日々旁午

2009



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当サイト勉強会で使用している問題集や参考書ほかを、大阪駅前第2ビル地下2階で、いつでも購入することができるようになりました。地下2階のレンタルボックス・キャビン(06-6344-0509:営業時間/平日11:00〜19:30/土日祝11:00〜18:00)というお店に陳列しています。下の写真、ロボットが目印です。問題集のほか、しょうもない小物も置いていますのでご覧ください。

現在、「シート式C」、「シート式D」、「平成19年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、「平成18年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、などを陳列しています。

レンタルボックス・キャビン店内に連絡掲示板が設置されています。連絡掲示板にご要望を記入いただければ対応しますので、必要な資料あるいは問題集について簡単にコメントくださいませ。コメントがあれば、おきたいと思っています。そのほかは、こちらのページ(日程の下に資料の一覧表があります)、および、こちらのページを、どうぞご覧ください。よろしくお願いします。

各種資料ほかをご購入いただいた方々、ありがとうございました。お礼申し上げます。

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ながらくご愛顧いただいておりましたマグプレ広島教採対策ですが、今冬を持ちまして、発刊終了することにいたしました。ご講読いただいたみなさま、まことにありがとうございました。今後も広島対策は継続いたしますが、当サイトにおきまして、直接の扱いといたします。また、2009年も、広島におきまして対策講座を実施いたします。日程につきましては、こちらをどうぞ。

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あす、あさっては、当サイト主宰勉強会の開催にあたります。ご参加のみなさま、よろしくお願いします。
 第17回、第18回の開催となりますが、内容的にはだいたい同じです。といいましても両日ともご参加の方もあるいはいらっしゃいますし、そのあたりは味付けをしながら楽しんで対策できるようにしてまいります。
 最初にワタクシの方から講義をいたしますが、これはみなさまからのご意見をいただきながらの講義となります。新しくレジュメを配布しますので、それにしたがい進めてまいります。次に、「自己売り込みのツボ」を実施します。第17回ではおひとり、第18回ではおふたりを予定しています。報告担当の方、がんばってくださいね。今後、このツボは、毎回2名の予定で報告していただきます。すでに2月は報告したい方で埋まっている日程もありますが、調整とってみなさま全員がなんとか報告できるようにする計画です。
 最後に集団討論です。討論のテーマは、土日共通となります。討論を聞く、討論をする、両方の立場を交互に経験されることを期待します。さすがに土日でテーマを変えるのは、そのサイトアップが大変です。昨年度、一昨年度の報告でも、連続して開催する場合は同一テーマで実施しておりました。また、討論参加者が異なりますので、違うご意見と討論展開になりますので、両方を聞いて、違いがわかり、いい討論とはどういうものなのかということが、採点官のような立場で理解できます。
 大学3年生や4年生のご参加も多くなり、「はじめて討論します」、「はじめて討論みます」という方もいらっしゃるでしょう。秋から参加しているメンバーに負けないようにがんばってくださいね。
 さて、気になる討論のテーマですが、やっぱりこれでしょう、「児童生徒の体力向上のために、どのように指導していきますか。みなさんひとりづつアイデアをまず出し合い、その後、議論してください」といたします。がんばってくださいね。ちなみに、この「討論のテーマをサイトであらかじめ周知する」のも、3月最終までです。4月以降はテーマを書きません。いうまでもなくその理由は、試験本番に即すというところにあります。
 あ、第17回と第18回では、開催場所が異なります。みなさま、お間違えにならないようにしてください。

