日々旁午

2017


■集団討論のあとは、個人面接を実施。5名程度の希望者がいらっしゃったので、ひとり8分、コメント5分くらいだったでしょうか。終了時刻が近づく「恐怖」と闘いながらの実践的練習となりました。
 エントリーシートを参照しながらの8分間で、いまはまだ基本的な質問事項に集中し体制を整える練習をしています。
 個人情報になりますので、個人面接のことについてはこれまでとします。
 次回は21日、ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。満席です。
 (19日夜、インフルエンザによる欠席連絡がありましたのでお一人のみ再募集いたします。1月19日0時49分)
Jan.19,2017
■勉強会の後半は、集団討論と個人面接でした。集団討論のテーマは「規範意識について」でした。かなり広く議論をしてもらおうとして、限定を避けたテーマにしました。このテーマに、25分間、5名の方が参加されました。
 まず、Cさんが小学校の講師として現状報告的に議論の種を提出しようとされます。学力が高くても規範意識が低い現状の紹介です。アンケートにおいて「いじめがなぜ悪いのかわかっていない」らしいです。Dさんは、この発言を受けつつ、規範意識とは何でしょうか、規範意識が備わった状態とはどんな状態を指すのでしょうかと提案され、具体的に私語の問題や給食における態度をとりあげつつ、相手を思いやれること、学校や社会のルールを守ることができる状態とされました。これに対し、Cさんはルールを守ることのほか、理想的な状態は、なぜ守らなければならないのかということを考える姿勢を児童生徒が持っていることと付け加えられました。Bさんは、規範意識とは、当たり前のことを当たり前にできることと規定され、靴をちゃんと並べて脱ぐとか、自転車通学の場合、交通ルールをしっかり守るなどを挙げられます。その点では、Eさんも制服、服装の問題や挨拶についても規範にいれられるような発言でした。Aさんは、さらにつっこんで、基本的な生活習慣も規範形成の重要なファクターであって、生活リズムが狂うと時間の自己管理ができなくなると主張されました。しかし、こうした意見と規範との関連性を述べられていないので、ちょっと意図がわからない発言でした。
 Dさんは議論を引き戻し、なぜルールを守るのかを考えさせることも重要だが、ルールそのものを考えさせることが必要とされます。そうすれば、理想の実現、つまり規範意識が育成されると構想されれいるようです。Bさんは、ルールそのものを考えさせるのも重要であるが、そもそもルールがあるということすらなかなか自覚できない中で、年度初めに全校集会を開いてルールの確認を全員ですることという実際的な観点を提出されます。こうした全体におけるルールの確認ということから、Cさんは、学級目標と規範意識の形成とのかかわりについて述べられました。ここでも根源的なところを児童生徒に理解させた上でルールを守るということに、こだわっておられました。Aさんは、高校志望なので、ちょっと意見が違っていて当然なのですけれども、話題転換の意味も込めてスマホの使い方、持ち込みがいけない理由、保護者に対するスマホの扱いの説明についてご意見され、情報モラルをどう考えるかが規範意識の形成の一端といえると発言されました。この発言はたしかに正しいですね。Cさんは小学校の先生ですから、なかなか高校のAさんの議論をそのままつなげることがむつかしいのか、ルールを守ることの「なぜ」を話し合わせたいと指摘されます。教員が「挨拶しなさい」というのはなぜか。こうした疑問を児童生徒にぶつけて、個々の児童生徒のプラス思考を増やしていくようです。その点ではEさんが「職員室の作法」ということを指摘され、ちゃんと「失礼します」といえる児童生徒を育みたい意識をみせられました。
 ここでDさんが、具体例がたくさん出ましたので、こうした事例に共通して大切なことはなにか煮詰めていきましょうと議論を進歩させようとします。Bさんはそれを了解しつつも、スマホの取り扱いについて他者から意見が出なかったことを気遣ってか、生徒会でスマホに関する使用ルールを作ってみるとよいのではないかと述べられました。それは児童生徒の自主的なルール作りになり自主性の尊重にもなると指摘されます。Cさんは、保護者を巻き込んだ視点を持つことが規範意識を育むのではないかと付け加えられました。
 Dさんも保護者と連携することに同意され、このほか教員同士の連携、地域との連携についても触れられます。しかし、これは規範意識の形成の議論と距離が出てしまう発言であるとワタシは考えていました。Dさんに引きづられてEさんも学校だけでなく家庭や地域との連携が大切であると述べる始末です。集団討論で大事なことは、テーマからぶれない、ということでしょう。常にテーマを念頭に発言することが大切です。話題がこのように違う方向にいってしまって、Aさんからは学校のホームページが学校と保護者をつなぐとか、学校のPRとか、中学生向けの広報活動としてホームページを活用するとか、これ、規範意識とどう関係するの、といった事態になってしまいました。
