなさま、よろしくお願いします。
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本日は当サイト主宰第15回勉強会を開催いたします。ご参加予定のみなさま、よろしくお願いします。いつものプログラムですが、講義と自己売り込みのツボのどちらを優先するかは、またあす決定いたします。集団討論のテーマは、「児童生徒には好きな教科と嫌いな教科とがあると思われますが、好きな教科は一層伸ばしてやるべきだし、嫌いな教科はできるだけ親しませ、これまた伸ばしてやる必要があると思います。みなさんはどのように指導しますか。議論してください」といたします。
 あす、下に紹介していますレンタルボックスキャビンに、平成20年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみ、A490ページ片面印刷です)を数冊陳列します。みなさま、よろしくお願いします。
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あす、1月18日の日曜日、(JR大阪駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:1月17日22時37分⇒23時43分募集終了しました)。
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2月1日の日曜日2月7日の土曜日、(両日とも地下鉄淀屋橋駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。それぞれ先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:1月16日23時06分⇒2月7日分は17日10時58分締め切りました。2月1日分は、17日11時10分締め切りました)。

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Eさんは、他の先生方の体罰があったとして、自分自身の反省課題として体罰をみつめ直すことが教員として大切なのではないかと述べられます。それはすなわち、体罰をしていないと考えている自分自身への戒めです。実際に手を出すケースがなかったとしても、ひょっとして言葉の暴力をしているのではないかと常に自戒する慎重な態度が必要とのご意見です。それは何気ない態度や言葉で児童生徒を傷つけるケースを意味しており、Aさんがいわれるように児童生徒の声にちゃんと耳を傾けることが自戒の意識を実践化することになります。体罰に関する研修を充実させていき、学校全体として共同歩調することが求められているとのご意見も傾聴に値するAさんの発言です。
 上にもありましたが、Cさんは体罰の定義ということに触れられ、言葉の暴力の問題性を取り上げられました。言葉が体罰になるかどうかの判断は難解であり「誰が聞いても」との条件が「言葉の体罰」の認定ということになるのでしょうか。児童生徒の「傷つく」程度も主観的なものでありますし、法的判断にまでいかなければ判然としないこともあるでしょう。養護教諭志望のCさんの立場からいわせると、SOSを訴える場所としての保健室との設定で、児童生徒の声を正面から受けとめることの必要性は消えることはありませんね。体罰の共通理解という角度からは、教員間の共通化だけではなく、児童生徒においても、こういう場合が体罰であるとの認識をもっていないといけないのではないかとDさんは述べられます。これもそうでしょう。児童生徒自身が体罰であると感じる行為行動が本当に体罰であるのかどうかの問題もありますし、なんでもかんでも体罰と捉える向きが強い現実の中で、体罰と懲戒の線引きを児童生徒にも周知徹底させることがあるいは必要なのかもしれません。結局は体罰などなしで指導することができるように教員としての資質=指導能力を高めていくことが何よりも要求されているわけでありまして、Bさんがそのための児童生徒との信頼関係の構築と強調されたのは当然でしょう。ただ、教員に無茶なことをいう児童生徒に対しては、また別の指導手法がいります。このあたりの具体的な方策をBさんが提示してくださればよかったですね。
 Eさんは、先ほどから登場している言葉の暴力についてさらに言及されました。問題は教師にも同級生にも心無い言葉を言う心理にあるのであって、そうしたいわば暴言を吐く根底にある心の問題と捉えられています。また、体罰が物理的な形つまり有形力で出るよりもむしろ、最近では圧倒的に言葉として出るわけで、それが裏サイトへの書き込みのような形で蔓延ると指摘されます。これは道徳指導に結び付けて体罰問題を解消する視点を含む発言ですね。Cさんは心の問題が身体の変化にあらわれることを指摘し、だからこそ健康観察が欠かせないと提案されます。朝、なぜか機嫌が悪い児童生徒、この場合には、単に体調の問題があるだけではなく(それだったらまだいいのですが)、なにか心に抱えている問題があるわけですね。それを見抜く技量が、すべての教員に期待されています。