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なんかね〜、みなさんも読んでると思うけどね〜、毎日新聞の新しい連載〈特集〉「先生:生徒指導は今」は、読めば読むほど暗くなるよね〜、絶望を感じさせるような記事なんだな〜、ちょっとさらってみると、「最前線で対応していた30代の生徒指導主事は卒業式の後、辞めた。当時の学年主任は今も不眠に悩み、薬を飲んでいる」とか、「ご飯とみそ汁の味を感じなくなったのはそのころ。病院では風邪と言われたが、帰り道、涙がこみ上げてきた。『ここまで働く意味があるのか』。帰宅して家族に告げた。『もう辞めてもいいよね』」とかね。「慣れない新任教員は一層苦しい。301人。07年度、全国で辞めた新任教員の数だ。10年前の7倍に上る」なんてのもある。教員の疲れはいうまでもないが、中でも深刻なのは、「遅刻してきた男児に男性教諭(57)は『急ぎなさい』と促したが、顔色も変えずゆっくり歩く。友達と笑いながらやってくる女児もいる。なぜ慌てないのか、理解できない」といった児童生徒の側の意識変化だよな。こういう児童生徒ばかりではないと思うけど、こういう児童生徒を指導しなければならないのは現実である。君ら、やっていけるか?まあ、連載の最後は、希望を灯すような記事で締めくくるんだろうけど。気になる方は、こちらどうぞ。
 記事紹介はこのくらいにして、討論終了後の傍聴者からの指摘を紹介します。ほぼ傍聴者全員からご意見をいただきました。そこに乗じるような形で、ワタクシの方からも話の種を提供し、さらにテーマを掘り下げたつもりです。指紋採取の問題もそのひとつであったわけです。
 @盗難が頻発する状況にあって、学校は警察と協力して指導体制を立て直すべきかどうか、盗難があるのであれば被害届を出さないのかどうか。学校の中だけで解決しようとし過ぎているのではないか。
 A管理職とどのような体制をとっていくのかの議論がなかった。また学年主任や生徒指導主事のことが語られていない。
 B自己管理能力という言葉は出たが、この内容は具体的にどのようなものなのか。怒られて終わりと甘くみて、盗難が再発する可能性もあるのをどうするのか。
 C高校志望の方も討論参加者にいるのに、停学や退学といった懲戒処分の話題が出なかったのはなぜか。
 Dなんでもものを大切にする心の欠如、自分のものに名前を書く、学校の備品を大切にする心、こうした基本的な指導のことが語られていない。
 E学習権の保障と問題行動対応が教員の役割であるとすれば前者は警察的役割で後者は司法的役割であるとのご意見。
 F盗難は、高校の場合、高学年より低学年で発生するという指摘。人間関係ができているかどうかに関わる。
 G盗難されるものは貴重品だけではない。自転車もそう。
 便宜上、箇条書きしました。なるほど、そうした視点があったのかと、当日、討論を終えたメンバーも、いわば目を丸くしていました。テーマをもらった瞬間に、どれだけ気付くかにかかっていますね。広角的に学校現場を見渡すことが、教員志望者には期待されます。そこでは、『毎日新聞』が伝えるような、悲惨な場面があるかもしれません。でも、豊かな教育がなされている現場があるのも事実です。その豊かな現場を作るためにこそ、みなさんはがんばっているといえます。
 1月も終わりですね。次回の討論では、どんな議論が登場するか、楽しみです。
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ところで、指紋採取について、ワタクシの立場はといえば、断固拒否です。たとえ、船上で盗難があって、乗組員と乗客全員にそれが強要されたとしても、拒否します。これは人権の問題であるからです。私立海星高校のケースをとりあげたのですから、この指紋採取の件について、つまり茨城県立大子清流高校のケースも紹介しておきましょう。これは、昨年11月の事件です。
 「茨城県立大子清流高(同県大子町)2年の男子生徒全53人が先月、修学旅行で乗ったフェリーで発生した現金窃盗の嫌疑をかけられ、第6管区海上保安本部坂出海上保安署(香川県)に指紋を採取されていたことが24日、分かった。同署は乗客の証言に基づき指紋を採ったが、生徒のいずれもの指紋が現金が盗まれた財布に残されていたものと一致しなかった。同署は『捜査中』として生徒の指紋は廃棄していないという。学校は『実質的に疑いが晴れた以上、生徒のため指紋を廃棄してほしい』としている。弁護士からは『見込み捜査だったのでは』との指摘も出ている。
 関係者によると、11月18日午後9時ごろ、新門司港をめざし瀬戸内海を航行中のフェリー展望室で、20代男性客が落とした財布から現金約4万円が盗まれる事件が発生。坂出海上保安署は、男性客の『近くのいすに男子生徒数人が座っていた』との目撃証言に基づき、男子生徒全員の指紋提供を学校側に求めた。ほかの乗客には指紋提供を求めなかった。
 捜査の影響で、フェリーは海上で約2時間停止。翌朝、港に到着後、53人の指紋採取が約3時間行われ、同日予定していた阿蘇山観光はキャンセルとなった。引率した大畠丈夫教頭は『証言した男性客が酔って周囲に言いふらし、多くの乗客がうちの生徒が犯人と思ってしまった。指紋提供を断れば生徒の不名誉になると思った』と話す。
 同27日に同署から、生徒の指紋が財布に残っていた指紋と一致しなかったとの連絡があった。同署は『捜査中』と、生徒の指紋を破棄していないという。
 学校は県教委に事実を報告。旅行会社と相談し、謝罪文の要請や損害賠償の請求を検討したが『任意捜査に応じた以上難しい』と、さらに捜査状況の提供を求めるにとどめている。
 同署は『先生の理解を得て指紋を採取した。目撃情報は重視しなければならない』としている。
■日本弁護士連合会子どもの権利委員会・影山秀人委員長の話
 『生徒たちを犯人と疑う情報は多くないのに、指紋を採るのは見込み捜査ではないか。生徒全員が指紋提供に応じていることからも任意性は疑わしく、海保は捜査手法が妥当か検討してほしい』」(『イザ!』2008年12月25日)。
 上の記事の中で見逃せないのは、「ほかの乗客には指紋提供を求めなかった」というところと、「先生の理解を得て指紋を採取した」の部分である。第1に、酔客の確実性がない発言に基づいて指紋をとらせる必要が本当にあったのか、である。生徒が犯人であるというのは酒の入った推測にほかならず、そのような状況の下で任意で採取に応じるのは生徒の信頼を失う行動ではなかったか。目撃証言の重視という警察の判断が果たして正しいのかどうか。ましてや捜査の公平性という点では、指紋をとるならとるで乗客全員でなければ意味がない。酔客であったところから、記憶もたどたどしいだろうし、現に指紋をとられた生徒に犯人はいなかった。疑うにもほどがある。第2に、先生の理解を得て、ということだが、なぜ身体を張って「理解できない」といわなかったのだろう。今後、生徒と先生の間で軋轢が生まれるだろう。そうした軋轢が生じるのを承知した上で、警察の捜査に協力したとすれば、残念でならない。ワタクシであれば、相当、ごねる。学習指導要領には、「教師と生徒との間の信頼関係を築くこと」とあるではないか。「多くの乗客がうちの生徒が犯人と思ってしまった」ならば、その多くの乗客に問うたらよかったのである。「あなたの息子や娘たちなら、疑われたらどうしますか、指紋とらせますか」と。