 Cさんは、話題を転換し、ありがとうという言葉と気持ちに規範意識の形成に関するヒントがあるのではないかと述べられました。他者が存在してこその規範だということを指摘されます。「他者」が登場したことから、Dさんからは人権の視点が論じられ、規範意識形成と道徳教育の議論を展開されました。Aさんは、学校教育活動全体を通じての規範意識の形成という議論に広げられ、生徒会活動中心の規範意識形成ということに行き着かれました。
 ここでDさんから、ほかに意見はないですかの声が出て、Cさんがふだん見守ってくれている多様な他者に対して感謝の気持ちをあらわすことが規範を考えることになるのではないかと指摘されます。毎日の登下校における地域の人びとの見守りに感謝し、色紙をわたすなど具体的な活動の提示でした。Dさんがこれを受け、チューリップを植える活動、昔の道具たとえば七輪の使い方などの触れ合い、ということを付け加えられました。地域とのかかわりでBさんはあいさつについて教員こそが見本となるべきであると話されます。あいさつをするクラス、しないクラスがあるとAさんは指摘し、やらせるのではなく、自然とあいさつができることが理想であると述べられ、今回の集団討論は終了しました。
 全26発言でした。
Jan.18,2017
■これまた過去の記事。震災22年。多少加筆訂正あり。
 朝の5時半過ぎ、締め切りに追われていた論文草稿を、何度も読み直しては手を入れていた。深々とそんな作業をしていた室内が、一瞬にして変わった。本棚のいちばん上に飾っていたウイスキーボトルが落下し、アルコールの臭いが立ち込めたのをおほえている。あの日の最初の記憶である。
 1995年であったから、もう22年も前になるのか。忘却の彼方に消えいらんとする阪神大震災のことである。5時46分。忘れていた自然の恐怖が、なにもかもを奪っていった。
 残ったのは、何処に怒りの矛先を向けていいのか戸惑い、肉親の死や負傷、また愛着と思い出つまった我が家の瓦礫化に、すべての生気を吸い取られ、乾ききってしまった人びとの顔であった。
 阪神大震災で棲家をなくし、一家6人がほぼ1年間、ワンルームマンションで暮らさなければならなくなった教え子の悲話を思い出す。そこにプライベートはない。
 また、親友がベッドの下敷きになり、がっちり万力で挟まれたかのような抜けない腕を火事場の力で引っこ抜き、一命をとりとめたことを思い出す。燃え盛る火が、親友を呑み込もうかとしている距離にまで近づき、彼の父が彼の名を連呼する修羅である。親友の左の指の数本は、10年にわたり不自由であったが、数年前に治ったとの連絡を、久しぶりに呑みに行った場で聞いた。
 オイはNHKに依頼して、この親友の名をラジオ放送で流してもらうことしかできなかった。無力であった。彼の結婚記念日は、その後何度目かにめぐってきたこの17日である。曰く、震災も結婚も、絶対忘れられないから、である。
 神戸のユニークな教育活動に、「トライやるウィーク」という全国的に知られた実践がある。震災の傷癒えぬ頃、小学生であっただろうか、彼らの掲げたテーマは「なぜ町に猫がいないのか」であった。
 イヌは人間とともに行動し、各避難所の電柱にくくりつけられながらも、人間と生活を共にしていた。しかし放し飼いが常態であった猫は、子どもや大人の周囲から姿を消した。その猫を子どもたちは、探そうとするのである。
 大人はこの先の生活をどうするか右往左往し、他人のことなど構ってられない精神状態に追いつめられていたにもかかわらず、子どもは、猫の行方を気遣っているのである。なんと優しい心をもっているではないか。大人が子どもに教えられた瞬間であった。
 それから復興は、沈着冷静に進んでいったかにみえる。しかしその爪痕は想像以上に深い。
 私たちは、簡単に「思いやりのこころを持とう」という。学校でも、道徳の時間を要として、切に思いやりを自覚させようと子どもに「指導」する。
 だが、そういうものでもない。ひとのこころを知り、生活を知り、生き方を知れば、おのずと「思いやり」は身につけられる。ただし、思いやりのこころは、持続するのが難しい。
 自分自身のこころも変わり、虐げられたり、苦しい場面にあったり、そうしたとき、ひとはひとに対する思いやりを忘れてしまう。自暴自棄とはその表現である。
 冷静なこころを保ち、どのような状況におかれても、自分のことはしばらくおき、他者に対して愛を与えようとすることにこそ、思いやりのこころの持続の秘訣は、あるのではないか。
 そう、自分のことなど、どうでもよいのである。自分のことは、自分でしないでいいのである。ひとは、相手のことをのみすればいいのである。そうすれば、ひとが自分のことをやってくれる。無償とは、こうした対象に対する行為の積み重ねを意味するのではないだろうか。
