日々旁午

2011



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■8日の土曜日に、今年初の勉強会を開催いたしました。ほぼ満席になりました。ご参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。年末年始の休暇がありましたので、少々勘がくるったご様子のかたもいらっしゃいましたが、なんとか無事に終了することができました。
 最初に、ワタクシのほうから、講義をいたしました。今回の講義では、みなさまからいろいろとご意見をうかがうことになりました。この講義がめざしている形です。今後もどしどしご意見ください。内容は、教養についてでしたが、そこでは、中教審答申が示す教養のあり方と従来型の教養の刷り合わせについて議論がありました。ここでみなさまからのご意見や見解をうかがったわけです。
 たくさんの本を読んで知識を得ることが従来型の教養というならば、個人が社会とかかわっていく中で形成されるものの見方や考え方の総体が新しく中教審が提言する形の教養です。中教審のいう教養は、机上で獲得していく知識一般を中心とする教養でないことはあきらかでしょう。多様な価値観のぶつかりあいの中で形成される教養、人間関係の中で学ばれていく教養を指しています。こうした教養形成のために総合的な学習の時間があると述べました。
 しかし、学校教育の現場では、朝読書の時間が設定されているように、従来型の教養形成の場もあります。集中して読解能力と知識を豊富にしようとする時間が設けられています。
 ワタクシはこれを相反する教養形成であると仮説して、みなさんにその刷り合わせの現実をおたずねしたわけです。この仮説は、けっこう大胆に学校教育を切ることになるのは承知の上でした。学校では、この両方ともが必要な教養なわけです。しかし、現実に、文章理解能力の育成が総合学習に生かされているのかどうか、生かすとすればどういうように生かすべきであるのか。この具体的プランを提示することが、教育領域横断的な学習を可能にするのでしょう。ワタクシは、現状、この2つの教養形成がぶつ切りになっていて、うまく噛み合っていないのではないだろうかと疑念を持っているわけで、現場で働かれている参加者の反応を知りたかったわけです。実際には、学習が高度なレベルで展開されている小中高では、このすり合わせはうまくいっているでしょうし、いわゆる教育困難校にあっては、ぶつ切りの度合いが高いようです。読書指導は国語教育の一環と捉えるならば、国語的能力を充実させることが、たとえば算数の文章問題の理解と「式の立て方」を容易にするわけですから、横断的効果があるといえますね。次回はもう少しこのつづきを講義したいと思っています。
 次に、自己売り込みのツボを3名のかたに実践していただきました。最初のIさんの報告では、民間企業における人材獲得と教育とのつながりに議論が集中したようです。民間に勤めている方々に「欠けている能力」を小学校のときから育成したいとの論旨に対して、その考え方自体に批判はあまり出ませんでしたが、その表現の仕方にものいいがつきました。ここは訂正を要するところでしょう。勉強会ではふれませんでしたが、民間に勤めているかたの問題点を、小学校教育の時点から遡って「指導」することは可能なのでしょうか。これは、中高の課題といっていいかもしれません。ただし、キャリア教育が小学校から出発することを考えれば、どういうようにIさんの問題意識を表現するべきか、議論の余地がありますね。
 2人目のKさんの報告は、元気いっぱい。高校を志望するKさんの報告に対して、即戦力性と教科教育能力のセールスがうまくいっていないとの批判がありました。高校志望では、教科指導能力の評価が高いです。やはり各教科の専門性がなければ、指導もむつかしいでしょう。そうした点に今回触れられていなかったのが、不評でした。若者の自立の問題も大切ですが、それも具体的に語らないと効果が期待できません。もう少しまとめましょう。
 最後のMさんも高校志望です。Mさんのセールスは講師経験でした。幅広い講師経験をどういうように評価されるようにまとめるかが課題です。最初の学校における活動に力点をおき過ぎているような気がします。府に奉職しようとするのですから、「宣伝文句」はカットし、府における貢献をもっと書くといいのではないでしょうか。ただし、きわめて苦しい学習レベルの高校生たちをすくいあげる力量があることを、最初の学校における勤務の状況を説明することによって可能ですから、是非、うまくまとめてほしいところです。
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■あけましておめでとうございます。今年も「浩の教室」をよろしくお願いします。2011年 元旦
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