 元に戻しましょう。
 Eさんの発言の後、Dさんは、教員の危機意識の欠如について語られます。もちろん児童生徒の自己管理能力の養成が急務ですが、「学校として」との組織的対応を議論していただきたいこのテーマの主旨に応じて、このように教員の方に問題点を振られたのはよかったです。すでに登場したご意見ですが、集金業務がある場合は朝に集めること、体育の授業の際は率先して教員が貴重品袋を回して集めるなど、率先した行動力が、防犯体制を堅固にしますね。こうした貴重品管理については、Bさんいわれるようにルールの明確化が求められます。なにしろ貴重品預かりですから、Fさんいわれるように一括して持っていかれると目も当てられません。自己管理、自己責任と学校の体制と、そのうまい具合に融合した管理体制が求められており、まとめていえば、そうしたシステムが学校の安全管理体制ということになりますね。そこでは、ロッカーのある高校と、小学校ではかなり違った取組が予想されます。Aさんはこの点を指摘、校内巡回に力を入れて防犯を実践してはどうかと提案されました。ロッカーが話題に出てきたところ、Dさんから、小学校では机の中をカラにしようとの「標語」がありました。
 そろそろ時間も迫ってきたときに、これまでの議論を整理する形で発言されたのがBさんです。自己管理能力の養成、犯罪である盗難を許さない事前措置、です。そしてこうした取組は、信頼の絆で結ばれたクラスを作ることが最大の課題であると述べられました。Fさんも、人間関係がギクシャクしたら大変なことになると指摘し、教員が注意してクラスをよくみて、盗難の起こせない環境作りに励むと建設的ご意見です。Aさんも、この最終課題としてのクラス作りに同意されました。そうしたクラスでは、Dさんがいわれたように、もし盗難が起こったらどうするかというような、学級活動の課題のような投げかけもスンナリ受け容れられるだろうし、児童生徒が自ら話し合っていけるのではなかろうか、と述べられて、20分間の討論時間が終了しました。
 さて、いかがだったでしょうか。イロイロご意見が出て、一見、よさそうにみえますがどうなのでしょうか。次回の更新で、討論傍聴者から登場した鋭い指摘を紹介します。

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1月31日の土曜日、(JR大阪駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:1月27日12時05分⇒14時23分、募集終了しました)。

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つづいて発言されたのは、Fさんでした。Fさんは、Aさんの議論を受け継ぎながらストレスを減らすには教員からの働きかけのほかないと述べられました。そして体育教員志望らしいご意見として、教室移動する際に貴重品は自己管理することを強調されました。Eさんもこのご意見に同意され、施錠について話されると同時に、担外の先生にお願いして見回りをすることも一手段であるといわれます。Dさんは、自分のものは自分で守るとの管理能力の向上をダメ押し的に述べられ、例をひとつ挙げられました。それは、カバンに定期をぶら下げていて盗られたケースであり、これはぶら下げること自体に問題があると指摘されます。自分のものは自分で守るの主旨は、防犯に最善を尽くす児童生徒の意識の向上といっていいでしょう。盗ってくれといわんばかりの管理状態ではいけないということですね。
 Bさんはここで、盗難といじめの関連性について再説されます。Bさんは、もちろん盗られてしまうのに自己責任の問題はあるが、特定生徒が何度も盗られるようなことがあれば、それはいじめの可能性があると指摘されます。これはたしかにそうで、学校全体としての対策をどう講じるべきかまで、議論を進められる発展性を持っているトピックといえますね。それだけに、この話題が他の討論参加者に共有されなかったのはちょっと残念でした。Cさんは、いじめがあって盗られるほか、盗ることに罪悪感を持たず、気軽に盗ってしまう場合もあると話され、たとえば傘立ての傘をすぐもっていってしまうようなケースがそれに妥当するといわれました。だからこそ、Dさんのいわれるように、「他人のものは触らない」といったメッセージを周知させることが大切なのでしょう。よくある盗難のケースで、Bさんの出されたいじめの問題と関わりあうのは、靴です。靴は隠されやすく、単なるふざけた行為と捉えがちですけれども、いじめの最初の一歩でしょう。学級会で、こんなことをしてはいけないと考えさせる指導が必要とDさんは述べられました。