 世の中には、イロイロな愛の形があるだろう。それは普遍的なものだから、いつの世においても、愛とは何かを探ろうとし、あるいは映画が撮られるし、小説が書かれる。それだけ繰り返されるのはなぜか。
 それは、わたしたちは、ひとを思いやること、ひとを愛することを、すぐ忘れるからである。また、ラディカルには、わかっていないからである。だからこそ、それぞれのおかれた状況の中で、一人ひとりの人間が、それぞれの思いやりや愛を探しつづけているのである。そうした孤独な旅人で「在ること」を、この22年を含めて、歴史は私たち人間という存在に指示しているのである。
Jan.17,2017
■熱があって、なんともならないので、過去に書いた記事を再度アップ。こんなこと、書いていたんだなぁ。記憶がないよ。2013年1月の記事です。
 足場をがっちり固めなければ、おおよそのことは、うまくいかない。だから、基礎が大切である。みんな、このことは嫌というほどわかっている。それゆえにこそ、参考書を読んだり、ノートを作ったりする。さらには、いつも問題意識を持って新聞などに目を通し、教育事象に敏感になろうとする。
 わかっていないのは、3匹の子豚と一緒で、基礎の素材に何を使うかということである。対象をみくびり、簡単だからといって、家自体を藁で造ってしまえば、たわいのない風で、すぐに吹き飛んでしまう。書く作業を怠ると、記憶は定着しない。しかし、書いたつもりの藁状態でもなんとかなると思っている。ここに陥穽がある。
 では、泥を固めて造れば多少はマシになると考える。じっくり考えないでも、思いついたことを端から端まで単語帳みたようなものに書いて、憶えこもうとするようなものである。その記憶は落剥していく。泥と同じで、記憶をつなぎとめる水分が、いつしか乾き切って、もろさをみせるからである。
 辿り着いたレンガの記憶は、人生を豊かにする。それは泥で造られた記憶の構造ではなく、理解という名の接着...剤によって大地と自分自身を接着しているからである。レンガの場合、基礎工事の完成には時間がかかる。だが、かかった時間は無駄ではない。一つひとつ積み上げたレンガは、すべて自分で触ったレンガなのである。ひとは、苦しい作業を忘れない。
 ひとはしかし、学びの最初の一歩においては、藁でいいんだろうと思う。そこから気がついて泥へ、そして反省してレンガへ、進めようとするかどうかの各個人の「元気」が要求される。それを保ち、基礎を造り上げる行程を、ひと呼んで「地道」というのである。
 問題は、基礎をレンガで造ることと、それを造っている間、ズキンをかぶっているおばあさん狼に出会わないよう、細心の注意を払うことにある。「地道」というのは、そうした誘惑を遮断するこころの在り方をも抱合している。
 レンガで基礎を造るように指導し、狼に出会わないようにチャートを示すのが、優れた教師なのであろう。

Jan.16,2017
■きょうは、とても寒かったですね。大阪では雪がチラホラ降っていたところもありました。そうした寒い一日、勉強会参加のためにご参集いただいたみなさま、ありがとうございました。オツカレさまでした。風邪などひかれないようご自愛くださるのを祈るばかりです。そういっているワタシが、ちょっと調子悪いのでいかんのですが…。
 さて、本日はほぼ満席のご参加で、いつものようにワタシからの講義と自己売り込みのツボ、集団討論、個人面接の4本立てでした。最初に、新しくご参加いただいた方が複数いらっしゃったので、勉強会のあり方や方針について説明をさせていただきました。だいたいこれで15分くらいであったと思われます。
 そのあと、大阪圏の過去問解答解説に移りました。ここでは基本的な法規についてその言葉の意味や背景をも探りながらお話をしました。bPの問題つまり教育法規の代表的な問題しか解説しませんでしたが、それでも深く追求する形の講義になっているのではないかと思っています。
 講義につづいて、自己売り込みのツボ。今回はKさんにチャレンジしていただきました。Kさんは、前回、コテンパンにやられた反省からの巻き返しで、授業論を中心にイイタイコトをまとめてこられました。なかなかの力作でした。今後報告される方のモデルになるでしょう。たかだか800字程度ですけど、それを作成するのにかなりの時間がかかっているのではないかと思わせられる文面でした。
 ここまでが勉強会の前半となります。13時からスタートしましたから、ツボの報告終了で15時半くらいになったでしょうか。もう少し、最初の勉強会の説明やワタシの講義を、はやめに切り上げる必要がありそうです。このあたりのことは、調整しながらすすめてまいりますね。
 つぎに人物重視対策としての集団討論と個人面接の練習です。この模様については、次回の更新にいたします。
 なんだか受講生に聞いてますと、となりのビル(某予備校)で面接練習を受けていたらしいですか、かなり金額的に高いですね。それに見合った効果があれば別ですけどね。
Jan.14,2017

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