 Aさんのいわれるように、児童生徒の声を大切にしつつ、信頼関係を構築し体罰に変わるに言葉による教育を真に実現しないといけません。具体的にはBさんが教育実習体験を述べられたことにヒントがあるわけですが、そこでは、活発に動きのあるクラスは深い信頼関係の中で成立しているということで、これは児童生徒間の、そして児童生徒と教員間のコミュニケーションの効果です。Cさんも職場における観察から、心の指導をどうするかということに大いに悩まれておられます。とりわけ「キレル児童生徒」対策について言及されました。実際、キレルとはどういうことなのか。キレルとすぐに悪態をつくわけでありまして、身体的な欠点をズバッといってしまう児童生徒もいます。「嫌なことをいわれたときにどうするか」は、心の問題ですね。
 最後にDさんが、怒ると叱ると違うということ、感情に任せて怒る指導をするのではなく、理性的に教育的に叱る指導をすることが、体罰とはまったくはなれた愛情ある指導になっていくという発言をされて、20分間が終了しました。
 今回の討論は、途中何回か十数秒程度の空白時間はありましたけれどもとても聞きやすく、また、参加者個々人のご意見が的を射ているものばかりで、内容評価としても抜群でした。討論傍聴者の方からも、法的規定の確認をするべきではないかという以外は概ね良評価でした。ワタクシも同じです。
 また、次回ですね。

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1月31日の土曜日(JR大阪駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:1月13日22時11分⇒15日09時39分募集終了)
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つづいて発言されたのは、Eさんでした。Eさんはここまで一巡して出されたご意見をまとめ、体罰が心とからだと両方に深刻な問題をもたらす点と法的に議論するべき点があることを再確認されました。集団としての意見の方向性を2つに絞る意見といえます。その上で、もちろん体罰はのぞましくない行為であるが、教員が暴力を振るうにいたる理由いいかえれば児童生徒に暴力を振るわれるどのような理由があるのかをあきらかにし、今後の指導に生かしていかなければならないと述べられました。ここでは、体罰が「起こってしまっている」との仮定の上での発言となっています。
 Dさんもしっかり児童生徒から話しを聞くことが重要であると捉えられています。教員も人間であるから、カッとするときもあるが、しっかり言葉で説明していく態度を教員は保持するべきであるとの立場に立ち、そのためには生徒をよく知ることを進めていかなくてはならないと、帰結を生徒理解に求められたわけです。その際に、たしかにBさんがいわれるように児童生徒が納得いくように伝えなければならないでしょう。また、Bさんが指摘された「体罰をすれば教員の負け」は鋭い指摘です。まさにそうでしょう。つまりAさんがいわれるように、力で言い聞かせようとするのが間違っているのであり、教員は冷静な指導態度が要求されます。養護教諭志望のAさんは、「なんでそう(体罰)されたの?」と保健室で話を聞く言葉の投げかけを充実していくとのご意見を提出されました。Cさんは、体罰を受けたときの児童生徒の気持ちを受けとめるべきであると教育的な心配について述べられました。さらに、体罰を振るってしまった教員は実際大変なことをしてしまったと内省しているはずであり、そうした教員に対するケアも慎重にやっていかなければならないとご意見されました。
 ここで話題が少し変わり、Dさんが体罰には身体への暴力のほか精神的な暴力もあると述べられました。たしかに授業中トイレにいかせないことも体罰の一つにほかなりません。そして、Dさんは、大阪府も準備している体罰防止マニュアルを教員間で「勉強」し、教員全体で体罰に対する意識を統一していくことが期待されていると述べられました。マニュアルの研修という点ではAさんも同じ立場をとられ、また、食べ物に好き嫌いがあるのに無理やり食べさせるのも体罰になるのかといった発問がありました。これはむつかしいですね。どうなんでしょうか。好き嫌いをしてはならないという指導が正しいはずですが、無理に食べさせるのは体罰になる… Bさんは思い切って「学校で体罰がないかといえばウソになる。部活などの場面では体罰はある」と発言されました。この立場から、体罰をゼロにするにはどうすればいいかと問題を立てられたのですけど、あまりすすめられる発言ではありません。体罰が皆無でないことは日々の新聞や報道が証明しているところです。しかし、みなさんの前に座っている面接官は校長教頭ほか教員なのですからこうした指摘に対してあまりいい気持ちはしないでしょう。やめておいた方が無難です。
(以下、次回更新)