 小学校志望のDさんに対し、Bさんは高校志望です。こうした志望校種の違いによって、意見の内容も変わってきますね。Bさんは、「盗難は窃盗である」と厳格な態度で接することが、高校では必要であって、さらに、事後指導として、反省文を書かせたり、保護者を交えた指導をしたりしなければならないと適確です。Fさんも高校志望で、Bさんと概ね同じご意見を持っておられました。ただ、Bさんの発言とほとんど同じでしたので、一捻りして述べるべきでしょう。
 ここでAさんが、テーマに立ち返り、どのような体制で防犯していくかを議論するべきであると話題転換されました。
 これまでのご意見は、おおよそ児童生徒に対する指導が中心で、体制としてどうしていくかについての提言がほとんどありませんでしたから、いい話題転換であると思います。Aさんも高校志望ですから、ちょっと口が滑ったのでしょうか、「徹底的に犯人を探し出す」といわれて、あとで物議を醸しました。なんと、これがどのようなことになるのかの実例が、きょうの新聞にありましたので、ちょっとみてみましょう。教員個人で処理するべきか、学校全体として取り組むべきか、そうしたポイントを考えてみてくださいね。『毎日新聞』も『讀賣新聞』も報道しておりますけれども、ここでは『毎日新聞』(2009年1月27日付)を紹介しましょう。
  「三重県四日市市追分の私立海星高(西田秀樹校長)で21日、1年生の生徒の携帯電話のメモリーカードが紛失し、盗難を疑った担任教諭がクラスの生徒たちの指紋を集めたことが26日分かった。同校は『行き過ぎた指導』として教諭の処分を検討するという。教諭は同日、クラスの生徒たちに謝罪した。
 海星高によると、1年生の体育の授業前に生徒たちが携帯電話や財布などを貴重品袋に入れ、授業後に取り出したところ、生徒の一人が『携帯電話のメモリーカードがない。盗まれた』と訴えた。
 担任の男性教諭(57)は放課後、クラス全員の27人を教室に残し『何か知っていたら書いてほしい』と全員に紙を配布した。『何も知りません』という内容の回答ばかりだったため、出席番号を書いた紙と朱肉を回し、1人ずつ人さし指の指紋を押させた。盗難にかかわっていないと教諭が判断した4人を除く23人が指紋を押して提出したという。
 盗難事件として警察に届けてはおらず、指紋を押した紙は教諭が保管していた。同校は『指紋を取ることで「調べれば誰が盗んだか分かるので盗んだ者がいれば名乗り出るように」と伝えようとした。指紋を利用する意図はなかった』としている。メモリーカードは見つかっていない。
 教諭は『生徒に納得してもらった上で指紋を取った』と説明しているという。西田校長は『教諭が生徒の指紋を取ることは許されない。保護者の同意も得ておらず、行き過ぎだった。保護者にもおわびと説明をする』と話した」。
 以上が新聞の伝えるところです。指紋をとるという教員ひとりの判断が「行き過ぎた指導」と批判されています。ワタクシもこれは行き過ぎた指導だと感じます。件の教員が、なぜ、ホウレンソウをしなかったのか、疑問が残ります。あえてこの事件の記事を掲載したのには理由がありまして、実は、この集団討論をした当日、討論終了後、みなさんで「盗難にあたって、指紋をとるかどうか」の議論をしていたからです。そこでは、これまた別の報道を話題として議論したのですけれど、修学旅行でしたか、船中の盗難発生(一般の方の貴重品がなくなる)があり、その際に、教員の承認の下、乗船していた生徒の指紋がとられたわけです。みなさんとの議論においても、「指紋をとることが許されるのか」、それは児童生徒を疑ってかかることになるのではないか、いくら被害者の要求を元に警察に指紋摂取を求められたからといって、教員は児童生徒を守る立場であって、断固としてそれを拒否するべきではないか、いやいや仕方がないだろうというように、イロイロなご意見が出ました。
 こうしたことが現実に起こりうるわけですから、Eさんがいわれたように、「共通理解」を持って盗難防止体制を構築しておかないと、イザというとき困るわけですね。それからもちろん、盗難が起こる前に、力を入れて指導しておくわけです。
(以下、次回更新)

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2月1日の日曜日、(地下鉄淀屋橋近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:1月26日13時45分⇒16時35分、募集終了しました)。

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それでは、先日実施した集団討論の模様をお伝えします。テーマは、「学校で盗難の被害が相次いでいると想定してください。学校全体としてみなさんはどのように対策を立てられますか。みなさん全員が同じ学校の教員であると仮定して議論してください」と、ちょっと長いものでした。これに6名の方が20分間で議論してくださいました。仮にA〜Fさんとして、再現してまいります。
 最初にDさんがテーマ確認の発言をされ、そこから2つの方針を立てられました。ひとつは、「なぜ、盗難が起こるのか」。もうひとつは、「盗難の防止策」です。このふたつを論じていきましょうというように討論参加者の同意を求められ、そして承認されました。そしてまずひとつめの課題に対して、盗難が起こるのは、児童生徒が多額のお金や高価なゲーム機ほか、不必要なものを学校に持ってくるからであると指摘されました。FさんはほぼこのDさんのご意見に賛同されつつも、高校ではクラブ費のように高額の現金を持参する可能性があることも私たちは理解しておかなければならないと、補填的な発言をされました。Cさんは、児童生徒が自分自身の持ち物をちゃんと管理できていないところに問題点があるのではないかと述べられました。これに対し、Eさんが、もちろん管理の問題はあるものの、朝、保護者から封筒入りでお金を預かって学校にきた児童生徒がいれば、ただちに教員が責任を持って預かり直すのが注意ポイントであると指摘されます。これは、Bさんのいわれるように、児童生徒自身の管理の甘さを是正する管理方針といえます。またBさんは、ロッカーなどを想定されていたと思われますが、カギをかけていない管理の仕方について教員がちゃんと指導するだけでなく、児童生徒の問題でもあることを話されました。また、Aさんは盗難をするのはどのような意識からなのかを見定めようとされ、人の物を盗ったら犯罪になるとの当たり前ではありますが、児童生徒にとっては場合によっては無自覚なこうした意識を変えていくことに教員としての役割があるとご意見されました。
 このような討論の滑り出しであったのですけど、どちらかといえば、「なぜ、盗難が起こるのか」の分析が、児童生徒の心理に還元して捉えるご意見として捉えられているのがわかります。Dさんの問題の立て方は間違っているわけではありませんが、他の方も、テーマを深く読み、トピックがこれでよいかどうか吟味するご意見がもう少しあればよかったでしょう。必ず第1発言者の提示されたテーマへの接近方法にうなずく必要はありませんし、足らないあるいはこうしたことも議論すべきということを追加してもよいわけです。
 全員の発言が一通り終わり、Dさんはそれをまとめて自己管理能力をいかに要請するかが教員としての私たちに期待されていると発言されます。つづいて、学校の内部で盗難が起こるのは、児童生徒同士で盗ったり盗られたりであるケースが多いけれども、学校外から侵入してまさに犯罪としての窃盗が起こる場合もあると指摘し、いずれにせよ安全管理の問題としてこのテーマ全体を捉え返すべきであると述べられます。Eさんは、不必要なものを学校に持参しないのはいうまでもなく、大切なものなのに盗られてしまう油断について話されました。Bさんは、児童生徒同士で盗む場合が多いのはなぜかと問われて、「目の前にお金がある状況」を挙げられます。いまの児童生徒には買いたいものがいっぱいある。目前のお金があればそれが買える。じゃ、盗ってしまおう、との心理が働くのではないかと分析されます。これと同時に、Bさんは、いじめから盗まれることもあるだろうとみておられました。Aさんは、お金だけでなく、たとえばCDプレーヤーなど貴重品がなくなることもあるといわれ、こうした盗難=犯罪の発生の背景に、経済的貧困の問題や心の問題がひそんでいるとされます。特に後者については、ストレスが盗難の引き金になっているかもしれないとの指摘を付け加えられました。
(以下、次回更新)
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本日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。講義、自己売り込みのツボ、集団討論と、いつものメニューをこなすことができました。自己売り込みのツボでは、今回からおよそ2名の方に実践していただいています。希望者がいないなら、再チャレンジもOKですので、意欲的に取り組んでください。そろそろ1次試験の集団面接対策も導入しなければなりませんね。これまた聞いているだけでも勉強になること受け合いです。人物対策は場数です。何度もやって自信をつけることです。がんばりましょう。集団討論の再現は次回更新時にいたします。
 本日は、3月期の受付開始日でした。22時から数分でほとんど埋まってしまいました。お申込いただいた方々、ありがとうございました。すでにお申込いただいた方々には、返信のメールを差し上げています。内容を確認の上、返信がまだの方は、メールお待ちしています。
 まだ数座席空いている日程がございます。よろしくお願いします。