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2月7日の土曜日(地下鉄淀屋橋駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:1月12日15時31分⇒募集終了12日21時48分)

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今回の集団討論のテーマは、「わたしたちは体罰によらない指導を基本としています。なぜ体罰はいけないのかそれぞれ回答した後、体罰に関する考察を深めていってください」でした。これも2008年夏に出題されたものですが、「それぞれ回答した後」の部分はワタクシの追加です。このテーマに今回は5名の方が挑戦してくださいました。20分を切るくらいで議論してくださいました。仮に着席順にA〜Eさんとして、議論を再現してまいりましょう。
 まずEさんがテーマを確認されました。そして、ご自身が養護教諭志望であり看護士経験があることを述べられた後、体罰の結果、児童が入院したケースを紹介され、体罰が絶対に許されてはならないことを強調されました。体罰から障がいが残るケースもあるのであり、こうしたEさんの報告にはナマナマしいものがありました。それだけに印象深いご意見になっており、緊張感ある集団討論のスタートとなりました。つづいて、Cさんが、中教審答申の表題「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての取組を進めるための方策について」を借りつつ、現場において児童生徒の安全を守る立場から体罰の問題を取り上げられました。心身の健康を守るのが教員であるのにそれと正反対の体罰という暴力をふるうことに対する怒りがあったと思われます。Bさんも体罰は絶対に許されるものではないとの立場に立ってご意見されました。Bさん曰く、教員は他の親御さんのお子さんを与かっている立場であることを忘れてはならないと述べられまして、体罰は児童生徒の人権を守る上でも行なってはならない行為であると主張されます。人権の問題として体罰の問題を捉えられているところに、Bさんの発言の評価すべき点があります。Aさんは、体罰は法的にもダメであると指摘されます。いうまでもなく、学校教育法11条に基づくご意見であり正当ですね。また、思春期に体罰を受けると自己肯定の感覚がそがれることにも注意を払うべきであると述べられました。体罰がトラウマになることはあり得ることです。Dさんは、身体だけでなく心も傷付けることになる体罰についての指摘、しかも、長期にわたって体罰を受けたことを思いつづけることから発生する問題をも指摘されました。これもトラウマになるということでしょう。
 なおここで法的規定について補足しておきます。平成19(2007)年2月の通知である「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」の「3」に「懲戒・体罰について」があります。そこでは、「児童懲戒権の限界について」(昭和23年12月22日付け法務庁法務調査意見長官回答)をいわば塗り替える「回答」が用意されており、これが「体罰・懲戒」の新しい判断基準になっています。重要な文書ですので、以下、引用しておきましょう。
1 校長及び教員(以下「教員等」という。)は、教育上必要があると認めるときは、児童生徒に懲戒を加えることができ、懲戒を通じて児童生徒の自己教育力や規範意識の育成を期待することができる。しかし、一時の感情に支配されて、安易な判断のもとで懲戒が行われることがないように留意し、家庭との十分な連携を通じて、日頃から教員等、児童生徒、保護者間での信頼関係を築いておくことが大切である。
2 体罰がどのような行為なのか、児童生徒への懲戒がどの程度まで認められるかについては、機械的に判定することが困難である。また、このことが、ややもすると教員等が自らの指導に自信を持てない状況を生み、実際の指導において過度の萎縮を招いているとの指摘もなされている。ただし、教員等は、児童生徒への指導に当たり、いかなる場合においても、身体に対する侵害(殴る、蹴る等)、肉体的苦痛を与える懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間保持させる等)である体罰を行ってはならない。体罰による指導により正常な倫理観を養うことはできず、むしろ児童生徒に力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがあるからである。
3 懲戒権の限界及び体罰の禁止については、これまで「児童懲戒権の限界について」(昭和23年12月22日付け法務庁法務調査意見長官回答)等が過去に示されており、教育委員会や学校でも、これらを参考として指導を行ってきた。しかし、児童生徒の問題行動は学校のみならず社会問題となっており、学校がこうした問題行動に適切に対応し、生徒指導の一層の充実を図ることができるよう、文部科学省としては、懲戒及び体罰に関する裁判例の動向等も踏まえ、今般、「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」(別紙)を取りまとめた。懲戒・体罰に関する解釈・運用については、今後、この「考え方」によることとする。