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あすは、当サイト主宰勉強会を開催予定です。ご参加のみなさま、よろしくお願いします。インフルエンザが猛威を振るい、大阪市では学級閉鎖が続出と報道されています。とりわけタミフルが効かないAソ連型が登場しています。なにしろ薬の効果がない、打つ手がない事態にあり、厚生労働省のタミフル備蓄を無力化しています。こうなると人間の本来備えている免疫防衛力に頼るほかないです。栄養と睡眠と適度な運動が期待されます。教育です。
 さてあすの計画は、ワタクシからの講義をまずします。前回配布の資料をお忘れにならないように。通算15枚ほど配っています。すでにメールいただいている方もいらっしゃいますが、足らないところがある方はご申告ください。過去問も同様です。
 次に「自己売り込みのツボ」を実施します。あすは2名の方がチャレンジされます。がんばってくださいね。最後に集団討論です。討論のテーマは、「学校で盗難の被害が相次いでいると想定してください。学校全体としてみなさんはどのように対策を立てられますか。みなさん全員が同じ学校の教員であると仮定して議論してください」といたします。

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数学教育の立場からAさんは、出題される公式をちゃんと押えておくことなど、現実的なご意見を述べられました。さすがにつづけて述べられた「簡単な公式を適用して問題が解けたらいいよ、無理ならいい」はいい過ぎとの見解が討論傍聴者からもありましたように反省するべきポイントです。本音をぶちまけることがいつでもいいとはいえませんね。近い将来の目標が高校卒業で、現実的に赤点とならない40点をとれればいいというような過度の期待をしない表明は、残念ながらみなさんから総スカンを喰ったようです。まあ、言葉を選びましょう、ということです。
 Fさんは、討論の筋を戻すべく、Cさんの語られた興味関心に言及されます。社会科で本物の武士の格好をして学習への接近をしやすくするなど(実際、テレビでその様子をみられたそうです)、授業工夫を具体的に述べられました。奇を衒うというわけではなく、学びに入り込みやすい導入をするということをこうした工夫は意味しています。またこれを一般化してFさんが発言され、黒板とチョークだけでは説明ができない、わかりにくいことをイメージ優しく伝えると「好き」の度合いも増すし、「嫌い」も緩和されるということです。リコーダーの学習においては、「楽しい」という要素が含まれるべきであることを強調されていました。Dさんがこれにつづき、中学になれば歌うのを恥ずかしく感じることがあると感想を述べられ、歌う歌の詞そのものを読ませること、それからリズムをとり、さらにメロディにのせるというように段階を追って音楽にアプローチしてはどうかと苦手克服について具体的に語られます。また、自分自身が児童生徒の隣で楽しんで歌う実践が欠かせないと発言されました。実際、いままで声が出なかった児童生徒が出すようになったということです。特別支援教育をめざしているDさんらしい実践的な報告でした。一方、体育教育についてEさんは、「できないから嫌い」というケースが多いので、成功体験を積ませることからはじめると主張されます。そのためにはルールをいいように改善して取組を進めるとも発言され、たとえば本来11人でサッカーはしますが、この人数を少なくし、ボールに触れる機会を多くするといったようにです。Bさんは、音楽専科担当の経験を持っておられ、曲選びに力を注ぎ、その際、身近な曲の中から、サザエさんやポニョなど示してリコーダーで演奏しやすい選択をすることによって「嫌い」にならないように指導すると提案されました。
 Cさんは、個々の力量に応じた展開という言葉でこれまで登場した授業工夫についてまとめられました。数学志望のCさんは、授業方法論についても掘り下げ、ティームティーチングや習熟度別学級編成のメリットについて挙げられて、「好き嫌い」の要因である「できるできない」を、クラス全体を分割することによって解決を図る考え方に立たれます。高校志望らしい現実的なご意見といえます。このご意見に対し、Fさんは、小学校でも習熟度別学級編成は有効であり、現に習熟に応じて3クラス化していることを報告されました。さらに、ここで話題を転換されて、これまで苦手克服をメインに話題がつづいてきたけれども、「好き」をもっと「好き」にさせる方法について議論しようと提案されます。これは各教科の方法論に流れいささか発表会型になりつつあった今回の集団討論を救う発言であったということができます。苦手を持つ児童生徒にヒントを与える役に指名して、クラスに連帯感が生まれるよう指導することは大切なことでしょう。用意した別プリントもこなし、さらにヒントを与える経験までさせれば、その児童生徒は「さらに好き」になるとの見解です。
 Gさんは社会科ではどう「好き」を伸ばすのかについて発言されます。社会科はその教科的特性を重視し、教科書の問題を解ければいいというのではなく、社会観や世界観を構築するように指導していかなければならないとお考えで、日常をつねに意識した指導が社会科好きを増やすとの立場に立たれています。
 Fさんがいわれたように、「教えあい」が「好き」を伸ばすのは体育でも同様であるとEさんはご意見し、体育における習熟のむつかしさを語られつつ、技能定着に向けての指導法を模索されています。Dさんはより一層音楽を楽しむには、音楽記号を棚上げして歌ってみるのも一興だとし、歌詞の中でどこがいわゆるサビなのかや、アクセントをつけるべきところを変更してみる工夫などをして、面白みを発見したいと語られます。もちろんこれが「好き」を伸ばす一つの手法であると考えられているからです。また、簡単なものからむつかしいものへと段階を追って達成感や充実感を経験させるということでは、Aさんがいわれたように、練習問題の提供の組み立て方が従来的ではありますが効果があるでしょう。最初は基本レベルからはじめ、最後は東大や京大の入試レベルの問題を出題するといった学習の進め方ですね。
 Fさんは好き嫌いに関わらず、奇想天外が興味関心を引くには重要であると、さきほどの武士の例示のほか、「一万円札は電気を通すか」といった理科教育における「やってみてはじめてわかる実践」をもっともっとやっていくべきではないかと提案されました。それはGさんがいわれるように授業におけるパフォーマンスの向上であって、社会科的には豆知識の豊富な仕入れに妥当するとご自身の問題意識に照らして説明されました。最後にBさんが、数学と理科の教科内容を結ぶべく物理現象についての理解を深め、これを自分の言葉で表現することの重要性を指摘されました。さらに、新しいものの発見という点において、数学や理科と共通するものとして、音楽ではピアノの分解を実際にしてみたことを披露し、Fさんのご意見と共鳴するところの「やってみてはじめてわかる実践」、驚きが学習意欲を増進することを指摘し、討論は終了しました。
 今回、25分間で7名の方が討論に参加され、全29発言でした。担当教科や専門教科に関する多彩な授業方法論を通じて、いかにして児童生徒を伸ばしてやろうかとする指導意欲あふれるご意見ばかりでした。学力向上を至上課題としている大阪府にあっては、ここで確認できた方法は、たとえ稚拙と批判されても重要なことであるに変わりありません。そして、小テストや繰り返し学習、興味関心の持たせ方について、伝統的な手法を受験生が捉え直している姿勢があって、それを聞いているだけでも楽しいものでした。
 そう、たとえ教員採用試験の集団討論であっても、楽しくやらなきゃいけませんね。それはDさんの発言の中にもあったように、「教員も楽しむ」ということが情熱を伝えられるという教育的な真実でしょう。

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つづいて発言されたのは、Fさんでした。第1発言者であったFさんは、自分自身が提示した問題、つまり「苦手の克服をみなさんはどのようにされましたか」に対して討論参加者がそれぞれ「解答」を述べてくださったことに感謝の意を示されつつ、BさんとAさんの発言に言及されました。Bさんのご意見に対しては、つらい経験であったことを承認し、同時に、ではどうすれば児童生徒に好かれる指導ができるかを教員として主体的に考えていかなければなりませんねと述べられ、Aさんのご意見に対しては、自分の仕方すなわち苦手教科の自己流の克服方法をあみ出すことが大切なんだと教えられた旨を述べられました。問題のBさんの発言に対し、これがこれ以上、拡大して話題化しないように工夫があった対応の仕方であると思われます。EさんはこのFさんの発言の中の「好かれる指導」について、やはりほめる指導が効果的であろうと主張されます。そうすれば児童生徒が該当教科を好きになる確率は高まりますからね。
 ところでこの、よく登場する「ほめる指導」ですけど、これが万能薬のように、あらゆる指導の究極のように扱われます。現代の教育のスタンダードな指導法であることはまちがいないでしょう。ただ、あまりにもこれを強調しすぎることは、一般論として、反対します。ワタクシなどは、どちらかといえばほめられた経験がなく、批判的な指導を受け過ぎているからでしょうか、どうもほめる指導をあんまりしたことがないのですよね。「自分が経験した指導法を他者にする」ということはあると思います。ワタクシは厳しい指導ばかりを若いときに受けていたので、どうしても言葉を緩めずにガンガンいうときがあります。時代遅れなのでしょうね。そうした世代における受けてきた指導の色合いの違いを考えれば、面接官とほぼ同世代のワタクシからのアドヴァイスとして、万能薬的指導法としての「ほめる指導」ではなく、せめて、「メリハリのある指導」という表現の仕方をとってほしいと希望します。なお、この話題は、別のテーマや集団面接にも関わってきます。というのは、「優しい先生と厳しい先生」といった観点を含むテーマあるいは面接質問にどう対応するかに直接するからです。また、「どちらの指導をあなたはなさいますか」といった質問に対応するときにもちょっと足元をみつめ直す必要性を感じさせるからです。しかもここではほかにもポイントがありますので、また集団面接や個人面接を実施したときに説明しましょう。
 さて、Bさんがつづけられたように、児童生徒がある教科を好きになるのは、ほめる指導のほか、教員がわかる授業を提供したときでしょう。Aさんもそれに同意されます。Aさんは、しかし話題を集中化するためにわかる授業に関しては一歩おいて、ほめる指導の中身について検討されます。ほめる指導のほめるを、なんでもかんでもほめるのではいけないとの認識をもたれる一方で、ほめるハードルを低く設定するのはいまの教育界で要求されている事実であるとの立場に立たれています。教員として反省的視点から、「こんなこともできないのか」との禁句をいわないのはいうまでもなく、そうした思いを心の中でも保持しないよう努めるような発言をされました。100歩引いてほめるポイントをみつけることが、いま、要求されていると感じられているようです。「753理解」といわれて久しいわけですけど、高校志望のAさんは、おそらくこの「3」の理解度を引き上げる方策に腐心されているから、このような発言になったのだと思います。Dさんも、このAさんのご意見に重ねて、小さなハードルを設けること、見逃さないでほめることを付け加えられました。また、ある教科を好きになる場合のポイントとして、授業の面白みということについて述べられました。ノルマ的に授業をただ進行されるのでは、教員も楽しくありません。教員も楽しく、ということは授業に対して情熱的であるということを意味しますが、教員自身が楽しく情熱的に授業をやっていることが児童生徒に必ず伝わるとお考えです。熱意は伝わるもの、と考えないと、教員としてさみしくもありますね。
 Cさんからは、教員からの指摘(ほめる)だけではなく、児童生徒の主体的な興味関心を耕さなければならないと、それこそ「指摘」されました。興味関心は学習意欲の源泉となります。「できること」に「興味」を持つかどうか、これは必ずしもそうではないですけど、「興味」が「できること」によって増すのは事実でしょう。そのためには、結局、上の教員の「熱意」と当然関連するのですが、Cさんの言葉でいえば「授業の充実」ということになり、それは教材研究の深みにつながってまいります。「できる」よろこびと「興味」が共鳴し、相互に両者が高まっていくことが、児童生徒の将来の専門の選択にまで影響を与えることでしょう。Gさんは、地歴志望の立場から、具体的にハードルを低く設ける(Aさんのご意見)内容について発言されました。基本的知識を授業を通して身に付けさせるのはいうまでもなく、それらの定着を図る小テストを日々行なっていくと述べられました。これだけでは100マス計算的なドリルワークと代わり映えしないのですけど、Gさんは、そこから越えようとの強い思いを示されます。とりわけ地歴は暗記教科だと捉えられがちです。これをどう打破するべきかが、Gさんの、そして現職社会科教員のすべての方の課題でしょう。それは歴史解釈の議論という高度な課題学習に児童生徒をいざないます。学習の定着度がマチマチの高校一般の状況において、討論型や参加型の学習スタイルをどのようにして地歴に組み込むのか、Gさんの将来に期待しています。
 さてさて、このつづきは次回の更新にします。あのね、いまね、大学から山のように解答用紙が届きまして、採点作業に時間をとる必要がありまして、そのゆえに昨日は更新できなかったんですよ。まあちょっとお許しくだされ。
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それでは、集団討論の模様をお伝えします。今回は、参加希望者が多く、活気があってよかったです。やはり「討論したい、やりたい」と意欲的な方がこれまでも合格していますし、この調子で「奪い合い」になるほどに主体的であることを期待します。