以上引用しましたが、最後の「3」の「別紙」の内容が重要になってまいります。なにしろ、今後、この「考え方」によること、と述べているのですから。では、そこでは、どのように「新しく」規定しているのかみてまいりましょう。
「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」
1 体罰について
(1)児童生徒への指導に当たり、学校教育法第11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある。
(2)(1)により、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
(3)個々の懲戒が体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。
(4)児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、「いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない」としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、「生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される」としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。
(5)有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常体罰には当たらない。
○放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を過ぎても長く留め置く等肉体的苦痛を与えるものは体罰に当たる)。
○授業中、教室内に起立させる。
○学習課題や清掃活動を課す。
○学校当番を多く割り当てる。
○立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。
(6)なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
となります。ここは、1次試験においても出題される可能性が高いです。じっくり読み、覚えましょう。
(以下、次回更新)

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みなさま、更新遅れていましてすいません。ほんとは本日午後にでも更新しようと予定していたのですが、京都に行く用事があり、単車で行ったのですけど、その帰りに事故に巻き込まれまして、イタタの状況なのでした。いまは、まだ強打撲の痛みがひかず、ヒィーヒィーいってます。まあなんとかこうしてタイプできるまでに復活しており、週末の勉強会は大丈夫です。
 さて、先日の第14回勉強会にご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。また、珈琲会には昨季合格者がお見えになり、ありがとうございました。Sさん、Sさん、N家の方、楽しかったですよ。また、かなり久しぶりでありましたが、Oさんには、勉強会も珈琲会もご参加いただきまして、ウレシク思っております。
 プログラムは、過去問の検討、自己売り込みのツボ、集団討論となりました。過去問の検討は今回の勉強会で終了です。最終問題は、中教審答申「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての取組を進めるための方策について」の正誤問題でした。本答申の簡単なまとめ的解説をいたしまして、かつ、勉強会には養護教諭志望の方がたくさんいらっしゃいましたので、答申の文章に魂をいれるよう、イロイロおたずねしながらすすめてまいりました。現場の先生方のお声を乾いた答申の文章に吹き込み、具体的に理解できるのは大変ありがたいことです。ご参加いただいていたメンバーの方々も具体的に理解できたのではないでしょうか。
 次に「自己売り込みのツボ」です。今回は、Nさんに報告していただきました。個人情報になりますので、こちらの内容は割愛しますが、みなさんからのコメントやワタクシからの指摘を生かし、再度、原稿作成してくださいね。今後また報告する機会があるやもしれませんので準備を怠らないように。なお、1分間スピーチ大会があります。その元になる原稿ですし、府や市のエントリーシートにも十分生かせるものですから練りに練ってください。
 最後は、いつものように集団討論です。こちらの模様は、また次回更新にていたします。今回の討論、大変評価が高かったです。

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