 討論のテーマには、むつかしいもの、簡単なものがあります。それは論じやすいかどうかということによるでしょう。論じやすいテーマの持つ特徴は、第1に、多様な意見が出やすいかどうかということ、第2に、議論の方向性、トピックを立てやすいこと、があります。討論は発表会ではありませんから、建設的に各々の参加者の意見が重層化することが期待されます。多様な意見は討論を豊かにしますし、トピックが立てやすいと論理的な筋道が明確になって「議論している」との感覚を共有する結果となります。討論を聞いている面接官も厭きません。これは重要なことです。今回のテーマは、ちょっと長いですけど、論ずるべきポイントや流れが設定しやすいと思われます。「児童生徒には好きな教科と嫌いな教科とがあると思われますが、好きな教科は一層伸ばしてやるべきだし、嫌いな教科はできるだけ親しませ、これまた伸ばしてやる必要があると思います。みなさんはどのように指導しますか。議論してください」でした。
 テーマを分析しますと、上の「第1」を満たす条件となっています。好きな教科云々ということから、教科をイロイロだせばそれだけで豊かになりますし、教科担任制の中高でも、受験者個々人の経験談から意見を提出することができます。「第2」に関していえば、テーマそのものが流れを形成するよう指示しているのがわかるでしょう。というのは、好きな教科、嫌いな教科が自分の場合なんであるのかや、なぜ好きに、なぜ嫌いになったのかなどを議論すること、次に好きな教科のさらなる伸ばし方、嫌いな教科をどう指導するかというように、設定できるからです。また、このテーマでは、前回のように法的な知識や取り決めについての言及が、どちらかといえば不必要だからです(「どちらかといえば」というのは、時間配分など教育課程編成に関連したご意見があるとするとそれは学習指導要領と関わるからです)。本当は、授業時数との関連は大切なファクターなんですけどね。今回の討論にこの話題が登場しなかったのは意外でありました。好き嫌いの克服は時間配分の課題と密接だからですし、大阪府が学力向上プランを作成しているのも、この問題と大きく関わると考えられるからです。まあ、このことについては次回の課題としてください。
 さて、第1発言者は、Fさんでした。Fさんは、テーマを読み上げられて確認し、私たち自身も好き嫌いがあったことを認め、最初に、嫌いな教科をどのようにして克服したのかを出し合いましょうと提案されました。好きか嫌いかどちらか一方だけでは困りますけれども、好きと嫌いとどちらを先にするかはグループによって違うでしょうし、どちらでも評価に大きくは関係しないでしょう。Fさんは教科としての音楽が苦手だったようです。Fさんはリコーダーの修得過程を例示され、ステップを設けながら演奏を完成させたようで、ここでは達成に向っての努力が嫌いな教科の克服につながることを主張されたわけです。
 この第1発言ですでにひとつの問題が登場しています。たしかにテーマでは「好き」や「嫌い」というように表現されていますけれども、嫌いな教科、嫌いな教科といっていいものかどうか、ということが討論参加者の念頭にあったと思います。これは諒としましょう。テーマで使っている言葉ですしね。問題はそれを教える立場にワタクシたちはあるわけですから、テーマの議論を通して、苦手教科を告白するということになります。ここまで深く面接官がみているのかどうかはわかりませんけれども、あまりに嫌いな教科について「やっつけて」しまいますと、Fさんの場合でいうならば、「あ〜、この受験生は音楽はダメなのか〜」とかんぐられてしまう可能性があります。
 ただ、この「嫌いな教科」はまだいいのです。さらにつっこんでいいますと、苦手な教科というように「苦手」というのはいいのかどうか、さらには「成績が悪かった教科」と暴露していいのかどうか、という問題になります。苦手の克服はプラスの価値に転じたからとのニュアンスで語ることを忘れないようにしましょう。また、後で申し上げますけれども、こうしたテーマに隠されているいわば落とし穴に関して、Bさんの発言は微妙です。
 Fさんの次に発言されたのはGさんでした。Gさんは、数学が苦手であったことを表明、さらに嫌いになったと述べられました。しかし、成長するにつれて社会における数学の必要性、重要性について理解したと言葉をつづけられ、数学は授業だけでなく、担当の先生に何度も直接教えを受けて克服していったと述べられました。つまり個別に質問して克服したということです。Cさんはその数学を志望している受験生であり、数学は解法を教えるだけでは嫌われてしまうと分析し日常体験と通ずる数学的思考とリンクさせることが数学嫌いを少なくしていくのではないかと述べられました。Dさんは、歴史が苦手であったと述懐されました。それは暗記科目という点からではなく、歴史を想像できない、イメージできないところにむつかしさを感じたといわれます。歴史の流れを自分で想像できないということは、歴史のダイナミズムを自分でつかみ取れなかったという意味ですね。その克服にDさんは、視覚的な学習が適当であったといわれます。これも賛否両論でしょうけれども、いわゆる『まんが日本の歴史』というような学習素材を活用して克服されたようです。Eさんは、Gさんと同じで、実はワタクシもそうなのですが、数学がダメだったといわれます。とりわけ焦って単純ミスを繰り返し、なかなか解答と一致しないで悔しかった旨を述べられました。こうしたEさんの状況に対して担当の先生からのアドヴァイスが「ひとつひとつきっちりやりや」と本質をついています。計算も考え方も、落ち着いてやることが、数学克服の第1歩であったということです。
 次の発言が、上で触れたBさんの発言でありました。Bさんは中学のときに国語が苦手だったと述べられました。その理由は、先生が嫌いだったと発言されたのでした。これはよくあることで、ワタクシも実は経験がありますし、討論参加者も、多かれ少なかれあるでしょう。問題はこれを採用試験の場でいっていいのかどうかとなりますね。それはそうと、この先生は他の生徒とBさんと同じことをしているのに、Bさんをのみ叱ったということで、Bさんは「なんでやねんやろう」と実際感じられていたわけです。もう、10年は経つというのに覚えているわけですから、教育とは恐ろしいものです。ワタクシも身が引き締まります。結論からいいますと、Bさんのこの発言は表現を工夫して同じことを別のいい方でいうべきであろうということです。どのように述べるべきなのかはお任せしましょう。
 Aさんは英語が苦手であると告白されました。その克服はおもしろく、英語はアメリカ人の子どもでもできるのだから、3歳児の英語の絵本からはじめ、最後はパレスチナ問題を英語で読み取るまでに努力したと発言されました。こうしたやり方は独学的であって、他の方法を試みることができなかったことや、友人たちと一緒に勉強できなかったことが反省点であったと述べられました。
(以下、次回更新)
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